22.宵闇に溶ける
「何だと!? ユースハイムが!?」
「はい……」
一方その頃、髭を生やした中年男性、ノルマンディは自らの屋敷で報告を聞いた。
広大な領土を持ち、宰相という権力で王宮にも出入りを許されている彼だったが、その顔色は優れない。
原因は一つ。
罪人であるウインスを乗せた馬車が、ユースハイム辺境伯の領土で塞き止められたからだ。
行きは見逃し、帰りになって通行を禁じた時点で確信犯である。
普段は従属している筈の彼が、一転して反抗に近い行動を取ったことに驚きを隠せない。
「あのトンチキめ……まさか、勘付いているのか……?」
「如何いたしましょう……?」
「探りを入れてくるかもしれん! 何者も、絶対にウインスに近づけてはならぬ! 良いな!?」
「畏まりました!」
従者にそう言い付け、ノルマンディは片手で頭を抑えた。
元々、ウインスが罪人として捕まったことも想定外だった。
彼女が情状酌量を狙って余計な真似をしない内に、内々で処理しようとしていたのだが、流石に焦り過ぎたようだ。
今は衰えた貴族だが、それでもユースハイムは諸外国に顔が利く。
従属させても尚、傀儡に出来ない厄介な男だ。
兎に角、余計な詮索をしないように、ウインスの警備を固めるしかない。
「王位継承の直前に、こんな事が起きるとは……。あのフィルリオが王位を継げば、実質的に私が実権を握れるというのに……」
目前に迫っていた王位継承の儀は、ノルマンディにとっても重要なものだった。
王位を継ぐフェルリオは第一王子ではあるが、その実力は伴っていない。
放っておけば第二、第三王子たちに取って代わられる可能性すらある。
だからこそノルマンディは、今まで彼に取り入って実質的な操り人形にしてきた。
密かに裏から進言し、王子の代わりとなって多くの執務をこなした。
王子の信用と、周囲への牽制を同時に果たしたのだ。
つまりフェルリオが王位を継げば、自分こそが裏で王国を操れる。
支配者になれるのだ。
「そのために聖女と手を組んだのだ! 失敗は許されぬ!」
ノルマンディは、かつて取り入ってきた聖女の姿を思い浮かべた。
望む未来は、直ぐそこまで迫っている。
そして、邪魔となる障害は全て排除してきた。
必ず成功させる。
野心に溢れるノルマンディは震える両手を握り締めた。
●
宵闇の時を迎えた地に、人々が灯した家の明かりが浮かび上がる。
平均的な都市を合わせた程度の広さしかない辺境伯の領土だが、その質は変わっていない。
領民の生活に支障がある訳でもなく、貧困もない。
そんな場で、ウインス伯爵や連行していた兵士達は、都市の一角にある宿泊施設へ移された。
元々はユースハイムが住んでいた屋敷を古城のように改装したものだ。
他の貴族や王族を迎えるために用意した場所らしく、外観だけでも雄大さを感じさせる。
ティエラ達は闇に紛れながら、ポツリポツリと明かりの灯る施設を見上げた。
「彼女は無事かしら」
「此処にいるのは所詮、ノルマンディの部下だ。勝手な判断は出来ないさ」
巡回する兵士達が、施設の周りを何重にも取り巻いている。
そんな強固な警備に、ティエラ達は飛び込もうとしていた。
目的はただ一つ。
ウインス伯爵の奪還である。
このタイミングで逃がせば、彼女はノルマンディの領土に渡り、確実に殺される。
ユースハイムが機会を設けた今、最初で最後のチャンスになる。
「ローブに透明化を付与しておいた。これを被っていれば、兵士達には見つからない。後はウインスの所まで辿り着いて、彼女を同じローブで包んで運び出す」
「あの人が、素直に従うとは思えないけど……」
「かもな。気を失わせるか、温情をチラつかせて俺達の側に付かせるか。まぁでも、方法は幾らでもある」
「……そうね。今は考えるよりも先に、やってみましょう」
功を焦った兵士達が、ウインスを殺さないとも限らない。
彼女達は透明化によって身を隠し、古城へと潜入した。
無論、正面から堂々と入る気はない。
裏手を回り、ヴァロムに抱きかかえられつつ、ティエラは裏庭へと踏み入れる。
暗くて見え辛いが、整備の行き届いた美しい庭だ。
流石に奥までは警備が回っていないようだが、一歩宿の方に近づけば、こちらから出向く前に兵士の姿が現れる。
余程警戒しているのだろう。
先導していたヴァロムが一旦引き返し、小声で話しかける。
「兵士達の巡回が多い。幾ら透明化をしたと言っても、下手に物音を立てれば気付かれるな」
「だったら、何かで誘い出した方が良いかしら? ほら、私の屋敷で彼女をおびき寄せたみたいに、注意を引き付けるとか?」
「名案だな。ボヤ騒ぎを起こして、意識を逸らせば……」
ティエラの屋敷で火を放った時と同じように、警備を手薄にすれば入り込む隙は作れる筈だ。
互いに意見が一致し、頷いたヴァロムが火を生み出そうとする。
しかし、そこで動きは止まった。
どうしたのだろうとティエラが思っていると、彼は不意に空を見上げた。
そして彼女を庇うように腕を上げる。
「ティエラ、下がるんだ」
「え?」
冷静なヴァロムの声が聞こえた、その瞬間だった。
「うふふっ! うふふふっ!」
頭上から少女の笑い声が響く。
思わずティエラも空を見上げた。
宿である古城の頂上に、小柄な少女が立っているのが目に映る。
桃色の巻き髪を夜風に靡かせながら、彼女は透明化で身を隠しているティエラ達を、確かに見下ろしていた。
「やっと! やぁっと、見つけたわ!」
「!?」
「言われた通りに追ってみたら、何処にも居ないんですもの! ノルマンディも手が早いのね! 探すのに時間を掛けちゃった!」
待ち侘びたように少女は頂上から飛び降り、ゆっくりと降り立つ。
その背には確かに、蝙蝠のような黒い翼が生えていた。
どう見ても、人間のそれではない。
警戒心を露わにしながら、ヴァロムは一歩踏み出して冷静に少女と相対する。
「アグレアスだけならまだしも、他にも同業者が出てくるのか……」
「同業者……? まさか、あの子は……!」
ティエラもようやく少女が何者かを理解する。
そこに居るのは人ならざる存在。
人知を超えた力を持つ使い魔だった。
「貴方は、悪魔なの!?」
「悪魔、だなんて言葉で一括りにしないでほしいわ~! ワタシにはシトリーっていう、ちゃんとした名前があるのよ~?」
シトリーを名乗る悪魔は、少し不機嫌そうに答える。
間延びした声や浮ついた言動からは、真面目な雰囲気は見当たらない。
冷酷だったアグレアスと違い、飄々とした得体の知れなさがある。
まさか、此方の動きを読まれていたのか。
目的は自分達の妨害か。
色々な考えがティエラの思考を埋め尽くしたが、彼女はヴァロムだけを愛おしそうに見つめていた。
そしておもむろに両手を広げる。
「あぁ! やっと会えた! 待ち侘びたわ、ヴァロム! ワタシの王子様!」
「……何だって?」
「さぁ! ワタシ達の再会を祝して、一緒に踊りましょう!」
唐突にそんな事を言った。
まるで知古の間柄、それ以上のような関係すら匂わせる。
王子様とは、どういう意味なのだろう。
彼はそもそも王族ではなく、悪魔なのだ。
今まで聞いてきたどの言葉よりも、違和感のあるものだった。
思わずティエラは訝しげに問う。
「あの子を知っているの?」
「恋情の悪魔、シトリー。と言っても、知っているのはコレくらいで、初対面の筈なんだが」
ヴァロムも少々困惑しているようだった。
初対面に間違いはなく、互いの認識に酷い差があるように見える。
人違いならぬ、悪魔違いなのか。
どちらにせよ目の前のシトリーは、マトモな悪魔ではないらしい。
彼は現れた悪魔の少女に真意を窺う。
「目的は何だ? ウインスの口封じか?」
「言ったじゃない! ワタシは、アナタに会いに来たの! 他の誰でもない、アナタに!」
「……勘違いかどうか知らないが、オレ達は急いでいるんだ。邪魔をするなら、容赦は出来ない」
「あら、つれないのね~。でも構わないわ~。そういう冷たい所も、ワタシは好きなんだもの!」
彼が無下に扱っても、全く気にする素振りはない。
それどころか逆に好意を直接的にぶつけてくる。
何故かは分からない。
何故だか知らないが、ティエラは無性に腹が立った。
「貴方! 何を訳の分からない事を……!」
そう声を荒げた瞬間だった。
闇に閉ざされていた裏庭に、眩しい光が照らされる。
巡回していた兵士達が騒ぎを聞きつけたのだ。
「そこの女ッ! 何者だッ!」
しまった、とティエラ達は身構える。
いかに透明化で身を包んでいても、現れたシトリーは別だった。
翼を広げたまま、人ならざる姿で佇んでいる。
恐らく彼らは、互いに見知った関係ではないのだろう。
すると割り込んでいた兵士達に向け、シトリーは振り返り、目を見開いた。
直後、呼応するように地中から漆黒の茨が立ち昇る。
禍々しい魔力を放つ茨が何本も現れ、ティエラ達だけでなく現れた兵士達をも取り囲んでいく。
「ぐわッ!?」
「な、何だ!? 急に茨がッ!」
「敵襲! 敵襲ーーッ!!」
兵士達が一斉に狼狽える中、シトリーは羽虫を見るような煩わしい視線で彼らを見返した。
「ワタシ達の再会を邪魔立てするなんて、愚かな人達。折角だから、罰を与えてあげましょう」
茨は徐々に侵食していく。
シトリーにとっては、敵も味方も関係ないのかもしれない。
兵士達はおろか、目の前の古城すらも呑み込もうとしている。
ヴァロムは取り囲もうとする茨を身に纏う魔力で牽制しながら、ティエラに小声で話しかけた。
「動けるか?」
「え、えぇ」
「良かった。なら、オレの後ろに……」
「いえ、私に考えがあるわ」
あくまで守ろうとするヴァロムに、ティエラは首を振る。
ここで庇われたままでは、共に来た意味がない。
彼女には一つの考えがあった。
「あの悪魔はノルマンディを知っている。目的はきっと、ウインス伯爵の口封じよ。ヴァロムは足止めをお願い。その間に私が、彼女を連れ出すわ」
「大丈夫、なのか?」
「任せて。それにこれ以上の騒ぎになったら、伯爵を連れ出せなくなる」
「……分かった。でも、気を付けてくれ。アイツを倒したら、オレも直ぐに向かう」
「うん。ヴァロム、貴方も注意して」
「任せてくれ。アグレアスの時のようなヘマはしない」
悪魔の相手は、悪魔にしか出来ない。
得体の知れないシトリーは、ヴァロムに任せる以外になかった。
ならばせめて、自分は本来の目的を果たさなければならない。
その意志を彼は理解し、ゆっくりと頷いた。
そして急場をしのぐ。
ヴァロムが纏っていた魔力を前方に放つと同時に、周囲の茨が気圧されて道を開く。
古城内部へと続く道標だ。
彼が作ったそれをティエラは走り抜ける。
余計なことは考えないように。
すると、すれ違いざまにシトリーが笑みを浮かべた。
「うふふ」
「っ……」
逆撫でするような声を振り払い、ティエラは進み続けた。
透明化のまま闇の中へ消えていくと、ヴァロムは新たな悪魔と改めて相対する。
彼は既にシトリーの違和感に気付いていた。
「彼女を見逃したつもりか?」
「見逃すわぁ。だって此処で殺せば、主を失ったアナタは異界に戻っちゃうじゃない。そんな事をしたら、全て台無しだもの。例えあの子が、火刑を生き延びた魔女だったとしてもね」
「……まさか、始めから?」
「勿論よぉ。だってワタシは、ずっと見ていたんですもの。ずっと……そう、ずっとね」
愛おしそうな声で意味深な事を言う。
しかし本当に、ヴァロムだけが狙いのようだ。
茨を新たに生み出しながら、恍惚な表情で彼を受け入れる。
恋情の名を持つ彼女だが、そこにある愛情は異質で、そして異常な執着が感じられた。
「さぁ、ヴァロム! 踊りましょう! ワタシと一緒に、華麗なワルツを!」
「初対面の女と踊る気はない。それに今のオレは、ティエラを支えるためだけにある。譲るつもりはない」
「だったら! 踊りたくなるように、ワタシが合わせてあげるわ! 差し出した手も! 踏み出した足も! 全てワタシが奪ってあげる!」
シトリーの言葉と共に、何十もの茨がヴァロムに襲い掛かった。




