3.本契約
「予め、言っておく。オレは悪魔だ。術者の願いを一つ叶えるために従い、その代わりに対価を頂く。そういう契約を結ぶ使い魔だ」
「願い……」
「キミは一体、何を望む?」
ヴァロムは望みを問う。
悪魔を召喚したというのは、そういう事だ。
人の欲望を引き出し、それを叶えさせる。
例えどんな邪道であっても、契約に従って充実に従う。
ただし叶えられる願いは一つ。
それ以上は、人で叶えられる範疇を超えている。
故に彼女はヴァロムに聞き返した。
「その前に聞かせて頂戴。お父様やお母様は、皆はどうなったの?」
「それは……」
一瞬躊躇ったが、ヴァロムはありのままを伝える。
「亡くなったよ。オレが呼び出されたのは、キミが処刑される直前だ。キミの両親も、その側近も、既に火刑にされた後だった」
「……」
ティエラはゆっくりと両手に力を込めた。
きっと両親達は訳も分からず捕らえられ、火刑に処されたのだろう。
そしてヴァロムであっても、過去に遡ってまで助け出すことは出来なかった。
覚悟はしていた。
処刑直前にも、似たような言葉で仄めかされていたからだ。
あれだけ優しかった父や母は、もういない。
彼女は小さく身体を震わせた。
「許せない……」
まるで道理がない。
幾ら王族の命であっても、一族郎党を一斉に断罪するなど、許せる筈もない。
腸が煮えくり返りそうだった。
堪え兼ねた怒りと共に、ゆっくりと目の前の悪魔を見上げる。
すると彼は、何故か悲痛な表情を浮かべていた。
「……どうしたの? そんなに、辛そうな顔をして」
「いや……何でもないんだ。気にしないでくれ」
まるで自分の代わりに悲しんでいるかのようで、ティエラは少し戸惑う。
しかし彼は悪魔だ。
両親のことを知っている筈もない。
気のせいだと心の中で決めつけ、彼女は願いを口にする。
「貴方が悪魔だというなら、私が望むのは復讐。それを叶えさせて」
「本当に良いのか? 一度きりの願いだぞ?」
「もう、私には何も残っていないわ。地位も、名誉も、帰るべき場所も」
「……」
「一度きりの願いでは、全てを取り戻せない。それとも、貴方にはそれが出来るというの?」
「……いや、願いは一度だけ。全ては叶えられない」
「そう。だから今の私にあるのは、全てを奪った人達への復讐だけ」
これまで善良に生きようとした、ティエラの思いは砕け散った。
全てを奪われたのだ。
それに悪魔にも叶えられる願いの限度がある事を、彼女は知っていた。
過去を変えるような大き過ぎる願いは、己の身を死後まで束縛するという伝承があったからだ。
故に零れ落ちたものは、取り戻せない。
あるのは復讐のみ。
自らの手で血の報復を、断罪を行う。
そんな酷く冷たい声が室内に響き渡る。
ヴァロムはその言葉を聞き、暫くして小さく頷いた。
「キミがそれを願うなら、オレに否定する権利はない。だがそれが果たされた時、オレはキミから対価を奪う」
「対価……」
「悪魔にとって、この対価は言わば糧。必要不可欠なモノなんだ」
「何を差し出せばいいの? 私の、命?」
「対価の内容は悪魔によってまちまちだ。命を取ろうとするヤツもいる。でも、オレが必要とする対価は一つ」
彼は一旦区切るように息を吸い、そして続けた。
「キミが最も大切としているモノ、それを奪う事になる」
「最も大切な……?」
「契約、するか?」
「今更、大切なモノなんてないわ。奪いたければ、何でも奪ってしまえば良い。だから早く、契約をして頂戴」
「……分かった」
大切なモノなど、今の自分には存在しない。
対価が命であろうと惜しくはない。
ティエラは吐き捨てるように言った。
するとヴァロムは組んでいた足を解き、おもむろに片腕を持ち上げる。
念じるように、彼女に向けて掌を開く。
僅かにその手中から、漆黒の魔法陣が浮かび上がった。
『悪魔たる我は汝、ティエラ・シュヴェルトを主として認める。この命、この身は、願いの盃が満たされるまで、共に在り続けると誓う』
違和感は一瞬だった。
胸の内で僅かな火、復讐の炎が灯るような熱い感覚。
それを最後に、ヴァロムが生み出した魔法陣は飛散する。
契約は成立したのだろう。
彼は肩の力を抜きながら手を降ろした。
「終わったぞ」
「随分と簡単なのね?」
「召喚の時点であらかたの準備は整っていた。今更大掛かりなモノは必要ない」
そう言ってヴァロムは微笑む。
悪魔の笑顔、というものだろうか。
未だに実感が湧かない部分もあるが、冤罪と火刑を経たティエラからすれば、悪魔との契約など些細なものだった。
怯える意味もない。
ただ、身体の熱が下がっていく。
「これで正式に契約は交わされた。キミはオレを、道具として使えばいい」
するとそんなティエラに対して、割と堂々とした様子で、そんな事を言ってのける。
「貴方……道具って、さっきも言っていなかった?」
「そうだな」
「それってどういう意味?」
「悪魔は召喚者に仕える従者。願いを叶える僕。だから道具と言っているんだ。言ってしまえば、売り言葉だな」
「……私は、買った立場という事?」
「呼び出されただけで、いきなり返されたら骨折り損だからな。そういう言い方にもなる。でも、道具と言った覚悟は本気だ。キミが望むなら、剣にもなるし盾にもなる。どんな障害があろうと、必ず守ってみせる」
透き通った蒼い瞳がこちらを見る。
思い切った言い方だ。
自分がそれだけの覚悟を持って支える、忠誠心を露わにした。
ご丁寧な事だ、と彼女は思った。
何にせよ彼は信用できる者、悪魔として受け入れる。
契約の瞬間を見た以上、もう疑いはしない。
自らの復讐に手を貸す従者であると考える。
すると不意に、一つの疑問が浮上した。
「そう言えば、一つ気になったのだけれど」
「何だ?」
「貴方、私の名前を知っていたの? 名乗っていなかったような気がするわよ?」
ちょっとした違和感だ。
ティエラは今までヴァロムに名乗っていなかった。
だと言うのに、彼は契約時にティエラの名を一字一句、間違いなく呼んだ。
これは一体、どういう事だろう。
聞くとヴァロムは、一瞬だけ迷ったような表情をした。
「……オレは悪魔だ。人の心を読むことも出来る。名前を知る程度は朝飯前だ」
「随分と失礼な覗き魔ね」
「わ、悪かったよ。今度からは、もうしない。やっと契約したって言うのに、主人に捨てられちゃ、お終いだからな」
少し冷ややかな目を向けると、観念したと言うように両手を上げる。
勿論、険悪な空気を作るつもりもない。
彼には命を救ってもらった恩がある。
あくまでこれは牽制。
人の心を簡単に読まないように、そうティエラは念を押しておくのだった。