24.見定める者
思わずティエラは身体を強張らせる。
見逃すと言った筈の彼が、何故ここに現れたのか。
まさか自分達を追って来たのか。
様々な憶測が飛び交うが、アグレアスはゆっくりと首を振った。
「そう警戒するな。儂は、お前さんに危害を加えるつもりはない」
「だったら、何のために……! まさかまた、ヴァロムに手を出す気!?」
「それも違う。儂は見届ける役を買って出たまで。ただ一度、話がしたくてな」
彼の口調に敵意はない。
以前あった冷酷な態度も鳴りを潜めている。
そして話したい相手が自分であると、ティエラは直ぐに気付いた。
部屋の外は未だに騒ぎが収まっていないが、此処まで迫る気配はない。
どの道、かの大悪魔を無視できる訳もない。
ウインスに伸ばそうとした手を、ティエラは力なく降ろしていく。
「人の悪意とは際限のないものだ。この魔薬然り、悪魔との契約然り。考え方一つで善は悪に変わり、悪は善に変わる」
「私を責めているの? 私の行動が、悪だとでも?」
「さてな。残虐の果てに悪魔を使い潰しているのなら、そう断言できたかもしれん。だが、そうはならなかった」
「……」
「お前さんは、ギリギリの所で踏み止まっている。己が善であろうと、悪に堕ちまいと必死に踏み止まっている。まるでそれは、同じ過ちを繰り返したくないように見えた」
今までの行動を監視していたようだ。
アグレアスはティエラの心を暴いていく。
寸前の所で立ち止まり、善人であろうとする自分の正体を突き付けてくる。
まるでそれは、罪を裁く冥界の王のようにも感じられた。
あの悪夢とやはり合致する。
彼女は凍えるような身体を奮い立たせ、紅蓮の瞳に目を合わせる。
「私は、貴方を知っている。繰り返し見た悪夢の中で、影を背負った貴方が、私を裁きに来る。そんな終わりの光景が」
「……」
「だから踏み止まったのよ。もし悪夢を見なければ、私は人を傷つける事を厭わない人間になっていたかもしれない。あの悪夢は、貴方の存在は、私を引き留める枷だった」
「……悪夢こそが、お前の悪行を引き留めたのか。皮肉なものだ」
そう言って、小さく息を吐く。
何かを知っているような素振りを見せるが、それ以上の感情はハッキリとしない。
悪魔を使役する少女に、共感を抱いているような、憐れみを抱いているような。
ティエラはそのまま疑問をぶつけた。
「教えて。貴方は何を知っているの? 私は、何をしたの? どうして、裁かれなくてはならなかったの? どうして私は、火刑に……」
「答えを見つけるのは、お前自身だ。だが忠告しておこう」
アグレアスは老いた声で告げる。
血のように赤い瞳が、鈍い光を放った。
「この時を遡って過去、お前と会った事はない。一度たりともな」
「……!」
「そして今のお前では奴には勝てん。聖女を名乗る、あの女には」
「聖女? もしかして、エニモルのこと?」
「力も信念も、奴の方が上だろう。それでも越えたいのなら、己を見つめ直す以外にない。そして、受け入れるのだ」
「受け入れるって、何を……」
「お前は迷いを抱いている。復讐の道を、踏み止まろうとしているだろう?」
「な、何を言って……! そんな事がある訳が……!」
「本当にそうか? 復讐が終われば、自分にとって大切な何かが失われる……そう思っているのではないか?」
動揺する心を見透かす。
復讐を諦めるなど有り得ないと反論するティエラの言葉を封じる。
何故、言葉に詰まったのか。
その理由は分かっていた。
復讐を果たす、それは確かに全てを奪われた彼女の願いであり、全ての終わりでもあった。
今をこうして生きているのは、自分に手を伸ばした人がいたからこそだった。
契約の縛りはあれど、そこには確かな繋がりがあるように思えていた。
だがそれも、復讐を遂げれば失われる。
そんな予感、いや、決定付けられた運命を間近に感じ取っていたのだ。
彼女は思わずその名を呟く。
「ヴァロム……」
「奴が施した力の枷は、奴を召喚した時点で開いている。儂が言えるのは、ここまでだ」
後は自分で考えろ、とアグレアスは背を向ける。
立ち去る訳でもなく、その身体は闇に溶けて消えていく。
「ま、待って!」
まだ話は終わっていない。
ティエラは反射的に叫んだが、既に大悪魔の姿は何処にもなかった。
代わりに背後から甲高い悲鳴が聞こえる。
「ひいいいいいい!」
振り返ると、ベッドの上で恐慌する女性の姿が見えた。
ウインスが目覚めたのだ。
驚くティエラの顔を見て、信じられないと言いたげに、目を大きく見開いていた。
「ウインス伯爵!? 気が付いたのね!?」
「あ、ああああ!? ど、どうして……どうして貴方が生きて……!?」
その言葉を聞いて、ティエラは自分の姿を見下ろす。
いつの間にかローブが外れている。
透明化が解除されていたのだ。
素顔を隠すものもない。
ウインスからすれば、火刑で死んだ令嬢が突然目の前に現れたのだ。
死して現れ、自らを裁きに来たのだと、そう思い込んでも不思議ではなかった。
「ティエラ・シュヴェルト……私を恨んでいるの……? 私を殺しに来たの……!?」
「落ち着いて! 今はそんな事どうでも良いわ! とにかく、此処から一緒に……!」
説明する時間が惜しい。
こんな状態では聞く耳も持たないだろう。
そう思って話を打ち切ろうとすると、ウインスはティエラに縋り付いて来た。
今まで散々人の心を弄んだ彼女からは程遠い、命乞いの姿だった。
「ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい! 全て話します! 何もかも全て話しますから……!」
「ちょ、ちょっと……!」
「どうか、私を助けて! 助けて下さい! お願い! 殺さないでッ!!」
改めて死が恐ろしくなったのか。
それ以上の罰を与えられると思っているのか。
ウインスは嗚咽を漏らしながら、自らの悪行を認めるのだった。




