26.落ちない涙
夜は更に深まり、ユースハイムの屋敷も完全な闇に覆われる。
外には警備兵達が掲げる明かりが見え、所々に人の影を映す。
喧騒はない。
宵闇時に起きた古城の騒動も、屋敷には届いてこない。
廊下の窓からその様子を見ていたティエラは、溜め息をついた。
「……碌でもない理由だとは思っていたけれど、本当に碌でもない話だわ」
原因は分かり切っている。
ウインスが明かしたノルマンディとの契約だった。
彼女が吐露したのは魔女裁判時、断罪側に加担したという事実。
何故そんな事をしたのか。
理由はノルマンディに脅迫されていたからだそうだ。
彼はウインスが夫を殺し、義理の息子であるアランを洗脳していたことを知っていたのだ。
どうやって知ったのかは定かではない。
ただ、その隠蔽に加担してやるから味方になれ、と脅されたそうだ。
ティエラ・シュヴェルトが無実であろうと、それを覆すよう証言に加われと命じられたのだ。
流石のウインスも、ティエラは魔女ではないと感じていたらしい。
だが悪は悪に脅され、屈服させられた。
彼女は全てを打ち明けた後、ティエラに土下座をして咽び泣くだけだった。
今更そんな事をされても何も返っては来ない。
死んで詫びろと言うつもりもない。
ひたすらに、虚しいだけだった。
「結局、権力には誰も逆らえないのね」
恐らくノルマンディに加担した他の貴族も同じなのだろう。
いかな正当性があろうと、権力の前には全てねじ伏せられる。
身を以て体感した事を再び目の前で感じ取り、ティエラは憂鬱な気分になる。
するとそこへ、辺境伯がゆっくりと現れる。
「権力に逆らいたいならば、同じ権力を持つ以外にない。持てないのであれば、取り入って利用するのも一つの手だ」
「……!」
「少しは、落ち着いたかね」
「はい……」
「今日は妻の手料理だったのだが、いつもより多く作り過ぎたみたいでな。気に入ってくれただろうか」
「とても美味でした。突然の訪問の中、お気遣い頂きありがとうございます」
ティエラは礼を言う。
辺境伯の奥方を見たのは始めてだったが、とても美しい女性だった。
思い悩んでいる様子はなく、食事を済ませた彼女達に優しく微笑んでくれた。
子に恵まれない中でも、互いに信頼し合い助け合ってきた事が伺える。
そんな辺境伯こそ、権力の前に屈しなかった貴族の一人だ。
元は大侯爵を名乗る貴族、王家に最も近い位であったにも関わらず、王家と密接な関係のある教会と対抗した。
普通に考えるならば、真っ向から反抗する理由は見当たらない。
かつてフェルリオの婚約者だったティエラ自身も、あそこまで苛烈な言動は出来なかった。
「どうして、貴方は……?」
「ん?」
「かつて、教会に反抗したのですか? 貴方と教会のお話は、私が王宮に招かれる以前から存じておりました。教会は王宮と強い繋がりがあります。王国の中でもあれ以上の権力はないでしょう。それなのに、何故……」
問うと、辺境伯は視線を窓の外へと移した。
かつての事を思い返しているのか。
少しの間を置いて、彼は呟く。
「聖女信奉が気に入らなかった、それだけだ」
「え?」
「元々、アレは度が過ぎていた。歴代、王国で輩出された聖女達は皆、神に導かれて死を迎えたと伝承に残っている。だが実際は、教会内部に監禁され続けて死んだようなものだ」
「まさか……私は、そのような話は一度も……」
「聞かされてはいないだろう。王宮内にもそう言った記録は残っていない。しかし客観的な事実を追った結果、私はその答えを導き出した。始めは言ったとおり、単純に気に入らなかっただけ、なのだがな」
最初は個人の印象だけだったのだろう。
だがそこから探れば探る程、辺境伯の中で不信感は大きくなっていった。
教会の行動は目に余ると。
その結果、彼は少しだけ視線を鋭くした。
「だが遂に奴らは私を、私の妻を侮辱した。私が愛する、たった一人の女性を」
「……」
「だからこそ、私は真っ向から対抗した。幸いそれなりの権力があったからな。諸外国も巻き込んで、色々やったモノだよ」
神の裁きが下ったと、かつて教会はそう言った。
紛れもなく、神の存在を盾にした中傷だった。
信仰をも侮辱する行為に、教会の人間は何故気付けなかったのか。
辺境伯はそれに気付き、真っ向から抗ったのだ。
そして今、同じことが起きようとしている。
ティエラに加担するという事は、つまりは魔女裁判の否定、教会の対抗に繋がる。
彼にとっては再戦に近い。
「これは、最後のケジメだな」
「今の私には地位も、権力もありません。貴方を利用している、そう思われても仕方のない事。本当に、宜しいのですか?」
「何を言う。君が生きていた、それこそが強い力を持っているのだ。卑下する必要はない。それに言っただろう。他者の権力を利用するのも、一つの手だと」
辺境伯は後悔していないようだった。
寧ろ、決着を付けたがっていたのかもしれない。
ティエラ達は切っ掛けに過ぎなかったのだと、言いたいようだった。
「君の従者にも、そう言っておいてくれ」
「ヴァロムの事ですか?」
「うむ。何故か、避けられている気がしてな。どうにも距離感が掴みづらい。それに私も、あの青年には何処か既視感がある。初対面だというのに、妙な話だ」
それだけ言って、辺境伯は去っていった。
何処か、もの悲しい雰囲気だけを残していく。
原因は教会との過去ではない。
ヴァロムに関する言い知れぬ違和感があったのだろう。
故に残されたティエラは彼を探した。
警戒を続けると言っていた悪魔を、自分の手で探し続ける。
しかし人の目につかない場所にいるのか。
何処にも見当たらない。
「ヴァロム、何処に行ったのかしら……?」
そもそも屋敷自体が城のように広い。
これだけ広いと、管理するだけでもかなりの労力だ。
加えて人を探すのも同じ。
多くの使用人とすれ違い続ける中、彼の居場所を聞いたが誰も見かけていないという。
或いは屋敷の外で監視しているのかもしれない。
屋敷の端近くまで歩いてしまったティエラが、そう思った矢先だった。
「っ……」
「……?」
微かに息を漏らす音が聞こえた。
彼女以外には誰もいない。
視線を巡らせると、目先にあったバルコニーに何者かの気配があった。
近寄るよりも先に、そこから小さな声が聞こえる。
「慣れたものじゃないな、やっぱり」
ヴァロムは傍にいた黒猫たちと共に、夜空を見上げていた。
ただ見ている訳ではない。
その姿はまるで、顔を上げて涙を堪えているような。
と、思わず踏み出した瞬間に足音が響く。
当然、猫たちは驚いて逃げだし、彼は気付いてティエラの方を振り返った。
「あっ……」
「……どうしたんだ?」
「い、いえ……その……」
「辺境伯が礼を言っていたんだろう?」
「え?」
「考えている事は分かる。悪魔の眼に映ればな」
「わ、私の思考を読んだの……?」
「そう言えば、頭の中を見るのは厳禁だったか。悪い、つい癖でやってしまった」
そう言って、彼は取り繕う。
表情はいつもと変わらない。
代わりに話題を逸らそうとしているのが、ティエラにも分かる。
追及は出来なかった。
「兎に角、これで一安心だ。あの辺境伯が味方に付けば、ノルマンディの所までは目と鼻の先だ。早朝にはウインスを連れて、ヤツの領土に乗り込む」
「……ここまで簡単に信用されるなんて思っていなかったわ。美味しい食事も頂いたし、申し訳ない位よ」
「ティエラの口にも合ったんだな。気に入ったみたいで何よりだ」
「あら。そういう貴方も、随分気に入られていたじゃない」
「……オレが?」
「屋敷のメイド達が、好意的な目で貴方を見ていたわよ? それに、あの時の悪魔もね?」
「おいおい、随分と言うようになったな」
少しだけ茶化すと、ヴァロムは肩をすくめる。
実際の所、皮肉ではない。
彼はかなりの美青年だ。
シトリーという悪魔に関してはティエラの知った事ではなかったが、屋敷のメイド達も随分と好意的な目を向けていた。
今まで殆ど衆目に姿を現さなかったから気付かなかったが、普通はそういった反応になるのだろう。
だが彼は、あまり興味がなさそうだった。
「ああいう手合いは、オレの好みじゃないな」
「好きなタイプがあるの?」
「そうだな……せめてオレよりは強くないと、だな」
「……それは無理でしょう?」
「無理だから言ってるのさ。悪魔のオレを連れ出すヤツなんて、いる訳がない」
理想が高い、という訳ではない。
適当な理由で遠ざけているように聞こえた。
それは自身が悪魔だからだろうか。
悪魔とは人間と呼び出されて契約する時に限り、この世界に現れる。
人と触れ合うのも、僅かな時間のみ。
シトリーとの会話からしても、悪魔同士の関わり合いすら殆どないようだった。
だが何故だろう。
彼は心の何処かで、未練を残しているように思えた。
先程一人呟いていた姿に、儚い思いが想起される。
それがどうしても引っ掛かり。
気付けばティエラは、彼の袖を引いていた。
気付いたヴァロムが目を丸くする。
「ティエラ?」
「ご、ごめんなさい! 私、何をやっているのかしら……!」
馬鹿だ、と思いながら手を放す。
殆ど無意識の行動だった。
彼が何を思っているのかも不確かなまま、安易に踏み込んでしまった。
恥ずかしくて情けない気持ちばかりが満たしていく。
だがヴァロムは責めない。
少しだけ悲しそうな顔をするだけだった。
「キミは、変わらないな」
瞬間、僅かな風が吹き抜け、ティエラはアグレアスが言っていた事を思い出す。
そして理解する。
やはり、そうなのだと。
ヴァロムと離れたくないのだと、どうしようもなくなっているのだと、確かに感じ取った。




