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第四章 レッドスカーフ殲滅戦

 川崎ダイスは京急川崎駅中央口から歩いて一分のところにある。JR川崎駅東口だと五分。

 道筋はチネチッタと反対方向、映画館もあるため、チネチッタのライバル店のような存在だ。

 総合ビルで多種多様な店舗が並ぶ。最上階の九階から七階まで映画館。ゲームセンターやパチンコ店。ファッション、クリニック、レストランがある。

 今は大恐慌の影響で周囲の建物と同じように廃墟だ。

(川崎ダイス。室山組の縄張りであるチネチッタと目と鼻の先。銃撃戦が起こる訳だ)

 川崎ダイス周辺は一月前にレッドスカーフと室山組が銃撃戦を行った場所だ。15人の通行人を巻き込んだ大事件たが未だに解決していない。両者が警察に賄賂を渡しているからだろう。

(凄くピリピリした雰囲気。全員殺気立ってる)

 川崎ダイスの周辺は銃やサブマシンガンを持ったレッドスカーフのメンバーが見回りを行っていた。全員、油断のない表情で、モモたちが乗る車を見張る。

「外で見回りしている方々は村井さんと同じ準幹部だ。絶対に失礼のないようにしろ」

 ピアス男は川崎ダイスが見えると震える声で注意する。

「おっかねえな……」

 モモに触っていた下種野郎は厳重でピリピリした雰囲気に怯える。

「レッドスカーフのメンバーって何人くらい居るの?」

 モモは恐る恐る音を立てないように進む車内で殺害プランを考える。

「千人以上だ。すげえだろ」

 ピアス男は冷や汗を流しながら笑った。

 レッドスカーフは元々は室山組の配下だった。ヤクザが手ごろな捨て駒にストリートギャングを雇うのはよくあることだ。

 レッドスカーフは最初こそ室山組の言われるがままに麻薬や売春の斡旋を行った。しかし次第に、売り上げの大半を持って行く室山組に不満を持つようになった。だがタダのチンピラが歯向かっても死ぬだけだ。そこでレッドスカーフのリーダーは作戦を練った。それが消毒用アルコールや灯油、ガソリンに腐った果実を発酵させた物を混ぜた粗悪な密造酒の販売だ。

 酒は庶民の娯楽だが、ハイパーインフレーションで手が出せない高級品だった。そこに粗悪とはいえ、安価な酒が登場した。難民キャンプ含め多くの人が欲しがった。それでレッドスカーフは大金と人材を手に入れた。現在は海外マフィアと直接交渉したり、自力で麻薬や銃を作成できる力を持って居る。

 構成員は麻薬と密造酒と銃に惹かれたチンピラや浮浪者、不良少年である。密造酒と麻薬で脳が壊死しているため、詐欺など知的犯罪も行う室山組に比べて不摂生で暴力的であり、足し算が出来れば上出来という始末である。ただし麻薬と密造酒に頭がやられているので死の恐怖が無く、銃撃戦となると非常に恐ろしい集団である。

(それくらいの規模なら中の護衛は多くて五十くらいかな。そして外の護衛は百人前後。騒ぎが始まったら総勢百五十人を相手する必要がある)

 いくらモモでも百五十人の相手に丸腰で戦うことはできない。

(どうしても銃が必要。でも騒ぎは極力起こさないように。難しいなぁ)

 車が川崎ダイスの正面入り口の前で止まる瞬間、入り口の護衛が一斉に銃を突きつけた。

「誰に断ってここに来た」

 護衛の一人が助手席の窓を銃口でノックした。

「村井さんだ! 聞けば分かる!」

 ピアス男は手を上げる。

「嘘なら鼻の穴が増えるぞ」

 護衛は近くの仲間に声をかけた。すると仲間は走って川崎ダイスに入った。

(異常なほど警戒してる。ボスが居るといってもサブマシンガンはやり過ぎ。まるで宝物を守ってるみたい)

 モモはレッドスカーフの行動に引っかかる物を感じた。

 数分後、仲間の報告を受けた護衛は銃を下げる。

「村井はエレベーター前に居る」

「ありがとうございます!」

 ピアス男は喜んだ後、モモとココとムギを車から出した。

 川崎ダイスの内部は荒れ果てていた。老朽化した床が棘を作っていて、素足のモモたちはいちいち足元を確認しなければならなかった。

 照明はパチパチと異音を放ちながら点滅していて壁が確認できないほど薄暗い。

 暗闇の迷宮だ。埃で喉が痛い。口の中で毛糸を口に入れたような異物感する。

「村井さん! 連れて来ました!」

 ピアス男は入り口近くのエレベーターの前に立つ、上半身裸でボディビルダーのように筋肉質な男の前で、背筋を伸ばした。

「こいつらが室山組の女か」

 村井は筋肉質な体に似合う、獣のように低い声を出す。

「そうです!」

「もしもこいつらが何も知らなかったら、てめえは嘘つきってことになる」

 村井はピアス男の胸倉を掴む。

「分かってます……」

 ピアス男は肉食獣を前にした草食動物のように固まる。

「分かってるなら良いんだ」

 村井は武骨な笑みを浮かべてピアス男の肩を叩く。

「俺もお前も今日から幹部だ」

 ピアス男は村井の言葉を聞いて、黄ばんだ歯を見せる。

「それにしても可愛い連中だ。ぶっ殺すのが惜しいぜ」

 村井はモモたちに目を移す。

「質問しても良いかな子猫ちゃん」

 村井はムギの大きな胸を遠慮なしに揉む。

「武蔵小杉の高層タワーで住友智樹と永井功って奴が殺された」

 村井は唇に付けている丸ピアスと一緒に唇を舐める。

「誰が殺したのか、知ってることを全部喋ってもらう」

「嫌だって言ったら」

 ムギが口を開いた。村井は失笑する。

「お前たちは可愛い子猫ちゃんだ。喋れば殺しはしねえ。どういうことか分かるな?」

「犯すだけで許してくれるってこと?」

「そういうことだ」

 村井はムギの首を掴み、片手で締め上げる。

「手荒な事はさせねえでくれ」

 村井は苦しそうなムギを楽しそうに笑う。サディストだ。

「分かった……話すから止めて……」

 ムギはボロボロと泣き出してしまった! モモは突然弱弱しくなったムギにギョッとする。

(ムギちゃん泣き出すなんてどうしたの! 怯えたら反撃のチャンスが無くなっちゃう!)

 モモは突如足手まといに変化したムギに、少なからず苛立つ。

「分かれば良いんだ」

 村井は丸太のように太い腕をズボンのポケットに入れた。

「殺したのは室山組の殺し屋。名前は桃井雄介」

 ムギは咳き込みながら喋り出す。隣でモモは鼻面にしわを集める。

(嘘を言ってどうするの?)

 モモはムギの考えが分からなかった。

「私たちが知ってるのはこれだけよ……」

 ムギは喋り終わるとボロボロと涙を床に落とした。

「その言葉、もう一度ボスの前で言えるな」

 村井はムギの顎を掴み上げる。

「言う! 言うから乱暴しないで!」

「良い子猫ちゃんだ!」

 村井はエレベーターのボタンを押す。すぐにポンとなって扉が開いた。

(どうするの!)

 このままエレベーターに乗ったら絶体絶命だ。

「お腹痛い……」

 ムギが突然お腹を押さえてしゃがみ込む。

「トイレ行かせてくれない?」

 ココもムギと同じように腹を押さえる。

(二人ともいきなりどうしちゃったの!)

 モモは体をソワソワさせる。

 二人と視線が合った。力強い目だった。

 ここでモモは二人の考えを察した。

「漏れちゃう……」

 モモも二人に習ってしゃがみ込み、演技を始めた。

「便所に連れてってやれ。俺はここで待っててやる」

 村井は警戒した様子無くピアス男に命じる。

 弱弱しい、従順な子猫を疑う男は居ない。

「こっちに来い」

 三人は女子トイレに入ることが出来た。狙いは成功した。

「演技だったんだね。ビックリしちゃった」

 モモは三人だけになると、頭を掻いて後ろめたさを誤魔化す。。

「あんた、ムギが足手まといになったって思ったでしょ」

 ムギは鏡で首についた大きな手形を見て憤慨する。

「だって突然だったんだもん」

「打ち合わせなんてしてる暇なんてなかったから突然に決まってるでしょ」

「だからごめんって。次からすぐに気づくから」

「ふん! もしもまたムギが足手まといになったって思ったらぶっ飛ばすから」

 ムギはそう言って、「あいつぶっ殺してやる」と手形を撫でた。

「まあそれはそれとして! ……これからどうしようか?」

 モモは蛇口を捻って水を出すと両手を桶にして口を潤し、顔と髪に触られた胸と尻と太ももを水で擦る。玉のような水滴が軽くカールしたまつ毛と赤く細い唇に桃色の頬と健康的な肌色の胸や尻に太ももを伝う。

 ムギは洗面台の棚から石鹸を取り出し、乳、尻、顔、股、脇、髪に直接当てて行水を行う。バレーボールのような張りのある胸を洗うとスライムのように形が変わる。尻は豆腐やプリンのように揺れる。男たちの生臭さが石鹸の香りに変わる。

「ムギはもう嫌で嫌で狂いそう。どうすればいいのか全然分かんない」

 ムギは石鹸をモモに手渡す。

「ありがと」

 モモは薄汚い男に触られた可哀そうな乳に太もも、尻を洗う。小粒の苺のような赤い乳首と陶器の様に美しいおっぱいと、V字に整えた下の毛に、歯を立てれば嚙み切れそうなほど柔らかい太ももと桃のような瑞々しいお尻が、泡でもこもこの羊のような可愛らしい姿になる。男たちの反吐のような臭いが綺麗さっぱり無くなる

(ムギちゃん、私よりも酷い目にあったんだ)

 察することはできる。しかし何があったのかは聞けない。そんなことしたら死ぬしかない。

「装備も無しで入り口に見張り。本当にどうしよ?」

 モモが鏡に向かって肩を落とすとムギも鏡のモモに肩を落とした。

「私たちなら百人の男が相手でも楽勝よ」

 石鹸で体を洗い悪臭をそぎ落としたココが、意気消沈する二人を励ます。

「私たちは武蔵小杉の高層タワーマンションの銃撃戦に完勝したのよ。なら今日も完勝よ」

 二人と肩を組んで、あやす様に鏡越しにニッコリと笑う。

 モモとムギに笑顔が戻る。鏡越しに笑い返し、冷たい水をかぶって泡と迷いを落とす。

「待ってたらピアス男が様子を見に来ると思うの。そこを三人で襲うって作戦はどう?」

「モモちゃんの作戦に賛成」

「ムギもそれで良いよ」

 三人は入り口付近の清掃用具入れや洗面台の影、死角に隠れる。

 一分後、一個の荒々しい足音がやって来た。

「お前ら風呂でも入ってんのか! いい加減に出て来い!」

 ピアス男だった。ご丁寧に銃は懐に仕舞ってあった。

 洗面台の影からココが飛び出し、ピアス男の喉に貫き手を叩き込む。ズブリと鈍い音がした後、ピアス男の口からごぼごぼと血が溢れる。ココの右手が肘まで真っ赤になる。

 ココが指を抜くと、ピアス男の死体はごとりと床に倒れた。

「ココちゃん強すぎる」

 チームプレイは皆が役に立ってこそ。だからモモは出番が無かったので少し残念だった。

「素手の戦いなら敵なしよ」

 ココは自慢げに力こぶを作る。

「さすがムギたちのお兄ちゃん。心強くて頼もしい」

 ムギはププッとココをからかう。

「お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんよ!」

 ココは当然のごとく怒る。

「ココってお姉ちゃんなの! 私よりおっぱい小さいのに!」

「おっぱいは関係ないでしょおっぱいは!」

「ムギと違って腹筋も割れてるし、逆三角形だし。ボディビルダーみたい」

「腹筋が割れてるのは痩せてるから! あんたはぷよぷよで太ってるから見えないだけ!」

「ムギは太ってないもん! 女らしいだけ!」

 気にしてるのかムギもムキになって言い返す。

 緊急事態なのに言い合いが始まった。

「だいたいムギはいつもいつもだらしなさすぎ! ママが居ないとすぐにぐうぐう昼まで寝て! 片付けもしないし! 掃除もしないし! モモちゃんか私に任せっぱなしじゃない!」

「ムギはやろうと思ってるの! でもその前にモモとココがやっちゃうの!」

 このままでは終わりそうにない。

「二人ともそれまで。大きな足音が来てる」

 モモが割って入ると、二人はようやく息を潜めた。

「田代! まさか抜け駆けしてやってるんじゃねえだろうな!」

 村井が入ってきた。

「た、田代!」

 そしてピアス男の死体を見て絶句した。その隙にココの正拳突きが村井の胸にめり込む。メキメキと肋骨が砕ける音が響く。砕けた肋骨が肺と心臓に突き刺さる。拳が体を貫通する。

 村井は数歩歩いた後、血を吐きながら倒れた。

「ムギが殺したかったのに」

 ムギは村井の死体を軽く蹴飛ばした。

「早い者勝ちって言葉知らないの?」

 ココは村井とピアス男から銃を奪い、モモとムギに渡す。

「最低限の装備は整ったって感じかな?」

 二人はココの笑みに頷く。

「ムギがあいつらを引き付けるから二人はその隙に倒してね」

 ムギは泣き顔を作り、トイレから飛び出して、手下に泣きつく。

「大変! 大変だよ!」

 手下は裸のムギに泣きつかれて狼狽える。

「お、おい! その銃はどうした!」

「だから大変なの! 助けて!」

 ムギは魅力的な体を武器に手下たちの視線を集める。モモとココは手下がよそ見をしている間に、強烈な打撃を後頭部や顎、喉、股間に叩き込む。

「て、てめえら!」

 意表を突かれた手下はムギから二人に顔をやる。その隙にムギが顎と股間を蹴り上げる。

 十人の男は発砲する間もなく倒れた。

「ボスはどこに居るかな?」

 モモはココとムギと一緒に、気絶する男たちの首をへし折って止めを刺す。

「最上階の映画館へ行ってみましょう。バカは高い所が好きだからそこに居ると思うわ」

 三人は殺し終わった後、男たちの服を見る。

「煙草に麻薬に密造酒の臭いが染み込んでる……」

「この人たちお風呂入ったのいつなんだろ……」

「ムギは裸の方がマシだと思う」

 三人は鼻を抓みながら極力触らないように指先で不潔な男たちの懐をまさぐる。

 兎にも角にも銃と十分な弾薬が手に入った。

「作戦は武蔵小杉の時と同じ。私が先頭でモモちゃんとムギはバックアップよろしく」

 三人は足音を殺して素早くエレベーターに乗る。

(集中。集中)

 神経を研ぎ澄ませばエレベーターの機械音が聞こえなくなる。くしゃみしそうなほど舞い上がる埃が顕微鏡を通したかのようにハッキリ見える。世界が水の底に沈んだかのように静かになる。喉の不快なイガイガ感だけ消えない。

(便利なんだけどこうなると遅くて嫌なんだよなぁ)

 一度集中すると時の流れが極端に遅くなる。そうなるとエレベーターが映画館にたどり着くまで、体感時間で一日ほどかかってしまう。

(もっと制御できるようにしなきゃダメだな)

 モモは止まった時の世界で退屈な時間を過ごす。

 そして一日後、ようやくエレベーターの扉が、もったいぶって開いた。開く途中のドアから銃を持った男が二人、ボロボロのコインロッカーに寄りかかって欠伸をしているのが見えた。

 モモは扉が開くと真っ先に、二人の男に発砲した。

 映画館のロビーに銃声が響く。それは戦闘開始のベルとなった。

 天井に煙を吐いていた男たちは強襲に対応できず、視線を振り回して銃を探す。広いフロアに数十の煙草が床に落ちる。

 モモとムギはコインロッカーの影から飛び出して銃を連射する。十五人の鴨が死ぬ。

 もっと殺したかったが弾切れになった。モモとムギはリロードする。その間にココが走る。

 銃撃が始まってから0.1秒後、モモは銃撃を再開する。十五人の鴨を殺せた。

 再びリロードだ。イライラする。しかし残りは十五人。敵は今も銃を探している。

 銃撃が始まってから一秒後、ココが人影の群れに食いつく。そして繰り出される鬼神の如き連撃。骨や肉の潰れる音が薄明りの中、照明が点滅するごとに響く。

 あっけない。一方的な殺戮は三秒で終わった。三人は無傷だ。

「モモちゃんって本当に強いわね。銃撃戦だと敵なしだわ」

 ココは困った顔で肩をすくめる。

「ココちゃんのおかげだよ」

「そう言ってくれるとちょっとだけ嬉しいわ」

 モモとココは微笑み合う。

「ムギだって五人殺したからちょっとは役に立ったもん……」

 ムギは静かにふて腐れた。

「ターゲットは居なかったみたいだね」

 モモは死体の顔を一つ一つ手早く確認する。

「映画でも見てるのかしら」

 ココは映画館の入場口を見る。

「それか待ち構えている」

 モモが入場口に入るとココとムギも追走する。

 三人は劇場を一つずつ確認する。劇場は通路にあった仄かな照明すらなかったため一メートル先も見えない。

 神経を研ぎ澄ます。息遣いや物音、足元の微かな非常灯の明かりを頼りに気配を探る。

 ここに居ない。次の劇場へ行く。それを繰り返す。

 奥の劇場に入ると気配を感じた。三人は息を殺して迅速に突入する。

「ちょっと待って……」

 モモは言葉を失った。

 裸の女の子が一人、通路の真ん中で、懐中電灯を持って怯えていた。

 どうして女の子が裸で懐中電灯片手に囮のように立って居る? 不測の事態に混乱する。

「どうしてこんなところにいるの? 危ないよ」

 モモは反射的に、女の子に走った。

「モモちゃん物陰に隠れて!」

 モモはココの叫びを聞いて部屋を見渡す。

 最前列の座席の影に一つ、最後尾の座席の影に二つ、人の気配を感じた。銃を構えている。  

 モモは女の子に気を取られていたため体をさらけ出している。

 恰好の的、致命的なミスだ。

(せめてこの子だけでも!)

 モモは女の子に覆いかぶさる。直後二回目の銃撃戦が始まる。挟み撃ちのように両側から銃弾が迫る。

 同時に発射された三発のうち、二発は座席に当たった。もう一発は手すりに当たった。

 ココが声を掛けてくれたため、銃撃が始まる前に動けた。だから狙いが逸れた。

 しかし状況はモモに不利だ。敵はすでに二発目を撃つ準備を整えている。対してモモは体勢を崩しているため撃つことができない。

 次で死だ。間抜けな殺し屋に相応しい結末だ。

 しかしモモは幸運だった。

 バックアップを努めていたムギが、モモに代わり応戦する。敵はムギに気づいていなかったようで、びっくりした様に銃を乱射した。

 雨霰のように弾丸が劇場を飛び交う。それはモモにとって都合が良い。

 混迷を極める中、モモは数秒で体勢を立て直すと、座席の隙間から三つの人影に発砲した。

 銃声が止んだ。狙いすました一撃が人影の急所を貫いた。

(ココちゃんとムギちゃんが居なかったら死んでた……)

 九死に一生を得た。モモは思わず床に尻餅をついた。

「モモ! なんでぼさっとしたの!」

 ムギがモモの背中を蹴る。

「この子に気を取られちゃった」

 モモは女の子の頭を撫でた。女の子は震える目でモモを見た。

「大丈夫。安心して」

 モモはニコリと笑った。空気が弛緩した。

「モモ。退いて」

 しかしムギが女の子に銃を向けると、再び空気が緊張した。

「ちょっと待ってムギちゃん! 殺すことは無いよ!」

「ママから教わらなかったの? 素顔を見られた場合、目撃者は消す。それが殺し屋のルール」

「まずは事情を聞いてあげよ! もしも誘拐された子だったら大変だよ!」

「そんなことしたらママに怒られるよ!」

 ムギは悔しそうに唇を噛んだ。

「モモちゃん。今回はムギが正しいわ。変装しているならともかく今の私たちは素顔を見られてる。身長に体つきまで。こうなったら殺しておかないと面倒なことになるわ」

 ココは女の子に目を細める。

「ココちゃんまで何言ってるの!」

「私たちの素顔が知れ渡ったらママに迷惑がかかるの!」

 ココは掴みかかる様にモモに詰め寄る。

「モモちゃんにとってママは他人かもしれない。でも私たちにとってはかけがえのない家族なの! もしもママに迷惑をかけるならモモちゃんでも許さない!」

 凄まじい剣幕だ。一歩も引く気はないと言っている。

 モモは二人に従わなければ殺されると直感した。

(でも……それでも!)

 モモは銃を捨てると両手を広げて、二人の前に立ちはだかった。

「モモちゃん……私はあなたを殺したくないの。だから分かって」

「モモ……気持ちは分かるよ。でも止めて……」

 二人は悲痛な目でモモに銃を向ける。モモは二人の目を見る。

「ルナさんは殺し屋だからこそプライドを持てって言った。だから私はこうしてるの」

「それがモモちゃんのプライド? そんなの捨てた方が良いわ。絶対に後悔する」

「後悔するかもしれない。でもここで殺したらもっと後悔する」

 モモは断言した後、女の子と向き合った。

「私はモモ。あなたは誰?」

 女の子は歯を鳴らしながら口を動かす。

「私は室山澄子……」

 モモは一瞬で事情を察する。

「あなたは室山組の組長、室山宗次の一人娘の室山澄子ちゃん。レッドスカーフに誘拐された」

 澄子は警戒した目で小さく頷いた。

 澄子はレッドスカーフのメンバーに誘拐された。そしてレッドスカーフは一時的か、恒久的か分からないが、川崎ダイスに澄子を監禁した。だから警備が物々しかった。

(誘拐された経緯とか色々聞きたいけど、今はそんな場合じゃないか)

 モモは乾いた笑みを浮かべる。

(何より私は澄子ちゃんの敵なんだよねぇ~。気づかれたら怖いなぁ~)

 モモは敵と分かっていながら澄子へ手を差し伸べる。

「澄子ちゃん。一緒に行こ。家に送ってあげる」

 澄子は険しい表情だった。明らかにモモを警戒している。

 颯爽と現れて敵を撃ち殺したと思ったら仲間割れで自分を殺すと揉める。出会って五分も経っていないのにこれでは信用できなくて当然だ。

 だが溺れる者は藁をもつかむということわざがある様に、非常事態だったため、澄子は目じりに涙を浮かべながら、恐る恐る手を掴んだ。

「撃ちたいなら撃って良いよ」

 モモは銃を構えるココとムギに微笑する。

「モモちゃん。私たちは本気よ」

「分かるよ」

 モモはニパッと笑う。

「でもやっぱり、ココちゃんとムギちゃんに殺されたくないな」

「私だってモモちゃんを殺したくないわよ!」

 ココは銃を下げた。

「ムギだってモモを撃ちたくない。せっかくできた、新しい家族なんだもん」

 ムギも銃を下げた。

「二人ともありがと」

 モモはお礼を言うと、立てない澄子を引き起こした。

「あなたたちっていったい何なの? 私も殺す気なの?」

 澄子は立ち上がると後ろに下がり、三人から距離を取る。

「正義の殺し屋かな」

 モモは悪戯っぽくウィンクした。

「モモちゃん。外に居たお客さんがやって来てた。結構不味い状況でかなり集結してるわ」

 ココが警戒するように二人に言った。耳を澄ますとロビーから頭に血の上った怒声が聞こえる。気配が七十以上する。階段やエスカレーターからガタガタとガサツな足音が聞こえる。

「ここで迎え撃とう」

 モモは銃撃戦が始まる前に、先ほど射殺した三つの人影を確認する。

 レッドスカーフのリーダー、大久保翔。副リーダーの大久保亮、側近の三島龍平。

 ターゲットは残り三人となった。

「ムギちゃんは澄子ちゃんをお願い。私はココちゃんをバックアップするから」

 モモは通路に顔を出して迫りくる男たちに発砲する。一瞬で通路に広がる十人の男が倒れたが、その後ろから続々と応援がやって来る。撃ちたかったが弾切れになったのでリロードする必要がある。その間は接近を阻めない。銃撃を阻止できない。

 タタタタとタップ音のような銃声とともに百発の鉛玉が一斉掃射され、通路を埋め尽くした。

 モモとココは顔を引っ込めて避ける。二人の顔の代わりにドアが粉々になった。

(奇襲したさっきと状況が違う! 一人でも早く殺さないと!)

 そう思ったが、顔を出す暇も無い。敵の銃弾が通路を支配する。

「さすがの私もこれじゃ近づけないわ!」

 ココも銃を握るが連射速度と人数が違うためモモと同じように顔を出せない。その間にドンドン間合いを詰められる。

「ムギも手伝って! 詰め寄られたら一瞬で殺されるわ!」

「顔も出せないのにどうやって狙い撃てって言うのよ!」

 銃声が止まない。顔半分通路に出すと弾丸が前髪と頬をかすめた。急いで引っ込めるが、これでは狙いを定めることができない。そうなると敵の位置が分からない。でも撃たなければならない。だから三人は通路に銃だけ出して、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると乱射する。

 うめき声がした。しかし足音は止まらない。

「突破されるわ! モモちゃんとムギは奥に逃げて! ここは私が食い止める!」

 ココは喉が枯れるまで叫ぶ。

「最悪! 非常口見てなかった!」

 ムギは突如開かれた非常口に向かって発砲した。

 劇場で三度目の銃撃戦が始まった。

(考えろ……私は刹那を見切れる力がある。時を止める力がある!)

 モモは迫る死に抗う術を模索する。

 前門にサブマシンガンを持った虎。後門にサブマシンガンを持った狼。逃げられない。

 武器は三丁のハンドガン。一発の威力はサブマシンガンと同じだが、連射速度の違いによる弾幕の密度は遥かに負けている。止めに人数で負けている。このままでは圧殺だ!

(もっと速く動けばいいんだ!)

 モモはママの言葉を思い出した。

 一秒で十人殺していては間に合わない。そんなノロマは死ねばいい。

 一秒で百人殺す。それが生き残る唯一の策だ。

(顔を出した瞬間に狙いを定めるから遅いんだ。顔を出す前に狙いを定めれば!)

 モモは止まった時の中で動く方法を思い出す。

(迅速に必要最低限に動く。その積み重ねが自分を加速させる)

 モモは二丁拳銃に装備を変更する。

(あれだけ頑張ったんだからやれる! 私ならやれる!)

 分厚い弾幕は続く。闇雲な連射だがそれでも居場所はバレている。0秒顔を晒せば穴だらけの不細工だ。見るに堪えない。そして顔よりデカい体を見せれば肉塊だ。

(絶対にリロードのタイミングがある。そのタイミングで飛び出せば0.1秒先手を撃てる)

 しかし銃弾は押し寄せる。醜悪な死神が油断なく歩を進める。

(相手は付け焼き刃でも訓練を受けている。織田信長の三段撃ちのように、弾切れになったらすぐに後ろと交代する。室山組と戦うだけの実力はある)

 しかし素人だ。鍛え抜かれた軍人ではない。

(絶対に先頭の全員が弾切れする隙がある。そしてリロードする。その刹那! それを逃すな!)

 敵はなおも圧倒的な弾幕でモモを拘束する。接近したため射撃精度も弾幕の密度も跳ね上がっていて手出しできない。

「私が飛び込むからその間にモモちゃんは二人と逃げて!」

「もうダメ! 非常口も抑えきれない! 入ってきた!」

 ココは拳を握って覚悟する。ムギは銃を撃ちながら嘆く。澄子はしゃがみ込んで泣いている。

(諦めるな! 必ず0.000001秒! 隙が出来る!)

 モモは集中した。時を止めるどころか、フロアに居る人間すべての気配が感じ取れるほど神経を張りつめた。

 カチンと音がした。醜悪な死神たちが足を止めた。弾幕が止んだ。0.000001秒だけ凍り付くほど静かになった。

 モモはその機を逃さず、銃を構えたまま物陰から飛び出した。

 先頭の十人はリロードするため後続と交代中だった。後続は交代しながらモモが居る物陰に狙いを定めていたが、飛び出してくるとは思っていなかったようで、撃つのが0.1秒遅れた。

 モモの銃口から銃声が雷鳴のように轟く。先頭の弾切れ十人は無残に血しぶきを上げる。

 モモはさらに後ろの通路に並ぶ十人を撃つ。そいつらはタップダンスを踊るようにサブマシンガンを乱射し、壁や床、後続の仲間をハチの巣にしながら倒れる。

 交代する0.1秒の時間差が勝敗を分けた。そしてモモの迅速な射撃が勝敗を決定づけた。

 針を通すほど小さい隙。気付けないのが普通である。ココもムギも責めることはできない。

 モモは天才的な才能で刹那を見極め、0.1秒で同士討ち含め三十人殺すという偉業を達成した。

 だが第一波を凌いだだけですぐに第二波が来る。一秒で百人殺せない未熟者に休みなど無い。

 モモは弾切れ寸前の二丁拳銃を撃ちながら走る。狙いは敵が落としたサブマシンガンだ。

 幸いだった。敵がサブマシンガンを乱れ撃ちしたため硝煙で視界が悪くなっていた。だから入場口に待機していた第二波はモモに反応できなかった。

 モモはサブマシンガンを拾うと即座に連射する。狙いも撃つ準備も拾った瞬間に済ませた。

 電光石火。常人から見れば、まるでモモが早送りで動いているように感じる。捉えられない。

 サブマシンガンが火を噴く。ロビーに死体が増える。三十、四十と足の踏み場が無くなる。

 ロビーから敵の気配が消えた。エレベーターは稼働しているし、エスカレーターや階段からも足音が来るため、まだまだ敵は居る。それでも一呼吸置くことができる。

 しかしモモは休まない。踵を返してムギたちが居る劇場へ戻る。

 ムギは非常口から侵入した敵と銃撃戦を繰り広げていた。モモは劇場の通路へ飛び出し、座席を飛び越えて、物陰に潜む男たちを銃殺する。

 劇場はモモが飛び出してから十秒後、静かになった。大金星だが、一秒で七人のペースと遅いため、世界最高峰の殺し屋から見ればまだまだ未熟だ。

「モモちゃんって本当に凄いわね……私より絶対に強いわ」

 ココはボケッとした顔で拍手する。

「ムギって実は要らない子?」

 ムギは壁に額を付けて指でのの字を描く。

「また敵が来るから、急いでロビーに陣取ろう。あそこだったらエレベーターとエスカレーターに階段から来る奴を待ち伏せできる」

 モモはサブマシンガンを二人に渡すとロビーに走る。ココとムギはリーダーに従う。

 それから十分間は虐殺であった。待ち伏せして撃つ。敵は顔を出した瞬間引き金に触れること無く死ぬ。その繰り返し。子供でもできる楽な仕事だ。

 ほどなくして足音が消える。エレベーターも止まる。血と埃と煙の残り香でくしゃみが出た。

「全員死んだかな」

 モモは階段で下りる。エレベーターは待ち伏せされる危険があるためだ。

「まだ生き残りが十人ほどいるはず。油断しないで」

 ココは各フロアの安全確認をしながら下りる。

「ムギの立場はどこ……ここ?」

 ムギは澄子を護衛しながら泣いた。

 四人は問題なく一階へ到着する。そしてエレベーター前で待ち伏せする奴らを始末した。

「皆殺し完了。最初の隠密行動と最上階で戦ったのが良かったね」

 モモはパチンとココとムギにハイタッチした。

「ミッションは無事終わったけどどうやって帰ろう?」

 四人は裸だ。服は男物がそこら辺にあるが汚れていて着られない。

「私が車の運転できるからそれで帰りましょ」

 ココは表に出ると素手で路上駐車中の車の鍵をこじ開ける。

「三人とも乗って。汚いし臭いけど乗り心地は良いわ」

 モモは澄子とムギを後部座席に乗せる。男たちの体臭がシートに染みついていたが疲れと硝煙と血で鼻が麻痺していたので気にならない。涎や汗や垢のベタベタした触覚は我慢する。帰ったら熱い風呂に入って芯まで温まろう。

「飛ばすわよ」

 ココは一声かけてからアクセルを踏み込み、急発進した。

「装甲車だ! 軍用トラックも!」

 途中でモモたちは何十台ものパトカーとすれ違う。それに混じって戦争するかのように装甲車と軍用トラックも居た。

「ドンパチやりまくったからさすがの警察も動いたみたいね」

 ココは大きな欠伸をする。

「警察って後手後手だね。間抜けすぎ」

 モモも大あくびをする。ムギや澄子も。もう深夜零時を過ぎている。

「レッドスカーフの凶暴性と装備に怯えてたんでしょ。だから自衛隊に助けを求めた。それが致命的なタイムラグを生んだ」

「もう戦争は終わっちゃったよ」

 モモはバックミラーで警察の追跡が無いか確認する。

 異常なし。警察の意識は川崎ダイスに集中している。死体の山に軍隊を送り込むつもりだ。

 危険は去った。あとは澄子を送り届けるだけ。

「澄子ちゃん。寝ちゃったね」

「ムギもね」

 ココはバックミラーで、モモは振り返って、二人の可愛らしい寝息を見る。

「それにしてもモモちゃんは澄子ちゃんを助けるって意味本当に分かってるの?」

 ココは小言を言うお姉ちゃんのような口ぶりになる。

「目撃者でしかもターゲットの身内。絶対にルナさんに怒られるね」

「怒られるなんてもんじゃないわ。下手すると殺されるかも」

「内緒にしてればバレないよ」

「ママは超一流の殺し屋で情報網も凄いから甘く見ない方が良いわよ」

「じゃあ殺す?」

「最高に卑怯な質問ね」

 モモはココと同時に失笑する。

「バレたらムギと一緒に謝ってあげるわ」

「ムギちゃん一緒に謝ってくれるかな?」

「文句言いながらでも一緒に謝ってくれるわ」

 ココは赤信号だったので車を停める。

「私たちは大切な仲間でしょ」

 そしてパチリとウィンクした。

「へへ! ありがと!」

 モモは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 大事件だった。最悪の一日と言って良い。でもモモは楽しい一日だったと思えた。

 ココとムギが本当の友人になった。今まで一人だった自分に仲間が出来た。苦楽を共にする家族が出来た。その事実はどんな過酷な運命も乗り越えられるほど嬉しかった。


 澄子の家は川崎市宮前区の鷺沼駅近くにあった。

 鷺沼駅は東急田園都市線にある駅の一つで渋谷まで20分の所にある。駅前はフレルさぎ沼という四階建てのショッピングセンターがある。室山組の縄張りなのでフレルさぎ沼も小規模な闇市場となっている。

 ベッドタウンなのでそれ以外は平凡だがその分川崎駅や武蔵小杉駅に比べて平和でもある。

「今日、突然友達に京急川崎駅に来てって言われたの」

 送迎中、澄子はどのような経緯で誘拐されたのか話してくれた。

「どんな事情か分からなかったけど、友達だったから気にしなかったわ。それに友達に会うから護衛も連れて来なかった。ところが川崎駅に来たら友達なんて居なくて、代わりに五人の男が現れて、『騒いだら殺す』って銃をチラつかせた。罠だって分かった時は遅かった」

「澄子ちゃんは助かったから良かったけど、友達は心配だね」

「もう生きて無いと思う。そして私はこれからはもう、友達は作らない」

 ヤクザの娘。それは重い枷となる。治安の乱れたこの日本では特に。モモは気の毒に思った。

「あそこが私の家」

 澄子の家は鷺沼駅と線路沿いから離れた住宅街にあった。大きな日本式の平屋で城のような塀に囲まれている。門番が二人居て銃を持って居た。

「ややこしくなっちゃうから玄関まで送れないけど許してね」

 門番に見つからないように、家から二十メートル離れた曲がり角で澄子を降ろした。

「ありがとう。元気でね」

 澄子はお礼を言って微笑んでくれた。

「元気でね」

 別れ際に少しだけ名残惜しさを感じた。だからモモは手を振った。

 その後は真っ直ぐ家に帰った。深夜二時だった。三人はすぐに風呂に入って汚れを落としたら泥のように全裸で眠った。服を着ることさえ面倒だった。

 そして次の日になった。朝の七時に目が覚めた。怠い体を起こしてお腹を空かせたアマにミルクとカリカリご飯をあげた。

「ダルダルだから今日はさぼっちゃお~」

 疲れが残っていてやる気がしなかった。だから今日の家事はサボる。ご飯はカップ麺だ。

「服あるかな~今日行けば見つかるかな~」

 盗難車の処分に荷物の捜索。この二つは今日中にやった方が良い。

「怠い~アマちゃん助けて~」

 モモは裸のままテーブルに寝っ転がるアマのお腹に頭を乗せる。毎日のシャンプーで猫臭く無いからもふもふの枕のようだった。

 ガチャンと玄関の鍵が開いた。

 ママが入ってきた。

「ママさん!」

 モモはママを見て、なぜこんなに早く帰って来たのか聞こうとした。

 バチンと平手打ちがモモの頬に炸裂した。家中に響くほどだった。アマがダッシュで二階へ駆け上がった。モモは衝撃で頭から食器棚に倒れ込んだ。

「なぜ室山澄子を殺さなかった!」

 ママは射殺す様な目でモモのコメカミに松葉杖の先端を押し付ける。

「さらにお前はレッドスカーフに捕らえられた一部始終を目撃された! それがどういうことか分かるか! 勘のいい奴なら昨夜の出来事はお前たちの仕業だと気づく!」

 怒号で食器棚がガタガタ揺れる。地震が起きたようだ。

「お前は殺し屋という自覚が無い! 完璧な仕事をする! そのプライドがあればこんなことにならなかった!」

 ママは何度も松葉杖の先端でモモの頭を叩いた。

「連れ去られた件は謝ります。でも澄子ちゃんを殺さなかったことは謝りません」

 モモは拳を握りしめて、歯を食いしばって、痛みに耐えながら、ママを下から睨んだ。

「聞き間違いだと思いたい」

 ママはモモを見下す。

「澄子ちゃんに罪はない。ターゲットでもない。なら殺す必要なんてない。簡単な話です」

「目撃者だ。ターゲットの肉親だ。生かす必要はない。簡単な話だ」

「澄子ちゃんは殺す必要ありません! だから謝りません!」

「分かっていない……お前もココとムギと同じか!」

 松葉杖の先端がコメカミをギリギリと圧迫する。

「私は謝りません! それが私のプライドです!」

 殺されてもそれだけは譲れなかった。それがモモのプライドだから。

「残念だ。本当に残念だ」

 ママは松葉杖を振り上げた。

「ママ止めて!」

 そこに騒ぎを聞きつけたココが止めに入った。

「ココ……」

 ママは憎らし気な目で、松葉杖を掴むココを睨む。

「私も悪いの! だからモモちゃんを殺さないで!」

 ココが力を入れると、松葉杖が軋む。もう少し力を入れれば握力だけでへし折れる。

「仕方ない」

 ママは松葉杖を離した。その隙にココに遅れてやって来たムギがモモを抱き起す。

「モモ。あなたは160人の武装したレッドスカーフのメンバーを皆殺しにした。これはとても素晴らしいこと。だからその功績に免じてチャンスをあげるわ」

 ママはこめかみを押さえるモモを抱きしめる。

「モモ。ココやムギのように、私を失望させないで」

 そう言うとママはココから松葉杖を取り返し玄関へ行く。

「私は仕事に戻ります。あなたは今日一日休みなさい」

 ママは外へ出た。しばしの静寂の後、車の走り去る音が聞こえた。

「想像以上に苛烈だね。死ぬかと思った」

 モモはママが去ると安心感で腰が抜けた。

「私の時もムギの時も同じだった。本当に怖いわ」

 ココはお姫様抱っこするようにモモを抱き上げて、椅子に座らせる。

「モモ。頬っぺた凄い腫れてる。これで冷やして」

 ムギはビニール袋に氷を入れた氷嚢をモモに手渡した。

「二人とも私みたいにルナさんに逆らったことあるの?」

 モモは氷嚢でズキズキする頬っぺたを押さえる。衝撃で口の中を切ったようだ。喋りづらい。

「私は三年前にムギを助けた時に一度。ムギは半年前に幼馴染を殺せなかった時に一度」

「ムギちゃんを助けた時? 幼馴染を殺せなかった時!」

 モモはココの言葉が信じられなかった。しかしココは頷く。

「ちょっと昔話するね」

 ココはモモの隣に座り、物思いするような目で語る。

「私の両親は麻薬の売人だった。だから私は子供の時から売人だった」

「子供の頃から麻薬を売ってたの?」

 ココは悲しい笑みを浮かべる。

「五歳、七歳の子供が麻薬を売ってるなんて普通は思わない。だから両親は私を隠れ蓑に金を稼いだ。その時の私は、両親が何を売ってるのか分からなかった。両親の仕事の手伝いが出来て嬉しかった。学校に行けなくても嬉しかった」

 ココは二階から戻ってきたアマに指先を向ける。アマは指先の臭いを嗅ぐと指先にスリスリ鼻をこすり付ける。

「十歳の時、両親は麻薬と酒が原因で発狂した。幻覚を見たみたいで、私が殺し屋に見えたみたい。だからナイフを持って、銃を持って、襲って来た。私は怖かった」

 ココはモモに涙を見せる。

「だから私は両親を殺した。拳で殴り殺してしまった。そんな気は無かったのに!」

 モモは震えるココの膝に手を置く。するとココはモモの手に手を重ねる。

「私は逃げた。逃げて逃げて逃げて。そうして気づいたら武蔵小杉駅の近くの路地裏に居た。そこでママと出会った。それがママとの出会い。今から七年前の話」

 ココはボロボロと涙を流していた。

「私はママに会えて嬉しかった。殺してしまったパパとママが帰って来たみたいだった! 前よりも優しくて、厳しくて、ご飯をたくさん食べさせてくれて、テレビに漫画を見せてくれて、前みたいに私の事を無視しないで、勉強を教えてくれる理想的なママになって帰って来た! だからママの後を継ぐために殺し屋になった」

 モモはティッシュを渡す。ココはティッシュで鼻をかむ。

「三年間訓練した。初めて殺したのは四年前。売人だった。怖かったけど上手くいったわ」

「ココちゃんは理想的な娘だね」

 モモは微笑みながらティッシュでココの口元の涎を拭く。ココは微笑する。

「それから仕事は問題なくやれた。でも三年前、ムギを助けた。それがママの逆鱗に触った」

「そこから先はムギが喋る」

 ムギは氷嚢を持ってモモの隣に座る。

「ムギはパパとママが分からない。気づいたら孤児院に居た。そこでムギは毎日強姦された」

 ムギの手が小刻みに震える。

「十歳の時に孤児院を飛び出した。でもムギは子供だったからどうすれば分からなかった。お腹が空いてた。そしたら住友組ってヤクザに拾われた。ムギはそこで二年間、売春で暮らした。可愛かったからお偉いさんみたいな人に毎日犯された。いろんなホテルに泊まったし、いろんなところに行った。生活は孤児院に居たのと変わらなかった」

 モモはムギの頭を抱きしめる。するとムギは甘えるようにモモの胸に顔を埋める。

「住友組は麻薬や売春をしてた。恨みを買ってた。だから三年前、ココが事務所を襲撃した」

「それが二人の出会いだったんだ」

 ココはモモの肩に頭を乗せて頷く。モモの肩にココの涙が落ちる。

「私の依頼は住友組とその関係者の皆殺しだった。ムギも関係者の一人になっていた。でも私はムギが殺せなかった。事情を聞いたら可哀そうで堪らなかった。だからここへ連れて来た」

「ルナさんはそれが許せなかった」

「依頼の放棄と同じだしね。それどころかここに連れて来て一緒に住みたいなんて。何度も殴られたな。ムギが殺し屋になるって言ったから助かった」

 ココはムギの頭を撫でる。ムギはふにふにとモモのおっぱいを揉む。

「助けてくれたココを死なせたくなかったし、男なんかに体を売るよりも殺し屋の方がずっと良いって思った」

 ぷにぷにとモモの胸で遊び始める。

「ムギちゃん。くすぐったい」

「良いじゃん。ムギとモモの仲だし」

 ムギはモモの膝の上に頭を乗せるとゴロゴロと猫のように甘え始める。モモが頭を撫でると目を細めて、モモのお腹に顔を埋める。

「ムギは二年間訓練した。訓練は厳しかったけどお菓子食べられたし、犯されなかったし、ココは優しくて、ママも厳しいけど優しくて、本当の家族が出来て嬉しかった」

 ムギはココに手を伸ばす。するとココも手を伸ばす。二人は手を絡め合う。

「最初の任務でココと一緒にストリートギャングのアジトを襲撃した。初めてだったから訓練したのにすっごく怖くて、一発も撃てない間に撃たれちゃった。ココがいなかったら死んでた」

「二回も命の恩人になってくれたんだ」

「だからムギはココが好き」

「私は?」

「モモも大好きだよ。ココと同じくらい」

 ムギは体を起こすとモモに口づけした。ココにも唇を伸ばした。

「ムギはそれからココと一緒に頑張った。屑ばっかりだったから気にならなかった。誇らしかった。そんで半年前に私が居た孤児院の関係者の皆殺しの依頼が入った。私が居た孤児院はヤクザや中国系マフィアと繋がっていて、子供の人身売買や臓器売買をしてた」

「ムギちゃんも運が無いね。脱走して良かった」

「脱走してなかったら誰かがムギのおっぱい付けてたかも」

 ムギはドッチボールのような二つの大きな胸を持ち上げる。

「笑えないよ」

「笑ったらモモでも怒る!」

 にししと二人は笑い合う。

「その任務は無関係な孤児が居たから隠密だった。だからムギは一人で孤児院に潜入したの」

「一人だけで? 危なくない?」

「ムギは可愛かったし関係者。外の暮らしは辛いからまたここに住まわせてっておっぱい揺らしたらすぐに鼻の下伸ばした」

「さっすがムギちゃん。バカな男なんて殺しちゃえ」

「上手くいったよ。夕食に薬盛られたから食べたふりして院長とか監守が来るまで寝たふり。そうして少しずつ殺した。地下室だったから奴らは助けを呼べなかった」

「でも幼馴染に目撃されちゃったんだ」

 ムギは苦虫を嚙み潰したような顔になる。

「その子はムギと仲が良かったの。パズルとか絵本とか一緒に読んだ。今も笑顔は忘れない。他の男とは違う子だった。声がすっごく優しくていつも慰めてくれた。もしかすると、好きだったのかも。それなのにその子は監守になってた」

「看守に!」

「どんな理由だったんだろ? 人身売買から助かるためかな? もしかするとムギみたいに絶望して気持ちが変わったのかも」

「でもムギちゃんはどんな理由があっても殺せなかった」

「怯えた顔を見た時、ムギは怖くなって逃げちゃった。殺したくなかった」

「だからルナさんは激怒した」

「ココが止めてくれなかったら殺されてたかも。しかも結局その子はママに殺されちゃった。仕方ないって思うけど、悲しかった」

 ココとムギは大きく息を吐いた。それが昔話の終わりを示した。

「二人とも話してくれてありがと」

 モモは二人の頭を撫でる。二人は幸せそうに目を細める。

「ココ! マスクの大男がどこに居るか捜そう!」

 ムギはココに大声を張り上げる。眠たげだったアマがビクンと顔を起こす。

「良いわね! ついでに見つけて三人で殺しちゃおっか!」

 ココは妙案だと手を叩く。アマはテーブルからいそいそと自席に座り直す。

「二人とも良いの? それにルナさんの許可ないし」

 モモは二人の気持ちが嬉しかった。でも突然だったから仰天した。

「私たちは仲間でしょ。それにモモちゃんはマスクの大男を殺すためにここに来た」

「ならママも許してくれるよね」

 二人はギュッとモモを両側からサンドイッチして頬っぺたと頬っぺたをくっ付ける。

「二人とも暑いって」

 モモは猫のようにじゃれつく二人が可愛くて仕方なかった。

「そうと決まったら服を着てご飯! 裸じゃ風邪引くし食べないと力で無いわ!」

「ムギがパジャマ取ってくるからココはご飯作って」

 二人はパッと立ち上がり、ご飯と着替えの用意をする。

「モモ! ココ! 玄関に昨日無くしちゃったムギたちの服と荷物があるよ!」

「ママが持ってきたのよ! さっすが!」

 ココは指パッチンしてレンジに食パンを放り込み、ベーコンエッグの準備をする。

(雨降って地固まるかな)

 モモは背筋を伸ばしてテレビを付ける。昨日の出来事はニュースになっているはずだから確認したい。

『先ほど室山組の組長、室山宗次氏とそのご家族が自宅で殺されたと報告がありました』

 モモの頭が真っ白になる。

『さらに川崎チネチッタで爆弾がさく裂したと報告がありました。死傷者は五百人以上とのことです』

 心臓が締め付けられる。

『昨日の深夜、川崎で室山組と抗争中のレッドスカーフのメンバーが虐殺されるという事件がありました。川崎チネチッタは室山組が管理する闇市場が開かれているという情報もあるため、三つの事件はレッドスカーフと室山組の抗争が関係していると、警察は判断しています』

 吐き気がする。

(ルナさん……やっぱりあなたと私は相いれない!)

 涙が滲む。

 証拠隠滅と口封じのためにママが殺したのは明白だ。

『犯行時刻の前後に、室山宗次氏の自宅と川崎チネチッタでマスクを被った大男を見たと情報があります』

 頭をガツンと殴られた。モモはそう感じた。

『マスクの大男は右足を引きずっているとのことです』

 モモはテレビを消した。

(ルナさんとマスクの大男は繋がってるんだ……)

 衝撃の事実だった。だが繋がりがあると言っても、証拠は無いし、ママが喋るとは思えない。

(いずれにせよ……私はルナさんと殺し合うことになる!)

 確信があった。

(ルナさんは今は私を信用してる。なら私はその間にルナさんに対抗できるだけの力を蓄える。そしてルナさんとマスクの大男の繋がりを捜す)

 モモは決心する。

「私はあなたの後継者を目指します。その資格を得た時、あなたを殺します」



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