38.夢の終わり
聖なる光がティエラだけでなく、魔女であるスティラすらも包み込む。
相反する存在である筈も魔女を、温かな光で守り通す。
アグレアスの言葉は真実だった。
自分に課せられた役目は復讐ではなかった。
自分自身を見つめ直す。
過去と罪を認め、遠ざけていたその力を受け入れる事こそが、果たすべき使命だったのだ。
「もう、何も奪わせないわ! あの時と、同じにはさせない! 絶対に……!」
「ティエラ……」
「私の後ろに!」
ティエラは実の姉を背中で庇う。
今更になって、彼女を怨敵だのと考える意味はない。
今ならまだ取り戻せる。
まだ、変えられる筈だと更にティエラは力を込めた。
聖女が本格的に目覚め、一瞬だけ怯んだシトリーだったが、直ぐに不敵な笑みを見せる。
いかに王国が崇める聖女でも、その力は人の枠に留まる。
人外である悪魔を滅ぼすには、まだ足りない。
「ふ、ふふ……それで、どうすると言うの? そんなちっぽけな光で、悪魔の力を上回れるとでも思った? 思い上がりも甚だしいわ!」
「……そうよ。私は思い上がっていたの。私の独りよがりな思いが、皆を傷つけて、取り返しのつかない事を引き起こしてしまった。だからもう、逃げたりしない。過去も、罪も、自分自身にも……!」
退くつもりはない。
此処で退くは、死と同義だ。
確かにシトリーが豪語する通り、聖女の力だけでは悪魔には勝てない。
だが闇を照らすように、茨に取り込まれたヴァロムを取り戻せば、反撃の糸口は繋がるかもしれない。
非常に困難な話だろう。
シトリー自身がヴァロムを望んでいる以上、その思惑は絶対阻止しようとする。
それでも、もう諦めたりはしない。
例えその先で腕が引き千切られようとも、構いはしない。
自分には、それだけの理由がある。
ティエラは更にもう一歩、その場から踏み出す。
すると手を翳していた彼女と同じように、腕を伸ばす者がいた。
魔女であり、姉のスティラである。
傷が癒えている途中、彼女は苦しそうな表情で手中から闇の力を生み出す。
「お姉さま!?」
「魔女の力は……聖女と相反する……。でも、少しくらいなら、悪魔の力を相殺することも出来る筈よ……」
聖女の力と立ち並ぶように、魔女の波動が二人を取り巻く。
今のスティラに破滅願望はない。
ただ自分の感情の赴くままに、やりたい事を通しているだけ。
元から彼女は、考えるよりも先に行動する性格だったのだろう。
幸か不幸か、姉妹の思いは此処で一つになった。
「忌々しい! ワタシ達の愛を阻もうとするなんて! 良いわ! 姉妹仲良く、一緒に地獄に落としてあげる……!」
一つになったものは、自分達だけで十分。
そう言いたげに、シトリーは声を荒げた。
自身が怯んだ事実に怒りを覚えたのか、間延びした口調も、余裕も無くなっていく。
最早、甚振るつもりはないようだ。
姉妹を引き裂こうと、その命を絶ち切ろうと、茨の群れが高速で飛来した。
●
僅かに意識を取り戻したヴァロムは、夢と現実の狭間に残されていた。
ティエラ達がシトリーに抗う姿だけが、ハッキリと見える。
しかし、身体の感覚はない。
契約刻印を奪われ、シトリーと強制的に契約を結ばされ、力を殆ど同化されたせいだ。
今の状態では、助けに行くことも出来ない。
一つの思念体が浮かんでいるだけだ。
『クソッ! 力が使えない! 目覚めたのは、意識だけなのか!?』
まどろみの中で、彼女達の光景だけが映し出される。
力を合わせ、どうにか糸口を探し出そうとしている。
だがシトリーがそれを許しはしない。
伸ばせば伸ばす程、茨の棘が妨げるように、彼女達は傷ついていく。
遂に殺意を持った恋情の悪魔に、何処まで耐えられるのか。
恐らくは時間の問題だ。
彼は思わず叫ぶ。
『駄目だ! 幾ら聖女と魔女でも、悪魔の力には敵わない! あのままじゃ、本当に殺されてしまう! どうして、なんだ……! やっと、二人は……!』
ヴァロムは両手を握り締めるが、その感覚もない。
始めから、彼は全てを黙秘するつもりだった。
ただ一人の従者として、悪魔として仕え、ティエラが幸せを掴んだ瞬間に、自分との記憶を断ち切る。
そうすれば、彼女は過去を越えて本当の人生を歩めるのだと、そう思っていた。
しかし、ティエラは自ら封印を解いた。
死の走馬灯で、書き換えた筈の記憶を思い出し、そして受け入れたのだ。
聖女の力を操るその姿を見て、ヴァロムは確信する。
彼女は今、自分の力で歩き出そうとしている。
彼が望んだ形ではなく、自分が望む形で手を伸ばそうとしている。
誰もそれを邪魔する権利などない。
そこへ無情にも悪魔が立ち塞がる。
悪魔とは人の欲そのものだ。
願いを叶える訳ではなく、人々の欲が膨大に膨れ上がった結果、生み出される存在。
あの時も同じだった。
悪魔が再び、彼女達を連れ去ろうとしている。
深い絶望と後悔の中へ、同じ場所へと、引きずり込もうとしている。
駄目だ。
そんな事は絶対にさせない。
ヴァロムは手を震わせる。
『もう、二人に悪魔は必要ない! もう二度と! 悪魔如きに、奪われてたまるかッ!』
やっと手に入れた希望の光を、踏み躙るなど許せない。
ヴァロムは悪魔でありながら、悪魔の存在を否定する。
すると直後、彼の全身に風が吹き抜けるような感覚が迫った。
思わず振り返ると、そこにいたのは白髪赤眼の老爺。
全てを見届け監視する、強大な大悪魔だった。
『それは許されない』
『アグレアス……!』
『悪魔が自己を否定してはならない。それはお前自身が、よく分かっている筈だ。違法とは言え、契約はまだ続いているのだぞ』
『契約?』
そこまで聞いて、ヴァロムはハッとする。
悪魔とは人の欲によって成り立つ。
その根源そのものを否定すればどうなるか、分からない訳ではない。
だが、一つだけ思い付いたのだ。
シトリーは自らとヴァロムに対して、相互に強制的な契約を結んだ。
同化させ、力を併せ持つに至る。
ただし契約は契約、その原則には抗えない。
契約の中で、悪魔にとって避けては通れない規則があった。
背けば己の身が消滅するという、絶対的な規則が。
彼はそれを思い出し、自然と独り言ちる。
『そうか……契約、か……』
『……』
『共鳴し合う力の源。片側でもそれを絶つ事が出来れば……』
『何をするつもりだ?』
『彼女達を救い出す。アンタは、始めからこうなる事が分かっていたんじゃないのか?』
『儂は規則に則り、忠告をしに来ただけだ。それ以上も、それ以下もない』
『相変わらず、だな』
ヴェロムは自嘲気味に笑う。
彼の意志は既に決まっているようだった。
手に入れるべきものは何か。
切り捨てるべきものは何か。
見届けるアグレアスは、最後に問う。
『迷いはないのか』
『ティエラが逃げないと言ったんだ。オレだって、もう目を逸らさない』
『……ならば、願うが良い。この夢の終わりを』
そう言って、大悪魔は背を向けて姿を消した。
引き止めはしない。
彼らの願いを、規則通りに導くだけ。
既に道は開かれている。
思いを込めると、ヴァロムの意識は更に浮上した。
●
「ふふふ! どれだけ癒しても意味なんてないわ! その上から、また新しい傷を刻み込んであげる! アナタが本当の意味で、傷物になるまでね!」
「う……! くっ……!」
何十何百という茨を、寸前で防ぎ切る。
悪魔の力は、やはり人ならざるモノなのだろう。
聖女と魔女が力を合わせても、決定打にはならない。
ヴァロムにも届かず、悪魔にも傷一つ与えられない。
今も力を湯水のように使い続けている。
だが途切れればそこまでだ。
間違いなく、再びあの茨が自分達を貫くだろう。
そうなれば、もう助からない。
拮抗する衝撃波に苦しそうな表情をすると、スティラが彼女に耳打ちした。
「このままだと、押し負けるわ。私がシトリーに飛び込む。ティエラはあの悪魔を、私ごと撃ちなさい」
「そ、そんな事をしたら……!」
「アレは私が呼び寄せたモノよ! 自分の後始末は、自分で付ける……!」
始めから助かろうとは思っていなかったのかもしれない。
自分が呼び出した悪魔だけは、自分の手で異界に戻す。
引き金を引いた責任を取るためだけに、スティラは妹を庇おうとする。
そんな様子を、シトリーは嘲笑った。
「何をどうしたって無駄よ! ワタシ達の力に、人間如きが敵う訳がないんだから!」
仮に飛び込んだとしても、隙が作れるのか否か。
闇を背負った悪魔が、それらは無意味だと否定する。
だがそこに、二人と悪魔の間に割り込むように、一筋の青白い炎が灯る。
ほんの僅かな力だが、この炎には見覚えがあった。
自力で意識を取り戻したのか。
取り込まれていたヴァロムが茨を掻き分け、手を伸ばしながら炎を浮かばせていた。
「ヴァロム……!」
「大丈夫だ……。もう直ぐ、夢は終わる……」
「え……」
意味深な言葉を呟くが、それ以上は分からない。
シトリーが意識を集中させて、強大な力を纏わせたからだ。
彼が扱える力も、今灯っている弱弱しい炎のみ。
何の障害にもならないと、改めて彼らの繋がりを断ち切るため、彼女はティエラ達に猛威を振るった。
「さぁ、死になさい! 哀れで脆弱な、恋敵ッ!」
今までの攻撃よりも遥かに質量の多い茨が押し寄せる。
防ぎ切れるか。
分からないが諦めるつもりは毛頭ない。
ティエラは懸命に力を込め、浮かび上がったヴァロムの炎に光を伸ばそうと両目を瞑る。
空気を裂く音が届き、新たな怪我を負う覚悟を予感させる。
だが、その直後だった。
「こ、これは何!? 身体が透けて……!」
シトリーの狼狽える声が聞こえる。
思わず目を開けると、茨はティエラ達に届いていなかった。
聖女の力に拮抗してもいない。
色素が徐々に失われ、透明になっているのだ。
シトリー自身もそれは同じだった。
まるで存在そのものが薄れていくような光景。
一体何が、とティエラ達は思うが、悪魔であるシトリーはすぐさまその原因に気付いたようだった。
驚愕の表情で、ヴァロムの方を振り返る。
「ま、まさか! そんなッ!?」
「オレは第8位の悪魔……数少ない善性の……天使の力を持つ……」
彼は力なく手を伸ばしていた。
シトリーと同じように、姿形も透明になっていく。
決して、今まで彼が行ってきた透明化の能力ではない。
「だからオレは聖女に呼び出され……聖女の力で、意識を取り戻した。力を奪われようとも、意識があれば否定できる。オレ達が交わした、契約そのものを……!」
そうして彼の手中に魔法陣が浮かび上がる。
シトリーと強制的に繋がれていた契約の陣だ。
悪魔にとって契約した以上は切っても切り離せない術式。
だがその姿は、既に薄れ揺らいでおり、今にも消えかけていた。
そこでティエラは思い至る。
彼がかつて告げた、悪魔にとっての規則。
契約の否定。
「ヴァロム……な、何を言って……」
言葉を紡ぐよりも先に、シトリーが必死な様子で彼に訴えた。
「待って! そんな事をしたら、どうなるか分かっているの!? やっと一緒になれたのに! 二人きりになれるのに! どうしてッ!?」
「……」
「そんな女のために、全てを捨てるの!? そんな、どうしようもない女のためにッ!」
「悪魔は人の欲望を叶え、その代価を糧にする。オマエは人という存在からも、悪魔という存在からも外れすぎた……オレと同じように……」
「……!」
「外れ者同士、仲良くしようじゃないか。よくある話だ……叶わない恋を抱いて、深い水の底へ落ちていく……。ただ、それだけ……」
同時にヴァロムが伸ばしていた手を握り締めると、揺らいでいた魔法陣が消滅した。
彼は自ら契約を破棄したのだ。
何を意味しているのかも分かった上で、自分自身の存在を否定した。
シトリーの契約は違法ではあるが、同化・吸収した以上は根底も同じ。
契約を元に、相互に力を供給し合う。
片側の源が絶たれた以上、後は枯れるだけ。
周囲を侵食していた茨は次々と消滅し、シトリーの身体も解けていく。
「あ……あああぁぁ……! そんな……! ワタシは……ワタシは、ただアナタと……一緒に……!」
恋情の悪魔は震えながら、悲痛な表情で、ヴァロムに手を伸ばした。
しかしそれは届かない。
寧ろ、同じ場所へと先立つのだろうか。
僅かな光を纏って、シトリーは完全に消滅した。
悪魔の力が絶たれたことで覆っていた闇が消え、元の王宮へと引き戻される。
沈黙する玉座の間だ。
異空間から帰還したことを知ったスティラは、呆然とかつての使い魔の消滅を見届ける。
「契約を破棄した……。でも、それは悪魔にとって……」
魔女の口からは、それ以上は言えない。
自然とティエラは駆け出していた。
何かを考えるよりも先に、ただ彼の元へと。
茨が消滅し解放されたヴァロムは、ゆっくりとその場に横たわる。
既にその身体も、消滅の光を纏い始めていた。
「ヴァロム……! ヴァロム……っ……!!」
ティエラは彼の名を呼び、抱きかかえる。
しかし悲しい程に、その身体は軽く感じられた。
聖女の力であっても、相反する悪魔の消滅は食い止められない。
そして触れた瞬間、いつかの彼の思念が、頭の中に流れ込んでくる。
『もう、オレを覚えている人はいない』
『ティエラも……アランも……父上も、母上も……誰も、覚えていない』
『分かっていたけど、やっぱり辛いな』
『これがオレの罰なんだ』
『過去を捻じ曲げたせいで、多くの人が傷ついてしまった』
『大切な人達を……皆、苦しめてしまった……』
『でも……まだ、オレにはやるべき事がある』
『約束したんだ。必ず連れ出すって』
『絶対に、忘れない』
『キミが覚えていなくても、無かったことになっていても、それでも構わないんだ』
『ティエラはオレが生きた、唯一の証だから』
抱えられたヴァロムは、ゆっくりと瞼を開けた。
悲痛な様子はない。
彼はティエラの頬に触れ、そして微笑む。
「夢は……終わる……。ティエラと一緒にいられた……長くて、短い夢は……」
「いや! ヴァロム、お願い! 消えないで! やっと……やっと私は……!」
「夢の住人は夢の中へ……幻に還る……。目覚めたキミは、もう一人で歩いていける……。だから……」
段々とティエラの手から、感覚が無くなっていく。
温もりが、消えていく。
やっと会えたというのに、光はより強まり、天に向かって伸びていく。
最後に、彼は告げる。
「もう、オレは……」
既に悟ったのだろう。
過去と決裂した今、囚われるばかりの彼女ではないのだと。
自分の力で、自分の幸福を手に入れられると。
それを知った、満たされた気持ちと共に。
彼は光の中へ解け、消えていった。




