4.不殺の信念
「それで……誰を標的にする気なんだ?」
「私達を貶めた者、全員よ。私を魔女と呼んだ聖女のエニモル、第一王子のフェルリオ、そして死刑判決を出した宰相たち……」
「道のりは長そうだな。だったら先ずは、手の届きそうな所から始めようか。幸い、キミは死んだ事になっている」
「……死んだ事に?」
「助け出す時、生成した身代わり人形を置いて来た。あの炎の中じゃ、判別は難しいと思ったんだ。思った通り、奴らは魔女を聖なる炎で浄化したと公表したよ」
「そんな事までしていたのね……」
「これも悪魔の義務の一つだ」
ヴァロムは従者のように頭を下げる。
まさか、偽装工作までしているとは思わなかった。
通りで一週間も眠っていたというのに、緊迫した雰囲気が感じられない訳だ。
既にティエラは死亡している、そういう事になっている。
死人を追う者はいない。
つまり今の彼女は、素顔を晒さない限りは自由に動けるのだ。
全てを奪った者達から一つ出し抜いている事実を、ティエラは噛み締める。
「それと、もう一つ聞いておきたい。ティエラの望む復讐は、何だ?」
「そんなもの、決まっているわ。私の全てを奪った者達に、滅びの天罰を」
それ以外に望みはない。
目には目を、歯には歯を。
自分を死に追いやった者へは、死の罰を。
そう言ったティエラだったが、彼は急に首を振った。
「……先に言っておくけど、オレに殺しは出来ない」
「どういう事?」
「人の命を奪う命令だけは、聞けないんだ」
「ヴァロム、貴方は言った筈よね? 自分を道具のように使えば良いと」
「確かに言った。でも、道具にも聞けない命令はある。道具の罪は、使い手の罪にも繋がるからだ」
悪魔にも制約があるのか。
それともヴァロム自身の思想か。
嘘を言っている素振りはない。
ただ悪魔とは思えない透き通った瞳で、こちらを諭すように見つめてくる。
「命を奪う事が、殺す事が本当の復讐になると思うか?」
「……私に許せと言うの? これ程までの仕打ちを受けておきながら?」
「許せとは言っていない。ただ残忍に、残酷になる必要はないと言っているんだ」
「……」
「殺したいほど憎む気持ちは分かる。だが殺してしまえば、恨みの連鎖が始まる。その連鎖は回り回って、自分を破滅に追い込むことになりかねない。復讐ってのは、そうじゃない。相手に自分が間違っていたと気付かせる事。それがオレの考える本当の復讐だ。それにキミが奴らと同じように、人殺しに手を染める必要はない。悪を裁くために、悪に堕ちる必要はないんだ」
「……悪魔の台詞とは、到底思えないわね」
「そう言えばそうだな……。悪魔のオレが言うには説得力がない、か」
困ったな、とでも言うように彼は、自分が悪魔であると思い返す。
ティエラが放った反抗心のような言葉すらも、マトモに受け取ってしまう。
するとどうした事か。
いきなりその場で片膝をついた。
「だったら従者として忠告する。不遜な輩のために、主の手を汚す訳にはいかない」
「どうしてそこまで……」
「これはオレのポリシーみたいなものだ。人の命を奪えば、一線を越える。そしていつか、その罪に足を掬われてしまうんだ。オレはそうして破滅した復讐者を何人も見てきた。だからオレは、キミに同じ道を歩んでほしくないんだよ」
悪魔の誘惑ではない。
真摯な態度で、ティエラの増し続ける復讐心を押し留めようとしている。
本当に、このヴァロムという男は何者なのか。
全く悪魔らしくない。
流石のティエラも肩の力を少しだけ抜き、小さく溜息をついた。
「悪魔というのは、皆こういうものなのかしら?」
「さぁ、どうだろうな……。それは悪魔によるかも……?」
「全く……説教臭い悪魔を引き当ててしまったわね」
「せ、説教臭い……?」
「でも、貴方の考えは理解できたわ。百歩譲って、だけれど」
いっそ憎悪に煮えたぎった悪魔であれば、こんな迷いを抱かずに済んだのに。
ティエラは仕方なくベッドから降り立つ。
少しだけ、本当に少しだけ冷静になった。
徐々に頭が冴えていく。
無論、全てを奪われた悲しみと憎しみが消える訳もない。
だからこそ、彼女はヴァロムの方を振り返る。
「分かったわ。そこまで言うのなら、改めます。本当に命を奪うだけの価値があるのかどうかを、この目で見届けましょう。反省のしようがない人間なら、私の殺意が変わらないと言うなら、そこまで。それ以上の野暮は言わないでね」
「……分かった。最後の判断はキミに任せる」
「それと。殺す命令は聞けないけど、それ以外なら何をしても構わない。今の問答は、そういう解釈で良いのよね?」
「あぁ、そこに異論はない。命を奪わないのであれば、破滅させようとも口は挟まない。キミが全ての復讐を終える日まで、オレが支えよう」
どちらにせよ、復讐を止める気は毛頭ない。
何故、冤罪を掛けられたのか。
何故、両親が殺されなければならなかったのか。
それを知るためにも、全てを忘れて逃げるなど出来ない。
ヴァロムも、その意思は尊重する。
目的が終わるまで、最後まで共にいると確かに答える。
まるで失ったものを埋めるように。
悪魔と呼ぶには不釣り合いな言動を見て、理由は分からなかったが、ティエラは少し視線を逸らすのだった。
回復したティエラは森を抜ける。
一週間近く眠っていた山小屋だが、実はヴァロムが魔法で生み出したものらしく、いつでも収納・出現できる代物なのだという。
万全の状態となって小屋を離れると、彼が手を翳した瞬間に、それは消えて無くなってしまった。
魔法でここまでの事が出来るのかと感心したが、悪魔だからこそ使える邪法らしい。
人に真似は出来ないとか。
彼女に魔法の心得はないので詳しくはないが、そういうものかと思うようにした。
それよりも気掛かりな事があったからだ。
「ヴァロム……これ位は自分で歩けるから……」
「見つかる可能性を考えて、随分奥深くまで来てしまった。この辺りは葉の鋭い植物が多い。下手に歩いて触れたら切り傷を負うし、傾斜も高いから女性には酷だ。男に触れられるのは気味が悪いだろうが、森を抜けるまではジッとしておいてくれ。絶対に乱暴な事はしないと誓う」
森を抜ける際、彼はティエラを抱きかかえて進もうとした。
長身と体格の良さ故に、全く苦にしている様子はない。
だがティエラからすれば、どうにも落ち着かない。
理由は聞けば納得できなくもなかったが、児童でもない年齢で誰かに抱えられる経験などなかった。
更にその状態で視線を上げると、彼の顔が直ぐに見えるのだ。
だから何だという話だが、気が散る。
「……せめて抱えるんじゃなくて、背負ってほしいわ」
「どっちも同じじゃないか?」
「私は、同じじゃないの」
「そ、そうか」
改めて言うと、彼は背負う形に切り替える。
しかし考えてみれば位置が変わっただけで、顔との距離はあまり変わっていない気もする。
正面から見えないだけマシと言えばマシだが。
やはり、気が散る。
結局彼女は複雑な心境を抱きながら、そしてヴァロムに背負われながら、森を抜けるまではジッとしているしかなかった。
●
目的地は既に決まっているらしい。
そして、これから先を歩き続けるつもりもないようだ。
森を抜けた後、ヴァロムは魔法を駆使して新たなモノを生み出した。
黒い馬が繋がれた、貨物用の馬車だ。
と言っても、車内には何もない。
ティエラが足を伸ばす位の広さも十分にあった。
これも小屋と同じで、悪魔だけが仕える邪法の応用なのだろう。
誘われるまま彼女が乗ると、ヴァロムは御者として馬を操り走らせた。
悪魔と共に、悪魔が生み出した馬車に乗る。
文字だけ見れば恐ろしい話だが、ティエラにそんな感情はなかった。
幌の向こうに見える景色、森や雲の浮かぶ空を見つめ、思いを馳せる。
「何か困った事があれば、何でも言ってくれ。可能な限り支援する」
「……どうして、そこまで尽くそうとするの?」
「契約した主に尽くすのは、悪魔として義務だからな」
ヴァロムは本当に忠実だった。
日常的な事を命じれば、即座に対応する。
寝床は小屋を再出現させ、食事も何処からともなく望んだ料理を持ってくる。
何一つの不自由がなく、彼一人で大抵の事は完結していた。
加えて彼は悪魔であるためか、疲れ知らずだった。
悪魔として当然と言い、ただひたすら従者のように接してくる。
本当に悪魔なのかと、疑問すら覚えそうになる。
しかし忘れてはならない。
これも、全ては王宮で断罪されたことが原因だ。
冤罪によって、全てを奪われたことが原因だ。
自分に遂げなければならない復讐がある。
そう何度も考えながら一日が過ぎ、彼女達はとある町に到着した。
地図には載っているが人通りは多くない、ごくごく普通の町だった。
「この町に、私が復讐すべき相手がいるの?」
「あぁ、皆がそれを教えてくれた」
「皆?」
「小鳥や、犬といった獣だ。オレは動物の声を聞きわけられる」
「そんなことまで……?」
「まぁ、アイツらは悪戯好きで嘘も混じっているから、結構判断が難しいんだが……。兎に角、会えばきっと分かる筈だ。先ずは酒場に行こう」
「ええと……私、お酒は飲めないのだけど……」
「飲むって話じゃない。待ち伏せってヤツだ」
馬車から降りると同時に、ヴァロムはローブを手渡してきた。
被ると周囲の認識を誤魔化す魔力があるらしく、身元がバレる心配がないという。
素顔を晒す訳にもいかず、彼女はそれを被る事にした。
進んだ先には、田畑や木造の家々が並んでいる。
道行く人にも出会ったが、ティエラだとも不審者だとも追及する者はいなかった。
ローブが機能している証拠だろう。
そうして二人は、寂れた酒場に辿り着いた。
広告はなく、地域だけで経営しているようなローカルさが感じられる。
ヴァロムに続いて扉を開けると、呼び鈴の音が鳴った。
「あれ? そう言えば、坊ちゃんは何処に行ったんだ?」
「あぁ、少し前にお使いに行かせたんだ。でも、おかしいな。もう帰って来ていても、おかしくない時間なんだが……」
「なんだよ。折角、あの子に酒を注いでもらおうって思ってたのによ」
店主らしき男と客が話し合っている中、店員に促されて二人は席につく。
注文を窺ってきたので、仕方なく何か頼むことにした。
紅茶はないらしい。
迷った末に適当なドリンクを頼んでおく。
ヴァロムも酒ではなく、普通の飲み物を注文した。
「貴方、お酒は飲まないの?」
「オレはそういうのが苦手なんだ。あのキツイ後味を考えたら……とてもじゃないが、飲めたものじゃないな」
「……貴方って、本当に悪魔らしくないわね」
「そうか? それなりに悪魔らしい方だと、オレは思うけど……」
「自分のどの辺りを見て、そう思っているのよ」
「この衣装さ。今はキミ以外への認識を一般風に誤魔化しているが、この蛮族っぽさは、いかにも悪魔らしいじゃないか」
「狩人か吟遊詩人にしか見えないわね」
「そ、そうなのか……?」
唄でも歌えば様になりそうなくらいだ。
寧ろ、認識を誤魔化す必要もない。
どうにもヴァロムの考えは、一般的な常識からズレている部分があるようだ。
悪魔なのだから仕方ないのかもしれないが、と思いつつ、直ぐに運ばれてきた飲み物で喉を潤す。
正直、そこまで美味しくはない。
元令嬢として自然と採点をしていると、酒場に別の客が現れる。
「いらっしゃい! アルバド、久しぶりだな!」
「あぁ。店長、一杯頼むぜぇ」
現れたのは大柄の髪を刈り上げた男性だ。
入った瞬間から店主に向けて酒を注文する。
こちらには一切気付いていないが、待ち伏せをしていた彼女達は違った。
その姿、その言動を見て、思わずティエラは目を見開く。
「あの男は……!」
忘れもしない。
拘束されたティエラに火刑を執行した男。
断罪を行った処刑人、その人だった。