第193話 聖女、現代日本を冒険する②【side】
『こんびに』の入口の前に立つと、ひとりでに扉が開いた。
一瞬ビクッとなるが、これはこの世界にやってきた初日にヒロイ様と一緒に行った別の『こんびに』で見てたことを思い出す。
それに、王都にいたころにも似たような仕組みの扉は見たことがあった。
式典に参加するために招かれた王城の大門や、シャロク教本部『碧の寺院』の魔導式の大扉がそうだ。
となれば……もしかしてこの『こんびに』は、国家の直轄か、大商人などが経営している裕福層向けの商店なのだろうか。
それに雑貨店としては店構えが洗練されてすぎているし、王国では高貴な色とされている白や青を基調とした色使いである。
一瞬、自分のような一介の旅人が入ってもいいものなのだろうか不安になるが考え直す。
『いえいえ、ここまで来て怖気づくわけにはいきません……!』
そもそもここは王国ではない。
店構えも使われている色も、同じ意味ではないはずだ。
それに先日だって、貴族などではない(と思われる)ヒロイ様も、普通に店で品物を買っていた。
そもそも『こんびに』にやってきたのは、この国のお金で食料品や生活用品などを調達する練習のためだ。
ここで引き返してしまっては意味がない。
「………!」
一度大きく深呼吸をして、気合を入れ直す。
それからアンリは、意を決して店内に足を踏み入れた。
どこからともなく聞こえる軽妙な音楽が出迎えてくれる。
思わず周囲を見回してしまうが、楽団の姿はどこにも見当たらない。
不思議に思っていると、近くにある棚を整理していた店員と目が合った。
「らっしゃ……せ……」
若い男性だ。
なぜか動きを止め、呆けたような表情でアンリを見つめている。
というか手に持っていた商品をポロリと取り落としてしまったが大丈夫だろうか。
もしかして、何か作法などを間違えたことをしてしまっただろうか……?
たしかこちらの世界でも、お店などは土足で立ち入っても問題なかったはずだが……
(……あ、そうでした!)
彼の様子に不安になるアンリだったが、すぐに気づいた。
挨拶だ。挨拶を忘れていた。
「オ、オジャマ……マス!」
両手を身体の前で添え、ペコリと深く頭を下げる。
少し前に覚えた『にほんご』も使うことができた。
これで完璧なはずだ。
「い、いらっしゃいませ……!?」
案の定、店員は挨拶を返してくれた。
少々戸惑っていたように見えたのは、きっと挨拶が遅れてしまったからだろう。
しかしこれで堂々と店内を見て回っても問題ないはずだ。
アンリは顔を上げる。
店員が取り落とした商品に気づき慌てて拾い上げるのを横目で見ながら、『こんびに』の奥へと歩を進めた。
『わあ……!』
目に飛び込んできたのは、これまで見たことのない品物の数々だ。
自分より背の高い棚がいくつも並んでおり、それらすべてにぎっしりと『未知』が詰め込まれている。
その圧倒的な情報の洪水に呑まれ、アンリの語彙力は崩壊寸前だった。
(なにこれ……! なにこれなにこれ!)
心の中のワクワクが顔に漏れ出ないよう気を付けながら、すまし顔でグルグルと店内を見て回る。
品物の量は、王都の市場街にある雑貨屋などとそこまで違いはない。
むしろ、物量だけなら王都のそれらの方が多いかもしれない。
けれども、見る品見る品、どれもが初めて見るものばかりだった。
例えば、入り口近くに並んだ小瓶や、銀色の袋に入ったものは何だろうか。
瓶は、何かしらの飲料だと分かる。しかし銀色の袋は見当もつかなかった。
試しに触れてみると、色味に反して柔らかくぶよぶよした感触だった。
いよいよ正体が分からなくなる。
いちおう、中身はおそらく液体であろうことは想像が付くが……表面に書いてある文字が読めないので、味の見当がつかない。
ものすごく気になったが、仕方なく今回は購入を見送ることにした。
(あ、こっちは分かりますね……!)
さらに奥に進むと冷気を発する棚があり、食料品が所せましと並べられていた。
つるりとした容器に詰め込まれた食べ物が、店内の明るい光を受けて鮮やかに輝いている。
(これは、パスタでしょうか? こっちは、ポトフに見えますね……この茶色いドロドロした食べ物は……今日はよしておきましょう)
最後の茶色い食べ物はさておき、どれも美味しそうに見える。
あまりの種類にどれにしようか迷ってしまうが……
結局、以前食べたことのある『おやこどん』を手に取った。
この食べ物ならば、味の想像が付くからだ。
(これだけでは足りないかもしれませんね……あ、これなら食べられそうです)
さらにアンリは、棚の上部に陳列されていた『パン挟み』を取った。
白くてふわふわのパンに挟まれているのは、潰した卵のようだ。
これなら味の想像が付く。
これで今日の夕食は決まりだ。
(結局、こちらの冒険はできませんでしたね……いずれまた、再挑戦しましょう)
今日の冒険の大半が完了したことで心の余裕ができたアンリは、もう少し店内の様子を見て回ることにした。
ひとまず、食品棚の後ろの棚と棚でできた通路に入り込んでみる。
ここに陳列されているのは、主に日用雑貨のようだ。
棚の上部のフックに吊られているのは、櫛やブラシの類だろうか。
その下の棚には、タオルや下着らしき衣類も陳列されている。
さらに隣に移動すると……これは筆記用具だろうか?
この『こんびに』には本当に何でも売っているのだな、と感心してしまう。
さらに移動して、隣の通路へ。
そこの棚の一角には、丸や四角の容器が並べられていた。
そのうちの一つを手に取ってみる。
『これは、何に使うものでしょうか……?』
カラフルな箱だ。
樹脂のような不思議な素材でできており、そこまで重くはない。
中には何が入っているのか気になったが、それを確かめるにはこの透明な膜を破く必要がある。
さすがにそれはマズいだろう、と考え元に戻した。
(……何か視線が気になりますね)
ふと気づくと、少し離れたところから、数人の男たちが自分を目で追っていることに気づいた。
自分と同じくらいか、少し年上だろうか。若い男たちだ。
もしかして、棚に陳列してあるものを手に取るのはマナー違反だっただろうか?
でも、他の客も当たり前のように品物を手に取って確かめているし……
(……今日はこれくらいにしておきましょう)
なんとなく居心地が悪くなり、アンリは食品を手にレジに向かい、お金を支払い外に出た。
『ふう……少し不安でしたが、どうにかやり遂げました』
意外とスムーズに商品の清算ができたことに安堵しつつ、ひとまず店から少し離れた場所で白い袋の中身を検める。
今日の戦利品は、『おやこどん』と『パン挟み』が一つずつ。
それを眺めていると、少しだけ誇らしい気分になった。
もちろん、もっと未知の食品を購入してみるなど冒険したかった気持ちはある。
だが、最初としては上出来だろう。
次はもっとうまくできるようになればいいのだ。
『さて、それでは帰りましょうか』
『じょしりょう』へと歩き出したところで……
誰かが目の前に立ちふさがった。
「ちょっと待ってよー。ねぇねぇ君、どこ行くの? この後ヒマ?」
「おー、すっげぇ美人じゃん! 君どこの高校よ? 留学生?」
「君、めちゃくちゃ可愛いね! どこの国の人? 日本語わかるゥ?」
『エ……』
そこにいたのは、先ほど自分を見ていた若い男たちだった。
ガラが悪い、とでもいうのだろうか。
みなニヤニヤした表情で、アンリを上から下までジロジロと眺めまわしている。
粘つくような視線で居心地が悪い。
(はあ……この国でも、このような方々がいるのですね)
彼らが何を言っているのかは分かなかったが、翻訳魔道具を使うまでもない。
この手合いは王国のあちこちで見かけたことがある。
意図はすぐに分かった。
とはいえ、アンリも旅慣れた身だ。
この程度で怯えるほど、肝は小さくない。
『…………申し訳ありませんが、先を急いでいるので』
視線を合わさず、大陸語でそう伝え立ち去ろうとする……が、袋を持っている方の腕を掴まれた。
ガサリ、と袋が揺れる。
「おい待てよ!」
「君、この辺の中学か高校の子? ちょっと俺らと遊ぼうよ」
「つーか逃げんなよ。俺ら誰か分かってんの?」
男たちはアンリを取り囲むと、苛立ったように喚き立ててきた。
(やはりこうなりますか……)
アンリは心の中でため息を吐いた。
見回してみるが、周囲に衛兵の姿は見えない。
行き交う人々はトラブルに巻き込まれたくないのか、それともこちらの状況に気づいていないのか、黙って通り過ぎるだけだ。
……まあ、仕方ない。
誰だって、面倒ごとは嫌なのだ。
あまり、この国で事を荒立てたくはなかったが……ヒロイ様ほどではないものの、護身術の心得はある。
『申し訳ありませんが、貴方たちにはしばらくの間眠ってもらいます』
掴まれている方とは逆側の拳を固く握りしめ、鳩尾に狙いを定め――
そのときだった。
「ちょっとあんたたち、その子になにやってんのよ!!」
背後から鋭い声が飛び、男たちの動きが止まった。
「ああ?」
「なんだあいつら」
「おっ、こっちも可愛いじゃん」
男たちの視線の先――後ろを振り返る。
アンリと同じ年頃の少女が三人、男たちを睨みつけていた。
※アンリ様が手に取っていた箱は男性用の整髪料です。念のため……
書籍版発売まであと3日となりました…!
ドキドキします…!




