9.繰り返す悪夢
ティエラは夢を見ていた。
何処かの教会、真っ暗闇の聖堂に彼女はいた。
本来ならば幾つかの灯があって当然の場所には、一切の光がなかった。
全ての希望が奪われたかのような、不気味な雰囲気。
この光景にティエラは覚えがあった。
両手を見下ろすと、掌には血が滴り落ちていた。
遠くを見渡すと、多くの人々が倒れ伏す姿が見えた。
神官達が、兵士達が、両親の姿が。
何もかもが、全て失われていた。
呆然としていると、そこに巨大な黒い影が現れる。
まるでティエラを責め立てるように現れたソレは、彼女に向けて確かに言う。
『この悪行、最早救い難し』
瞬間、目が覚める。
見覚えのある天井、ヴァロムの小屋の寝室だ。
眠っていたのだ。
ティエラは朝日が窓から差し込んでいる事と、自分の息が荒くなっている事に気付く。
「はぁっ……はぁっ……」
咄嗟に起き上がると、汗の感触が身体に纏わり付く。
頭が少しだけボンヤリとする。
もしかすると魘されていたのかもしれない。
汗を流した方が良いだろう。
彼女は夢に見た感覚を振り払いながら部屋を出た。
「おはよう、ティエラ。って、どうしたんだ?」
「いえ、ちょっと……浴室を借りても良い?」
「あぁ、構わない。その間、朝食の準備を終わらせておくよ」
「……相変わらずね。いつから起きていたの?」
「ずっと、かな。そもそも悪魔は眠くならないんだ」
居間へ向かうと、既にヴァロムが朝の支度を終わらせている所だった。
本当に用意の良い事である。
元令嬢の身ではあるが、ここまで来ると遠慮してしまう程だ。
しかし汗ばんだ身体はどうにもならないので、彼の了承を得てから浴室を借りる。
衣服を脱ぎ、シャワーからの温水を浴びながら、先程見た夢を思い返す。
「また、あの夢を見るなんて……」
昔から何度も見ていた夢だ。
断罪以降は完全に記憶の向こうへと追いやっていたが、今になって再び見るとは思わなかった。
正夢にならないようにと自分を奮い立たせた元凶。
全てを失う悪夢。
しかし既に地位と名誉を奪われた今、その夢を見る意味もない筈だった。
「もしかして……まだ終わっていない……?」
まさか、これから起きるという暗示なのだろうか。
この先に、この夢が待ち受けているというのか。
急に不安になったティエラは身体を洗い終え、慣れない手つきで新しい服に着替えて髪を乾かした後、直ぐにヴァロムの元へと向かった。
彼が作り終えていた朝食を取りながら、今までの悪夢について打ち明ける。
「予知夢?」
「えぇ。私が昔から見る夢よ。あれを見てから、私は正しくあろうと努力したわ。魔法なんて才能が無くても、誰かに嫉妬しないように、煙たがったりしないように、私の中で割り切りを付けてね」
「……ちなみに、どんな夢なんだ?」
「食事中に言うものではないけれど、酷い夢よ。何処かの教会の中、そこに立っているのは私だけ。そんな破滅の悪夢」
ヴァロムは悪魔である。
自分の知らない知識も持っているだろう。
止まない夢についても、何か知っているかもしれない。
そんな期待を込めて問い掛ける。
すると彼は考え込む様子を見せた。
記憶を探っているのではなく、何処か深刻そうな表情をしている気がした。
「もしかして、何か知っているの?」
「……いや、心当たりはないな」
気のせいだったのだろうか。
彼は首を振った。
悪夢の正体については分からないらしい。
ティエラは少しだけ気落ちしたが、あまり間を置かずに彼が助言する。
「夢の内容は、現実の精神状態に強く影響する。悪夢を見るって事は、それだけティエラの心が弱っているのかもしれない」
「心が弱る? そんな事があるの?」
「身体が風邪を引くように、心だって風邪を引く。この国じゃ、それは信じられていないみたいだが……」
「私が昔からそうだってこと?」
「仮説の一つだ。キミが心から幸福を感じているなら、悪夢を見る理由も無くなる。悪夢を見せられているとか、そういった理由を抜きにすればな」
その言葉は納得できない事もない。
確かにあの悪夢を見てから、ティエラの心が休まる日はなかった。
何かに追い立てられるように、常に自分の行動が見られているような感覚すらあった。
故に正しくあろうと、常に意識し続けていたのだ。
そういう意味では、自分は余裕を持っていなかったのかもしれないと思い至る。
視線を戻すと、ヴァロムと目が合う。
美しい瞳が、真っ直ぐに彼女を見ていた。
「きっと全ての復讐を遂げて、安住できる居場所が見つかれば、その酷い悪夢も見なくなる筈だ。オレはそれまで、キミを支え続けよう」
「……」
「どうかした?」
「いえ……何でもないわ。ありがとう」
妙に気恥しくなって、ティエラは視線を逸らした。
抱いたのは一つの違和感、チクリとした胸の痛みだった。
彼女は早々に朝食を終える。
気を紛らわすために、あまり経験のない食器洗いすら手伝った。
ヴァロムは指を切ったら危ないと忠告してきたが、それが余計に違和感を増やしていった。
「何だか、胸が痛い……。これも、悪夢のせい……?」
悪夢は何度も見てきた。
しかし、この痛みは始めてだ。
締め付けられるような心の苦しさ。
動悸すら上がっている気がする。
何か良くない事の前兆でなければ良いのだが。
そんな思いを抱いている内に、悪夢への不安は取れていた。
次の目的地へと向かうため、彼女達は馬車を走らせる。
既に向かう場所は決まっていた。
迷う事もなく、幾つかの人や馬車とすれ違いながらも刻々と進んでいく。
緊張はあった。
復讐の歩みを止める気など毛頭なかったが、この先にあるのは自分の過去そのものだったからだ。
休憩を挟みつつ、半日程が経って、ヴァロムは目先に見えてきた景色に息をついた。
「次の目的地が見えてきたぞ」
「そう……」
「大丈夫か?」
「えぇ。心構えは、もう出来ているもの」
馬車から顔を出して、彼女も同じように先の光景を目に収めた。
生い茂る木々を分けるように、石造りの塀で円形状に囲まれた広大な都市が見える。
夕暮れ時に見える街並みは、あの頃と何も変わっていない。
今まで何度も見てきた風景、懐かしさすら感じるそれに少しだけ感情が揺さぶられる。
「私の、故郷」
シュヴェルト家の領土、その中心都市。
ティエラの故郷が、彼女を出迎えた。