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第一章 殺し屋になります。

 JR川崎駅の西口の階段を下りて、ひらけたバス乗り場の反対にある、煙草の吸殻や血で汚れた、駅の真下の駐輪場の落書きだらけの公衆便所の前に、セーラー服を着た少女が立つ。

(いつ見ても汚いところ)

 そこは夜になるとストリートギャングのたまり場となる。肥溜めよりも汚く危険な場所だ。スプレー缶の落書きは下手くそなアートのように壁を汚している。

 女子トイレに入る。目につくのは、一日で30万円稼げます! と見るからに怪しい張り紙や落書きにハンマーで殴ったような傷がある個室トイレ。少女はブルリと背筋を震わせる。

(気持ち悪い……けど頑張らないと)

 少女は個室トイレに入る。便座は割れていて、乾いた汚物もこびり付いているので、スカートが汚れないように、裾を股まで引き上げる。見っともないツギハギだらけの雑巾のようなパンツが丸出しでも気にせず、乾いた血や吐しゃ物で汚れる床や壁を舐めるように見回す。

(薬とかお金ばっかり)

 壁には意味不明な落書きや悪口の他に、電話番号も書かれてあった。どれもすぐ下に麻薬や金といった単語が並んでいた。少女の求める電話番号はない。

 一つ目のトイレにはなかった。二つ目にもなかった。三つ目もなかった。気力が萎えて来る。恐怖が押し寄せる。

(やっぱり噂は噂だったの?)

 最後のトイレに入って俯く。すると床に書かれた電話番号が目についた。

(この電話番号。薬とか書いてない)

 電話番号だけがそこにあった。だからこそ目についた。

 少女は恐る恐るスマホで電話をかける。

『何かご用ですか』

 礼儀正しそうな女性の声が聞こえた。

 女性が電話に出るとは思わなかった。ビックリしたが、一方で妙な安心感を覚える。

「……殺し屋を捜しています」

 少女は震える声で言った。

『あなたはどこからお電話をかけていますか?』

 女性は事務的に質問する。

 悪戯と怒らなかった。それが噂の真実味を増させ、少女の胸を高鳴らせる。

「JR川崎駅西口の駐輪場の公衆便所です。女子トイレの一番奥のトイレです」

『あなたのお名前と年齢、性別、身体的な特徴を教えてください。迎えに行きます』

「猫杉桃子と言います。年齢は16で川崎高校のセーラー服を着ています。身長は155で髪は肩くらいです。Dカップでおっぱいが大きめって言われます」

『落ち着いて。名前とセーラー服だけで十分よ』

 クスクスと笑い声が電話の向こうから聞こえた。桃子は途端に恥ずかしくなる。

 知らない相手にベラベラと個人情報をさらけ出すとは、バカなことをしたものだ。まだ殺し屋を紹介してくれるとは限らない。むしろ詐欺と考えた方が自然だ。

 でも桃子は電話先の相手を信じたかった。

 10年も待ったチャンスだ。これを逃したら次は何時になるか分からない。

『ちょっと待ってなさい』

 突然、通信が待機状態になった。お待ちくださいと耳障りなアナウンスが繰り返される。その間に暗くなってきたからか、野蛮な男たちの声が外から聞こえ始める。

 川崎駅周辺は日本でもトップ10に入るほど治安が悪い。暗がりではヤクザや銃に麻薬の売人やポン引きがのさばっている。そして駐車場や公園ではヤクザ予備軍の不良や暴走族にヤクザと同じくらい危険なストリートギャングがたむろする。

 朝や昼はまだ安全だ。奴らは早起きできない。しかし夕方に差し掛かると目を覚ます。

 昨日、帰宅ラッシュの時間帯で、レッドスカーフという川崎市でも屈指の巨大なストリートギャンググループと、室山組という神奈川県を支配するヤクザたちが銃撃戦を繰り広げた。死者は15人。その影響で川崎の住民は市に外出自粛を呼びかけられている。学校も昼で終わり、明日から早めの夏休みだ。夜に成ったら撃ち殺されても文句は言えない。警察は総力をあげて捜査すると言っているが、いつも同じことを言っているから信用できない。

 時間にして五分。しかし桃子は一時間待たされたように思えた。それくらい怖かった。

『夜の七時にあなたが居る公衆便所の前で会いましょう』

 そして女性は一方的に言うと、一方的に通信を切断した。

(夜にもう一度ここに来いって!)

 レイプされるならまだいい。誘拐か、下手すると殺される。それくらい川崎は危険だ。

(でも、本当に殺し屋と会えるなら!)

 桃子は通学鞄を抱きしめて、公衆便所を出る。その足取りに迷いはない。

(目を合わさないようにしないと)

 桃子は外に出るとすぐに顔を伏せた。レッドスカーフの証である赤いスカーフを腕や頭に巻いた男が三人、駐車場の脇で談笑していたからだ。

「何してるんだ! 迷子か!」

 後ろから声がした! 明らかに自分を見ている! 桃子はそう判断すると一目散に西口の階段を駆け上がり、自動改札前に走った。

(怖かったけど、ここまで来れば)

 昼間の川崎駅は防弾チョッキを身に着けた警官が巡回している。だから胸をなで下ろす。

 しかし川崎で長居するのは危険だ。いつ銃撃戦に巻き込まれるか分からない。だから桃子は速攻で自動改札を潜って、発射寸前の電車に体を押し込んだ。

(夜に成ったらもう一度来ないといけない)

 桃子は電車のドア付近で通学鞄を硬く抱きしめる。

 電車の中も油断はできない。

 痴漢程度なら良い。お尻や胸を撫でられても気持ち悪いだけだ。問題なのは引ったくりだ。桃子の鞄にはこの日のために貯めた十万円が入っている。盗られたら人生が終わる。

 JR南武線の電車に揺られて十分ほど経つと、武蔵小杉駅の隣にある向河原駅に着く。桃子はそこで降りる。

 ホームは落書きだらけで唾や痰がへばりついている。浮浪者の小便の跡が隅にシミになっている。公衆便所だ。清掃員を雇う金も無い。週に一回はストライキで電車が動かなくなる。今日、電車に乗れたのは幸運だった。

 錆びついた手すりに沿って、汚れた自動改札を抜けて、薄汚れた向河原駅を出る。

 まず駅から出て目に入るのは踏切の向こう側にあるN社の高層ビル群だ。踏切から100メートルを超えるオフィスビルが、十個以上並んでいるのが見える。そして線路沿いに憩いの場として大きめの広場である向河原駅前広場公園がある。滑り台もシーソーも無くベンチが並んでいるだけだが、読書で落ち着くには最適の場だ。

 今は社員のストライキの行進でうるさい。

 給料を上げろという怒鳴り声と、社長の退任を求める看板が竜巻のように渦を巻いている。

 桃子は踏切を渡らず、高層ビル群の反対側に足を進める。すると次に目に入るのが大量のシャッターだ。

 昔はN社の社員で賑わったのだろう。皆が大好きなラーメン屋の看板が五つ見える。居酒屋の看板も三個見える。弁当屋の看板もある。ステーキ弁当が人気だったらしい。

 どれも閉店している。そしてシャッターは落書きだらけだ。その前に浮浪者が数名、どこから拾って来たのか一人酒を飲んでいる。

「お嬢ちゃん……こっちへ来て一緒に飲もうや」

 人生に絶望した眼を向けられた。桃子はわき目も振らず五十メートル先の三車線の通りに走る。通りに出たら一呼吸置かずに急ぎ足で信号を渡り、住宅街へ逃げた。

 五分ほど歩くと住宅街を抜けて、多摩川の河川敷に着く。

 そこは現在、大恐慌で家を無くした人々の難民キャンプとなっていた。

 山梨県、神奈川県、東京都から東京湾まで流れる多摩川は国や赤十字が支給した100人規模の白い大型テントが花火大会の出店のごとく河川敷を埋め尽くしている。劣悪な環境でインフルエンザや結核が流行している。川で行水や洗濯をする女性や子供がいる。畜産や農業に励む人もいる。対岸である大田区側の河川敷も同じ風景が並ぶ。これが多摩川の端から端、138キロに渡って続く。

 向河原駅周辺だけで二万、多摩川全てだと五百万人が浮浪者のような恰好で暮らしている。

 桃子は河川敷に沿って小走りで歩く。途中、視姦するような不快な視線と、何日も風呂に入っていない不潔な臭いを感じたが無視する。

 ニ十分すると信号があるのでそれを渡り、住宅街に戻る。そこからさらに五分歩くと窓ガラスの割れた廃墟のような一軒家に到着する。そこが桃子の家だ。

 桃子は家に戻ると急いで鍵を閉める。そこでようやく、額にベッタリと張り付く汗を拭えた。

(お腹空いたな)

 桃子は空腹を紛らわすため水道水を一口飲んだ。

「お父さん……お母さん」

 体育座りをすると、通学鞄から写真を取り出し眺める。

 小奇麗な少女が、しわ一つ無いスーツを着た男性と、綺麗なドレスを着た女性に挟まれて笑っている。後ろには世界に名を馳せる猫杉グループの川崎本社ビルが光っている。

「ようやく仇が打てるよ」

 膝を抱えて夜が来るのを待つ。

「また居留守か! 居るのは分かってんだぞ!」

 ヤクザやストリートギャングが溢れる世界では住民が結束し、自衛団を設立することが良くある。その自衛団が三時ごろ、警備料の取り立てに来た。

 桃子はいつも通り息を潜めてやり過ごす。

「甘い顔したら付けあがりやがって!」

 石を投げ込まれた。窓ガラスが割れた。壁に穴が空いた。隙間風が強くなった。

「いい加減にしねえと犯すぞ!」

 自衛団は嫌がらせが終わると去った。

 自衛団は難民キャンプに住む人や周辺住民に警備料として月に一度、食料か金、体を要求する。断れば苛烈な嫌がらせをされる。

 こういった自衛団は時が経つと新たなヤクザやストリートギャングに変貌する。

「何が自衛団。レッドスカーフや室山組と変わらない癖に」

 いつ殺されても不思議ではない。でも桃子は怯えることしか出来なかった。


 夜の向河原駅は難民キャンプに嫌気が差した少年で溢れる。駅周辺にたむろする少年は三十人、それは五つのグループを作っている。桃子は彼らを横目に鞄を抱えて走る。

「おい! 迷子か!」

 少年の脇を通るとすぐに呼び止められる。しかし桃子は無視する。

「待てよ!」

 グループの一つが走って来た。桃子は足を止めないで駅に入って発射直前の電車に乗る。

 電車の発車時刻を計算して家を出た。それが功を奏した。

(やっぱり目立つな)

 桃子は乗客の視線を感じて肩身が狭くなる。

 桃子はセーラー服姿だ。夜の格好に不適切としか言えない。しかし私服だと殺し屋が自分だと気づかない可能性があった。だから我慢してセーラー服を着た。

 全ては殺し屋と出会うためだ。

(会える。会えないって思っちゃダメ)

 嘘だったら、詐欺だったらどうしよう? その不安で手が震える。でも進むしかない。

 桃子は竦む足を懸命に動かして、川崎駅の駐輪場の公衆便所に向かった。

(やっぱりあいつらが居る)

 駐輪場で昼間に見た男たちが30人のグループを作って笑っていた。そして公衆便所の前には誰も居なかった。

(やっぱり嘘だったの?)

 時刻は夜の七時だ。なのに誰も居ない。ならばあの電話は嘘っぱちだったとしか言えない。

(……遅れてるだけかも!)

 リスク承知で公衆便所の前に立つ。幸い男たちはお喋りと酒に夢中で気づいていない。

(中で待つ? それじゃ気づいてもらえない)

 一分が一時間に感じる。公衆便所の異臭と暗闇と男たちの笑い声で胃液がこみ上げる。

 十分が経った。一向に殺し屋の影は見えない。

「何してんだ」

 恐れていた事態が起きた。男たちが桃子に気づいた。

 男たちは肉食獣のように舌なめずりしながら桃子に近寄る。

「人を待ってるだけです!」

 桃子は身を固くする。

「待ってるのか。なら来るまで俺たちと一緒に遊ぼうぜ」

 下品な笑いを浮かべながら一人の男が手を伸ばす。

「嫌!」

 桃子は男の手を叩いた。そうすれば一瞬で男の表情が変わる。

「調子に乗るなよこの女!」

 男はバタフライナイフを取り出して、桃子の頬に刃を当てる。

「言う通りにしろ! さもねえと顔面を切り刻むぞ!」

 男は真っ赤な顔だ。対して仲間たちは大笑いだ。

「まずは服を脱げ! 全員で犯してやる!」

 男の怒鳴り声は恐ろしい。桃子は涙を流す。

 そこに、助け船が出た。

「桃子ちゃんね。お待たせ」

 駅のホームから射し込む光が、男物のカジュアルスーツを着た女性を照らした。

(王子様みたい)

 美青年のようだったが、声は女だった。宝塚の男役のようだった。

 髪はぼさぼさ。背は170ほど。鼻筋が通っている。背筋を伸ばしていて堂々としている。

 突然のヒーロー登場だ。それに男たちは激昂する。

「なんだてめえ! 見世物じゃねえぞ!」

 三十人の男は振り返ると一斉にバタフライナイフを光らせる。

 すると女性は近くの男からナイフを奪い、返す刀で、男の首を切り裂いた。

 血が噴水のように駐輪場で噴き上がる。

 男たちは、殺されると思っていなかったのだろう。突然の殺人に声も出ない。

 女性は容赦しない。近くの男を素早く切り殺す。赤い噴水が二つになる。

「おいおいおい!」

 男たちは騒めく。どうすれば良いのかと蛇に睨まれた蛙のように動揺している。

 対して女性は冷静で冷酷だった。

 一人は回し蹴りで首が折れた。一人は金的で睾丸ごと骨盤を砕かれた。

 女性の五体は殺戮兵器だ。一秒ごとに死体が積み上がる。男たちは逃げる暇も無い。

「待った! 待った! 降参だ! もう勘弁してくれ!」

 桃子にナイフを突きつけた男は、最後の一人になると手を上げた。

「お友達を見捨てるっての? 冷たい奴ね」

 女性は哀れな命乞いを鼻で笑い、上着の胸元に仕込んだハンドガンを抜く。

「仲間なんでしょ。なら一緒に居てやりなさい」

 男の額に風穴が空いた。

「あなたが本当の依頼者かテストしてたの」

 女性は胸のホルスターに銃を仕舞う。

「テストですか?」

 桃子は深呼吸してぞわぞわと逆立つ鳥肌と気持ちを落ち着ける。

「身の危険が迫っても待ち続ける。悪戯とか嘘の依頼じゃない証拠よ」

 女性はニッコリと笑い、握手を求める。

「私はココ。ココって呼んで」

「ココちゃんって呼んでいい?」

「ココちゃんか。私に似合わないけど、可愛いから良いか」

 噂は本当だった! 桃子は嬉しくて握手する。ココは握手をしながらクスリと笑う。

「私が殺し屋だって信じてくれるかしら?」

「そりゃもうこの惨状を見ちゃったら」

「本当! こいつらを殺した甲斐があったわ!」

 ココは死んだ男たちに投げキッスをした後、上着を脱いで消臭剤で生臭い血の臭いを消し、さらに男物の鼻が通るスッキリした香りを放つオーデコロンをつける。止めに上着を裏返してベッタリとした血痕を隠す。

 鼻が曲がるほど血なまぐさい惨劇を起こしたとは思えない凛々しい姿に戻った。

「場所を変えましょう。こんなところじゃ落ち着いて話せないわ」

 桃子は頷く。ココは頷き返すと西口の階段を上がって、川崎駅のすぐ近くにある地下街のアゼリアに足を進める。途中でココの銃声を聞きつけたのか、五人の警官とすれ違う。桃子はびくりとしたが、ココは平然とやり過ごす。

「好きなお店を指さして。奢ってあげるから」

 ココはアゼリアに入るとフロアマップを指さす。

 アゼリアは夜でも通路が明るく、各店舗は室山組がバックに居て、警官の見回りが頻繁にあるため、川崎駅周辺の繫華街の中では一番安全だった。

「じゃあ、ここで」

 桃子は恐る恐る、ファミレスのジョナを指さす。

 呑気に食事などして良いのか? 離れないと警察が来る! そんな不安があったが、ココがあまりにも堂々としているので、何も言えなかった。

「ファミレス! けち臭いわね! せっかくならもっと美味しいの食べましょ!」

 桃子は、そう言うのであったら自分で決めれば良いのに、と突っ込めなかった。

「そ、そこってステーキハウスのブロックステーキですよ!」

 ココが指さした店に驚いてしまった。

「高がステーキハウスにそこまで驚く? 高級料亭でも高級レストランでもないのよ?」

 ココはビックリした様に後ずさる。桃子はココに詰め寄る。

「ステーキですよステーキ! とんでもなく高いです! 無駄遣いしたらダメです! そもそもファミレスもダメです! 高すぎます! 公園の水で十分です! 公園に行きましょう!」

「夜は屑どもが活動を始めるから公園の方が危ないわよ。あそこは絶好のたまり場」

「なら路上で話しましょう! 路上ならタダです!」

「ああもううるさいわね! ここにするったらここにするの!」

 桃子はココに引きずられて、不本意ながらステーキハウスのブロックステーキに入った。

「た、高い……」

 桃子はメニュー表を開くと口元を引くつかせる。

 一番安いブロックステーキでも100グラム一万円だ。ヒレステーキなど五万円を超える。

 一万円は桃子の一年分の食事代だ。恐ろしくてとても食べられない。

「遠慮しないでね。私も遠慮しないから」

 ココはメニュー表を見ながら唇をぺろりと舐める。

「そ、その……私は水で良いです」

 桃子は口から溢れる涎を飲み込む。恐ろしいが食べたい。しかし我慢しなくてはいけない。

「ならロースステーキの500グラムのご飯と味噌汁セットを二つね!」

 桃子は耳を疑った。

「一人でそんなに食べるんですか!」

 ステーキ一キロ。値段は30万円。値段も量も規格外だ。

「一つは桃子ちゃんが食べるのよ」

 ココはそう言って手を上げるとすぐに店員がやって来た。

「ロースステーキ500グラムのご飯と味噌汁セットを二つね」

「でしたら先にお会計をお願いします」

 店員はテーブルに伝票を置く。先払いは食い逃げ防止に効果的だ。

「心配しないでもお金はあるわよ」

 ココは財布から札束を取り出し、店員に渡した。

「ごゆっくり」

 店員はそう言って二つのコップに水を灌ぐと、お辞儀して店の奥へ行った。

「本当に良いんですか?」

 桃子は恐怖で足をカタカタ鳴らす。

 目の前のココは優しくて本当の殺し屋だから怖くない。それより値段が怖い。

「あなたは依頼主。しかも怖い目見させちゃった。ならお詫びしなくちゃ」

 ココは朗らかに微笑んだ。

「それにしても、桃子ちゃんって結構修羅場くぐってる?」

 ココは水を飲みながら桃子を見つめる。

「修羅場ですか?」

 桃子はココが何を言っているのか分からなかったので聞き返す。するとココは苦笑いする。

「目の前で殺人が起きたのに悲鳴の一つも出さない。それどころか私にすっかり心を許してる。普通の人間なら腰を抜かして動けないし、私について来るなんて狂気の沙汰と逃げ出すわ」

 桃子はココが言いたいことを理解する。

「私は両親が目の前で殺されました。その時から、私はおかしくなりました」

 桃子は暗い声で薄笑いする。

 ココの言うことは最もだ。正常な人間なら殺し屋と一緒にのん気に食事などできない。

 しかし桃子はできてしまう。なぜなら両親の死体を見てしまったから。腹から血を流して苦しむ姿を見てしまったから。頭を撃ち抜かれるところを見てしまったから。

 あの時から、桃子は狂ってしまった。

「猫杉グループ総帥強盗殺人事件。総帥である猫杉明と妻である猫杉幹子がボディーガードと使用人計二十人もろとも自宅で殺された。あなたは二人の一人娘で、事件の生き残り。警察は金品が盗まれたことから強盗殺人と判断」

 ココは目を細める。桃子は目を見開く。

「私を知っているんですか!」

「依頼主の素性を調べるのは殺し屋として当然よ」

 ココは水をごくりと飲み干す。

「桃子ちゃんの依頼を聞かせて」

 ココは前のめりにテーブルに両肘をついた。

「ここで喋って良いんですか?」

 桃子は店を見渡す。

 店内は二人しかいない。店員は奥に引っ込んでいる。喋っても問題は無いかもしれない。

「たとえ聞かれても何とかするわ」

 ココは自信たっぷりに微笑む。それが桃子の背中を押した。

「お父さんとお母さんを殺したマスクの大男を殺して欲しいんです」

「あなたが目撃した、マスクをかぶった大男のことね。警察のデータベースにあったわ」

「そうです。今もこの世界のどこかに居ます」

「十年前の事件だと難しいわね。それにマスクをかぶったとなると誰か分からない」

「多分、マスクをした男は今も足を引きずってると思います」

 桃子は確信を持って言う。ココは考えるように眉間にしわを集める。

「データベースに、桃子ちゃんはマスクをした大男の足にナイフを突き立てたってあったわ」

「そうです! あいつの右足に根元までぶっ刺しました!」

「よく刺せたわね。ちょっと尊敬しちゃう」

「あいつ油断してたんです! お父さんとお母さんを殺したら、私がナイフを持って居ても気にせず近づいてきたんです! だから持ってたナイフを根元までぶっ刺してやりました!」

「水でも飲んで落ち着いて」

 桃子はココに注意されると我に返り、水を飲んだ。

「10年経ったらさすがに全快してると思うわ。手がかりになると思えない」

 ココは腕組みしてため息を吐く。桃子は首を振る。

「絶対に今も足を引きずっています! それぐらい恨みを込めて刺しました!」

「桃子ちゃんが今も滅茶苦茶マスクの大男を恨んでるのは分かったわ」

 ココは笑いながら氷をガリガリと噛み砕いた。

「桃子ちゃんはお金持ってる?」

 ココは睨むように目を細める。桃子の息が詰まる。

「10万円なら……」

「桃子ちゃんは猫杉グループ総帥の一人娘でしょ? どうしてそれしか出せないの? 遺産は相続してないの?」

「遺産は相続しました。でも親戚の人たちが、私の保護者って名目で全部持って行きました」

「悲惨な状況ね。でもそうならこのご時世でどうやって十万円も作ったの? 盗んだ?」

「一応毎月十万円仕送りして貰ってます。それをコツコツ貯めました」

「今のご時世で十万! よく生活できるわね!」

 今の日本は未曽有の大恐慌に襲われている。

 東京オリンピックの好景気が去った反動で大不況が起きた。失業者は全体で10%となった。そして突如新型天然痘が発生し、人口の三割が減少した。(某国の生物テロの疑いあり。証拠は無し)結果、経済の機能不全が起きた。

 あれから五年。ワクチンで感染症は収まったが爪痕はしっかりと残った。それが今も続く大恐慌時代だ。

 感染症の恐怖で各国は日本と輸出入を完全停止、石油、石炭など燃料が手に入らなくなった。結果、ガソリンや電気が超絶に高騰し、農業や漁業、畜産業、などあらゆる業種が機能不全に陥った。それに伴って物価が高騰し、ハイパーインフレーションが始まった。貧困層は80%とされており、その中の50%は生活できないほどの極貧困層といわれている。多摩川の難民キャンプが出来た理由だ。そして密輸出入に携わるヤクザが勢力を伸ばした理由でもある。

 今の日本はヤクザの密輸出入が無ければ生きていけない状況だ。日本政府も黙認状態である。

「学費は払って貰ってますから。一軒家で家賃もかからないし」

 そんな厳しい時代なのに、桃子は可愛らしく笑った。

「なら食費や交通費に電気水道ガス代に電話代も払ってくれてるの?」

「そこら辺は十万円でやりくりしてます」

「どんな節約術を使ってるの?」

「使わないように徹底するだけです。ガスも電気も水道も電話も食費も何もかも」

 ガス水道電気電話などインフラは日本国民の生命線なので全く使わなければ月に十万円の出費で済む。ハイパーインフレーションを考えるととても安い。

「ガス水道電気電話は分かるけど食費は削れないでしょ? 食べないと生きていけない」

「市の配給とか赤十字の炊き出しとかで食べられる時があります。週二回かな」

 学校や難民キャンプで振舞われるボランティアの食事が桃子の命綱だ。

 ちなみに残りの週五回の食事は受け取っても食べず、他の人に100円で売る。

 そうやって金を貯めた。

「十万円貯めるのに何年かかったの?」

「十年くらいかな? 物心つく頃にはお金貯めてました」

 モモははにかむ。空き巣や引ったくり、恐喝で何度も金を奪われたがそれでもはにかむ。そうしないと死にたくなる。

 ココは頭に手を組んで、背もたれに背中を預ける。

「うちはどんなに安くても5000万からなの。10万じゃとてもできないわ」

「何でもします。だからやってください!」

 桃子は食い入るようにココを見つめた。

「ママに相談してみるわ」

 ココは苦笑いして、スマホで電話する。

「ママ。桃子ちゃんに会った。やっぱりお金が無いって」

 ココは話す。桃子はジッと話が終わるまで口を閉じる。

「今も目の前に居るわ。そんで、何でもするからやってくれってお願いされてる」

 ココは困ったように頭を掻く。

「え? ママ! 本気で言ってるの!」

 そして驚愕の表情になった。

「ああもう切れちゃった!」

 ココは頭を抱える。桃子は息を飲んでココが顔を上げるのを待つ。

「ママが、桃子ちゃんが事務所で働くなら依頼を受けるって」

 ココは搾りだすように言った。

「働きます!」

 桃子は即答した。ココは頭を両手でガリガリ掻く。

「人を殺すことになるわよ」

 桃子は人殺しになる事実に言葉を無くす。ココは続ける。

「言っておくけど、私たちは善人じゃない。悪党を殺すこともあれば善人を殺す時もある。依頼があったら、金が払えるなら何でもする鬼畜。桃子ちゃんはそれが分かってる?」

 ココは叱っているようだった。

 桃子は血が滲むくらい拳を握りしめる。

「それでも私は、あいつを殺したい!」

「バカ。本当にバカ。狂ってるとしか言えないわ」

 ココは顔を上げると天井を見上げた。

「まあでも、とんでもない生活を送ってたのなら、分かっちゃうかな」

 ココは複雑そうに呟いた。

「分かったわ。うちの事務所に連れてく」

 桃子の表情が明るくなる。

「ありがとうございます!」

「うちの事務所に来た時点で桃子ちゃんは殺し屋。人を殺してないけど人殺しよ」

「分かってます!」

「オッケイ。そろそろお肉が来るから、静かにしましょうか」

 ココが深々とため息を吐いたところで、二つの巨大ステーキがテーブルに並んだ。

「これが500グラムのステーキ!」

 肉の赤い切れ目から肉汁がジュウジュウと灼熱のステーキ皿に流れ、旨味タップリの脂が跳ねる。コショウの利いた香ばしい香りが鼻をくすぐる。くうくうとお腹が鳴る。モモの口は唾液でたっぷりだ。口を開いたら涎が垂れる。

「いただきます!」

 二人は手を合わせて肉をがっつく。

「お肉なんて10年ぶり! こんなに美味しかったなんて!」

 桃子はうれし涙を流して食べる。対してココは笑いながら食べる。

「実は私もステーキはひと月ぶり。久々に食べると美味しいわ」

「ココちゃんってお金持ちじゃないの?」

「今はハイパーインフレーションだからね。100円で買えた飴玉が次の日に500円になってることもある。昨日の金持ちは今日の貧乏人。今の日本にお金持ちなんて居ないわ」

「それなのに私に奢って大丈夫だったの?」

「これは依頼を聞くって仕事だからママがお金出してくれる。私の財布は痛まない!」

「そのママって人は誰? 本当のご両親?」

「ママは育ての親。とっても優しくて厳しい人よ」

「どんな人なの?」

「会えば分かるわ。それより早く食べよ。冷めちゃうし、警官が食事の邪魔しに来るわ」

 桃子は咄嗟に外を見る。すると五人の警官が向かいの居酒屋に入っていくのが見えた。

「ココちゃん! あれってもしかして!」

「もちろん屑どもを皆殺しにした犯人を捜してるわ」

「だったら早く逃げないと!」

「だったら私が桃子ちゃんのステーキ食べて良い?」

「早く食べて逃げよう!」

 二人は早食い競争のように、大きく口を開けてステーキを噛む。

「美味しい……」

 桃子は味わっている暇など無いと分かっていても、肉の味に感動する。

「桃子ちゃん遅いよ」

 その間に肉を食べきったココが桃子のステーキを一切れ奪う。

「ココちゃん! それ私の!」

「私の奢りなんだから一切れくらい良いでしょ!」

 ココは再び肉を奪おうとフォークを伸ばす。桃子は右手のナイフでココのフォークを防ぐと、左手のフォークで肉を食べる。

「桃子ちゃんって器用ね!」

「どうもありがと!」

「だから肉頂戴! 500じゃ足りなかった!」

「だからの意味が分からない!」

 二人は警官が迫っているのにわちゃわちゃと騒ぐ。

「聞きたいことがある」

 だから五人の警官が声を掛けるのも当然だった。

 桃子はヤバいと嫌な汗が出た。一方ココは顔色一つ変えず、桃子のステーキを奪おうとする。

「今は食べてる途中なんで、食べ終わるまで待ってください」

 ココは警官を一瞥もしない。桃子のステーキに釘付けだ。それに警官はしかめっ面になる。

「川崎駅近くの駐車場でレッドスカーフの一味が大量死した」

「桃子ちゃん。一切れで良いから頂戴」

「現場でセーラー服を着た女とカジュアルスーツを着た男が居たと証言があった」

 警官は確信があるのだろう。一歩も引かない様子だ。そしてココもふてぶてしい。

「桃子ちゃんってやっさしい!」

 ココは桃子から一切れ肉を貰うと、口に入れてモグモグと咀嚼した。

「いい加減にしろよこのくそ野郎!」

 警官は顔を真っ赤にして、ココと桃子の腕を掴むと、両者に手錠をかけた。

「お前らがやったことは分かってんだよ」

 警官はココに顔を近づける。

「証拠はあるのかしら?」

「目撃者が居るんだ!」

 警官は唾を飛ばす。ココは笑う。桃子は固唾を飲んで見守る。

(ココちゃん……どうするの?)

 桃子の体は氷を飲み込んだように冷えている。

 自分が捕まるのは良い。しかしココが捕まるのは嫌だった。

 ココが捕まったらこれから先どうやって生きて行けばいいか分からない。

 そんな震える桃子を見て、五人の警官は卑しく笑う。

「怖いよな。でも目撃者が居るんだ。言い逃れは出来ねえ。このまま刑務所暮らしだ。女の子に色男にはキツイ生活だ。だがお巡りさんに協力してくれるなら、考えてやってもいい」

 ココは薄笑いする。

「お金が目的なの?」

 話が早いと、警官が小声で笑う。

「金なんて今は紙切れ同然だ。信じられるか? 今月の給料は300万だった。先月は250万だったのに。ありがてえと喜んて帰ったら月の家賃が200万になってやがった。先月は150万だったのに。見栄を張ってマンションなんかに住むんじゃなかったぜ。安定した給料がもらえると思って頑張って警官になったのにこの仕打ちはなんだ?」

「力説ありがとう。で? 何が欲しいの?」

「身体検査って奴だな。尻と股の具合を調べさせてもらうぜ。大丈夫。男も守備範囲だ」

 五人の警官は警官でありながら不正行為に勤しむ不良警官だった。

 今の世の中、律儀に法律を守る奴は居ない。それは警官も同じだ。ヤクザやストリートギャングと手を組んで私腹を肥やす奴は吐いて捨てるほど居る。それくらい今の日本は腐っていた。

 ココは不良警官の話を聞いて、クツクツと笑った。

「皆に手品見せてあげる」

「手品だと?」

 警官のこめかみに青筋が立つ。ココはそれでも表情を変えない。

「種も仕掛けもありません」

 ココはそう言うと、両手を上げて、力を込めた。

 バチンと金属が千切れる音とともに、ココの両手は自由になった。

「こ、こいつ……手錠を引きちぎりやがった」

 警官はとんでもない馬鹿力に恐れおののく。桃子はココの両手に光る手錠の残骸に見とれる。

「あなたの手錠も外してあげる」

 ココは放心状態の桃子の手錠に指をかける。すると一瞬で手錠が外れる。

(手品みたい)

 桃子の胸はココの技量と力を前にときめく。ココはそれに答えるように、カッコよく警官に手錠を投げつける。

「死にたくなかったらさっさと消えなさい」

 ココは足を組んで警官を睨む。警官は息を飲む。

「よく考えたら、犯人がこんなところで悠長に飯を食うはずないな。たった二人で三十人も殺せるはずないし、証言者の見間違いだろう」

 警官は言い訳しながら店を出て行った。

「カッコいい!」

 桃子は誰よりも強いココに目を輝かせる。

「ならもう一切れ頂戴!」

「それはダメ」

 でも肉はもうあげなかった。


 武蔵小杉駅は川崎駅のJR南武線に乗って15分程度のところにある。田舎のように寂れた向河原駅と違って、武蔵小杉駅は煌びやかさがある。隣同士なのに凄まじい格差である。

 湘南新宿ラインのおかげで横浜まで10分、新宿まで20分と交通のアクセスが良い。東急東横線もあるため渋谷にも15分で行ける。だから巨大なタワーマンションや半駅ビルの東急スクエアが出来た。だから大都会のように見える。

 見栄っ張りの一言。大都会に見せかけても一皮むけば田舎だ。駅の周りは居酒屋かスポーツクラブか高層タワーマンションしかない。川崎駅だと徒歩一分の場所に映画館があるのに。

「綺麗……」

 桃子は武蔵小杉駅に来たことが無かったため、大都会に来たとすっかり騙された。

「駅を出たら浮浪者やヤクザやストリートギャングの巣。桃子ちゃんが住んでる向河原駅の方がずっと良いわ」

 ココは桃子の感激を失笑する。

 大不況で武蔵小杉周辺のタワーマンションは大半が廃墟となった。今の住民は浮浪者か室山組かストリートギャングのみ。夜は麻薬や銃が横行する地獄と化す。

「それでも川崎駅よりマシです」

「確かにね」

 ココは桃子のジョークを笑いながらバスターミナルへ行く。そこは夜は浮浪者のたまり場となる。数は二十人程度だが、犯罪の温床である高層タワーマンションが近いため、多くが銃で武装する危険地帯だ。

「これから一時間歩くことになるけど、桃子ちゃんは歩ける?」

 ココは遠目から品定めするように見つめる浮浪者を無視して立ち止まる。

「歩けないって言ったらどうなるの?」

 桃子は出来る限り怯えないように努める。

「歩けないって言われたらここに置いてくしかないわね」

「歩くよ!」

 ココは桃子がしかめっ面になるとヘラヘラしながら歩き出した。

「ココちゃんは車とか持ってないの?」

 桃子は不機嫌にココの後に続く。

「今のご時世で車なんて一日でスクラップよ」

「そりゃそうだけど、こんなバスもパトカーも走らない時間に一時間も歩くなんて……」

 危険なので夕方の五時以降はバスは走らなくなる。パトカーはやる気が無いのでガス欠だ。

「川崎よりも田舎だから、川崎を歩くより安全よ」

「駅から離れたらヤクザとかストリートギャングは居ないってこと?」

「違法風俗店や拳銃や密造酒や麻薬の売買は高層タワーマンションに集中してるからそこを離れたら安心よ。道路を爆走する銃やナイフを持った麻薬中毒でアルコール中毒の暴走族や武装した浮浪者に注意すれば安全」

「全然安全じゃない。さっきのバスターミナルも危なかったんじゃ?」

「武蔵小杉駅周辺だと浮浪者でも銃を持ってるからね。銃撃されなくて良かったわ」

「川崎駅より危ない!」

 二人はJR南武線に沿って進む。すると五分も歩けば日本で五本の指に入る飲料メーカーのS社の食品開発センターおよび研修センターが見えた。

「夜なのに明かりが付いてる」

 桃子は暗い夜道でも明かりを放つ建物に目を凝らす。

 正門に入って真っ直ぐ進むと駐車場とガラス張りの建物が見える。

 正門も建物も綺麗に見える。落書きは無さそうだ。

「今も熱心に働いてる人が居るんでしょ」

「夜に成ったら会社に泊ったほうが安全だと思うけど、その上で働くなんてバカみたい」

「日本人は遭難したら真っ先に会社に遅刻の電話するくらい真面目だから」

「いっそのこと暴走族とかに滅茶苦茶にされれば良いのに」

「あそこは室山組の屈強な警備兵を雇ってるわ。銃を持ってるから誰も手出しできない」

「大企業が室山組と手を組んでるんですか?」

「神奈川にある会社はすべて室山組が絡んでると考えて良いわ」

「さすが神奈川最大の暴力団」

 十五分程度で武蔵小杉駅を一つ行った駅である武蔵中原駅に到着する。

「もう締まってる」

 桃子は真っ暗な駅を一瞥する。

 時刻は9時。駅員は逃げる時間だ。

 大きな駅以外、どんなに遅くても夜の七時には締まってしまう。

「武蔵小杉駅とか川崎駅は10時までやってるのにね」

 ココは武蔵小杉駅の方向を見て嘲笑う。桃子もココに習って嘲笑う。

「川崎駅はバカな奴らが多いから駅員も命がけのバカばっかり」

「でも東京よりマシ。あそこは夜の12時までやってるから」

「救いようがないバカ」

 桃子は苦々しい顔でココの後ろを歩く。

 駅の裏手に行くとF社の川崎工場が見えた。明かりがついている。

「さっきの建物より汚い気がする」

 工場だからガラス張りでも何でもない、マンションが集まったかのような平凡な建物が門の向こう側に並ぶ。

 唯一、正門から五十メートルほど離れた場所にあるオフィスビルだけ、ミラータワーのように星々を映し出していた。

「桃子ちゃん。室山組の屈強な警備兵が居るから近づかない方が良いわ。特に夜わね」

 ココは門の前で防弾チョッキを着た警備兵を指さす。

「夜は撃ち殺されても文句は言えない」

 桃子はため息を吐きながらココと一緒に歩く。

 二人は武蔵中原駅を通り過ぎ、中原街道へ進んだ。

 中原街道は二車線とそれほど大きい道路ではない。目につくのはマンションや閉店したスーパーやコンビニだ。

 浮浪者や暴走族は見えない。しかし中原街道から外れると公園や駐車場がある。そこではゲラゲラと笑う暴走族と不良が居る。浮浪者は潰れた個人経営の店に不法侵入している。

「桃子ちゃんって体力あるわね」

 ココは三十分ほど歩くと袖で額の汗を拭く桃子に笑いかけた。桃子はガッツポーズで答える。

「マスクの大男に復讐するためならどんなに辛いことも耐えられます!」

「良い気迫! だんだん桃子ちゃんが好きになって来た!」

 二人はさらに坂を上がって下って歩き進む。そしてパチンコ屋を横切る。

「もうそろそろだから頑張って」

 ココは汗だくの桃子の手を握る。

「頑張る!」

 桃子は頷く。ココは微笑むと桃子と一緒に横断歩道を渡って小さな坂道へ入る。

「ここが私たちの事務所」

 ココは坂道の途中にある一軒家の前で止まった。だから桃子は唖然となる。

「ここが事務所?」

 桃子の自宅周辺と同じく寂れた住宅地だ。アパートやマンション、そして同じような一軒家がぽつぽつと見える。

「ぼろいけど駅前より安全よ。暴走族も来ないからぐっすり眠れるわ」

 ココは鍵を取り出すとガチャリと鍵を開ける。

「ちょっと汚いけど、遠慮しないであがって」

 桃子はココに言われると、お辞儀して玄関を潜った。

 玄関は猫のトイレが靴箱と一緒に並んでいた。臭い。そして左手にすぐ扉があった。正面右に階段がある。

「ママ。桃子ちゃん連れて来たよ」

 ココは左手の扉を開けて言った。桃子は即座にお辞儀して、恐る恐る入る。

 扉の先は縦長のリビングだった。台所が右手にすぐあって、その隣に冷蔵庫がある。左手に食器棚がある。そして奥はオフィス兼食事処なのだろう。ノートパソコンが食卓のテーブルにドンと乗っている。その周りに書類を収める棚がある。家庭用テレビは窓際にある。

 殺し屋の事務所とは思えない。というか仕事をする場所に見えない。

「ルナ相談事務所へようこそ」

 奥に座っていた女性は、桃子を見ると、松葉杖で体を支えながら立ち上がる。

 右足が悪いようだ。桃子は一瞬、マスクの大男を思い出す。

(身長が全然違うし、何よりあいつは男)

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。右足が悪い奴は老若男女問わず疑ってしまう。

「猫杉桃子です! よろしくお願いします!」

 桃子は疑った後ろめたさを隠す様に、元気いっぱいに頭を下げる。

「私はルナ。あなたが求めた殺し屋よ」

 ルナはじっくりと桃子を見る。桃子もルナをじっくりと見る。死んだ母親を思い出す。

(凄く綺麗な人)

 ルナは身長170センチで薄化粧をした中年女性だ。肩幅が広く男のようだ。カジュアルスーツを着ているから強そうだ。髪は黒髪のショートヘアで白髪が少しある。口元にしわがあって貫禄がある。笑うと優しい雰囲気がする。体臭消しの香水をつけていて薔薇の香りがした。

「クルリと回ってみて」

 ルナは唐突に桃子に言う。桃子はいきなり言われたので困惑したが、言われた通りにする。

「こうですか?」

 ルナは桃子が一回回ると品定めするように頬を撫でる。

「予想通り、あなたは良い殺し屋に成れるわ。私すら超える凄腕に」

 ルナは舌なめずり。桃子は意味が分からず首をかしげる。

「しっかり頑張りなさい。さもないと死ぬわよ」

 ルナは意味深に笑う。桃子は訳が分からないのでココに顔を向ける。

「ママって桃子ちゃんのこと知ってるの?」

 ココもルナの態度が不思議だったのか首を捻る。

「猫杉桃子。マスクの大男の右足にナイフを突き立てた勇気ある女の子。それだけで才能に満ち溢れていると分かる」

「そういう意味じゃなくて。前に会ったことあるの?」

 ルナはココの質問に答えず、桃子を見る。

「桃子はこれからモモと名乗りなさい。それがコードネーム」

 コードネーム。殺し屋の一員になったと感じて気合が入る! モモは女性に頷く。

「分かりました!」

「私はあなたに殺しの技術を教える師匠で育ての親になる。だから私の事をママと呼びなさい」

「分かりました!」

「最初の命令。まずは足元に居るアマちゃんに餌をやって。その次にアマちゃんのトイレのうんちを片付けて。それが終わったらココとムギと一緒にお風呂へ入る」

 モモはママが足元を指さしたので下を向く。すると丸々と太った猫が真ん丸な目でモモを見つめていた。

「可愛い!」

 モモはアマの頭を撫でる。するとアマはゴロンと寝転んでお腹を見せる。デブ猫らしくぶにぶにだ。撫でて欲しいと分かったのでふさふさと茶色い縞模様のお腹を撫でる。

「ぷぎゃ」

 アマはモモに撫でられると気持ちよさそうに鳴いた。

「今後の話は明日にするわ。今日は疲れたでしょうからゆっくり休みなさい」

 ママはそう言うと松葉杖を突きながら玄関へ向かう。その背中にココが話しかける。

「ママはもう寝るの?」

「年寄りは早寝早起きなの」

 ママは笑いながら家を出た。

「ルナさんって不思議な人だね」

 モモはココに耳打ちする。

「いつもよりハイテンション。そんなにモモちゃんが来て嬉しかったのかな?」

 二人は腕組みして首を捻る。

「ところでルナさん外行っちゃったけど、どこで寝るの?」

「ママは仕事以外の時は隣の一軒家で暮らしてるわ」

「じゃあ私たちもそこで寝るの?」

「私たちが寝るところはここの二階。狭いけど快適よ」

「銃声がしなかったらどこも快適だよ」

「ごもっとも」

 二人で失笑する。

「私はムギを呼んでくるからアマちゃんよろしくね」

「ムギって誰?」

「私たちの仲間。どんな奴か会えば分かるわ」

 ココは食器棚の下の戸棚に締まってある猫のカリカリご飯とゴミ袋を手渡して二階へ行った。

「ぷぎゃ」

 アマはカリカリご飯を見ると重い体をよっこらしょと起こしてモモの足にすり寄る。

「はいはい。すぐに用意するから」

 猫皿にカリカリご飯を入れる。するとアマはガリガリと瞬く間に食べる。

「ぷぎゃ」

「まだ食べるの?」

 せがまれたのでもう一度ご飯をあげる。

「ぷぎゃ」

「まだ食べるの! 食べすぎだよ」

 モモが叱るとアマはモモの足に鼻を摺り寄せて、可愛らしく甘える。

「アマちゃんって呼ばれるだけあるね」

 仕方ないのでさらにご飯を追加する。

「デブ猫に成っちゃうわけだ」

 モモは和やかな笑みでアマから離れ、猫トイレの掃除に行く。

「くさ」

 猫トイレには見事なうんちが五つもあった。モモは息を止めて、全てのウンチをゴミ袋に入れる。さらに固まった猫砂と猫シートもゴミ袋へ入れる。最後に近くにある猫砂を入れる。これで綺麗になった。止めに消臭スプレーで臭いを消す。

「ぷぎゃ」

 仕事が終わるとアマがモモに声を掛けて来た。

「どうしたの?」

 モモは猫なで声で聞く。するとアマは猫トイレに入る。

 デカいうんちが三つ、綺麗だったトイレを汚した。

「もう一回掃除しろって言ったの?」

 モモは眉間にしわを寄せるが、アマは素知らぬ顔でリビングに戻った。

「あんたがモモね」

 モモが猫トイレを綺麗にしてため息を吐くと同時に、少女が階段を降りてきた。

「あなたがムギちゃん?」

「そうよ。あんたの先輩」

 ムギは警戒心の強い猫のように目を光らせる。

(おっぱいが小さかったらお人形さんみたい)

 ムギは人形のようなフリフリの服を着ている。黒を下地にしたロリータファッションだ。フリルとレースのワンピースに、髪飾りの赤いリボンが目立つ。腰まで届く黒い髪に童顔で甘ったるい声をしているから人形に見えるが、胸に二つのメロンが揺れているのでアンバランスだ。ミルクのような匂いは体臭だろうか? 老若男女問わず鼻を鳴らすだろう。

「ジロジロ男みたいに人の胸を見ないでくれない?」

 ムギはブスッと頬を膨らませる。さらに矢継ぎ早に言葉を発射する。

「ムギはあんたなんて認めないから!」

 プイッとそっぽを向いて、リビングへ入った。

「ココちゃん。私、何か嫌われるようなことした?」

 モモはココが階段を降りてきたので尋ねる。

「人見知りなだけ。もっともここまで酷いとは思わなかったけどね」

 ココは肩をすくめて笑う。

「とにかくママの命令通り、皆でお風呂入ろ。そしたらムギも落ち着くかも」

「お風呂か……10年ぶりかも」

 モモはココの前でしみじみと言う。

「モモちゃんも苦労してるわね」

 ココは苦笑いしながらリビングに入る。

「ムギ。モモちゃんと一緒に皆でお風呂入るわよ。ママの命令だから口答え無し」

「ああもう! ママもココもどうしてあんな奴家に入れたのよ!」

 ムギは怒りながらリビングから地下へ行く扉を開けた。

「ほら! 早く来て! 言っておくけどムギのシャンプー使ったらぶっ飛ばすから!」

 返事も聞かずに地下室へ下りる。

「ムギちゃんって可愛いから怖くないね」

「根はやさしい子なの」

 モモはココと一緒に微笑んだ。

 地下に行くとすぐに脱衣所があった。洗濯機もある。畳四畳の広さで三人集まると狭い。

「あんたは一番の下っ端。だからこれからは洗濯とか全部やってね。言っておくけどムギの服の生地伸ばしたり色移りさせたらぶっ飛ばすから」

 ムギは早口で威嚇しながら服を脱ぎ、洗濯籠に入れる。服を脱いだ時、柔らかい胸とお尻がプルプルと震えた。甘いクリームのような匂いもした。

(凄く官能的なスタイル。男にモテそう)

 胸はデカくお尻も大きく全体的にむっちりしている。小顔なのにアンバランスだ。それがどこか色っぽい。そして鍛えているのだろう。少しだが逆三角形だ。殺し屋だから当然だ。

「あんた男なの? 気持ち悪い目で見ないで」

 ムギはモモの視線に気づき、睨み付ける。

「ごめん!」

「ふん! あと冷蔵庫のチョコレートとプリンとシュークリーム食べたらぶっ飛ばすから!」

 ムギは浴室の曇りガラスの扉を乱暴に開けて中に入った。

「ムギちゃんって可愛いね」

「威嚇してるつもりでしょうけど、あれじゃ子犬」

 モモはココと一緒に笑いながら全裸になる。

「モモちゃんって痩せてるのにおっぱい大きいわね」

 服を脱ぐとココがモモの体をマジマジと見る。

 モモは栄養不足なのであばら骨が浮くほど痩せている。なのに胸に脂肪があるのは奇跡としか言えない。体を洗う頻度が少ないため、強い汗の匂いがする。

「ココちゃんも筋肉があってカッコいいね」

 モモはココの腹筋を触る。

 ココは筋肉質だ。腹筋は割れていて、足も引き締まっている。二の腕は力こぶが見える。アスリートの体だ。胸はムギやモモに比べると茶碗サイズと小ぶりだが、服を脱げばしっかり女だと主張している。スポーツ女子にありがちなムッとする色っぽい汗の匂いがする。

「どうせ私はモモちゃんやムギみたいに女らしくないわよ」

 ココは唐突にしゃがみ込む。

「ココちゃん? どうしたの?」

「色仕掛けで男をおびき寄せるのは全部ムギの仕事。私は銃とナイフを振り回して敵をぶっ殺すのがお似合いの男女。スカート履いたら女装してるってヤクザに言われるくらい色気無し」

 グスグスと泣き始めてしまった。

「あんたたちは何してるの?」

 狼狽えていると、シャワーで体を濡らしたムギが扉から顔を出した。

「なんかカッコいいって言ったら泣いちゃって」

「女のくせにデリカシー無いわね。ココも一応女だよ」

 ムギはモモの痩せた腹に目を移す。

「あんた、かなり痩せてるわね」

 ムギはジロジロとモモの体を見る。モモは意地悪く笑う。

「ジロジロ見るのって失礼じゃない?」

 モモはキャッと胸を隠す。するとムギは舌打ちする。

「悪かったわね」

 ムギは扉の影に隠れて叫ぶ。

「早く入ったら。風邪ひくわよ」

「ココちゃんはどうするの?」

「五分もしたら立ち直るから放っておけば。それよりムギの髪洗わせてあげるから早く来て」

「はーい」

 モモは微笑しながらココを跨いで浴室に入る。

 浴室は狭い。浴槽も狭い。三人も入ったらパンパンだ。

「ムギの髪はあんたと違ってデリケートなのよ。丁寧に洗ってね」

「分かってます。痒い所はない?」

 モモはシャンプーをした後、リンスをしながら櫛で丁寧に髪をとかす。甘い匂いが強くなる。

「二人とも早くシャワー開けてくれない? のぼせちゃうわ」

 浴室は二人でいっぱいいっぱい。浴槽は一人しか入れない。

「ムギの髪はココよりもデリケートなの」

「髪なんてどうでも良いでしょ」

「だからココの髪はぼさぼさで男っぽいんだよ」

「どうせ汚れるんだから私の方が合理的よ!」

「ドライヤーもやらないから男みたいなんだよ」

「ほっときゃ乾くんだから問題ないでしょ!」

 二人は姉妹のように喧嘩を始める。それが微笑ましい。

「二人って姉妹なの?」

 ムギのおっぱいは大きく、背中側でも鏡餅のような丸みが見える。ちょっと触ってみたい。

「ムギもココもママも血は繋がってない。でも凄く付き合いが長いの。だからあんたが入り込む余地無いから」

 縄張りを荒らされた子犬のような口ぶりだ。モモはムギが怒る理由が分かって一安心。

「二人とも羨ましいな」

「何が羨ましいの?」

「私はお父さんもお母さんも居ないから。ずっと独りぼっちだった」

「ムギもココも同じ。だからムギはあんたに同情しないから」

 ムギはつっけんどんな態度だ。だが髪を洗わせているのだから、思うところはあるだろう。

「了解ですムギ先輩!」

「先輩は嫌だからムギちゃんって呼んで」

「ありがと、ムギちゃん」

「分かればいいわ」

 ムギは振り返らず鼻を鳴らす。

「二人とも早くして。そろそろ体が茹だりそう」

 ココはぐったりと浴槽に腰を掛ける。

「ムギのお風呂が長いの知ってるでしょ」

「三人で入るのは失敗だったわね。これからは気を付けないと」

 三人はワイワイとお風呂で体を洗った。

 風呂から出ると滴を拭きとり石鹸とシャンプーの匂いを纏ってリビングへ戻る。

「そう言えば私の服が無い」

 モモはバスタオルを体に巻いた状態でハッとする。

「私の服を貸してあげる。ちょっと大きいけど裸よりマシでしょ」

 ココはバスタオルを椅子に引っ掛けると全裸で座ってテレビをつける。

 ムギはバスタオル姿で冷蔵庫から牛乳を取り出す。

「二人とも服着ないの?」

「ちょっと暑い」

 ココは裸のまま格闘番組を鑑賞する。ムギは裸が見えるのも気にせず、バサバサとバスタオルを団扇にして体を冷やす。ガサツというか羞恥心が無い。

 家族や仲間の前で恥ずかしがるのも変と言う奴か。

 テーブルの周りには椅子が五つある。一つはママが座る仕事椅子。もう一つはアマがくつろぐ椅子。残る三つは三人が座ってご飯を食べる椅子だ。

「明日からあんたが家事係だから。朝ごはんちゃんと作ってね。ママの分も忘れずに」

 ムギは冷蔵庫からアイスを引っ張り出してモモの隣に座る。

「良いよ。二人は何が食べたい?」

 モモはニッコリと微笑む。

 料理に自信は無い。しかしやれと言われたらやるしかない。

「ムギは朝ごはん食べない主義だから、あんたが好きなの作って良いわ」

「私は肉マシマシで。あとママは好き嫌い無いから不味く無かったら何でもいいよ」

 何とも作り甲斐の無い返事だが、好きな物が食べられるならありがたい。

「冷蔵庫見るね」

 冷蔵庫。見たのは十年ぶりで、宝箱を見つけたような感じがする。ちょっとドキドキしながらガチャリと冷蔵庫の中身を見る。

 野菜室にはキャベツやもやしにニンジン、ジャガイモ、セロリ、キュウリ、ミカンやリンゴなど多種多様な野菜や果物が彩っている。

 冷蔵室はコーラやコーヒーに牛乳など色々な飲み物に、バターやジャム、卵、漬物や作り置きの焼肉に秋刀魚の塩焼きなどこれまた多種多様な食材が入っている。

 チルド室には豚肉や牛肉、鶏肉にひき肉などがタップリだ。

 冷凍庫はアイスやシャーベットに冷凍食品などが所狭しに入っている。

「ぎゃ~~~~~!」

 モモは幽霊を見たような悲鳴を上げた。

「モモちゃんどうしたの! ゴキブリでも居た?」

「こんなにいっぱいご飯が! ご飯が!」

 モモは金塊の山を見たように腰を抜かしてしまった。それを見てムギの目がキラリと光る。

「こっちの棚にはポテトチップスにお米にカップラーメンがあるわよ!」

「ぎゃ~~~~~」

 モモはムギが棚を開けると中身に絶叫した。

「はっはっは! 参ったか貧乏人!」

 ムギは大笑いした。まるで友達とじゃれつく子犬だ。

「一度にたくさんの食べ物見て気持ち悪くなっちゃった……」

 モモは口を手で覆う。ココは背中を摩る。

「今日は遅いし、もう寝よう」

 するとムギの瞼がピクリと震える。

「もしかしてそいつ、ムギたちの部屋で寝るの?」

「当然でしょ」

「百歩譲ってそいつがここに住むのは許すけどムギたちの部屋はダメ!」

「ママの命令に背くの?」

 ムギはココが低い声を出すと黙る。ココはムギに詰め寄る。

「新参者が来て戸惑うのは分かる。でもママがモモちゃんを仲間にするって決めたのよ」

 ムギはココの強い言葉に圧倒されたのか、叱られた子供の様に視線を右往左往させる。

「分かった……我儘言ってごめん」

 気落ちした様子で二階へ走った。モモはそれを見届けるとココの顔を見る。

「二人ともルナさんには絶対服従なんだね」

「ママは私とムギの命の恩人だからね」

「何があったの?」

「それが言えるほど私たちはモモちゃんと親しくないわ」

 ココは悪戯っぽく微笑みながら人差し指を唇に当てて、シーとする。

(目が全然笑ってない)

 ココの目は刃のように冷たい。明らかに怒っている。

「ごめんね。深い意味は無いの」

 ココは謝罪を聞くとため息を吐いて階段へ向かう。

「ムギを嫌わないでね。あの子、モモちゃんに怯えてるだけだから」

 モモは、何があったの? とは聞かなかった。聞いたら殺されると思った。

「ココちゃんは先に行ってて。私はアマちゃんにご飯あげてから行く」

「二階を上がったら右手の一番奥の部屋。そこが私たちの部屋よ」

 ココは手を振りながら二階へ行った。

「ふ~~~~。死ぬかと思った」

 モモは丸くなるアマを撫でて安堵のため息を漏らす。

 凄まじい殺気だった。肝が冷えるとはこのことだ。

(でも、全然怖くないな。むしろ頼もしいかも)

 アマの頭を撫でるとゴロゴロと喉が鳴る。

(三人とも殺し屋には見えないな。川崎のヤクザとかの方がずっと殺し屋っぽい)

 アマが欠伸したので口に指を入れて悪戯する。

 モモは三人が知的に見えた。殺しを生業にしている者と思えないくらい礼儀正しいとも感じる。デブ猫を飼っているところも可愛らしい。だから三人が怖いと思えなかった。

 もしも三人が川崎のヤクザのように品が無かったら、涙を流して後悔していただろう。

「早くアマちゃんみたいに皆と友達にならないとね」

 モモはアマが椅子を降りて、猫皿の前に行ったのでカリカリご飯をあげて、背中を撫でる。

 先ほどココがモモに怒ったのは、モモが失礼だったから。まだ友達では無いから。モモはそう感じた。それが余計に人間味を感じさせる。何となく、嬉しく思う。

「ぶぎゃぁ」

 アマはモモに頑張れと言うように、雄猫特有の低い声で鳴いた。


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