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第五章 三か月が経ちました

 室山組若頭の杉村一郎は月例通りS社の食品開発センターおよび研修センターに、マシンガンで武装した護衛十人とともに、防弾防爆の車に乗り、強固な現金輸送車を引きつれて赴く。

「お待ちしておりました」

 正面門の警備兵に窓越しに顔を見せると門が開く。

「ここまで来れば一安心です」

 敷地内に入ると部下がマシンガンの引き金から指を離す。

「くそったれ……高が金塊を受け取るだけなのに何でこんな思いしなくちゃならねえんだ」

 杉村は十本目の煙草に火をつける。車内は煙だらけだ。

「誰が室山組長をやったのか、まだ分かんねえのか」

「警察の話だとまだ分かってないようで」

「役に立たねえ! 何のために金払ってると思ってんだ!」

 杉村は煙草の吸い口を噛み千切った。

 正面玄関に到着した。杉村は部下に守られながら慎重に中に入った。

「全く……どうなってやがんだ」

 ここまで来れば一安心だと言うように、杉村はスーツのネクタイを緩める。

 S社の窓ガラスは防弾だ。それに武装した護衛もたっぷりいる。防弾チョッキも着ている。

 守りは完璧だ。いくら凄腕の殺し屋でも簡単には殺せない。

「返り討ちにしてやるぜ!」

 杉村は強気な態度で受付に行く。

「杉村が会いに来たと社長に伝えろ」

「ではこの札を首から下げてください」

 受付嬢はにこやかに来訪者を示す札を差し出す。

「俺を誰か知らねえのか?」

「分かりません」

 受付嬢は子供を接するような笑顔で応対する。杉村の目元が引くつく。

 マシンガンを装備した護衛。社員は触らぬ神に祟りなしと立ち去る。だから今は受付の子一人だ。S社は室山組の息がかかっているため、殺されても文句は言えない。

「良い度胸をしてるな」

 杉村は受付嬢に顔を近づける。

「それほどでも」

 屈託のない笑顔。まるで無防備。毒気が抜かれる。

「間抜け女が」

 杉村は無視して奥へ歩く。

「ダメですよ!」

 受付嬢は受付から出て杉村にパタパタと足音を立てて近づく。

「近づくなバカ女」

 護衛は受付嬢をブロックした。

「俺の顔を知らねえなんて教育がなってねえな」

 杉村は護衛の後ろでフンと鼻を鳴らし、よそ見をしながら前に歩く。

 すると書類の束を持った女性社員と正面衝突した。

「痛!」

 書類で指を切ったのか、杉村の右の人差し指の先に、僅かだが血が滲む。

「ごめんなさいごめんなさい!」

 女性社員は謝りながらぶちまけた書類を拾う。

「気を付けろこのバカ!」

 杉村は苛立った顔で奥に向かった。

「ここの連中の質も落ちたもんだ」

 杉村は護衛とともに、胸を押さえながらエレベーターに乗る。

「組長。胸が痛むんですか?」

 部下は心配そうな目で杉村に尋ねる。

「痛む? そんな訳ねえだろ」

 杉村は冷や汗を流しながら荒い息で答える。

「でも苦しそうですよ。どこかぶつけたんですか」

 杉村は部下の問いに答える前に、膝から崩れ落ちた。

「息をしてねえ! 救急車だ! 早く呼べ!」

 S社は大騒ぎとなった。

「任務完了だね」

 受付嬢に変装していたモモと、女性社員に変装していたムギは、階段から作戦成功を見届けると拳と拳を合わせた。

「まさかあの女どもか!」

 部下が声を荒げた。階段まで響いた。

「バレちゃった。結構頭良い」

 モモとムギは変装を解除し、セーラー服とゴスロリファッションへ戻って、変装用具をスカートの裏に隠してから裏口に向かう。

「監視カメラは大丈夫?」

「ムギを信用できないの? ちゃんと誤作動させた。ムギたちは一切映ってない」

「一応私はリーダーだから。口うるさくしないと」

「仕事モードのモモって嫌い!」

「怒らないでよ~」

 二人は裏口から出ると裏門へ向かう。

『二人の女だ! そいつらが組長をやりやがった! 社員と受付に化けてやがった!』

 裏門の警備兵が無線機で事情を聞いていた。

「分かりました。それ以外に特徴はありますか?」

『受付は身長165くらい。社員は150くらいだ。年齢は30くらい。どっちもスッピンで虫も殺せねえ間抜けな面をしてやがった』

「分かりました。見つけたらぶっ殺しておきます」

 警備兵は無線を切った。

「あの……」

 そこにムギがおずおずと話しかける。

「お嬢ちゃんたちか。生き別れのパパに会えたか?」

「人違いでした……」

 ムギは涙とともに顔を伏せる。

「お嬢ちゃん! 気を落とすなって。諦めなかったら絶対に会える!」

 警備兵は気のいいおっちゃんの顔で励ました。

「ありがとうございます……」

 ムギとモモはうれし泣きのように涙を流した。おっちゃんは釣られたように目じりに涙を浮かべた。

「色々と面倒見てやりてえが、面倒な事が起きちまった。だから俺たちはここでお別れだ」

「面倒な事ですか?」

「お嬢ちゃんたちには関係のねえこった」

 警備兵のおっちゃんは道を開ける。

「早くここから離れた」

「分かりました」

 二人は何度も頭を下げながら裏門を出て、真っ直ぐJR南武線の高架下にある駐車場に行く。

「二人ともお疲れ様」

 そして待機していたココの車に乗った。

 ミッション完了だ。

「二人とも首尾はどうだった?」

 帰り道、三人は今日の仕事の出来具合を談笑する。

「ムギは百点! 作戦通り動けたよ!」

「私は0点。杉村が無視して奥に行こうとするなんて思いもしなかった。ムギちゃんが居なかったら作戦失敗だったよ」

「モモはああいう男の気持ちが分かってないね。あんな奴が人の話聞くわけないじゃん」

 杉村暗殺の作戦は簡単だ。

 モモは受付に変装し、ママ特性の毒薬を塗った針を杉村の指先に刺す。万が一のためにムギは女性社員に変装し、影で様子を見てバックアップする。

「今回はムギの大金星じゃない」

 話を聞いていたココは大声で笑う。

「そうそう! 監視カメラの細工に社員の名簿集めに社内の間取りの下調べに杉村の警備状況に警備兵を欺く言い訳に泣き落とし全部ムギが考えた!」

 監視カメラの無効化に怪しまれないように侵入するための演技。そのための情報集め。杉村の動向に警備状況の把握など仕事は簡単でも下準備が大変だった。今回その大半をムギがした。

「ムギちゃんだけの力じゃないでしょ! 私は作戦を考えたし、ココちゃんは足で杉村の詳細な警備状況を調べてくれた。これはチームの勝利!」

「でもムギが居なかったら作戦は失敗だった!」

「おっしゃる通りです」

 モモはムギに頭を下げる。ムギはそれを見て自慢げに胸を張った。

「ママは今回の仕事に何点付けるかな」

 ココは運転しながら微笑む。モモは腕組みする。

「百点満点!」

「多分八十点くらいよ」

「なんでそう思うの?」

「侵入した時素顔だったじゃない。変装しろって説教だよ」

「変装用具とか暗殺用具とか荷物を考えると侵入した時は素顔にするしかなかったの」

「絶対に説教よ」

「化粧してたから大丈夫だよ」

「男は化粧に騙される。言い訳はできるかな」

「だから百点!」

「絶対に八十点!」

 モモたちは和気あいあいと帰宅した。

「0点ね!」

 そしてママにお説教された。

「まず時間がかかり過ぎ! 杉村程度を殺すなら二週間でやってもらわないと困るわ!」

 モモたちは気を付けの姿勢でお説教を静聴する。

「作戦は回りくどかったけど今回は良しとします。ターゲットのみ暗殺。周りに被害は出さない。この条件をクリアしたことは褒めます。ですが侵入の際に変装しなかった点は褒められません! それに変装の出来も甘いです! それに……くどくどくどくどくどくど」

 ママは気持ちよさそうに重箱の隅を楊枝でほじくる。三人は遠い目でげんなり。

「ですが今回は私のアドバイス無しに行った初めての仕事。0点ですが落第ではありません。このまま経験を積めば、私の後継者になれるでしょう」

 ママは楽し気にほくそ笑みながら、三人の眠そうな顔に目をやる。

「分かりましたね!」

「はい!」

 三人はママが睨むと目をパッチリ見開いた。

「お説教はお終いです。さっそく訓練を始めます」

「訓練! ママさん私たちは一仕事終えたんですよ! 少しは休ませてください」

「こんな簡単な任務であなたが疲れるはずないでしょ」

 ママは問答無用で家を出る。

「あ~」

 三人は項垂れながら訓練を開始した。

「今日は変装の上級テクニックを教えてあげるわ」

 ママは隣の隣にある変装訓練用の家に入る。

「変装の上級テクニックですか?」

「身体的特徴で最も誤魔化しずらい、身長の誤魔化し方よ」

 ママは家に入ると変装用具と椅子以外何もないリビングに入る。

「身長は五センチ高くするくらいなら厚底靴で素人でも誤魔化せる。今日あなたがやったみたいに。でも十センチ以上になると素人では誤魔化せなくなるわ」

「歩きづらくなるからですね」

「その通り。走ることすら困難になる。でも私の後継者になるなら、ニ十センチの厚底靴を履いた状態で百メートル十秒で走ってもらわないと困るわ」

「きついけど頑張らないとなぁ~」

「良い心がけね。ではまずは自然体で歩く訓練よ。手本を見せるわ」

 ママは松葉杖を壁に立てかけると、椅子に座ってニ十センチの厚底靴を履く。

「サーカスでもやらないほど難易度が高い綱渡りをする感覚。見た目よりも難しいわ」

 ママは立ち上がると早歩きする。

「おお~凄い。全然不自然じゃない」

 モモはママに見とれて拍手した。

「これに長いコートやズボン、スカートを履けば大男にも大女にも変身できるわ」

 ママは壁際まで歩くと膝に手を付いて唇を噛む。

「大丈夫ですか?」

「情けないわ……今の私は数メートル自然に歩くのが精いっぱい」

 ママは肩を落としながら、先ほどと違って右足を引きずりながら椅子に戻る。

「やって見なさい」

 モモはママが手渡したニ十センチの厚底靴を履く。

「高い~天井近い~」

 モモは天井をペタペタ触る。まるで脚立に乗っているようだった。

「まずは歩いて見なさい」

 モモはママの指示通り歩こうとする。

「うわ! 厚底靴重い!」

 通常の靴は500グラム前後だ。運動靴は300グラム。対してモモの厚底靴は一キロ以上。足を浮かすだけでも重労働で、おまけに体がぐらつく。綱渡りしているようだった。

「軽量化してるけどそれでも詰め物があるから一キロ以上。まずはその重さに慣れなさい」

 ママは恐る恐る歩くモモにアドバイスする。

「自然に歩く。それを履いた状態だと非常に難しい。というのも通行人の歩き方を観察すれば分かるけど、人は綱渡りするように姿勢を伸ばして歩いたりしないわ。体を揺らしたり、前のめりになったり、足を交差させたり、腰を逸らしたり、よそ見をしたり、首を動かしたり、腕を振ったり、下を向いたり。人によって様々だけど、共通することは、誰一人、軍隊の行進のように、背筋を伸ばして、視線を真っ直ぐにして歩くことは無いわ」

「この状態でそれってすっごく難しいんですけど~」

 モモは両手を広げて、背筋を伸ばして、正面を向いてバランスを取りながら、一歩ずつ歩く。不自然極まり無い歩き方だ。長いコートで足を隠しても、身長を誤魔化しているとバレる。

「ココやムギはこれが出来なかった」

 ママはモモの横でポツリと呟いた。

「このグローブをはめなさい」

 三十分モモが歩くと、ママは腕と変わりないイブニンググローブを渡す。

 モモはグローブに手を入れる。すると手首までしか入らなかった。

「重い!」

 モモはグローブの重さに負けて、腕をだらりと下げた。

「中に何個も輪っかがあるでしょ。それを引っ張ればグローブの手首や指が曲がるわ」

 モモは輪っかを引っ張る。するとマリオネットを操るように指や手首が曲がった。

「手の長さは身長に比例する。だから身長を誤魔化したら手の長さも誤魔化さないといけない」

 ママは悪戦苦闘するモモを観察する。

「グローブの重さは五キロ。まずはその状態でおにぎりを食べられるようになりなさい」

「ご飯は楽しみながら食べたい~」

 モモはグローブというお荷物をプラスして歩く。

「想像以上の逸材。やっぱり出会えて良かったわ」

 ママは真っ直ぐ腕を振って歩くモモにほくそ笑んだ。

「次に身長を低く見せる方法よ。身長を低く見せるのは高く見せるよりも大変で、しかもせいぜい五センチ、よくて十センチが限界。しかも骨格があるから変に低いと逆に不自然になる。でもだからこそマスターしたら強力な武器になるわ。やり方は膝と背中を丸めるのが一番簡単」

 ママはそれからたっぷり三時間、モモに己の技術を注ぎ込んだ。

「お疲れ様。頑張ったわね」

 ママは変装の訓練が終わると、床で大の字になるモモの頬を撫でた。

「ママさんの後継者にならないと」

 ママはモモが笑うと目を潤ませた。

「次は射撃訓練よ。立ちなさい」

「厳しいなぁ~」

 モモは笑いながらママと手を繋ぐ。

「どうしたの?」

「お母さんと手を繋ぐのは自然だと思いますよ?」

 モモはママの疑問に笑って答えた。

「……ママって呼びなさいと言ってるでしょ」

 そうしたらママは照れくさそうにはにかんだ。

(こうして信用させる。いつか殺し合う時のために)

 モモは笑顔の裏に牙を隠していた。

「ママさん。また勝負しませんか」

 モモは射撃場に入るとウインクする。

「良いわよ。勝負の形式は昨日と同じ早撃ちと命中精度で良い?」

「良いですよ。ただし、今日はハンドガンじゃなくてマシンガンで!」

 モモはマシンガンを掲げる。ママは苦笑いする。

「私は足が悪いのよ。勝負はハンドガンだけ」

「でもママさん普通に撃てるじゃん」

「足の踏ん張りが効かないから反動を吸収できない。早撃ちは良くても命中精度はダメダメ。マグナムみたいな反動の強い物もダメ。分かるでしょ」

「これだったら勝てると思ったのに」

「寝そべり形式ならマシンガンでもライフルでも良いわよ」

「それだと勝てなさそう……」

 モモは唇を尖らせる。

(やっぱりママさんの足は戦う上だと凄くハンデになるんだ)

 モモはママと遊びながら弱点を捜す。

 準備が出来たら横に並ぶ。それが早撃ち勝負の始まり。

 モモは神経を研ぎ澄ませ、時を止める。

 合図のビープ音がなると、一つの銃声が響いた。

「完全に同時だったわね」

 ママは穴の空いた二つの的を笑う。

(早撃ち勝負は互角になった)

 少しずつ実力がついていると実感する。

「次は命中精度ね」

 ママがスイッチを弄ると上下左右にランダムで動く的が出現する。

 命中精度の勝負は、一分間、何発正確に急所に当てられるかというものだ。

 まずはママの番だ。

 静寂の後、ビープ音が鳴る。そして銃声が十二十三十と響く。

「命中精度は百パーセント。連射速度は……今日は調子が悪かったみたいね」

 ママは結果を見て鼻を鳴らす。

「次は私の出番だね」

 モモはママと同じように、ビープ音を合図に、ランダムで動く的を撃つ。

「命中精度は百パーセント。連射速度は……やった! ママさんに十発差で勝った!」

「歳には勝てないわ」

 ママはしかめっ面で嘆息した。

(銃の実力は拮抗してる……けど、時を止められる私と拮抗するって、やっぱりルナさんは化け物だなぁ~全盛期だったら勝てないんだろうなぁ~)

 モモは心の中で悔しがった。

 それから射撃訓練を終え、最後に格闘術の訓練を行った。

(やっぱり格闘術じゃ歯が立たない)

 モモは訓練が始まってすぐ、畳の上で咳き込んだ。

 ママは足を怪我している。しかし純粋な腕力で勝てない。パンチやキックも当たらない。ママのパンチが避けられない。簡単に投げられる。

「あなたは時が止められる。でも経験が足りない。だから私のフェイントに引っかかる」

 ママは片足立ちで言う。

「フェイントですか?」

「右のパンチを出すふりをして左のパンチ。ボクシングといった格闘技でよく使われる技術。あなたはそれに悉く引っかかってしまうわ」

「なんで引っかかっちゃうんだろ?」

「経験が足りないだけ。そしてすぐに矯正しないと危険。フェイントに引っかかるってことは、相手に動きを読まれているのと同じ。それだとあなたでも攻撃を避けることはできないわ」

 モモはママの解説を聞きながら考える。

(接近戦だと歯が立たない。殺し合うなら遠距離)

 モモはママを倒す作戦を練りながら訓練を続けた。

「今日の訓練は終わりよ。お疲れ様」

 訓練が終わるとママはモモの頭を撫でる。

「ママさん。今日も一緒にご飯食べよ」

「もちろんそのつもりよ」

 二人は仲睦まじく帰るとすぐに台所に並んだ。

「今日は何が食べたいの?」

「今日はすき焼きの気分かな」

「なら一番大きい寸胴を持ってきて。私はその間に野菜を切るわ」

「すき焼き?」

 モモは巨大な寸胴をコンロにおいて、ママと一緒に野菜の下ごしらえをする。

「何度も言うけど好き嫌いしないでいっぱい食べなさい。あなたは育ち盛りだし、たくさん訓練するんだから」

 ママは本当の母親のように優しい言葉を投げかける。

 その横顔は隙だらけだ。

(う~ん。このまま襲っても大丈夫な気がする)

 モモはママの横顔をじっと見る。

「どうしたの?」

「ママさんは綺麗だなって」

 モモはママの美しい横顔の微笑を見て首を振った。

(殺し合いなんてしたくないな)

 ママは本当のお母さんみたいだ。ココとムギが慕うのも当然だ。

 準備が済むと皆と一緒に夕食だ。

 モモは白菜や豆腐に白滝にネギなど低カロリーな物をパクパク食べる。

 甘しょっぱくて美味しい。白い湯気とともに砂糖たっぷりの甘みが鼻に広がる。こうなると食欲増進効果で肉やご飯が食べたくなる。でも堪える。

 なぜなら体重が50キロになってしまったから! 前は35キロだったのに! 身長が5センチ伸びて160センチになった! バストは五センチも大きくなってDからFカップになった! ウエストが一センチも太くなった! ヒップが八センチも大きくなった! 太ももが十三センチも太くなった! 二の腕が十センチも太くなった! 太り過ぎ痩せないと!

「肉とご飯も食べなさい」

 ママはそんなことどうでも良いと漫画盛りご飯の上に超盛り牛肉を乗せる。東京タワー?

「私これ以上食べたら豚さんになっちゃうんだけど」

「最低でもあと五キロ太りなさい。カロリー計算はその後よ」

 今のモモの席はママの隣だ。ママが隣の席に座るように言った。

 モモはママの隣の席で笑い合った。

(一家団欒って奴か)

 モモは穏やかな気持ちで夕食を終えた。

「ママさんって動物が好きなんだね」

 モモはゆったりとママの隣で一緒に動物番組を見る。

「人間と違って、殺さなくて良いからね」

 ママはモモの膝の上に寝るアマのお腹を触る。モモも一緒にお腹を撫でる。

「あなたが買ったアマちゃんのリンス、結構いいわね」

 ママはアマを持ち上げてフンフンと頭の臭いを嗅ぐ。

「アマちゃんにストレスのかからない無臭。毛はサラサラで肌も元気で毛玉も無し」

 ママは満足げにアマに顔を近づけてキスを試みる。

「ぷぎゃ」

 しかしアマはそっぽを向いて、モモの膝の上に戻った。

「ママさんの香水の匂いが嫌だって」

「だから毎日シャンプーして、香水の匂いが移らないようにしてるのよ」

「家に居るときくらい香水止めたらどうですか?」

「歳を取ると香水が体臭になるのよ」

 ママは幸せそうにモモの頭を撫でる。

「私って嫌な臭いする?」

「薔薇の匂いは好きだよ。ちょっとつけ過ぎな気もするけどね」

「だからアマちゃんは嫌がるのよね……」

 モモは楽しい時間を過ごした。まさに家族だ。

 そんな楽しい時間も夜の十時に成ったら終わりだ。ママはいつも通り、隣の自宅で眠る。

「明日から二か月間、家を空けるわ」

「どうして? もっと一緒に居ようよ」

「残りのターゲットを始末しにいかないと」

 モモは二月前、ママに後継者になりたいから徹底的に鍛えてくれと連絡した。するとママは仕事を繰り上げて戻ってきた。

「そっか。まだ残ってたんだ。残念」

「たった二か月。すぐに戻って来るわ」

 ママは見送りで体を支えるモモに笑いかける。

「ここまでで良いわ。お休みなさい」

「お休みなさい」

 モモはママを玄関まで送り届けると、そこで別れた。

(二か月間ルナさんは居ない。ならその間に色々調べるチャンスかな)

 家に戻るとアマのお腹に顔を埋める。

「……殺したくないなぁ」

 二か月前にママを殺すと決意した。そのための力を付けるため、後継者になりたいからと嘘を吐き、ママを呼び出し、二か月間しっかりと特訓してもらった。

 二か月間の暮らしで分かったのは、やはりママは狂人であること。考えの違いから、必ず殺し合うと肌で感じた。

 でも一方で、歪んでいながらもママの愛情をたっぷりと感じた。

 本当のママに思えた。

 だから涙が出た。


「ココちゃん。ここで逆立ちすること無いんじゃない?」

 自室に戻ると布団の上でココがスポーツブラにボーイズレングス姿で逆立ちしていた。

「逆立ち健康法って知らない? 暇なときにやると気持ちいいわよ」

 ココは布団の上で柔軟体操を始める。前屈すると茶碗サイズのおっぱいが谷間を作る。

「モモ遅い」

 テレビの古い名作GLをやっていたムギは、モモが来た事に気づくとコントローラーを置いて、モモに抱き付く。

「ママはモモばっかり贔屓してる。ずるい」

「後継者候補だからね」

「モモもママばっかり贔屓してる。酷い」

「そんなこと無いよ」

 モモは甘えるムギの頭を撫でながら、パソコンの前に座る。

「そうそう。明日からルナさん、任務に戻るから二か月くらい出かけるって」

「じゃあモモはムギといっぱい遊ぶ!」

 ムギはドスンとモモの膝に座る。

「ムギちゃん重いって」

「ムギは重くないもん!」

 ムギはモモのおっぱいを背もたれに板チョコを齧る。

「モモも食べて」

「ありがと」

 モモは目の前に来た板チョコの端をカリッと食べて、ムギのおっぱいをキャミソール越しに揉む。マシュマロのような柔らかさだ。おまけに首筋からケーキのような甘い匂いもする。

 ムギは嫌がらずモモに代わってパソコンを操作し、マスクの大男の情報を画面に広げる。

「進展なしか」

 モモはファイルを見てため息を吐いた。

 マスクの大男。1990年から現れた世界最高峰の殺し屋。世界各地の要人暗殺に関与している。特徴は白いゴムマスクと2メートル近い身長とトレンチコート。

「モモのお父さんとお母さんは強盗殺人じゃなくて暗殺されたんだね」

「私の親戚がマスクの大男に依頼したんだと思う」

 モモの両親は強盗に見せかけて殺された。暗殺偽装のよくある手口だ。依頼主は両親が死んで得をした親戚たち。簡単に分かる。

 しかし進展はそこで止まった。

「警察の捜査状況を確認したけど、全然捜査してないね。それどころかモモがマスクの大男を刺したナイフも血痕も紛失してる。証拠なし」

「親戚が警察に圧力をかけてたんだと思う。だから警察は形しか捜査してない」

 しかし現場検証と非常口の監視カメラの記録があっただけ良かった。そのおかげで忌むべき記憶を少し、思い出した。

 使用人、ボディーガードは眠るように殺された。

 ベッドに行ったけど眠りたく無くて両親と一緒にリビングに戻った。そしてマスクの大男と出会った。

 腹を撃たれた父親。庇ってくれた母親の腹から噴き出す血しぶきとナイフ。

「そのナイフを渡せ」

 二人の首を切り裂き、確実な止めを刺した後の、マスクの大男の声。

「でも川崎チネチッタ爆弾事件と室山組組長殺害事件は捜査してるね」

 ムギの声で思い出から目を覚ます。

 ムギの言う通り、この二つに関しては明らかに異質だった。

 マスクの大男の依頼主は国家かそれに匹敵する権力を持つ人間が基本だ。だからマスクの大男は指名手配されなかった。

 ところが川崎チネチッタ爆弾事件と室山組組長殺害事件は指名手配されている。これは依頼主が権力者でないことを意味する。

(やっぱりルナさんがマスクの大男に依頼した。でもこれは予想通りってだけ)

 疑惑が確信になっただけで、状況は変わっていない。

「もう一度公安とかCIAとか各国の秘密機関にハッキングしたらどうかな?」

 各国の秘密機関はマスクの大男に何度も暗殺の依頼をしていたことが分かった。

「二か月間見落としが無いか一生懸命一緒に調べたのに成果なしだよ。無駄足になるのが落ちだから、もっと別な視点で調べた方が良いと思う」

 ムギの指摘は最もだった。

「皆、どうやってマスクの大男に依頼したんだろ?」

 モモが知りたいことはマスクの大男との連絡手段だった。それが分かればマスクの大男をおびき寄せることが出来ると考えた。

 ところがいくら調べても連絡手段が分からない。各国の秘密機関のデータベースを調べても、分かるのは依頼内容だけで、どうやって連絡を取ったか、肝心な所は何一つ分からなかった。

 まるで雲をつかむような感覚だ。調べれば調べるほど誰か分からない。

「殺し屋の仲介人を捜してみたら」

 ココがモモの背中に抱き付いて、モモのおっぱいをピンクのブラジャー越しに揉む。おっぱいがグミのように形を変える。

「殺し屋の仲介人って何?」

 モモはココとムギなら触られても平気なので構わずムギのおっぱいに集中する。

「文字通り殺し屋の仲介人。殺し屋が易々と依頼人に会う訳にはいかないでしょ。だから普通は依頼人は仲介人に手数料を払って殺し屋を紹介してもらうの」

 ココはモモの乳房からキーボードとマウスに持ち替えて、マスクの大男が暗殺した前後に秘密機関が不審人物と接触していないか見る。

「ほら、どの秘密機関もマスクの大男が依頼達成する前後に複数の殺し屋の仲介人と接触してる。こいつらがマスクの大男の仲介人なのよ」

 仲介人を通して依頼していたとしたら電話番号もメールアドレスも知らなくて当然だ。

「凄い収穫だよ! どうしてこんな簡単なことが分からなかったんだろ!」

 二か月間の苦労が嘘だったように、あっさりと糸口が見つかった。あっけなさ過ぎて自分がバカに思える。

「モモちゃんはさっきまで仲介人なんて知らなかったんだから気づかなくても仕方ないわ。私は私で秘密機関が殺し屋の仲介人に接触するなんて思いもしなかったし」

「そっか! 私は直接ルナさんに会えたから……ルナさんって仲介人を通さないで依頼を受けるの?」

 モモは殺し屋に会えるという噂を信じた。それだけであっけなくママに会えた。だから仲介人という存在が居るなど考えもつかなかった。

「ママがどう依頼を受けてるか分からないわ。ただモモちゃんが来る半年前に、ママは一般人からも直接依頼を受けるって言ったの。だから色々な公衆便所に電話番号を落書きして、殺し屋の噂を流した。今までにない事だったから不思議だったけど、ママの言う通りにしたわ」

「だから私は皆に会えて、美味しいご飯食べられるんだ」

(ルナさんって変なことするな。下手すると警察に尻尾を掴まれるのに。元から変だけど)

 意味不明な行動に思えたが、今は脇に置いて、ココの提案に乗る。

 公安のデータベースにアクセスし、殺しの仲介人と接触していないか確認する。

 一人だけ該当する人物が居た。

「ルナさんはマスクの大男の仲介人だったんだ」

 公安はママを通して、マスクの大男に依頼していることが分かった。

「レッドスカーフと室山組の暗殺って元々はマスクの大男の依頼だったの?」

「うそ! あれってママが公安から依頼を受けたって言ってたよ!」

 ココが前のめりになるとモモとムギも前のめりになる。

「マスクの大男は足を怪我してるからルナさんに代わりにやってくれって頼んだのかな?」

「そう考えるしか無いわね」

「だったらどうしてチネチッタ爆破と室山組長殺害はやったんだろ?」

「ママがやってくれって頼んだ。そう考えるしか無いわ」

「どうして? 訳が分からない。ルナさんとマスクの大男ってどんな関係なの?」

 腕に力を入れるとムギのおっぱいに指が食い込んだ。

「モモ。前も言ったけど、変な事は考えないでね」

 ムギが眠そうに欠伸する。

 ココとムギもチネチッタ爆破と室山組長殺害のニュースを見て、モモのようにママがマスクの大男に依頼をしたと推理した。

 だからモモに、ママと殺し合いになるようなことはしないようにと釘を刺した。

「分かってるよ。だからこうして回りくどいことしてるの」

 本来ならインターネットで各国の秘密機関にハッキングなど回りくどいことをする必要はない。ママが使用しているパソコンを見れば、マスクの大男の連絡先が分かるはずだ。

 しかしそんなことすればママがブチ切れる。そうなったら殺し合いだ。

「ならムギの考えを言うけど、マスクの大男は足を怪我してる。だからママに殺しの代理をお願いするようになった。でも室山組長とチネチッタの件はママにお願いされたから自分でやった。ママとマスクの大男が、ムギたちと同じ位親しい関係なら不思議じゃないでしょ」

「確かに……ムギちゃんとかココちゃんを見てると納得できる……かも?」

 モモの表情が険しくなる。

「モモ。分からなくてイライラするのは分かるけど落ち着いて」

 ムギはクルリと回転してモモと向き合うと、ギュッと抱き付いて、濃厚なキスをする。

 くちゅくちゅと舌と舌が絡まる。モモの巨乳にムギの爆乳がギュッと押し付けられる。

「落ち着けた?」

 唇を離すとキラキラと唾液の橋が架かった。

「うん……ありがと。落ち着いた」

 モモは頬を桜色に染めて、ムギの妖艶な微笑みから視線を逸らす。

(ムギちゃんって本当にテクニシャンだな……男が夢中になるのも分かる)

 とにかく落ち着いたのでムギを抱っこしながら画面を見直す。

(調べれば調べるほどマスクの大男が分からなくなる。いったいどうしたら良いんだろ?)

 モモはムギを抱っこしたまま固まった。

「モモちゃん。下手な考え休むに似たりよ」

 ココがモモの乳首の先っぽをカリカリッと指先で優しく引っ掻く。

「あん!」

 モモの口から可愛らしい声が飛び出た。

「ココちゃん! びっくりするから止めて」

「ならモモちゃんも固まらないの。分かんないなら疲れるだけだから寝た方が良いよ」

「分かった。だからくりくりしないで。変な気分に成っちゃう」

 顔を火照らせながら、ママ以外に殺しの仲介人が日本に居るか確認する。

 もしかすると、マスクの大男は他の仲介人からも依頼を受けているかもしれない。

「室山組の工藤雄介が居る」

 気になる名前を見つけた。

「工藤雄介って今は室山組の組長だよね」

 モモはパソコンと睨めっこしながらココに聞く。

「そうよ。二十年前は室山組所属の殺し屋だったみたいね。そこから仲介人に転職したみたい」

 モモはココと一緒に工藤雄介の経歴を確認する。ムギはモモの腕の中でうつらうつらする。

「工藤雄介。十年前に突然若頭へ昇進した」

 工藤雄介が殺した奴は麻薬の売人などちんけな奴らばかり。殺し屋としての実力が高いと思えない。だから殺し屋の仲介人に転職しても納得だ。

 しかしどうして仲介人が突然若頭に? 大出世だ。大統領になるより難しい。

 もっとも商売の才能は確かで、若頭に昇格してからは殺し屋時代の人脈で人を集め、室山警備組合を設立し、室山組を神奈川最大の武闘派集団に作り替えた。その手腕を見ると若頭への出世は妥当と言える。あとから見ればの話だが。

「組に大金を上納したのよ。ヤクザの昇進は組にお金を納めることだから」

 暴力団問わず、資本主義の本質は金だ。だから地位は大金を生み出せる実力があるかで決定される。だから大金を納めれば若頭にも成れる。

「工藤を殺す前にマスクの大男と連絡を取り合ってたか聞きたい」

「どうして?」

「工藤はマスクの大男を親戚に紹介した。その金で若頭に昇進したと思う」

 ようやく手がかりが見つかった。


 工藤雄介の邸宅は武蔵溝ノ口駅から徒歩15分の所にあるタワーマンション、ザ・タワー&バークス田園都市溝口の最上階である。

 ザ・タワー&バークス田園都市溝口は32階建てで、家族で遊べるプレイングアリーナやプライベートシアターができるシアタータップ、カラオケができるサウンドタップ、ゴルフのスイング練習ができるゴルフレンジなど設備が充実している。駅から1キロ離れていること以外は、武蔵小杉のタワーマンションを凌ぐマンションだ。敷地内に緑の広場があり、そこで子供が友人たちとサッカーを楽しむこともできる。両親は子供の雄姿を見ながら、同じマンションに住む友人夫婦と談笑することが出来る。

 現在ザ・タワー&バークス田園都市溝口は室山組が支配していてカタギの住民は居ない。代わりに室山組の企業舎弟である室山警備組合の社員100人が住んでいる。

 警備は各フロアに一人、駐車場の地下一階と一階と最上階のエレベーター前に一人、エレベーター内に一人、玄関、裏口に五人の見張りが立つ。外は二十人がパトロールを行う。警備システムは監視カメラに加えて、対人レーダーや温度感知器など超強化されている。さらに100人の社員が寝泊まりしている。騒ぎを起こせばマシンガンに防弾チョッキに防弾ヘルメットの重装備で固めた社員が100人がかりで襲ってくる。

 充実した装備に鍛え抜かれた警備兵。そして強固な防犯システム。正面突破は危険だ。

 そこでモモはママに叩き込まれた変装術を駆使することに決めた。

 工藤雄介は土方以蔵という側近が居る。彼は信頼されていて、工藤の自宅に招かれる唯一の人物だった。

 土方の警備は工藤に比べて緩い。だからモモは土方になり代わることに決めた。

 チャンスは工藤がF社へ集金に訪れる時だ。

 F社の警備システムはザ・タワー&バークス田園都市溝口に比べればガバガバだ。侵入は容易い。護衛もザ・タワー&バークス田園都市溝口に比べれば遥かに少ない。土方を殺害し、変装する隙は十分にあるはずだ。

 作戦は決まった。ならば後は作戦の下準備だ。

 モモはまず、ココとムギに土方以蔵の仕草から息遣い、喋り方、声色などあらゆる情報を調べてもらった。並行して工藤の詳細な警備状況、F社へ訪問する日程なども調べてもらった。

 調査の間、モモは変装技術に磨きをかける。

 土方以蔵の身長は180センチ。モモは160センチ。20センチの厚底靴と手の長さを偽装するグローブの操作を極める必要があった。

 難しい技術だったが、モモは二か月で修得した。

 本番当日、モモはF社へ侵入すると社長秘書に変装した。そして土方以蔵が工藤雄介とともに来ると、もてなしの茶に利尿剤を混ぜて、土方以蔵に差し出した。

「すいません。ちょっと便所行ってきます」

 予定通り、土方以蔵は席を外した。ボディーガードは工藤の護衛に専念するため土方には付いて来ない。

 モモは気配を遮断して後を付ける。そして土方以蔵が小便器の前に立ったところで、首にワイヤーを巻き付けて絞殺した。

「二人はこいつの死体処理をお願い。それが終わったら予定通りホテルKSPに行って」

 男子トイレに隠れていたココとムギは頷くと、予め個室トイレに用意したゴミ収集用のワゴンに死体を入れ、清掃員の格好でトイレを出た。

「手間取らせやがって。これで何も知らなかったらどうしてくれようか」

 土方に変装したモモは鏡の前で舌打ちした。ヤクザそのものの粗野な仕草だった。

「遅かったな。殺されてねえか心配したぜ」

 社長室に戻ると工藤が安堵の笑みを浮かべた。

「俺を殺せるのはお前だけさ」

 モモは土方らしい冗談を言って工藤の隣に座る。

「商談に戻りましょう」

 社長と工藤は商談に戻る。ボディーガードは工藤とモモの後ろで待機する。

 誰も土方がモモだと気づかない。

「どうしても取引中止だと言うのか?」

 工藤の商談は失敗に終わった。F社は室山警備組合との契約を打ち切ると断言した。

 F社の警備料金は室山組の重要な資金源である。だから工藤は何度も取引延長を申し出た。しかし結果は失敗に終わった。

「何度でも言います。あなた方とお付き合いすることはできません。今日中に室山警備組合の社員は出て行ってもらいます。二度と我が社の敷居を跨がないように」

「全部が全部急な話だ。連絡も寄こさねえとは礼儀がなってねえ」

「あなた方は暴力団だ。礼儀がなっていないのはあなたでしょう」

「お前は今、一人でここに居る。意味が分かるな?」

「今日から警察があなた方に代わって警備をしてくれます」

「警察だと!」

「警察ほど心強い警備会社は居ないと思いますよ」

「てめえ……指の一つでも切り落としてやろうか」

「そろそろ警察が来ます。室山警備組合の社員を連れてお帰りください」

 工藤は狂犬のように歯ぎしりしたが、社長は眉一つ動かさなかった。

 室山組の権威は失墜していた。もはや誰も怖がらない。それはヤクザにとって致命的だ。

「後悔するなよ!」

 工藤は机を蹴飛ばして部屋を出た。

「ふざけやがってふざけやがって! 誰がここを守ってると思ってんだ!」

 自宅へ戻るリムジンの中で、工藤は何度も内臓の机を叩く。

「落ち着け。まだ室山警備組合が残ってるだろ」

 モモは内臓の冷蔵庫から冷たい瓶ビールを取り出す。

「F社も、S社も、取引を打ち切りやがった。室山警備組合のバカどもの給料がねえ。ならどうなるか分かるだろ?」

 工藤は瓶の栓を抜くと直接飲み口に口を付けてラッパ飲みした。

「これから俺はどうなるんだ?」

 工藤はビールを煽ると弱音を吐いて項垂れる。

「組長は殺されちまった。気に入らねえ大友も杉村も死んじまった。昨日連絡があったが、小田原に居た郡田も殺された。室山組で生きてるのは俺一人だけ。組員はどんどん減ってく。室山警備組合の連中も1000人居たのに100人になっちまった。縄張りを維持できねえし警備も日が経つごとに手薄だ。俺はもうお終いだ」

 室山組の幹部は工藤以外死んだ。神奈川最大の暴力団の面影はなく、今回のように取引中止や他の暴力団に縄張りを横取りされる、警察に締め出されるなど失態続きだ。組員も脱退の一途で規模は加速度的に縮小している。もはや豆粒のような力しかない。

「心配するな。俺がいる」

 土方以蔵は工藤の幼馴染である。大学出のインテリで、元々は銀行バンクの営業を仕事にするカタギだったが、工藤が若頭になった時、その頭の良さを買われ、組と杯を交わし、工藤の側近になった。だからため口だし今も工藤も見捨てない。だから死んだのだが。

「お前は信用してる。でもお前でも俺は守れねえ」

 工藤は枯れる寸前の花になっていた。姿はヤクザだが中身は病人だ。

「弱音を吐くな! いつものお前だったらぶっ殺してやるって息巻いてただろ!」

「相手はマスクだ。とてもじゃねえが勝てねえよ」

「マスク? 誰だ」

 興味深いワードが出た。

「世間じゃマスクの大男って呼ばれてる。チネチッタの爆破や組長の殺しに絡んでるようだ。なら杉村を殺したのも奴だ。奴は室山組のメンバーを皆殺しにしろって依頼を受けたんだ」

 工藤は弱気だった。だから口数が多い。情報を聞き出す絶好のチャンスだ。

「マスクの大男っていうと、10年前に猫杉って家族を殺した奴か」

「その事件は俺が仲介人だった。よく覚えてるよ」

「お前はマスクに会ったことがあるのか?」

「会ったことは無い。俺が殺し屋の仲介人になった時、別の仲介人から連絡先を知ったんだ。裏社会じゃマスクは有名人だったから嬉しかったぜ。そのおかげで猫杉博之にあいつを紹介できた。おかげで俺は若頭になれた」

 リムジンがザ・タワー&バークス田園都市溝口の駐車場に止まった。残念だが話は中断だ。

「土方。これから飲まねえか」

 しかしモモはついていた。

「ありがたく飲ませてもらうぜ」

「明日あるか分からねえ命だ。今日は朝まで飲むぞ」

 モモは難なく工藤の自宅に潜入できた。

(こんなに簡単にチャンスが訪れるなんて。ママのマンツーマンの特訓を受けて正解だったな)

 エレベーターの中でモモは手に汗握った。

「お前たちはここまでで良い」

 工藤が命じるとボディーガードは玄関前でお辞儀した。

「ただいま」

 そして工藤はドアを開けると、先ほどの弱気はどこへやら? 元気な声で帰宅した。

「パパが帰って来た!」

 そしてすぐに可愛らしい女の子が迎えに来た。

「お帰りなさい」

 さらに中年の女性もやって来た。

 工藤の妻と娘だ。

(可愛いし、綺麗な人だな)

 モモは工藤の妻と娘を見て、ジクリと胸が痛んだ。

「美智子。土方が来た。今日は朝まで飲むぞ」

 工藤は娘を抱っこしながら言う。

「一昨日飲んだばかりなのに今日も飲むの?」

 妻は苦笑い。

「酒なんて水と一緒だ」

「はいはい。いつも通りおでんとお新香で良いわね」

「マグロの刺身もあっただろ」

「贅沢ねぇ」

 妻は台所へ移動した。

「おじちゃん嫌い!」

 そして娘はモモにあっかんべーをして去った。

「お前はいつも子供に嫌われるな」

 工藤は背中を向けてリビングに向かう。モモはその隙に当て身を食らわせ、意識を奪った。

「嫌になっちゃうなぁ」

 モモは厚底靴を脱ぐと、そこに仕込んでいた小型の催眠ガス発生装置を取り出し、ドアの隙間からそっと妻と娘が居るリビングに置いた。三分もすれば、妻と娘は深い眠りにつく。

(まずは警備システムの無力化)

 モモは工藤の家から出てエレベーター前に行き、そこの警備兵に言う。

「警備システムに異常は無いか?」

「警備システム? 警備室からは特に連絡はありませんが」

「外でマスクの大男を見かけた。それなのに異常無しだと?」

「マスクの大男を見たんですか!」

「警備室に確認させろ」

「分かりました!」

 警備兵は無線機で警備室に確認を取る。

「監視カメラに異常は無いとの事ですが……」

「本当に異常なしなんだろうな!」

「そ、その……」

「工藤を狙ってる殺し屋が近くに居るかもしれねえんだぞ!」

「し、しかし、警備システムは異常なしだと……」

「もういい! 俺が直接監視カメラを見る! 警備室にそう伝えろ!」

「わ、分かりました!」

 警備兵は敬礼した後、警備室に事情を説明した。

「良いか! 絶対に工藤を守れ! もしも工藤が死んだらてめえも死ぬからな!」

 モモはエレベーターに乗る直前、親友を心配する友人のような言葉を吐き捨てた。

(さてさて。あとは警備室に行くだけ)

 モモは予定通り警備室へ直行する。

「マスクの大男を見たんですか?」

 途中、エレベーター内の警備兵が聞いてきた。

「それを確かめるために警備室に行くんだよ」

「どうして早く言ってくれなかったんですか?」

 警備兵はモモの行動に疑問を持って居る。突然、マスクの大男を見たと言われればそうなる。

「工藤の前で言える訳ねえだろ!」

 モモは殺気を込めた目で警備兵を睨んだ。

「そ、そうですね。失礼しました」

 警備兵はモモの気迫に口を閉じた。

(何とか誤魔化せた)

 モモはマスクの下でため息を吐いた後、警備室がある五階で下りた。

 ここまで来れば問題ない。モモは怪しまれずに警備室に入れる。

「お待ちしてました」

 警備室に五人の警備兵が居た。彼らはモモを見ると即座に敬礼する。モモはその隙に、サイレンサー付きハンドガンで警備兵を撃つ。

 モモの正確な射撃は、防弾ヘルメットと防弾チョッキの隙間にある喉元を華麗に撃ち抜いた。 

 これでココとムギを入れる手筈が整った。警備システムをダウンさせた後、屋上へ移動する。エレベーターは見張りが居るので階段を使用する。警備兵の巡回パターンは把握済みだから鉢合わせる事も無い。

「ココちゃん。ムギちゃん。居る?」

「待ってたよモモちゃん!」

 無線機で通信すると、目と鼻の先にあるホテルKSPの屋上でココとムギが手を振った。

 ホテルKSPは都市型ワーケーションスポットをコンセプトにした10階建てのビジネスホテルだ。『研究開発型の企業が生まれ育ち、交流する拠点』のコンセプトで作られた日本初の都市型サイエンスパークのかながわサイエンスパーク(KSP)の施設の一つである。通常のホテルと違い、大会議室や大ホールがある。図書館もあるため調べ物もすぐにできる。

 現在は大恐慌によって施設の大半が使われておらず、ホテルも閉鎖されている。だからこそ強固なセキュリティを誇るザ・タワー&バークス田園都市溝口の進入路となる。

「警備システムはダウンさせたから作戦通りこっちへ来て」

「分かった。予定通りロープでそっちに渡るから固定お願い」

 ザ・タワー&バークス田園都市溝口とホテルKSPは100メートルも離れていない。22階、約60メートルの高低差があるが、てこの原理を使えば楽に渡れる。

 ココはロープの片方をフェンスに固定すると、もう片方に十センチ程度の鉄棒を括りつけて、カウボーイのようにザ・タワー&バークス田園都市溝口の屋上へロープを投げる。モモは受け取ると鉄棒をとって、ロープをフェンスに括り付ける。縄の橋が出来たら、厚底靴に仕込んだ小型の滑車とピアノ線で、井戸水を組む要領で、ココとムギを引っ張る。二人は頑丈なロープの橋をモモの力を借りながら上る。

「これからここに住んでる社員を皆殺しにする。音を立てないようにね」

 モモはサイレンサー付きハンドガンを片手に二人に指示を出す。二人はサイレンサー付きハンドガンを手にすると親指を立てた。

 いつもの三人組になった。こうなったら消化試合だ。

 まずはフロアを巡回する警備兵を始末する。ココの体術は防弾チョッキも防弾ヘルメットも貫通するし、モモの精密射撃は防弾ヘルメットと防弾チョッキの隙間にある首を容赦なく貫くため、難しい仕事では無い。

「ムギはもしかしてマスコットキャラ?」

 ムギは出番が無いので戦いを見物する。

 巡回する警備兵を始末したら、警備室から拝借した鍵を使って部屋に入り、中に居る奴らを撃ち殺す。物音一つ立てないため相手は撃たれるまで気づかない。

 二階から上のフロアの制圧が完了した。ラストは一階と外と地下駐車場の見張りだけ。

 もう派手にやって良い。モモたちは防弾チョッキも粉砕する徹甲弾を装填したショットガンで、警備兵の背中を奇襲した。

「どこから来やがった!」

 警備兵たちは振り返るが、三人のショットガンの連射で一瞬で絶滅した。銃声を聞きつけた警備兵たちも三人の連射で肉塊となった。

 モモが潜入してから三十分後、ザ・タワー&バークス田園都市溝口は完全に制圧された。

「あとは工藤からマスクの大男の情報を聞き出すだけ」

 モモたちは工藤の自宅へ戻った。

「起きて」

 モモは工藤を縛り上げた後、リビングには無関係な一般人が二人いるため、玄関とリビングを繋ぐ廊下で、工藤の頬っぺたを叩く。

「……なんだお前ら!」

 工藤はモモたちを見て絶句した。

「室山組を狙う殺し屋だって言えば分かるでしょ」

「殺し屋? お前らが? そんなに可愛いのに?」

 モモとココとムギは死闘が終わったので着慣れたセーラー服にカジュアルスーツとゴスロリファッションだ。動きやすいからという理由だが、その姿はとても殺し屋に見えない。

「ありがと。でも実力は本物。この現状を見たら分かるでしょ」

 工藤は自分が縛られていることに気づく。

「家族は助けてくれ」

 工藤は観念した様に泣いた。

「マスクの大男について話してくれるなら殺さないよ」

 元々殺す気はない。しかし脅し文句は必要だ。

 モモはサイレンサー付きハンドガンを工藤の頭に当てる。

「マスクの大男について? なんでお前らがそんなことを?」

 工藤は不思議だったのだろう。頭に銃を突きつけられているのに、怪訝な顔をした。

「質問は私。あなたはそれに答えるだけ」

「分かった。答えるから撃つな」

 工藤は諦めたように頷く。モモはサイレンサー付きハンドガンを下ろす。

「マスクの大男の顔は知ってる?」

「知らない」

「なら連絡先は?」

「今は繋がらない」

(暗殺のターゲットになったから連絡が取れなくて当然か)

「前までは繋がってたんでしょ。その連絡先を教えて」

「番号は×××の××××の××××だ」

 モモは耳を疑った。

「本当にその番号なの!」

「ここで嘘言ってどうするんだよ……」

 工藤はモモのサイレンサー付きハンドガンを忌々し気に見た。

(確かにその通り。でもそれが本当だとすると……)

 モモの脳裏にとんでもない考えが過った。

「まさか! 絶対にあり得ない!」

 モモは堪らず絶叫した。

「モモちゃんどうしたの?」

「番号に心当たりでもあった?」

 ココとムギはモモを気遣う。しかしモモは自分の考えを整理することで手一杯だった。

「そうか。マスクの大男は……そう考えればこの番号でも……」

 モモはブツブツと独り言に熱中する。

「ムギは工藤が言った番号に心当たりある?」

「さあ? ムギはママとココとモモとムギの番号しか知らないし」

 二人はモモの後ろで首を捻る。

 そこで突然、ガチャリと玄関の扉が開いた。

 警備兵は始末した。本来なら開く筈のない。しかし見逃しがあったのかもしれない。ココとムギは扉に銃を向ける。

 アサルトライフルを持ったマスクの大男と目が合った。

「モモちゃん! マスクの大男よ!」

 ココとムギは即座にマスクの大男の心臓に連射する。マスクの大男は防弾チョッキを付けているようで、弾が当たっても僅かにのけ反るだけだった。

「モモ!」

 ココとムギがモモの背中に覆いかぶさる。マスクの大男のアサルトライフルがおびただしい弾丸を発射する。すると一発目が工藤の頭を貫いた。二発目と三発目はココとムギを襲った。

「なんであんたがここに居るのよぉおおおおおお!」

 先ほどマスクの大男を見たと警備兵に言った。噓から出た実か? モモは絶叫する。その間にもマスクの大男はアサルトライフルを撃ち続ける。アサルトライフルを使い慣れていないのか、反動を吸収しきれず、壁や床、天井を穴だらけにする。

 カチンと弾切れの合図が鳴った。

 モモはココとムギが背中に被さった状態で、マスクの大男に銃を向ける。するとマスクの大男はピンチだと思ったのか外へ退散した。モモは急いで追いかける。するとマスクの大男がエレベーターに乗る所を見た。足はしっかり引きずっていた。

(逃げられた。九死に一生を得たって言えるけど)

 モモは追跡せずココとムギの様子を見る。

「二人とも大丈夫!」

「防弾チョッキのおかげで、あばら骨が砕けて、腕と足に風穴が空いた程度で済んだわ」

「あれだけ撃ったのにムギたちの頭に当てられないなんて、あいつ下手くそだね」

 ココとムギは足と腕と口から血を流しながら笑う。

「笑ってる場合じゃないよ! すぐに止血しないと!」

 モモはリビングへ行って止血できる物を探しにリビングに入る。すると工藤の妻と娘の死体が目に入った。

 ドアを貫通したライフル弾が、床で眠っていた妻と娘を貫いたのだ。

 工藤家は全滅した。皮肉にも、任務完了だった。

「どうして私だけ無傷なの……」

 ドアの向こうに居る一般市民も死ぬほどの銃撃戦。なのにモモは無傷。モモはその不可解さに困惑しながらもガムテープを見つけると、それで二人の傷口をぐるぐる巻きにした。

「二人とも止血終わったから急いで逃げるよ!」

 モモは二人に肩を貸しながらエレベーターに乗る。

(この匂いは何?)

 血と硝煙の臭いの中で、場違いな匂いが混じっていた。

 モモはどこかで嗅いだ記憶があった。

 しかし今は匂いを気にしている場合ではない。

「駐車場で車奪うよ! ココちゃん運転できる?」

「死にたくないからやってやるわ……」

 モモは警戒しながらエレベーターを下りる。安全を確認したら二人とともに駐車場に向かう。

「後ろ!」

 モモの研ぎ澄まされた集中力は、靴と床が擦れる音を聞き逃さなかった。

 マスクの大男はハンドガンを構えていた。同時に発砲する。

 マスクの大男の弾はココとムギの太ももに命中した。モモの弾はマスクの大男のコートをかすめた。

(私が外した! 今までそんなこと無かったのに!)

 マスクの大男の突然の登場。そしていきなりの銃撃戦。瀕死のココとムギ。初めて外れた銃弾。信じられないことばかり起きる。

「二人とも駐車場に走って!」

 モモは二人を走らせて、マスクの大男に再度発砲する。

 しかし弾はかすりもしなかった。

(どうして外すの!)

 何発撃っても当たらない。まるで悪夢だ。

(殺される!)

 モモはマスクの大男の実力を見て、死を覚悟した。

 ところがマスクの大男は、なぜかモモを撃たず、踵を返して階段を上がった。

(どうして殺さなかったの?)

 モモは訳が分からないが、とにかく二人を追いかける。

「モモちゃん! こっち!」

 駐車場に着くとすでにココが車を回していた。急いで飛び乗る。

「ココちゃんとムギちゃん! すっごい血!」

 車が発進してすぐに、ココとムギの太ももから大量出血を起こしていることに気づく。

「太ももの大動脈が傷ついたみたい」

「多分一時間も持たないね」

 ココとムギは真っ白な顔で笑う。

「急いで家に帰って手術しないと!」

「分かってるわ」

 車は暴走列車のごとく、ガードレールや塀、ポールに車体をこすり付けながら走る。

(マスクの大男、どうして車を追跡しないの? タイヤを撃つだけで殺せるチャンスなのに)

 モモは走行中何度も背後を確認したが、マスクの大男は影も形も無かった。

(どうしてマスクの大男は私たちを撃ったの? 戦う意味なんて無いのに)

 車はJR南武線に沿って、接触事故を起こしながら中原街道へ爆走する。ぶつかるたびに車体が悲鳴を上げる。衝撃でココとムギの傷口から血が噴き出る。

(今はとにかく二人を助けないと)

 集中力は高まっている。そのせいで一分一秒が遅い。

 じっくりと、じわじわと、二人が弱っていく様子が分かる。

 地獄のような時間だ。

(お願い! 早く!)

 モモは無事に帰れるように祈り続けた。

 そして祈りが通じたのか、三人は十五分後、無事に事務所へ帰ることが出来た。

 盗難車はボロボロ。車内は血まみれの地獄絵図だったが、帰ることが出来た。

「到着ね……」

 ココは安心感からか、到着するとハンドルを握ったまま目を瞑った。

「ココちゃんムギちゃん! しっかりして!」

 モモは急いで二人の脈を計る。

(脈が弱い。ショック状態だ。早く輸血しないと)

 モモは事務所の隣の隣の隣の家にある手術室へ二人を運び、携帯でママに電話をかける。

 繋がらない。電源を切っているようだ。

(どこに居るの? ルナさんなら二人を助けられるのに!)

 モモは事務所へ行くがママの姿はない。ママの自宅も見たが居ない。

「私がやるしかない!」

 ママは変装術だけでなく手術など様々な技術を教えてくれた。ならば二人の手術もできる!

(とにかく輸血! それから傷の縫合!)

 手術室に戻ると二人に酸素吸入器を付け、動脈に針を刺し、輸血する。そしてメスで太ももの銃創を開き、ホースのように太い動脈血管を縫合する。

(腕と足の傷は大丈夫。弾は貫通してるし、骨も傷つけてないし、動脈も傷ついてない。縫合して傷を塞げば出血は止まる)

 手早く腕と足の傷を縫う。

(口から血を吐いたって事は撃たれた衝撃で肺か胃が傷ついた証拠。傷の程度を確認しないと)

 防弾チョッキは弾丸の衝撃まで吸収できない。アサルトライフルの弾を至近距離で食らったら肺や胃が破裂していてもおかしくない。

 モモは悠長に検査などしていられないと判断し、二人の腹と胸を切り開くことにした。

「二人ともごめんね。できるだけ傷が残らないようにするから」

 モモは二人の美しい体にメスを入れた。

(砕けた肋骨が内臓に突き刺さってる……腹部大動脈を始め胴体の重要な血管も傷ついてる

 二人の肺、胃、食道、腎臓、肝臓、大腸小腸など、内臓や血管は凄惨を極めた状態だった。

(とにかく止血しないと)

 モモは砕けた骨を取り除き、無限の泉のごとく湧きだす血を払いのけ、ひたすら傷口を縫う。

「腎臓が破裂してる。肺もダメ。肝臓も……この三つは早急に移植手術しないと」

 モモは手術室に保管された移植用の内臓を二人に移植する。

「これで何とか……」

 砕けた骨はプレートやボルトで接合した。止血も臓器移植も完了した。最後に開いた胸と腹を塞いだ。これ以上できることは無い。

 手術は十時間以上かかった。二人とも全治半年の重傷だ。

「あとは二人を信じるだけ」

 モモは傷口を縫い終わると床に座り込む。

 輸血と移植用の内臓は使いつくした。だが手術は完璧でも拒絶反応や体力低下で感染症を患う可能性がある。しかし万が一、二人の症状が悪化しても大した治療はできない。

 今の二人は風邪すら命取りになる。

「ここじゃもう限界。病院に入院させたいけど……マスクの大男に狙われてる」

 マスクの大男が居る限り、守りの薄い病院に行けない。他者を巻き込む。

「マスクの大男はどうしてココちゃんたちを殺そうとしたの?」

 疲労で倒れそうだ。しかし疑問が寝させてくれない。

「……アマちゃんにご飯食べさせよ」

 喉が渇いた。お腹が空いた。訳が分からなくて考えが纏まらない。そこにお腹を空かせているアマを思い出したので、とにかくご飯をあげに事務所へ行く。

「ぷぎゃ」

 アマはモモの顔を見るといつも通り可愛らしく鳴いた。

「ご飯あげるからね」

 モモは笑顔を作り、アマを撫でた後、気づく。

「……そんな」

 モモはママのパソコンを見る。

「私の推理に確証はない。それに推理通りだとしたら説明できないことがある」

 パソコンを起動するとパスワードを求められる。ママの傍に居たから、パスワードは知っていた。

「ママさん。パソコン見ちゃいます。もし違ってたら、いっぱい怒ってください」

 これは背信行為ではない。ママとの関係を保つために必要な事だ。だから勇気を振り絞る。

 メールやフォルダを確認する。

「どうして……」

 あるべき情報が無かった。モモは頭を抱える。アマが慰めるように膝の上に乗る。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 モモはアマを抱きしめながら、さらにファイルを読み進める。

「……そういうことだったんだ」

 モモの目じりから一筋の涙が頬を伝い、アマの頭の上にぽたりと落ちる。

 全てが分かった。あとはマスクの大男を殺すだけだ。

 携帯でママに電話する。今度は繋がった。

「モモです。ママさんですか」

『そうよ。さっきは電話に出られなくてごめんなさい。私も忙しくて』

「それよりもマスクの大男に伝えてください。十年前にあなたの足を刺した猫杉桃子が会いたがっていると」

 一瞬の沈黙。それはモモにとって永遠に思えた。

『……残念だけど会わせられないわ』

 落ち込んだような、小さな声だった。

「私はマスクの大男の正体を知っています」

 さらに沈黙。耳が痛くなる。

『死ぬかもしれないわよ』

「覚悟してます」

 迷いは無かった。

『どこで会いたい?』

 ママは搾りだす様に言った。

「十年前に初めて出会った場所。猫杉グループ川崎本社ビルです」

『分かったわ。いつ会いたい?』

「今日は眠いから明日の夜でお願いします。お父さんとお母さんが殺された十時です」

『分かったわ。今日はゆっくり休みなさい』

 電話が切れた。

「ようやくたどり着いた」


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