第181話 捜査官、戦慄する【side】
「なんなんだアイツは……ッ!!」
ムルクは表通りを歩きながら、自分の腕をもう片方の手でギリリと握りしめた。
今になって、身体の震えが止まらなくなったからだ。
極度の緊張と恐怖心を持ち前の度胸で噛み殺してたが、危機を脱したせいだろうか。
だが、それも仕方ないことだとムルクは思う。
――あの黒髪黒目の自称商人。
アラタ、と言ったか。
あんな得体のしれない人間は、初めて見た。
いや、そもそもあれは人間……なのか。
ムルクが上官より命じられ裏社会に潜伏してから、もう5年以上が経つ。
その間に、各地を渡り歩き、多くの悪党や危険人物、反社会的勢力と対峙した。
粗暴なだけの無頼漢はまだ可愛いものだ。
頭が切れるが金と地位にしか興味がなく、弱者の命や財産は自分が面白おかしく暮らすための『作物』だと認識している組織のボス。
他者の尊厳を踏みにじり殺すことでしか、充足感を得られない元軍人の暗殺者。
自分の『商品』で廃人と化した者を見ることが何より楽しみだという禁制魔法薬の元締め。
どれも魔物にすら劣る外道ばかりだったが、それでもあれらは『人間』だ。
だが、あのアラタとかいう男は……それらの悪党とはまるで違うタイプの『何か』だった。
もちろん、人の形をしているし、表面上は物腰柔らかな商人のそれだ。
柔和な笑顔と、暴力の臭いをまったく感じさせない潔癖な雰囲気。
明らかに高度な教育を受けたと思しき言動。
体躯は細く、まともに戦闘をこなせるようには見えなかった。
だというのに。
攻撃の予兆すら察知させぬ身のこなし。
オーガもかくやという異様な膂力。
おそらくは魔法で身体能力を強化しているのだろうが……まったく反応できなかった。
そして極めつけは、あの瞳だ。
底知れない『赤黒い闇』が渦巻く、あの瞳。
見つめられているだけだというのに、立っているだけでやっとだった。
いったいどのような体験をすれば、あのような目になるのか。
一度死んで、地獄の業火で身体を焼かれでもしたのだろうか?
「……『竜の顎』程度じゃ、あれの相手は荷が重すぎるか」
さすがに乾いた笑いが口をついて出た。
半年ほど前、ジェントにやってきたときに舎弟とした『竜の顎』は……ムルクが出会ってきた連中の中では『きわめて善人寄り』の連中だ。
それでも腕っぷしだけは確かだったはずだが……自分で対峙して、ようやく彼らの不運が理解できた。
……あまりにも相手が悪すぎた。
ムルクも恵まれた才覚に驕らず他者の何倍もの研鑽を積んできたと自負しているが……それでもあの男を前にして味わったのは、まるで自分がネズミか羽虫にでもなったかのような気分だった。
何度も思うが、あれは……本当に人族なのだろうか?
「いや……進んで『ツァーナ』の民に化けようと思う魔族はそうおるまい。かの民に見つかれば、有無を言わさずその場で首と胴が泣き別れだ」
唐突に浮かんだ疑念を、ムルクは頭を振って追い出した。
特徴的な風貌と名前から察するに、かの国の出身であることに間違いはない。
――ツァーナ連合王国。
ノースレーン王国の隣国であり、『勇者』の末裔とされる者たちが暮らす、百年ほど前に独立した元王国領。
もっともかの国は『連合王国』とは名ばかりの群雄割拠状態で、王たちはそれぞれが『我こそが真の勇者の末裔である』と主張して年中小競り合いを繰り返しているためろくな産業も育たず、国家としての力量は、軍事力や経済力などすべてにおいて王国の十分の一にも満たない。
王国にとっては何の脅威にもならない、取るに足らない小国。
もっとも民そのものについては、少しばかり評価を改める必要がある。
「……ツァーナの民は『国』ではなく『人』に付く、だったか」
かの国の民は、国家そのものに対する帰属意識が王国民と比べ物にならないほどに低い。
それは山岳地帯の厳しい自然環境で育まれた独立心の強い性格や強靭な肉体、それと彼らの祖先より受け継いだ独特の死生観によるものだったが、その反面、恩義を感じた相手に対しては国や人種を問わず、一族ごと忠誠を誓う気風があった。
それゆえ王国も見込みのあるツァーナの民を複数の組織で迎え入れているが……それは他国も同様である。
ゆえに問題の大部分は、アラタがどの国のどの機関に所属しているか、ということに集約される。
王国ならば、どこに所属していても基本的には問題はない。
たしかにそれぞれの聖女を巡ってはそれぞれの派閥が権力争いを繰り広げたり、不穏な動きがないわけではないが……それでも王国内での問題だ。
いざとなれば王の介入でどうとでもなる。
しかし、他国ならば話は別だ。
王国同様、魔物国家群と敵対している分には良い。
しかし奴らと結託して聖女の身柄を利用し、王国を脅かすことがあれば……どんな手を使ってでも、奪還する必要がある。
だが……
「クソ、あんなバケモノ相手に、俺だけでどうしろってんだよ……ッ!?」
ムルクは頭を抱えた。
さきほどは余裕ぶって『あんたにアンリ様を預けておく』『王国が聖女様をお前らに引き渡すことはない』などと調子の良いことを言ってしまったが、実際、そうやって虚勢を張る以外にできることなど何もなかったのだ。
そもそも、自分の名前をどこで知られたのかは皆目見当が付かない。
それを可能にする、諜報能力も。
ムルクにはあの男に勝つ筋道が全く思い浮かばなかった。
逆に、どう行動すればどれだけ早く殺されるか、という最悪の想像だけはどんどんと頭の中に浮かんでくる始末だ。
暗殺……も難しいだろう。
そもそも先ほど失敗して返り討ちに遭ったばかりだ。
あの得体の知れなさを考えると、次があるとは思えない。
……仮にあったとしても、あっさり殺される場面しか思いつかない。
いずれにせよ、あの男がどの勢力に属しており、『黄金の聖女』が現在どこにいるかを掴むまでは、下手に動くことができない。
「本隊に支援要請をかける……? ダメだ。却下される。報告は上げるにしても、アンリ様の身辺警護は任務の対象外だからな……」
そもそも王都の有力貴族たちやシャロク教のお偉方は、すでに『黄金の聖女』は戦力外だとみなしている。
もちろん彼女を支持する者は、『現場』では少なくない。
だが、それらは力なき修道女であったり、下級貴族の三男坊であったり、一兵卒であったり……と国に対する発言力がほとんどない者ばかりだ。
少し前にあった『聖地』でのワイバーンの襲撃も、現場を知らないお偉方がアンリ様に身分を隠させあの辺境の地まで向かわせる、という暴挙をしでかしたゆえ起きた事件だ。
あの時は、砦にいる者が『まとも』だったからよかったものの、一歩間違えれば彼女の命は潰えていた。
そして、このジェントでの白銀の聖女襲撃事件である。
それもこれも、すべては黄金の聖女を蔑ろにしたせいなのだ。
つまり……聖女という存在そのものを、敵対勢力が『隙だらけの、与しやすい相手』と認識してしまった。
「高位の神官殿は基本的に世襲制だからな……あのお坊ちゃん共に『舐められたら負け』の言葉の本質は理解できんのだろうが……」
本来ならば、それを一番理解しているであろう王国貴族たちが連中を嗜めるべきなのだろうが……
連中も宗教を権威の根拠の一部としている以上、高位の神官に意見することは難しいのだろう。
当然、ムルクのような一介の捜査官が神官たちに直接懸念を具申する機会などあるはずもなく。
いずれにしても今できることは、己の仕事を全うすることだ。
つまりは『白銀の聖女』様襲撃の黒幕を突き止め、これを捕縛すること。
そう決まれば、少しばかり気持ちが落ち着いてきた。
「とにかく……今は自分の仕事に集中しよう」
自らに言い聞かせるようにそう呟き、ムルクは夜の街へと消えていった。




