7.涙を拭いて
町中は既に十数人の村人達が、駆けずり回っていた。
お使いに行った酒場の少年が、忽然と姿を消していたからだ。
近場の川に落ちたのか。
それとも獣に襲われたのか。
村人たちが口々に言う中、一向に見つけられず次第に夜は深まっていく。
息子を心配するあまり、店主は店の前で絶望的な表情すらしていたが、そこへ見覚えのある小さな人影が現れる。
皆が探していた、本人である。
少年は殆ど無傷の状態で、一直線に父親である店主に飛び込んでいった。
「お父さん!」
「よ、良かった! 何処に行っていたんだ! 心配したんだぞ!」
ようやく帰ってきた我が家に、少年は瞳を潤わせる。
しかし、一体何があったのか。
只ならぬ事が起きたのではないかと父親が聞くと、少年はティエラから言われたことを思い出した。
この事を周りの人に伝えるのだ、と。
少年は言われた通り、涙を堪えて父親に全てを打ち明けた。
「何だって!? アルバドが!?」
「うん! お姉ちゃん達が助けてくれたんだよ!」
「助けて……? その人達は、何処に……?」
「さ、さっきまで一緒にいたんだけど……」
少年は後ろを振り返るが、誰もいない。
自分を助けてくれた恩人が、やってくる様子はない。
その後、村人達が現場へと向かったが、そこにいたのは黒焦げのアルバドのみ。
助けてくれたという二人組の男女は、何処にもいなかった。
「児童誘拐と殺人未遂の罪、これでアルバドは監獄に収容される。自分がしてきた罪を、その身で思い知る事になるだろうな」
「そう……」
「やっぱり、不満か?」
「いえ、あの男には相応しい末路よ」
そんな様子を、ティエラ達は村から少し離れた丘の上で見届けていた。
暗闇の中で見え辛いが、武器を掲げた村人達に運ばれていくアルバドが見える。
これであの男の本性は炙り出された。
わざわざ手を下さなくても、後は村人達が勝手にやってくれる。
少しだけ胸がすく思いだった。
ティエラはその感情を確かに抱き、握り締めていた手を解く。
望んでいた復讐の一つが果たされた。
恨みのためではなく、正当な鉄槌を下したのだ。
「命を奪わなくても復讐は出来る。それを分かってくれたなら、オレは嬉しい」
ヴァロムはあくまでそう言った。
人を殺さなかった彼女の判断を喜んでいるのだろう。
彼の言葉を聞きつつ、彼女は視線を村の方へと向けたままだった。
その先には再会を喜ぶ父と子の、抱き合う家族の光景が見える。
自分が失ってしまったものが、そこにはある。
次第にティエラの視界が滲んだ。
「私、殺めなかったわ」
「あぁ」
「助けたわ……見ず知らずの家族を……」
「……そうだな」
そこまで言うと、自然とティエラは涙を流していた。
何故かは分からない。
色々な感情が混ぜこぜになって、ただ頬を濡らしていく。
ヴァロムがそれに気付くが、彼女は見られないように顔を背けた。
「ティエラ……」
「ホント、馬鹿みたい。勝手に呼んだ悪魔に言い包められるなんて。貴方はただ、契約に従っているだけ。そんな事、分かっている筈なのに……全部、台無しよ……」
始めは殺すつもりだった。
散々に痛めつけて、自分が受けた苦しみ以上の苦痛を味わわせようとすら思った。
だがいつの間にか、そんな殺意は消えて無くなっていた。
全てはヴァロムという悪魔に誘導されたからだろう。
彼のお蔭で、何もかも滅茶苦茶だ。
そんな身勝手な反抗心を、言葉で投げ付ける。
するとヴァロムはその場で跪いた。
忠節を尽くす主に向けて、ただ己の思いだけを口にする。
「今のオレには涙しか拭えない。でも信じてほしい。ただ、契約に従っているだけじゃない。心の底から、キミの身を案じている事を」
「それも悪魔の誘い文句なのでしょう? 私には分かって……」
「それは、違う」
契約のためではない。
ヴァロムは確かにそう言った。
「今はまだ信じられないかもしれない。でも全てはキミを、ティエラ・シュヴェルトを救うためだ。今流している涙が、止むように。恨みを忘れて、キミが一人の女性として幸せな人生を掴めるように。それがオレの、オレ自身の願いなんだ。だからそれまでは、キミと共に歩み続ける」
真剣な声色から嘘を言っているようには聞こえなかった。
そんな彼の声が、更にティエラの心を惑わせた。
本当に分からない。
全てを失った、何もない自分にどうして此処まで尽くしてくれるのか。
これも悪魔の誘惑なのだろうか。
分からない。
分からないからこそ、ティエラは小さく息を吐く。
そしてそのままヴァロムの方を振り返った。
「……だったら」
「?」
「だったら、私の涙を拭いて頂戴」
両目から溢れた感情の跡を、彼女は見せつけた。
見せるものでもないのだが、見せてやった。
これが貴方の責任であると。
するとヴァロムは何処からともなく、似つかわしくない白いハンカチを取り出した。
そして彼女に近づき、ゆっくりと目元を拭う。
本当に、お互いどうしようもないものだ。
両目を拭われたティエラは少しだけ微笑む。
全てを失ってから始めて、自然と笑えたような気がした。
「貴方、本当に悪魔らしくないわね」
「今だけは、悪魔である必要もないな」
そう言って、ヴァロムも微笑み返す。
夜の風は冷たかったが、胸の内に灯っていた熱は未だに収まりそうになかった。