第200話 社畜、聖女の実力を知る③
巨大な土蜘蛛は、小さな土蜘蛛を貪るのに夢中でまだこちらに気づいていない。
時おり腹部や背中を脚でボリボリ掻きむしっているが、それだけだ。
すでに三人は別々の方向から相手に攻撃を加えるべく、広場を取り囲む雑木林を移動中だ。
能勢さんは残りの二人にハンドサインらしき合図を送りつつ、広場を回り込み奥側へ。
朝来さんと加東さんは雑木林や植え込みに隠れつつ、挟み込むように巨大な土蜘蛛――大蜘蛛に近づいていく。
もっとも、相手の情報はまだほとんど得られていない。
現状分かっているのは、おそらく土蜘蛛の変異体などであることと、通常の土蜘蛛が捕食対象であること、くらいだろうか。
もちろん三人もそれくらいは分かっているので、いきなり襲いかかったりはしない。
おそらく彼女のうちの誰かが仕掛けて、他の二人が戦闘能力などを把握する、という流れになるはずだ。
「……さて、俺も動くか」
アンリ様が姿を隠したことを確認したあと、俺も三人と同様、茂みに姿を隠しつつ大蜘蛛に近づいていく。
『ぎっ、あぎっ』
大蜘蛛はこちらに気づいた様子はなく、奇妙な鳴き声を上げながら夢中で土蜘蛛を貪っている。
それにしても、とんでもない巨体だ。
胴体だけでもダンプカーほどもある。
もっともその代わり肢は細く短く、体重を支えるには少々心もとない。
おそらくは、そこまで機敏な動きはできないはずだ。
頭部と胸部はそれぞれ直径1.5メートルほど。
全体からすると小顔かつ小胸(?)と言えるかもしれない。
そして大蜘蛛の中で最大の比率を占めているのは、なんといっても腹部だ。
でっぷりと膨らんでおり、剛毛の生えた節が食事のたびにキシキシと動いている。
さらに腹部が痒いのか後ろ肢を器用に使い、ボリボリと掻きむしっている。
そのたびに剛毛がパッ、パッと飛び散っているのだが……その様子は否応なく生理的嫌悪感を掻き立てるものだ。
だが、ここで怖気づくわけにはいかない。
いちおう三人の獲物なので、よほどのことがない限り加勢するつもりはないが……その『よほど』のことを想定するならば、『鑑定』で情報を得ておくべきだ。
「……もう少し近づく必要があるか」
だいたい50メートルほど接近したところで『鑑定』を掛けてみたが、不発に終わる。
このスキルは強力な半面、意外と効果範囲が短い。
他人に掛けたときの反応やスキルの性能からして、おそらくはアクティブソナーのように魔法を照射して相手の情報を抜き取っているからだろう。
さらに近づく。
ふと両脇を見ると、朝来さんと加東さんも先に進んでいた。
まだ広場を取り囲む植え込みの陰に隠れてはいるものの、大蜘蛛とは直線距離で30~40メートルといったところだろうか。
もう彼女らの敏捷性なら不意打ちできそうな間合いだ。
だが、そこから彼女たちは動かない。
おそらく能勢さんの合図を待っているのだろう。
能勢さんは広場の反対側に回り込んだようだ。
ここからでは大蜘蛛の身体に遮られて彼女の姿は見えない。
だが朝来さんと加東さんが時おり奥側へ顔を向け何かを確認しているので、着実に包囲網を形成しているのが分かる。
さらに10メートルほど近づく。
茂みの際の部分までやってきた。
大蜘蛛との距離は30メートルもない。
だがヤツは、まだこちらに気づいていない。
土蜘蛛を貪りつつ、ガリガリと腹部を掻いている。
「…………?」
と、その時だった。
何か、指先に違和感を覚えた。
ピリリと痺れるような感覚だ。
もっとも、その奇妙な感覚はごく一瞬感じただけだ。
すぐに、違和感が消える。
さっきのは何だったんだ……? と思った次の瞬間、視界に何かが映った。
……文字列だ。
敵に集中していたせいで、最初それが何を意味するのか分からなかった。
《体内に毒成分を検知:中程度の麻痺毒……解毒完了》
「……ちょっと待て」
毒、だって……!?
一体どこからそんなものが!?
あたりを見回す。
と、そこで気づいた。
なぜ、土蜘蛛たちはそろいもそろって大蜘蛛の前で死んでいるのか。
最初はヤツが仕留めたものだと思った。
その推測自体は間違っていない。
……だが、その方法を考えるべきだった。
大蜘蛛は周囲に毒を散布して土蜘蛛たちを殺していたのだ。
そして今、その毒に晒されているのは俺だけじゃない。
「三人とも今すぐ大蜘蛛から離れろッ!! コイツ、毒を散布しているぞッッ!!」
「ちょっ、一体何を言って……ぐっ!?」
「廣井さん、一体何を――うっ!?」
俺が大声で叫んだのと同時に、朝来さんと加東さんが怪訝な表情で俺を睨み――すぐに顔を引きつらせた。
さらに次の瞬間、二人がぐらりとよろめくが……すぐさま後ろに飛び、大蜘蛛から距離を離す。
『ぎひ……?』
俺の大声で、さすがに大蜘蛛がこちらに気づいた。
だが食事が優先らしく、積極的に襲ってくる様子はない。
ただ、腹部をガリガリと掻きむしる動作が激しくなっただけだ。
あれはストレス反応だろうか。それとも威嚇行動?
ともかく、ヤツが襲ってこないのならば対処は後回しだ。
それに、よしんばヤツを倒せたとしても、その後爆発でもして広範囲に毒をばら撒くようなことがあれば大惨事確定だからな。
ただ……俺としても、ここでただ撤退を選ぶつもりはない。
一瞬だけ大蜘蛛に接近し、『鑑定』を掛ける。
……よし。情報は取れた。
その後は無理をせず、即座に離脱し二人のもとに向かう。
「朝来さん、加東さん、大丈夫ですか!?」
二人は首尾よく毒の効果範囲から逃れられたようで、雑木林の中で座り込んでいた。
とりあえず無事のようだが、彼女たちの表情は険しい。
「左手の感覚がないわ。それに右足にも力が入らない」
「すいません、私は左が麻痺しているみたいです」
二人とも症状を訴えている場所がだらんとしており、毒攻撃を受けたことは明白だった。
このままでは、戦闘続行は難しいかもしれない。
「ちょっ、二人とも大丈夫!?」
と、そこに能勢さんが駆けつけてきた。
どうやら彼女は大蜘蛛から距離を取っていたせいか無事のようだが……表情は険しい。
「ひとまず、全員無事のようですね。どうやらあの大蜘蛛は神経毒のようなものを散布しているようです。土蜘蛛の死体も、おそらくはその毒で殺したのでしょう」
「……そういうことですか」
能勢さんが合点がいったように頷く。
「……廣井さん、助かったわ。あの警告がなかったら、もう一歩踏み込んで今頃土蜘蛛たちの仲間入りをしてたかも」
「うう……あんなキモい妖魔の餌になるなんて、想像しただけで鳥肌が……」
「とにかく、いったん妖魔から距離を取りましょう。あの巨体ならば、森の中までは簡単に追ってこれないはずです」
まずは態勢を整えなければ始まらない。
アンリ様は治癒魔法を使えるが、解毒はできるのだろうか?
とにかく聞いてみるしかないな。
「二人とも、歩けますか? アンリ様のところまで行きましょう」
「了解……ん」
「……朝来さん?」
歩き出そうとしたところで、なぜか朝来さんがそっぽを向きつつ俺に両手を差し出してきた。
……一瞬何を求めているのか分からず、ポカンとしていると。
「足! 動かないから! だっ……だから……肩、貸して!」
なんか顔を真っ赤にしてそうまくしたててきた。
ていうか今『だっこ』って言いかけなかった?
「ちょっ、マキナちゃんズル……じゃなくて私も足が動かないんですけど!? 廣井さん、私も――」
「はいはい二人とも廣井さん困らせないー。仕方ないから私が持っていこうかねえ」
「はあ!? ちょっ、ルナ! こっちは負傷者なんだけど!? なんで俵みたいに担がれなくちゃいけないのよ!」
「うう……ルナちゃんの目が怖い……」
「さ、廣井さん行きましょう」
能勢さんは二人の扱いに慣れているのか、能面みたいな顔でヒョイッと二人を拾い上げると、スタスタと林の小道を進んでいく。
さすがは魔法少女の腕力である。
そんな彼女の背中を眺めながら……ちょっとホッとしたのはここだけの秘密である。
◇
「妖魔ノ麻痺毒、ですカ……私の魔法デ治せルと思いマス」
離れた場所で待機していたアンリ様と合流し、事情を説明。
すると彼女は、力強くそう頷いた。




