32.憎らしい貴方
茨の向こうに消えたヴァロムがどうなったのか、ティエラには分からない。
ただ、闇が彼女を追い込む。
更に深い霧が逃げ道を塞ぐように、王宮の中へと誘っていく。
このまま留まれば、完全に呑まれてしまう。
「進むしか、ないのね」
待っていても事態が好転する訳でもない。
今はヴァロムを信じ、自分の身を守る以外にないだろう。
彼女は衣服に隠していた小瓶の感触を確かめつつ、王宮内部へと進んだ。
宮内で目覚めている者はいない。
都内と同じように、兵士も王族も意識を奪われている。
だがフェルリオのように外傷のある者はいない。
わざわざ彼を殺めたのは、ティエラ達に見せつけるためだったのか。
そうして辿り着いたのは、王宮の中でも最も絢爛な玉座の間だった。
過去には彼女自身、この場所で婚約者として留まっていたこともあったが、今では見る影もない。
寧ろ影どころか、闇で覆い尽くされている。
床には兵士達が持っていた武器が幾つか散乱し、自身の足音だけが小さく聞こえる中、ティエラは恐怖を堪えて歩き続ける。
すると僅かに見えていた玉座から、這い出るように人の姿が現れた。
「これだけの濃度でも、意識を失わないの? 貴方が使っている悪魔から、加護でも受けているのかしら?」
「!?」
「久しぶりね。ティエラ・シュヴェルト」
かつてとはかけ離れた、感情が抜け落ちた態度で相対する。
紛れもなく、彼女は自らを聖女と名乗るエニモルだった。
この場で起きた理不尽な断罪以来だ。
全てを仕組み、そして全てを奪い去った元凶。
闇の中で彼女が一切動じていない事、そして今の発言でハッキリとした。
ティエラは声を荒げて、更に一歩踏み出す。
「エニモル! やっぱり貴方が、全てを仕組んだ元凶だったのね!? フェルリオやノルマンディを殺したのも、皆の意識を奪ったのも……私から全てを奪ったのも……!」
「元凶? 面白い事を言うじゃない? 元凶なんて、何処にもいないわ。あるとするなら、それは私達を此処まで導いてきた、運命そのもの」
「訳の分からない事を! こんなものの何処が、運命だと言うの!?」
「気に喰わない? ならば因果応報、と言うべきかしら?」
対するエニモルは冷静で冷酷なままだった。
今までの仕打ちも、ティエラの追及にも、罪悪感の欠片も抱かない。
まさしく魔女と呼ぶに相応しかった。
それでもティエラが此処までやって来た事には、ある程度の興味があるようだった。
攻撃を繰り出す様子はなく、距離を保ったまま動かない。
「正直、貴方には驚いたわ。火刑から生き延びただけでなく、悪魔を従えて復讐にやって来るなんて。そんなに私が憎い?」
「……」
「良いのよ。私を八つ裂きにして、地獄の苦しみを味わわせたい。そのために来たんでしょう?」
試すようにエニモルは問う。
目の前に地位と名誉だけでなく、その尊厳すら奪った女がいるのだ。
許せる訳がないだろう、と挑発する。
助長するように、彼女は一切魔力を使わない。
まるで初手を譲っているようにも見えた。
ティエラはそれを聞き、ゆっくりと顔を俯かせた。
今まで起きた惨劇が、此処までに巡った出来事が、次々に思い返される。
しかし頷きはしなかった。
「違うわ」
「なに……?」
エニモルの怪訝そうな声が響くと、ティエラは顔を上げる。
その表情は確かな決意があった。
「私は皆の意識を取り戻したい。そして貴方の暴挙を止めたいだけ」
「……」
「エニモル、もう止めなさい。民を襲って、婚約者まで殺めて、何の意味があるの。こんなもの、自分で自分を追い込んでいるだけよ」
何故エニモルがこんな事をしているのか、理解が及ばなかった。
魔女である彼女が王国を支配するため、ティエラを排除する。
以前ならばそう言い切れたが、今の状況はまるで噛み合わない。
王都を闇に落とし、婚約者だったフェルリオを自ら切り捨てる。
手に入れたモノを全て捨てるような行為だ。
こんな暴挙に意味があるのか、とティエラは告げる。
すると今まで見せていた挑発は消え、エニモルは怒りを滲ませた。
「誰に向かって、言っているのかしら?」
「!?」
「腹立たしいわ。貴方のその、カマトトぶった発言。本当に苛々する」
魔女の身体から悪しき魔力が零れ始める。
何かが来る。
そう思った瞬間、ティエラは足元に小瓶を落とした。
瓶は割れ、そこから大量の煙が放出される。
一瞬だけエニモルは警戒したが、それが煙幕だと理解した瞬間に、纏っていた魔力を変形させた。
強風を発生させて煙を打ち払ったエニモルの視界に、ティエラの姿はいない。
既に煙に身を隠した時点で、彼女は透明化のローブを被っていた。
「魔薬の煙幕と、悪魔の透明化……それが貴方の対抗策? 良いわ。もう手加減はしない。ノルマンディと同じように、バラバラにしてあげる」
「……!」
「背後から襲うつもり? でも無駄よ? いくら透明化で隠れても、私の結界には入れない」
そう言って、エニモルは身の回りに球体状の結界を展開する。
防御を整えながら、こちらを燻り出すつもりだろう。
ティエラは気配を消しつつ、室内の柱の影に隠れて様子を窺う。
どうにか誤魔化すことは出来たが、一度捕まればそこで終わりだ。
侵食する闇によって逃亡も許されない。
ならば、一か八か突き進むしかない。
彼女はカプセル型の小さな包装を取り出し、臆することなくエニモルに向かって投擲した。
狙いは定まっていなくても良い。
少しでも近くに投げてさえいれば、それで良かった。
同時に警戒していた魔女の魔力が、反射的にそれを覆い尽くす。
既にティエラが、魔薬を隠し持っている事は知っているようだ。
下手に刺激しないように、魔女はカプセルを魔力の渦へ閉じ込め、薬の力を遮断する。
勿論、今の気配を逃がす筈もない。
新たに生まれた闇の魔力がロープのように取り巻き、透明だったティエラを縛り上げた。
「無駄」
「う……!」
「ウインスが使っていた魔薬ごときじゃ、私の結界は壊せない。盗人は盗人らしく、先ずはその手癖の悪い両腕から、切り落としてあげる」
取り巻いていた魔力の先が、刃のように変形する。
薄い木材くらいならば簡単に寸断できそうな鋭利さが目の前に迫る。
思わず、ティエラは目を瞑った。
恐怖からではない。
意味があって、意図的に瞼を閉じたのだ。
「それは……魔薬じゃないわ……!」
「何?」
直後、目を眩ませる光が放たれた。
光源は先程投げた包装だった。
あれは魔薬ではない。
辺境伯の兵士達から拝借した、敵を無力化するための閃光玉だ。
そしてエニモルを守っていた結界は光を通す。
展開しながら周囲の様子を見渡せる点から、ティエラはその盲点に気付いていた。
「あああぁっ!?」
直視してしまったエニモルは、物理的な光に視界を奪われる。
元々が、一般兵すら無力化する威力を持っているものだ。
闇の魔力が乱れる。
ティエラを縛っていた闇のロープは崩れ、結界も歪んでいく。
好機は今しかなかった。
彼女はエニモルへと駆け出し、距離を詰めた。
混乱する魔女の前まで踊り出て、そのまま思い切り平手を打つ。
「うッ!?」
人生で初めての、思い切った平手打ちだった。
エニモルは頬をぶたれて、そのまま倒れ込む。
そしてその上に圧し掛かる形で、ティエラは彼女の両手首を掴み上げた。
「お父様やお母様が受けた痛みは、こんなモノじゃないわ。勿論、私も」
「ッ!?」
「どうしてこんな事をしたの!? 答えなさい! どうしてこんな、馬鹿げた真似を!」
辺りに武器は転がっていたが、殺すつもりなどなかった。
ただ、問い質したかった。
彼女が何を考えて、こうするに至ったのかを。
怒りに身を任せるエニモルの本心を知るには、こうするしかないと思ったからだ。
すると何を思ったのだろう。
エニモルは痛みに耐えながら、徐々に笑い出す。
「ふ、ふふふふっ……本当に馬鹿な子……」
「!?」
「因果応報と、言ったでしょう? こんなモノじゃない? あの、お父様とお母様が? ふふふっ……本当に、何も知らないのね? 私が受けた痛みも、何一つ知らないで……」
「何を、言っているの?」
「まだ分からない? だったら、教えてあげる……」
抵抗する気はない。
魔女は真実だけを口にする。
そしてそれは、ティエラを動揺させるには十分だった。
「エニモルという名前は、偽名よ。私の本当の名前はスティラ……スティラ・シュヴェルト」
「し、シュヴェルト……?」
「私は存在を抹消された、シュヴェルト家の長女」
シュヴェルトはこの王国、世界全体で見ても二つとない名。
同姓など存在しない。
それが意味するものは一つ。
「憎らしい貴方の、実姉よ」




