19.出来る事、出来ない事
悪魔の襲撃があったその日、ティエラは傷ついたヴァロムを屋敷に運び入れた。
身体は軽く、非力な彼女でもどうにかなる程だった。
元々、悪魔とはそういう体質なのかもしれない。
ただ受けた傷は、普通の人と何も変わらない。
全身傷だらけの彼を見て、屋敷の使用人達が慌てて手当てを始める。
流石に只事ではないと思ったのだろう。
状況を聞いてやって来たアランが、彼女に問う。
「一体、何が起きたんだ? 地震で負った怪我にしては、あまりに……」
「……アラン、落ち着いて聞いて」
誤魔化せる話でもない。
仮に嘘を言っても、余計に不信がらせるだけだ。
既に自分の正体も明かした手前、ティエラはヴァロムが何者なのかを告げた。
「彼が、悪魔だって……?」
「処刑寸前に、私が無意識で呼び出したの。彼は私の復讐を果たすために契約した使い魔なのよ」
「言い伝えにはあるけれど、まさかそんな事が……。だとしても、どうしてこんな怪我を……?」
「それは……」
悪魔については伝承で語り継がれている。
予感はあったのか、とりわけアランが取り乱す様子はなかった。
ただ、絶大な力を持つ悪魔が倒れ伏す理由が気になっているようだった。
故にそのまま彼女は話していく。
突如現れた悪魔・アグレアスの存在を。
すると彼は少し考えた後で、おもむろに呟く。
「つまりそれは……他に悪魔を召喚した人がいる、という意味なのかい?」
「まだ断言はできないの。分かるのは、私達が見逃されたことだけ。だからそれは、ヴァロムが目を覚ましてから聞いてみるわ」
「目を覚ます、か。酷い傷だったから、どうしたものかと思っていたけど……」
アランはベッドに寝かされたヴァロムを見る。
彼は未だに眠りについたままだ。
使用人から手当てを受け、幾つか包帯も巻かれている。
しかしアグレアスによって受けた傷は、殆ど治りかけていた。
まだ先程の襲撃から数時間しか経っていない。
どう見ても、自然と治るような早さではなかった。
「彼の傷は自然と塞がっている。普通なら有り得ない。だから悪魔だという話も、恐らくは本当なんだろうね」
「ごめんなさい。混乱ばかりさせてしまって」
「構わないよ。伝承で恐れられる悪魔であっても、僕を救ってくれた恩人に変わりはないんだ。取りあえず、普通の怪我人としてもてなすつもりだけど、どうだろう?」
「ありがとう。多分、それで大丈夫だと思うわ。それ以外は何が良いのか、分からなくて……」
ティエラも迷いながら答える。
信じてくれたアランには感謝しかなかった。
ここで放り出されでもしたら、彼を手当てする手段がなかった。
改めて彼女は、自分の無力さを思い知るのだった。
貴族としての立場を失った自分には、何の力もない。
何も出来ない事が、酷くもどかしい。
だからこそ彼女はアランに進言した。
「看病は、私に任せてくれないかしら」
「良いのかい? 必要なら、使用人に手伝わせようと思っていたんだけど」
「これは私の責任だから、私で何とかしたいの。それにアランも本調子じゃないでしょう? 今は貴方も、ゆっくり身体を休めて頂戴。ヴァロムを襲った悪魔も、これ以上は何もしてこないと思うから」
「分かった。そう言う事なら、任せるよ。念のために周辺の警護は、強化するよう伝えておこう。何かあったら、直ぐに周りの使用人に言ってほしい」
彼女の意志を汲んだようだった。
無理だけはしないように、と告げてアランはその場を立ち去る。
一応は看病をすると言ったものの、やはりする事は殆どない。
今は真夜中。
頭を冷やす布を取り換えつつ、眠り続けるヴァロムを見届けるだけだ。
そしてその合間にぐっすり寝るだけの器量は、彼女にはなかった。
せめて傷を癒す力があれば、そう思わずにはいられない。
椅子に座り、うとうとしながらも待ち続けると、気付けば朝になっていた。
眠気はあまりない。
逆にヴァロムの目は覚めない。
何も変わっていない事に、少しだけ焦りを覚える。
「駄目だわ。やっぱり何かしないと、悪い事ばかり考えてしまう」
他に何かないか、と考えた末に手元にあった金属の桶が目に入った。
彼の頭を冷やすために用意された冷水である。
ただ時間が経ったことで、張ってあった水は既に常温に戻っている。
汲み替えなければならない。
ティエラは水を得た魚のように動き出す。
使用人達に場所を聞いて井戸に辿り着く。
「あの……水を汲む位は、私共で行いますので……」
「任せて頂戴。この程度、私にも出来るわ」
「そ、そうですか?」
代わりにすると言う使用人達を押し留め、ティエラは自分で水を汲んだ。
今まで井戸に近づいたこともなかったので、程度が分からず苦戦したが、何度か繰り返して桶一杯の水を運び出す。
布も新しい物に取り換え、ヴァロムの眠る部屋へと戻る。
依然として彼は眠ったままだ。
傍にまで近寄った後、桶を置いて布を水に浸す。
そして何度目か分からないが、力を込めて水を絞り出した。
汲んだばかり水の冷たさが、少しだけ身体を冷ましていく。
「考えてみれば、自分で布巾を絞るなんて、初めてだったかもしれないわね。今更だけどこれ、ちゃんと絞れているのかしら? 大丈夫、よね?」
何度か確かめつつ、彼の額に布を置く。
濡れ過ぎた、感じはしない。
問題もなさそうだったので、取りあえずティエラはホッと息を吐いた。
「貴族としての作法は幾つも学んできたけれど、誰かを看病するなんて作法は……。いえ、そもそも作法なんて言葉を使う事自体が、間違っているのかも……」
これは作法ではない。
人を気遣い、看病することに作法も何もない。
貴族の感覚が抜けきっていない証拠だった。
幼少から令嬢としての振る舞いを叩き込まれてきた彼女からすれば、価値観が違うのは仕方がなかった。
看病など、他の使用人に任せておけば良い。
令嬢のする事ではない。
貴族としても、それが普通だったからだ。
それでも、思う所がない訳ではなかった。
数年前から見た悪夢。
自身を裁くアグレアスの姿。
今までの自分は間違っていたのだと、かつてのティエラは悪夢を見て思い知った。
慎ましく生きてさえいれば、きっと報われる。
きっと幸せになれる。
そう気付き、我が身を振り返りつつ生きてきた。
だが、ヴァロムは目覚めない。
傷は全て治ったというのに、やはりピクリとも動かない。
「……まさか、このまま目覚めないなんて、ないわよね?」
分からないが、ティエラは途轍もなく不安になった。
胸が締め付けられるような感覚すら覚える。
また出会って少ししか経っていないというのに、彼がいなくなるのが、遠くなっていくのが、酷く恐ろしく感じた。
「ヴァロム……貴方が目覚めなかったら、私は……」
自然と言葉が紡ぎ、そして気付く。
言葉の先にあったのは、悪魔の主としての思いだけではなかった。
もっと近しい、そして近づき切れない。
そんな切ない感情。
ティエラは自分の心が何を訴えているのか、自覚し始める。
「私は……?」
「ん? ティエラ……?」
するとヴァロムの声が聞こえる。
思わず顔を上げると、彼が瞼を開け、蒼い瞳を向けていた。
「っ!? ヴァロム、目が覚めたの!?」
「あ、あぁ……。まさか、あのまま気を失ってしまうなんて……しくじったよ……」
彼は上体を起こしながら、周りを見渡す。
アグレアスと戦い、気を失っていたと理解したようだ。
窓から零れる陽の光に目を細める。
それから額に乗っていた濡れた布に気付いた。
「もしかして、これって?」
「あっ……も、もしかして、しっかり絞れていなかったかしら……! ご、ごめんなさい、私……!」
「いや、そうじゃないんだ。これはアラン達が、そしてキミが看病していたって事なんだろう?」
一瞬だけ焦るティエラだったが、ヴァロムは首を振るだけだった。
表情からは後悔の念ばかりが浮かんでいる。
布を手に持った後、何かを言うよりも先にゆっくりと頭を下げた。
「本当に、すまなかった」
「ヴァロム……」
「オレの失態だ。主人の守護が最優先だというのに、あまつさえキミに守られるなんて……。あの時に庇ってくれなければ、どうなっていたか……」
「……ううん、良いのよ。私だって、殆ど勝手に身体が動いただけだから」
冷静さを取り戻し、彼女はそう言った。
実際、あの時は本当に無意識の行動だった。
自分が危険に晒される可能性もあったが、それでも動いていた。
ヴァロムに謝られる必要はない。
ただただ彼が無事で良かったと、彼女は思う。
なので、どちらも一歩引いたままの空気が流れてしまう。
居心地が良いような悪いような。
悪魔として謝るヴァロムが、それ以上譲りはしないだろう。
仕方がないのでティエラは問う。
確かに結果的には助かった。
アグレアスという脅威も去った。
だが彼女にはどうしても、聞かなくてはならない事があった。
「教えて。あの老人は、アグレアスは何者なの?」
「一応、オレと同じ悪魔だ。でもヤツは格上。何十体もいる悪魔を統べる大悪魔なんだ」
「大悪魔……そんなモノが……」
「悪魔の中にも優劣はある。その中でも、アグレアスは悪魔たちの上官なんだ。この国で言い換えるなら、公爵貴族って立場だな。力でも立場でも、敵う悪魔は全くいない」
「そんな大悪魔が、何のためにヴァロムを?」
「……オレが、規則を破ったからだ」
「規則……?」
「あぁ。今まで黙っていた事なんだが、もう隠す意味もなくなった」
唐突に出てきた規則という言葉に疑問を抱く。
一体、何の話だろう。
そう思っていると、ヴァロムは諦めたように視線を落とした。
「悪魔は規則に従って召喚され、召喚者と契約してその命に従う。それは、何となく分かるな?」
「えぇ。でも、ヴァロムが規則を破った所なんて……」
「確かに契約を交わしてからは、オレは規則に従っている。それは間違いない。でも、それより前は違う」
「前……?」
遡っても彼が妙な行動をしていた素振りは思い付かない。
前、とはいつの話だろうか。
契約の前、ティエラ自身が意識を取り戻す前。
そこまで考えて、彼女はハッとする。
「も、もしかして……!」
「契約を交わす前の話。召喚されて、火刑からティエラを救い出した事。あれが、悪魔にとっての掟破りなんだ」
「そんな! どうして!?」
「召喚されたからと言っても、相手と契約するまでは手を貸してはいけないんだ。召喚者が考え直して、悪魔を送還する場合だってあるからな。だから召喚の時点では、悪魔は不必要な干渉が禁じられている」
「だ、だったらヴァロムは、それを知った上で……?」
「そうだ。知った上で助け出した」
ティエラは言葉を失った。
まさか自分が気を失っている間に、そんな事があったなんて思いもよらなかった。
当時は何事もなかったような態度だったが、きっと彼自身にとっては相当な危険を覚悟したに違いない。
アグレアスが現れたのが、その証拠だ。
悪魔にとって、規律に反する行動は看過されないのだ。
だが、どうして。
困惑する彼女だったが、直ぐにヴァロムは答えた。
「オレには到底見過ごせなかったんだ。炎の中に取り残されて気を失ったキミを、見て見ぬフリなんて出来なかった」
「……!」
「結局は自分勝手な行動だ。それで怒り心頭のアグレアスが、オレを処罰しに来たのさ」
「どうして、契約する時に言ってくれなかったの……?」
「言えば、余計に心配すると思ったんだ。これ以上、苦しめたくもなかったしな。アグレアスだって、本気で挑めばどうにかなるかもって思っていた」
「……」
「でも、やっぱりアイツは強かった。流石、第2位。全く……あんなに一方的じゃ、自信を無くしそうだ」
自嘲気味にヴァロムは笑う。
その表情が眩しくて、ティエラは視線を逸らした。
どうして彼は、そこまでの事をしてくれるのだろう。
見ず知らずの火に炙られていただけの少女を、自分の身を犠牲にしてまで助けてくれるのだろう。
元々の性格なのだろうか。
悔しい。
何故か、悔しい思いばかりが積もっていく。
ティエラは俯き、両手を握り締めた。
「本当に……本当に、悪魔らしくないわ……」
「そう、かもしれないな」
この時だけは、ヴァロムも穏やかな声で返す。
本当に彼は損得など考えずに、ただ一人の少女を守ろうとしたのだろう。
昨晩、ティエラが庇った時と同じように。
邪な思いもない。
そう考えると、疑う余地は無くなってしまう。
残されたのは、アグレアスという悪魔の影だけだ。
未だ謎多き老爺に、ティエラは一抹の不安を抱く。
「また、あの悪魔はやって来るの?」
「ヤツは、今回は退くと言った。見逃されたんだ。一度言った事は守る性分を考えれば……断言はできないが、オレを消しに来ることもないと思う」
「消す? 悪魔にも死はあるの……?」
「基本的には不死だが、ない訳じゃない。悪魔の死は二つ。悪魔同士の闘争。それと契約の破棄だな」
悪魔の死、彼はその要因を語った。
「契約の破棄は、主か悪魔のどちらかが強く念じた時に起きる。そうすれば悪魔は、役目を果たせなかった存在として消滅するんだ」
「……それってつまり、悪魔の命は私達が握っているという事よね?」
「そうなるな。だから悪魔は召喚者に忠実なんだ。必要ないって切り捨てられたら、そこで終わりだからな。まぁ召喚者だって、一生に一度しか出来ない悪魔の召喚を無駄にする訳がないし、それで代償が免除される訳でもない。普通は起こり得ない話だ」
契約には悪魔自身にもリスクがある。
そうでなければ、強大な力を持つ悪魔が普通の人間に従う訳もない。
ただ、ヴァロムにおいては例外にも思えた。
契約という縛りがあったとしても、きっと自分の考えを曲げない。
ティエラは既に彼の性格を理解しつつあった。
「私は、そんな事は思わないわよ」
「……ありがとう、ティエラ」
だからだろうか。
ヴァロムと共にいる事が、かけがえのないものに変わっていく。
全てを失い、何も出来ない身ではあるが、彼がいれば前に進めるのだと。
これからも傍にいてほしいと、思うようになっている。
ティエラはその感情に気付いていた。
前々から多少なりとも自覚はあったが、考えないようにしていたのかもしれない。
あの胸の痛みを。
魔女の冤罪を受け、火刑に処された自分が、偶然召喚してしまった悪魔に絆されているのだと。
そこまで考えると、不意に扉がノックされる。
「ん? どうやら、目が覚めたみたいだね?」
様子を見に来たようだ。
アランが部屋に立ち入り、ヴァロムの無事に安堵する。
反射的にティエラは取り繕ったが、直ぐに異変に気付く。
彼の顔色が優れない。
体調が悪いのだろうか。
昨日の今日でうまく寝付けなかったのかもしれない。
「アラン、どうかしたの? 具合でも悪いの?」
「それが……一つ、問題が起きたんだ」
「問題?」
「義母を、ウインス伯爵の身柄を寄越すよう命じてきた貴族がいるんだ」
「えっ!?」
ウインスは治療が終わって安静にしている頃だ。
まだ話せるような状況ではない。
そんな中で、誰が彼女の身柄を欲しているのか。
事態が急転したと知り、ヴァロムも目を丸くする。
「その貴族の名前は!?」
「今の宰相、ノルマンディ侯爵だよ」
聞き逃せる筈のない名が、アランの口から語られた。




