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29.迫る刻限




残されていた時の砂は、無情に零れ落ちていく。

返す事も、元に戻る事もない。

宰相の死から数日後、王都前には多くの兵が構えていた。

それらは全てユースハイムが呼び寄せた者達だった。

その中にはティエラやヴァロムも控えている。

彼らの目的は王宮への抗議。

当然だが攻め入るつもりなどないので、武器は一切持っていない。

纏うのは鎧、持つのは防御用の盾だけ。

中心にいたユースハイムが、念を押して皆に声を張り上げた。


「良いか! 我々は争う訳ではない! 聖女・エニモルの真贋を見極める! これはそのための処置だ! こちらからは、決して動くな!」

「はっ!」

「王宮には、洗脳の術を操る者がいるやもしれん! 術者は対精神汚染の態勢を崩さぬよう、結界を維持し続けるのだ!」


部下達は忠実にユースハイムの言葉を聞き入れる。

幾ら辺境伯が王族の血を持っているからと言っても、こんな強固な態度は教会とのいざこざでも無かった。

本来ならば段階を踏むべきだっただろう。

しかし宰相であるノルマンディは死亡。

あらぬ疑いを掛けられている時点で、踏み出すべき階段の足場は奪われた。

ならば飛び越えるしかない。

手足が届かなくなる前に、進む以外にない。

遠くに見える、封鎖された王都の城門を見つめていると、ティエラの元に辺境伯がやって来る。


「ここまで来れば、後は待つ以外にないだろう」

「ユースハイム様……あの時は、ありがとうございました。もし貴方が民衆を制さなければ、私は再び魔女として、吊るし上げられていたかもしれません」

「あの状況で、君がノルマンディを殺す訳がない。明らかに君を陥れようとする意図が見えていたからな。それを皆に知らしめるのは当然の事だ」


実際の所、ティエラはノルマンディが殺された時、四面楚歌に陥りかけていた。

遺体にあったのは魔女の刻印。

そして直前に現れたのは、魔女として断罪されたティエラだ。

状況だけを見るなら、彼女が宰相を殺したとしか思えない。

若しくは犯人もその疑心暗鬼を狙ったのかもしれない。

だがそこへ、辺境伯が立ち塞がった。

見え透いた意図に惑わされるなと、混乱する民衆を抑え込んだのだ。

民衆の中には、辺境伯が返上した領地の者がいた。

危うく私刑の壇上になりかけた場は、彼のお蔭で収束していたのだ。


「民衆の心は疑惑止まりになったが、第三者の立場で収まったのは幸いだった。お蔭で王都の前で、こうして抗議に臨むことが出来た」

「王宮側も教会の者を動員して兵を集めています。聖女を出すつもりはないようですね。最悪の場合は……」

「小競り合いは起きるかもしれない。だが、王宮側も不審な点には気付いている筈だ。他の貴族たちも、殆どが静観している。聖女が真実を語れば良いだけの話だからな。もし気付いていないとすれば、ノルマンディと同じように魔女の影響を受けている可能性がある。奴も昔は私と共に、より良い国を造るため、夜まで語り合ったのだが……」

「……」

「案じなくて良い。それに私達には、他にも味方もいる」


強制排除されることが唯一の懸念だが、辺境伯は可能性が低いと言う。

王都前に集った兵は、正規の兵だけではない。

ごく普通の民衆達の姿もある。

そしてこれら全てが、辺境伯の管轄という訳ではない。

別の領地から派遣されてきた助力である。

それを証明するように彼女達の前に現れたのは、以前その命を救ったアラン・ヒンドリーだった。

彼もティエラが名乗りを上げて聖女に抗議したと聞きつけ、王都に馳せ参じたのだ。

以前と変わらぬ様子で、されど少し気合の入った様子で片膝をつく。


「これ以上は僕も見過ごせない。ヒンドリー家の次期当主として、辺境伯様と共に、力になる」

「アラン……ありがとう……」

「礼には及ばないさ。散らばっていたシュヴェルト家の人々も、力になろうと集まっている。元から魔女裁判に疑問を抱いていた人は、支えになってくれる人はいたんだ。だから必ず、無実を勝ち取ろう」


ウインスは再度、温情のために収容された。

最早、アランの危惧するものは無くなった。

彼は勇気付けるように笑う。

それはきっとティエラ達が取り戻した笑みなのだろう。

ならばここまでの軌跡は、決して無駄にはしない。

それが自分を支えてくれる者達への恩返しになる。

彼女はアラン達、そして見守る兵士達を見返し、強く頷いた。


ただ、心残りはある。

終わりに近づくにつれて増し続ける、心の迷い。

迷いの内に生まれた一つの感情。

このままではいけない。

今の内に晴らしておくべきだと、彼女はとある場所へ向かう。

そこは兵士達から少し後方に離れた、王都を見渡せる野原だった。

目的の人物はそこに居た。

皆から離れた場所で、王都の向こうを見つめている。

聖女が鎮座する王宮を警戒しているのだろう。

複雑な感情のまま近づくと彼、ヴァロムは視線を向けた。


「残すは王宮だけだ。今は門を閉鎖しているが、多くの人がティエラの味方になってくれている。これも、時間の問題だろうな。ようやく、キミの復讐も全て終わる」

「そう、ね」

「どうして浮かない顔をするんだ? 望んでいた願いが、叶おうとしているんだ。もっと素直に、喜んで良いじゃないか」

「分かっているわ。もう直、全て終わる。それはとても嬉しい事よ。でも……」


ティエラは口ごもる。

此処まで来た事は、素直に喜ぶべきものだ。

後悔はしていない。

しかしそれは、ヴァロムが傍にいたためだ。

彼が信じてくれたから。

魔女ではないと断言し、支えてくれたからこそ掴み取れた希望だ。

だから、まだ終われない。

こんな事を聞いても良いのか、そう思いながらも、可能性を探るために彼女は尋ねた。


「ねぇ、ヴァロム」

「どうした?」

「貴方との契約は、変えられないの?」


沈黙が訪れる。

ヴァロムの様子が少しだけ変わる。


「……どういう意味だ?」

「始めに交わした契約は、復讐を全て終えるまで。それを変えることは出来ないか、と聞いているの」

「どうして、そんな事を聞く?」

「そ、それは……」


聞き返される。

あえて答えないつもりなのか。

ティエラにそこに気付く余裕はなかった。

心の中を見透かされたような気がして、胸の熱さと痛みが襲う。

秘めていた思いに対して、羞恥すら生まれる。

だが自分自身と向き合うためにも、彼女は俯きながら確かに答える。


「ヴァロムが、離れてしまうから……」


その言葉が何を意味しているのかは、分かっている。

しかし自分がどんな顔をしているのかまでは、分からなかった。

これからも傍にいて欲しい。

それだけを彼女は願った。

すると不意に、ヴァロムは数歩だけ歩きだした。

ティエラから背を向け、ゆっくりと空を見上げる。

表情は一切見えなかった。


「聖女の悪事が明かされれば、ティエラは王宮に舞い戻る。そこには元あった、貴族としての華々しい道が待っている筈だ」

「何を言って……?」

「アランは良い男だ。ああ見えて、結構やる時はやるんだ。シュヴェルト家の人を集めたのも、アイツだからな。今のティエラには、とてもお似合いだと思う」

「ちょ、ちょっと……」

「ユースハイムも、頼りになる。ティエラが食事をしていた時のあの人……奥方の顔を見たろう? まるで、自分の子供を見ているようだった……きっと、あの二人なら……」

「待って……よ……」

「ティエラを、支えてくれる筈だ」

「待って!」


思わずティエラは叫ぶ。

彼が呟いていた言葉は打ち切られ、再び沈黙が訪れる。

明確な答えは返って来ない。

しかしそれでも、否定の二文字が彼女の脳裏に浮かび上がった。


「どうして……そんな事を言うの……?」

「……」

「私はただ、貴方と……」

「忘れるんだ」

「え……」

「忘れてくれ」


冷たい声が響いた。

今までとは明らかに様子が違っていた。

意図的に距離を置いているような感覚。

それは以前に辺境伯へ見せた態度と同じだった。

更に彼は、始めに交わした契約を思い出させる。


「悪魔の契約を思い出すんだ。望みを叶える代わりに、悪魔は契約者から対価を頂く。オレはキミの、何を奪うと言った?」

「……!」

「一番大切なモノを奪う。そうするために、オレは手を取ってきたんだ」

「ヴァ……ロム……」


悪魔との契約の果てにある代償。

忘れていなかった訳ではない。

無意識の内に遠ざけていたのだ。

最も大切なモノを失うという、最後の結末。

最初の頃は、勝手に奪ってしまえば良いと思っていた。

命すらも奪われても構わないと自棄になっていた。

しかし今は違う。

まさか今の感情が、この胸の痛みが、代償になるとでも言うのか。

全てを失うと言うのか。

そしてヴァロムは、そうさせるために、あえて今まで親身に接していたのか。

分からない。

分かりたくない。

胸の内にあった熱が、急速に凍えていく気がした。


「な、何だ!? あの霧は!?」


瞬間、兵士達から動揺する声が届いた。




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