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出来損ない

作者: 佐藤 佑 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


前書きがどんな風になっているかのテスト。意味はなくそれ以上にプラスにならない


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




幼い頃からなんとなく自分の限界を知ったふりをしていた。


運動が不得意だった。勉強も嫌いだった。他人はいまだ苦手だ。


私は、見事な出来損ない。


この文章を書いているもの、仕事の上司に酒の席で言われた一言が根本にある。


「お前の人生は自伝にすればたった数ページで終わるだろうな」



笑いながら言われた言葉を同じように愛想笑いを浮かべながらそうですねと答えた。


だが何日経ってもその言葉が頭から離れてくれない。


そんなことを気にする余裕なんて、こんなことを書いている時間なんて今の私にはないはず


けれども、どうしても考えてしまう。


悩み続ける事は体に毒だ。


そうやってやらなければいけないことを先延ばしにして


こうして私は今文章を書いて、いや打っている。


過去の作家のように筆と原稿用紙ではなく、初期のままの壁紙のディスクトップパソコンのメモ用紙にだらだらと時に水を飲み休憩しながら文字を打つ。



結局のところ自分の都合のいいことしか出来ないのだ。



だからこそこうして現実から逃げている時間を気持ちよく


また意味のないことをしていると考え胃を痛める。



だが、そうでもしないと壊れてしまう。


いや元々壊れているようなものが酷くなる。



ならば無駄でも製作してみようと思った。



言葉を括弧つけて悲劇のヒーローみたいな物語を今から打とうとしているが

なんてことはない人生だ。


これからも続く平凡過ぎるストーリ、中断セーブすらできないのはありがたい。



さて、そんな普通の私は主観的に見れば要領がよく、地頭もそこまで悪くない。


顔も普通であり運動センスはないが体力はある。



こんなところだろうか



けれどここまで来るのは難しくはなかったが簡単ではなかった。



理由としては、私は自分のことを過去現在未来進行形で特別な人間だと思ってしまっているからだ。



先の文章と矛盾するだろう、わかっている。



けれど人間の心というのは不思議なもので頭でわかっているつもりでも体が拒絶してしまう。



普通だと自分を認めると非常に気持ちが悪くなる、体調がすぐれなくなる。



けれどもなにも行動を起こしていない、だからなにも変わらない。



知っているのに動かない、休息はすでに十分とっているはずなのに



こんなことを考えない方が人生はきっと豊かになる。



分かっていても考えが頭をぐるぐると回る。


自分のことが嫌いで愛していて、期待してないのに勝手に裏切られた気持ちにいつもなる。



だから私は出来損ないなのだ。



いつからこんな考えなのかと言われるとやはり学生をいや、ちがうか


物心ついた時からずっとそうなのだ。



運動が不得意だと自覚したのは、保育園の運動会でかけっこではビリ。



マラソン大会では最下位だったことが始まりだろう。



それでも別にいいと思っていた。


そんなことをしているよりもおもちゃやゲームで遊んでいる方が好きだった。



けれど父親はそれを許さなかった。



先に言っておくが、私の家族仲は非常に良好だ。


両親のことはとても、まぁそこそこに好いている。



それを踏まえた上で話すが、私は父親が大の苦手だった。



彼と野球をすると機嫌が悪くなり怒られる。



ただただ苦痛だった。



彼の影響で野球をやらされ、さらには小学2年生にあがる際にはマラソン大会の特訓が始まった。



走るのは本当に嫌いだが今はむしろまあまあ好きになった。



過去の自分はそうは思えずに放課後は苦痛だった。



友達とも遊べず、父と二人白球をおいかけ最後にはランニングを行った。



突然の問いだが、私はこのあとのマラソン大会でどうなったと思う?



正解は学年で半分くらいの順位になった。



これの結果を踏まえて私は、あれだけ頑張ったのになぜこんな順位なんだろうと幼いながら泣いた。


努力と成果がまったく釣り合っていない。


ゲームをやっておけばよかった。


僕は運動は苦手なのにどうして父はこんなひどいことをするんだ。



そうやって怒られて、けれど野球ではいつまでもレギュラーはとれなかった。


学年が上がればお情けで試合には出してもらえたがそんなことは意味がないと思っていたし、辞めたかった。



だが父は私にそれでも野球をやらせ続けた。



ある時からは本当に父とふたりで野球に行くのがいやになり、放課後は毎日狸寝入りをした。



それでも父は私を野球に連れて行くのだ。



結局小学生を卒業するまでは永遠と父と野球を行った。


もし会社なら完全なるブラック企業だと思う。



ただ、実は感謝もしている。



最初の感謝は、小学6年生のマラソン大会でついに11位になったことだ。



11位というのが私らしくていい、当時上位10位までには学校からメダルが貰えたのだ。



でもまあ正直凄い進歩だと思う。


かつて保育園でビリだったころから考えると私は成長したものだ。



けれどまぁこれくらいだ。



気づいたかもしれないが私の小学生の思い出は原稿用紙になれば、5枚にも満たないだろう。



自伝というものは分厚いものをと考えたがしょせんはこんな程度しかないのだ。



これではまったく笑えないな。





話が逸れてしまった。



そう、マラソン大会でかなり上位に食い込んだ私は思ったのだ。



「自分は頑張れば、そこそこになれる」



ならば、どうする?



普通の人ならどう考えるんだろうか



その時の私は、そこそこになれるなら別にそこそこでいい。



なぜなら自分は努力ができる人間なのだから。

こう思った。



今考えるとやはり意味が分からなかった。



上を目指すわけでもなく、あきらめるわけでもなく、体裁を気にして現状維持を考える。



そんなことを考えて、本当に実行しようとするなんて馬鹿げている。



けれど私はバカだった。



その最たる例が先ほどから話題に上がった野球だ。



小学校はずっと続けたから、中学生もやる。



けれど、中学校の野球部は弱いから括弧悪いから身の丈に合っていなくても市のリトルリーグに所属するという行動を行った。



そんなことをする時点で十分括弧悪いのに



いまでもそうだ、自分はひょっとしたら現状がよくなるかもという僅かな希望に縋ることが大の得意なのだ。



だから、当たり前のように日々は変わらない、いやなことは終わらない。



それを嘆いて怠惰を貪る。



来世はきっと人間ではないのだろう。



そういえば意外なことだが、父は反対した。



現実をみてくれないと思っていた父が初めて私を心配してくれた。



思えばずっと父は私の能力をわかっていながら教えてくれたのだろう。



現実を見ていなかったのは自分で、父はしっかり親として私を一番に考えてくれていたのが今日になってようやく理解する。



しかし、そのころの私は父の反対を安っぽいプライドで押し切ってしまった。



さて当然のように能力がない私には小学生のようなお情けはなく。


ずっと補欠のままだった。



ただまぁ、その中学の野球は少し変わっていて



私は頑張る人としてある程度認められていた。



冬のランニングでは本当にゲロを吐きながら走ったし、小食なのに毎日お腹がパンパンになるまでご飯を食べた。



監督のいないところでもサボらずに練習を行い、ひとつのボールを探しに2時間戻ってこなかった。



我ながら頑張っていたと思う。



けれどその動機が良くなかった。



私はそれを上手くなるためにやっているのではなく、そういう風に頑張っていると認められる自分が好きだったから頑張ったのだ。



根底にあるのは汚い自己承認欲求。



褒めてほしい、認めてほしい、もっとかっこいい自分を見てほしい。



そうやって外側だけ取り繕ってそれでうまくいって癖になっていって




あとに残ったものなんて何もない。




あの頃は楽しかったなんて余韻に浸れるほど十分に生きてないからかもしれないが



少なくとも今はあのころ頑張ってよかったなんて



ちがうか



あのころ頑張ったフリなんかせずに諦めて、かっこなんかつけないで生きていればよかった。



他人の顔色を窺って生きるにはいくらなんでも幼すぎた。



でもそれは今気づいたことで、当時はまったくそれが歪だとは思わなかった。



そうして高校では、身の丈に合った青春を送ろうと思った。



中学のように強いチームではなく、公立の弱小とまではいかないがほんとうにそこそこのチームに所属した。



実は私が父に感謝しているのは、最後の高校生活で野球が本当の意味で楽しかったからである。



もちろん性根は変わらないので、努力して頑張っている自分をみんなに見せ続けるだけで本当の意味で上に行きたいなんて思ってもなかった。



それでも身の丈の合ったチームでは高校1年のころから練習試合にはだして貰えたし、自分が努力してチームを勝利に貢献しているという実感がきちんとあった。



だいぶ足も引っ張ったりもしたが、そこはまあご愛嬌だろう。



そうして三年間きっちり頑張って、そうして今に至るのだが。



思い返せば、やはり楽しかった。



目立つことが好きな私はいつのまにか自分が選んだ道を正解だと思い込んでしまっていたのだ。



けれど、よく思い返してほしい。



私は、これまで一度だって自分のためにそこそこしか頑張ろうとしないことに全力を出してしまったのだ。



初めから能力のないことなんて自覚していた。


センスがないなんてわかりきっていた。



それでもそこそこにはなれるから頑張ってみましたなんて、笑えない。



そこまでわかっているのなら私はどうして自分の得意なことを探さなかったんだろう。



結果をわかった状態で、なにも残らないって理解しているのに



世間体を気にして、かっこ悪く括弧つけて、現状でなんの意味もなくなって



それで満足、楽しかったなんてのたうち回って



さらに現在こんなはずじゃなかったなんて狼狽えて居る。



馬鹿がバカのまま、井の中の蛙なのに大海を知っていたのにそれでも周囲を気にしてありもしない可能性を追いかけていたなんて理解しているのにいまがすごく苦痛で


ああ、やっぱり私は出来損ないなんだな



なんて思う。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


あとがきがどんな感じかテスト。ただのマイナスでしかない。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


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