5.第一標的
思わず立ち上がりかけたが、ヴァロムが手で制する。
気付かれてはいけない。
彼の目は真剣に彼女を見ていた。
「ティエラ、落ち着け」
「……!」
「ここは抑えるんだ。今はまだ、その時じゃない」
ここで動いて警戒されれば、事態は悪化する。
感情的に動いてはならない。
諭されたティエラは徐々に力を抜きながら椅子に座り、彼に小声で話しかけた。
「ヴァロム、あの男はもしかして……」
「あの冤罪で火刑を担当した処刑人、アルバドだ」
既にヴァロムは理解した上で、素性を洗い出していた。
待ち伏せというのも、あの男に対するものだったのだろう。
そして今は休暇中なのか。
一見、普通の一般人にしか見えないアルバドは、カウンターの席に座って酒を飲み始める。
「どうしたんだい。珍しく強い酒を飲むじゃないか」
「いや最近、とても目が覚めるんだ。だから、強めの酒でも飲んで眠気を起こそうっておもってなぁ」
「ったく、何でもいいが、ボヤ騒ぎだけは起こすなよ」
「分かってる。分かってるともさぁ」
しかしあの言葉遣いは確かに覚えている。
縛り上げられた直前に聞こえた、身の毛もよだつ声。
差し向けられた火の光景。
間違いない。
全てを奪った者の一人が、目の前にいる。
全身が震えそうになるのを、ティエラは両手を握り締めてグッとこらえる。
対するヴァロムは冷静に、彼の様子を見つめていた。
「奴は炎の魔法を操る、火刑専門の処刑人だ。これまでも多くの死刑囚を処罰してきている。と言っても、最近は鳴りを潜めていたみたいだが」
「あの男を、調べたというの?」
「悪魔だからな。この程度の情報収集なら、相手を見ただけで分かる」
よく見ると、彼の瞳が僅かに青白く輝いていた。
魔眼というものなのかもしれない。
その眼で処刑人・アルバドの正体を確かめているようだった。
「奴に身内はいない。元は放火殺人の疑いが掛かっていたみたいだが、第一王子のフェルリオがその力を見込んで処刑人に仕立てたみたいだ」
「あの人が?」
「言ってしまえば、一つの繋がりがあった訳だな。フェルリオが断罪した罪人は、そのままあの男の所に転がり込むようになっている」
「そんな事をしていたなんて……」
「裏の顔は誰でも持っている、という事だろうな」
素性を聞く限り、清廉潔白のようには思えない。
異常なまでに早く執行された火刑を考えるに、全て仕組まれていたと考えるべきだ。
ならば一枚噛んでいても不思議ではない。
するとヴァロムが視線を外し、ティエラの方を見る。
魔眼による目の輝きは既になかったが、美しい二つの瞳がジッとこちらを見つめた。
「復讐を始めるなら、先ずは奴から手を下すべきだろう」
「確かにそうね……でも……」
「どうしたんだ?」
「あの男は所詮、処刑人。言ってしまえば小間使い。命令されたことを実行しただけに過ぎないわ」
「恨みはないって事か?」
「それを私の目で見極める。それだけの事よ」
アルバドが魔女裁判について、何を思っていたのか。
それを確かめなければならない。
処刑人として、ただ言われたことに従っていたのなら、あの男に拒絶する権利はなかった。
従わなければ、自分が処分される。
例え両親の命を直接奪った者だとしても、腸が煮え滾っていても、そこまで無暗に復讐の刃を向ける程に堕ちてはいない。
「良かった。そう言ってくれて」
「貴方が言われたから、そう思っただけ。本当に、それだけよ」
一人だったなら、何をしていたか分からない。
ティエラがそう口にすると、ヴァロムは少し安堵したようだった。
「だったら、判断を任せる。奴はこの酒場で酒を飲んだ後は、帰路に就く。その本性がどんなものなのか、確かめてみよう」
「一応確認しておくけど、貴方って強いの?」
「自慢じゃないが、悪魔の中でも強い方だ。人間程度に後れを取ったりはしないな」
「それなら、ボディーガードは任せても良いわね?」
「問題ない。キミには指一本触れさせない」
「……大袈裟ね」
「大袈裟じゃない。これ以上、キミを悲しませるような事はさせない。オレは契約の時に、そう誓っている」
本当に大袈裟な言い方だ。
ヴァロムからはただ真っ直ぐに、ティエラを守ろうという思いだけが伝わってくる。
勘違いする気はない。
彼は契約で縛られた悪魔。
主を守護するのは当然のことなのだ。
そう思っていたが、怒りと憎しみで溢れていた筈の心が、少しだけ揺れる。
「だから、そういう大袈裟なことを言うのは止めて」
「……悪い。気を悪くしたなら謝るよ」
「別に、嫌じゃないけど……」
嫌悪はない。
だが、何だか嫌なのだ。
よく分からなくなって、ティエラは彼から視線を逸らす。
「毎度! また来てくれよな!」
店主の声に我に返ると、アルバドが席を立って踵を返す所だった。
こんな所で油を売っている暇はない。
男が店から姿を消すと同時に、ティエラも席を立った。
「私は後を追うわ。貴方は……」
「姿を消せば良いんだろう? 二人で行けば警戒されやすいからな。オレは透明化で……」
「いえ。自分で頼んだ飲み物は、最後まで飲み終えておいて」
「えっ」
「後、お会計もお願いするわね。私、お金を払った経験は一度もないから」
「わ、分かった」
そう言ってヴァロムに後始末を任せ、彼女は後を追った。
夕暮れが近い。
酒に酔っていたアルバドが、こちらの気配に気付くことはない。
そのまま慎重に追跡していく。
彼の家は割と近場にあった。
何の変哲もない一軒家。
見る限り、凶悪な思想を抱えているような雰囲気はない。
処刑人としての素顔は隠しているのかもしれない。
標的が家に入るのを見届けてから、ティエラは考え込む。
さて、どうしたものか。
突然殴り込みをかけても意味などない。
相手の出方を窺うには、相手に取り入るしかない。
考えるべきは警戒されない接近方法。
ヴァロムが傍にいる気配を感じつつ、彼女は妙案を浮かばせると、そのまま扉を叩いた。
「誰だぁ?」
「申し訳ありません。私、旅の者なのですが、先程の酒場でお金を無くしてしまいまして……一晩で良いので、泊めて頂けないでしょうか……?」
「何だい、スられたのかい。運がないねぇ。女性一人が野宿も酷だろうに。仕方ない、散らかっているが、そこは勘弁してくれなぁ」
酷く緊張した上で挑んだが、呆気なく通される。
見知らぬ年若い少女だと思われたのだろう。
頭の先からつま先まで値踏みにされるような、薄気味悪い視線はあったが、気にしてはいられない。
未だ酒に酔ったままのアルバドは、そのまま奥へ入っていく。
中は殺風景な場所だった。
人となりが伺えるようなものは何もなく、必要最低限な生活用品しか置かれていない。
あまりに何もないので、逆にティエラは違和感しか抱かなかった。
「ローブは取らないのかい?」
「私の故郷の風習で、家族以外に肌を見せることは禁じられているのです」
「そうかい。大層な風習だなぁ」
流石にローブを取ると一発でバレるので、適当に誤魔化す。
アルバドもそれ以上の疑問は抱いていなかった。
しかし彼は一つだけ、と言うように床を指差す。
殺風景な部屋の端、そこには締め切った床下への扉があった。
「先に言っておくが、そこの扉には触らないでくれよ」
「地下への扉、ですか?」
「あぁ。色々なものを閉まっているから、少し危険なんだ」
そう言うだけで、後は自室の寝室へ入っていった。
こちらを警戒している素振りはない。
引き摺るような眠気のまま、寝息すら立て始める。
これは、何かある。
ティエラはアルバドが完全に寝静まるまで、注意深く待つことにした。