6.現れる本性
夜になった。
何やら辺りは人が往来し続けているが、この家に入ってくる気配はない。
ティエラは何度かアルバドの様子を確かめつつ、本来の目的を果たす事にした。
狙いは地下への扉。
アルバドが触るなと警告していた、曰くつきの扉だ。
「やっぱり、鍵が掛かっていて開かないわね」
地下に何かを隠しているのは明らかだった。
全くの無害であるなら、それでも構わない。
だが元々はあの男の本性を知るために、やって来たのだ。
確かめない訳にはいかない。
ティエラはゆっくりと床下扉へ触れる。
当然と言えば当然なのだが、扉には鍵が掛かっていた。
「ヴァロム、頼める?」
(任せてくれ)
姿は見えないが、声だけは何処からともなく聞こえてくる。
そしてカチリという音と共に、扉は解錠された。
便利なものだ。
彼女は音を立てないように扉を開ける。
先に見えるのは、地下への階段だった。
「何……この匂い……」
薄暗い階段を進んでいく度に、嗅いだことのない匂いが漂ってくる。
焼け焦げたような、油のような粘っこさ。
不快にすら感じる臭気の先に、重々しい鉄の扉が待ち構えていた。
匂いの元凶はこの先にある。
自分の目で確かめるため、自ら扉を押す。
鍵は掛かっていなかったが、待っていたのはティエラの予想を超えたものだった。
「これは……!」
防音になっていたのだろう。
突然聞こえてきたのは、熱した鉄板の上に水をかけたような、弾ける音だった。
狭い室内に想像通りの分厚い鉄板と、それを熱する炎が燃え盛っている。
次いで聞こえたのは金属が擦れあう音。
よく見ると部屋の隅で、幼い少年が手足に手錠を掛けられ拘束されていた。
口元も布で縛られていて、大声を出せないようにしている。
何という事だ。
明らかに拉致監禁されている。
見る限り無傷ではあるが、幼い少年は見知らぬ少女が入ってきた事で、怯えるように後退った。
「しっかり! 貴方、まさかあの男に!?」
「む、むぐぐぐ!」
「安心して! 直ぐにこの枷を外すわ……!」
ティエラは思わず少年に駆け寄る。
やはりあの男は、尋常ではない。
直ぐに助け出さなければと手錠に触れるが、人力でどうにかなる代物ではなかった。
ヴァロムに力を貸してもらうしかない。
そう思った矢先。
(ティエラ! 後ろだ!)
彼の声が聞こえ、思わず振り返る。
そこには眠っていた筈のアルバドが、開けた鉄扉を塞ぐように佇んでいた。
「見たな?」
「!?」
「開けるなと、言った筈だよな? 俺は、確かに言った筈だよな? 何故だ? 鍵を掛けていた筈なのに? 何故? なぜだ?」
先程、出迎えた時のような雰囲気はない。
カッと見開いた、狂った目でティエラを見据えている。
あの目には覚えがある。
自身を焼き殺そうとした相手が、目の前に迫っている。
拘束されたままの少年を背で庇いながらも、思わず彼女の身体が竦みそうになる。
だが今にも現れそうなヴァロムの気配を感じ取り、ティエラは思考の中で制した。
まだだ。
まだ、この男には確かめなければならない事がある。
息を整えながら、彼女はアルバドと対面する。
「それが……貴方の本性なのね……?」
「本性? 人聞きが悪いじゃないかぁ。誰しも隠し事の一つや二つ、あるってもんだろうに」
「例え処刑人でも! 児童を拉致監禁する事に、良い人聞きなんてある訳がないわ!」
「……何だい、お嬢ちゃん。俺を知ってんのかい。まぁ、それもそうかぁ。先週のアレは派手にやったからなぁ」
「っ!?」
ティエラはその言葉を聞き、身体を震わせる。
アルバドが仄めかしたのは、魔女裁判。
その果てに起きた、見せしめの火刑。
「王都で行われた魔女狩り。あれは中々に壮観だったなぁ。久しぶりなお蔭で、俺の中に燻ぶっていた火が灯っちまったぁ。アレを思い出したらもう、抑えが効かなくなってよぉ」
「このッ……! 貴方に……貴方に罪の意識というものはないのッ!?」
「罪? そんなモン、正しければ罪にならないんだよ! 安心しなぁ! 今からお前も、そこの坊主と一緒にしてやる!」
アルバドは笑みを浮かべながら、手中から炎を生み出す。
瞬間、彼女は理解した。
この男は、快楽のために動いているのだと。
罪の意識など存在しない。
炎を操り、焼くことに悦を見出す、根っからの悪。
救いようもない畜生。
もう、確かめる必要もない。
故にティエラは両手を握り締め、声を振り絞った。
「お願い! 私はこの男を許せないッ……!」
直後、ティエラ達を庇うように悪魔が現れる。
ただ冷酷な、冷徹な雰囲気がそこにはあった。
その姿は一瞬だけ、命を奪う狩人にも見えた。
「それが願いならば、従うだけだ」
「何だ、お前ッ!? 一体、何処から……!」
「折角、与えられた温情をふいにしただけでなく、あまつさえ……」
ヴァロムはアルバドを見据える。
透き通った碧眼が、凍えるような力を放つ。
「オレの主に、牙を向けたな?」
「っ……! く、来るなッ……!」
熱せられていた室内の気温が、一気に冷めるような異様な空気。
突如現れたヴァロムにアルバドは恐れ、手中の炎を放った。
マトモに受ければ、ただでは済まない。
だがその炎をヴァロムは、右手で簡単に受け止めた。
まるで子供が投げてきたボールを容易く掴み取るように。
「す、素手で受け止めただと!? 何なんだ!? お前は一体、何なんだ!?」
「答える義理はない」
そう言って、ヴァロムは受け止めた炎の威力を強め、そのまま押し返す。
反応する間もない。
燃え盛る炎は反射され、アルバドに直撃した。
「ぐわあああああああッッ!?」
自身の炎によって、アルバドは全身を焼き焦がす。
反射された時点で、自分で制御できる範疇を超えていたのだろう。
叫び声を上げながら倒れ伏し、ゴロゴロと転がり続ける。
続けてヴァロムは、右手の指先を虚空に舞わせる。
すると少年を拘束していた手錠が全て解錠された。
それを見たティエラは、少年の口元を縛っていた布を解いていく。
「怪我はない?」
「お、お姉ちゃん達は……僕を助けに来てくれたの……?」
「えぇ、そうよ。悪い人は、彼がやっつけたわ。だからもう、大丈夫」
「う、うわあああああん!」
幼い少年は助けられた安堵から、泣きじゃくった。
大柄な男に拘束され、何をされるか分からない状況だったのだ。
こうなるのも無理はない。
ティエラはそんな少年の頭を、安心させるように撫でるだけだった。
「まさか、子供を誘拐していたなんてな。手遅れになる前で良かった」
「きっとこの子、酒場のマスターの子よ。お使いから帰って来ていないって、言っていた気がするもの」
「……そうみたいだな。火に魅入られた挙句、罪のない子供に手を出すなんて……本当に酷い男だ」
そうしてヴァロムは右腕を振るうと、アルバドを焼いていた炎は一瞬で消え去った。
残ったのは黒く燻ぶった男の身体だけ。
僅かに黒い煙すら吐き出している。
既に立ち上がる力もないのか、アルバドは呻き声を上げた。
「ぐ……ぁ……ど、どうして……こんなメに……」
まだ息はある。
死なない程度にヴァロムが加減したのだろう。
気に留めたくもなかったが、ティエラには、もう一つ聞かなければならない事があった。
彼女は見下す視線を向けながら、ゆっくりとソレに近づいた。
「ひ……や、やめてくれ……やめて、くれぇ……! あやまる! ぜんぶ、あやまる、からっ!」
「聞きたいことは一つだけ。あの魔女裁判について、知っている事を教えなさい」
「まじょ? し、しらない! なにも、しらない! 王子と、ウインス伯爵に、いわれたから、やっただけだ! ほ、ほんとうなんだ……!」
ウインス伯爵。
その名前にはティエラも覚えがあった。
両親が治めていたシュヴェルト家領の隣。
ヒンドリー領を収める女伯爵だ。
何故、ここでその名前が出てくるのだろうか。
ティエラはそこに一つの繋がりを見出した。
するとヴァロムが、ゆっくりと彼女の傍に歩み寄る。
視線は焼け焦げたアルバドに向けられている。
「ティエラ、オレはこれ以上の手は出せない。それは前に言った通りだ」
「……」
「それでもキミがこの男を殺したいと言うなら、道具のオレに止める権利はない」
最後の判断は任せると、ヴァロムは言った。
確かに今のアルバドは炎に炙られたことで、身動き一つ出来ない。
少女であるティエラであっても、やりようは幾らでもあるだろう。
彼女はその姿を見下ろす。
火刑の時に恐怖を感じた面影はない。
あるのは酷く情けなく、あまりにも無様な男の姿。
それを見ていると、心の中で渦巻いていた復讐心が、少しだけ和らぐのを感じた。
だからこそ彼女はもう一度振り返り、少年と目線を合わせる。
「君、歩けるかしら?」
「う、うん……」
「良かった。それなら直ぐにこの家を出て、この事を周りの人に伝えなさい。そうすれば、この人は監獄行。貴方の前に、姿を現す事はなくなるわ」
「お、お姉ちゃん達は、どうするの?」
「私達は気にしないで。さぁ、行きなさい」
少年に全てを明かすように伝えると、彼は頷いて小走りで階段を駆け上がっていった。
直に此処にも人の手が入る。
最早、アルバドには抵抗する力がない。
放っておいても自警団に捕まるだろう。
ティエラはその場から立ち上がり、踵を返す。
「……こんな男、殺す価値もないわ」
わざわざ手を汚したくもない。
彼女の意志にヴァロムも頷く。
そうして二人は遅れて、アルバドの家から立ち去った。