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第203話 社畜と新たなる同僚

「おはようございます……ええと」



 次の日。


 オフィスに出社すると、桐井課長の代わりに知らない女の人がいた。


 ショートボブの黒髪とよく日焼けした肌が印象的な、鋭い雰囲気の美人さんだ。


 歳は、二十代後半くらいだろうか。


 すっきりしたラインのジャケットとパンツルックで、社員証を首から下げている。


 見かけない顔だが、他の課の人だろうか?



 ちなみに桐井課長はいつもこの時間には出社しているはずだが、デスクには姿がない。


 どうやらどこかに出かけているようだ。



「……む」



 彼女はオフィスに入ってきた俺を一瞥してから、声を漏らした。


 それから彼女は俺から視線を外し、ふたたび前を見た。


 彼女の前にはPCのモニタがある。



 というか、そこ……俺の席なんだが……


 彼女はなぜか俺の席に座っていた。


 腕と脚を組み、起動中のモニタを難しそうな顔で睨みつけている。


 画面にはIDとパスワードを要求するウィンドウが表示されており、さらに入力欄の上には赤文字で再入力を促すアラートが見て取れる。


 状況から察するに……彼女のIDとパスワードを入力したものの先に進めず、途方に暮れているらしい。



 そこで思い出す。


 この『別室』には、桐井課長と俺の他に、もう一人同僚がいたことに。



「あの……もしかして佐治(さじ)さんでしょうか?」


「……む」



 と、俺の声に彼女が反応した。


 こちらを見て、数秒ほど動きが止まった。


 察するに何か思案しているようだ。


 それからさらに数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。



「……いかにも。私が佐治だ」



 やはりそうだったか。


 俺は課の先輩社員に頭を下げる。



「初めまして、廣井新(ヒロイアラタ)と申します。実は先日、この課に配属になりまして」


「佐治(りん)だ。……よろしく頼む」



 彼女は椅子から立ち上がるとこちらを向き、それから軽く頭を下げた。


 ハスキーな声色が心地よい。


 それはさておき、背筋をピンと伸ばした彼女の(たたず)まいは名前通り凛としていて、まるで武人というか……お侍さんみたいな雰囲気だ。


 それに女性にしては結構上背がある。


 踵の低いパンプスを履いているのに、俺の目線とほぼ変わらない。


 いちおう少しだけ、俺の方が背が高いだろうか?


 ただ、見た感じ怖い人ではなさそうだ。


 そういう空気がない。



「…………」


「…………」



 それはさておき、そろそろ俺の席を譲ってほしいんだが?


 そこに立っていられると俺が着席できない。


 というか。



「あの、そこのPCは私のアカウントでしか開けないですよ」


「そうなのか」


「そうですね……」



 なんだこの間。めっちゃ気まずいんだが?


 挨拶が済んだのはいいんだが、今度は直立不動のまま俺のことめっちゃ見てくるし。


 ただ、雰囲気からして別に嫌がられていたり不審がられている感じはない。


 いや、違うな。



 この人は……そう、大型犬だ。


 彼女の目は……犬が助けを求めているときのそれだった。


 ウチのクロが、何か困りごとがあるとこういう目で見てくるから分かる。


 俺はこの手の視線に詳しいんだ。



「あの、とりあえず私のIDとパスワードを打ち込むんで……席を譲ってもらっても?」


「む……承知した」



 彼女はひとつ唸ってから、大人しくその場をどいた。


 どうやら正解だったらしい。



「失礼します」



 一言断ってから、俺は空いた席に座る。


 それと同時に佐治さんが俺の背後に立った。



「…………」



 多分PC画面を見守るつもりなのだろうが、すぐ後ろに立たれるとやりづらい。


 というかこの人、背が高いせいか妙に圧力を感じるんだよな……


 殺気とは違うのだが、明らかの強者のオーラが放たれているのが分かる。



 それと……とある部分が豊満にせり出してきて、俺の後頭部にくっつきそうで気が気じゃない。


 そっちの圧力もパネェんだが……さすがに文句を付けたら怒られそうなので気にしないふりをする。


 とにかく、さっさと起動させてしまおう。


 俺は座席に残った彼女の体温を感じつつ、素早くPCに自分のIDとパスワードを入力した。


 パッと画面が変わり、見慣れたデスクトップ画面が表示される。



「お待たせしました」


「……うむ」



 言って振り返ると、佐治さんが頷いた。


 相変わらず無表情だが、どことなく雰囲気が明るくなったような気がする。


 この人……さては感情が顔に出ないタイプだな。



 それにしても、なぜ佐治さんは俺の席に座っていたのか。


 他にも空いている席はあるんだが……


 ……あ。


 もしかして、以前はこの席が彼女の席だったのだろうか?


 多分そうだ。



 と、そのときだった。


 バタン! と勢いよく扉が開き、小柄な影が転がり込んできた。



「佐治さん、遅くなってすいません! ようやく貴方用PCの設定手続が完了して……あ、おはようございます廣井さん」


「どうもおはようございます、桐井課長」



 小動物みたいな動作で居住まいを正し、桐井課長がニコリと微笑んだ。


 何かこちらを様子を窺っている気配がある。


 俺と佐治さんの距離感を測りかねているのだろうか。



「……ええと、お二人はすでに自己紹介済みですか」


「ええ、まあ」


「……うむ」


「それはよかったです」



 ホッと安堵したように息を吐く桐井課長。


 そのまま彼女は苦笑しながら続ける。



「実は、情シスから戻る途中で『現場調整課』の後藤さんに捕まっちゃって……打ち合わせなら後にして欲しいと伝えたんですが、すぐ終わるからと言われてしまって。結局15分くらい時間を取られてしまいました」


「後藤さんですか……また怪人が出たんですか?」



 後藤さんといえば『現場調整課』の課長さんだ。


 つまりは魔法少女たちに妖魔討伐などの直接指示を出す部署の長である。


 そういえば、まだ土蜘蛛の変異体に関する情報は報告を上げていなかったが……それ絡みだろうか?


 怪しい魔法陣の件もあるので社長殿(ソティ)に先に話を通そうと思っていたのだが。


 だが桐井課長は首を横に振った。



「いえ、そんな大したことではないのですが……近々、皆で遠出することになるかもしれません」


「遠出……ですか。出張とは違うのですか?」



 微妙なニュアンスの違いに違和感を覚え、聞き返す。


 すると桐井課長は少しだけ考え込んでから、はぁ、と息を吐いた。



「うーん……まあ、この際ですから先に伝えてしまっても構いませんか……実は今月半ばに、急遽前倒しで合宿を行うことになりまして」


「合宿……ですか」


「それについては、私から説明しよう」



 俺がよほど妙な顔をしていたのか、佐治さんが俺に向き直ると、そう言った。


 ていうかこの人、ちゃんと喋れるんだな。




 ◇




「――というわけだ」



 佐治さんが言うには、合宿というのは4月初旬に『別室』で開催する恒例行事で、所属する魔法少女たちの戦闘技能強化合宿を指すようだ。


 彼女たちの大半は学生さんなので、春休み中に行うことにしているとのこと。


 今回は諸々の都合で、3月下旬……一週間ほど前倒しのスケジュールとなったそうだ。


 ちなみに志願制で、場所は北関東にある会社提携の合宿施設で行うらしい。



「それで、今回は『現場調整課』と『装備課』の有志も参加することになりまして」



 それで後藤課長に捕まっていた、というわけか。


 と、そこで合点がいく。



「だから佐治さんが戻ってこられたんですね」



 彼女は現在九州かどこかで戦闘訓練の教官をやっていたはずだったからな。


 それがこちらに帰ってきたということは……そういうことだろう。



「……いかにも」



 案の定、佐治さんが頷いた。



「……後藤さんによれば、最近はどうも妖魔や怪人が強くなっている傾向がみられるそうです。ですから、今所属している子たちを……佐治さんにしっかりと鍛えてもらう必要が出てきまして」



 そういえば、昨日もそんな話が出ていた気がする。


 それは良いのだが……



 なぜ桐井課長は、そんな気の毒そうな顔をしているのだろうか。

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