10.里帰り
目立たない所で馬車を降り、外壁の門を潜る。
ティエラの故郷である中心都市に、表立った変化はない。
以前と変わりなく、建物や土地の景色は変わっていない。
しかし人々の姿は、以前よりも活気が失われている。
それも当然だろう。
魔女裁判によって、この地を治めていたシュヴェルト家は完全に失われた。
統治を失った中でも然程混乱したように見えないのは、別の介入を受けたからだろうか。
ティエラは身隠れのローブを被りながら、その場所に足を踏み入れる。
「魔女裁判が行われてから、付近に大きな変化はない。あの不当な断罪の後、別の貴族がシュヴェルト家の代わりを担ったからだ」
「それってまさか……」
「シュヴェルト家の領土は、隣領土のヒンドリー家……いや、ウインス伯爵の所有となったんだ」
同行するヴァロムは、道行く人に視線を巡らせる。
心を読んで周囲の状況を把握しているのだろう。
青白い瞳が微かに輝いて見える。
そしてその話の中心にいたのは、ウインス伯爵。
処刑人・アルバドが言い残した人物である。
「アルバドが仄めかしていた人ね」
「隣領土の関係だ。オレよりも、ティエラの方が詳しいんじゃないのか?」
「いえ、実はあまり知らないの。彼女の夫、ベルク・ヒンドリー伯爵なら昔から交流はあったわ。でも彼は病を患って、去年亡くなったのよ」
「そう、だったのか……」
「それからは、正当な後継者が適齢期になるまで、奥方のウインス伯が領地を統治するようになったの。後妻という事もあって、私は殆どあの人を知らないわ」
ティエラもかつての記憶を手繰り寄せる。
隣領土を治めるベルク・ヒンドリー伯爵は、穏やかで心優しく、領民にも慕われていた人格者だ。
彼女自身も幼い頃から両親に連れられて挨拶をしており、パーティーでは近況を話し合ったりするような、お隣さんの仲になっていた。
そして数年前、彼の傍に唐突に現れたのが、後妻のウインス伯爵だった。
若々しく、倍近くの歳の差結婚。
妙にキラキラとした雰囲気を纏わせた女性で、正直あまり良い印象は持っていなかった。
「でも、あの人が魔女裁判に関わっていたのなら……」
「確かめる以外にはないな」
彼女達は互いに頷く。
あの断罪の場にウインス伯爵は姿を見せていなかったが、裏で何かしらの工作をしていた可能性もある。
確かめなければならない。
自らの手で真実を明らかにしなければと、ティエラは改めて決意を固める。
しかしながら、ヴァロムが連れてきたのは彼女自身の故郷である。
ウインス伯爵の領土も屋敷も、当然だが隣領土にある。
わざわざ此処に来たのには、何かしらの意図があるのか。
「ねぇ、ヴァロム」
「どうした?」
「ウインス伯爵を調べるのは構わないけど、どうして私の故郷に来たの? 彼女の事を調べるなら、直接ヒンドリー邸へ赴いた方が良いと思うのだけど」
「理由は簡単。彼女は今、この都市に視察へ来ているんだ」
「……まさか」
「場所はキミが住んでいた屋敷。シュヴェルト家の邸宅だ」
既に彼女が住んでいた屋敷は、主を失った。
もぬけの殻と同じである。
そんな所にウインス伯爵がいる理由は自ずと絞られてくる。
領地を自分のモノにした時と同じく、屋敷も自分の所有物にするつもりなのだろう。
ティエラは自ら足を踏み出し、屋敷へと向かっていく。
記憶と全く変わらない道を進んでいくと、領民のヒソヒソ話が微かに聞こえてくる。
「ティエラお嬢様が魔女だったなんて、今でも信じられません」
「えぇ、何の突拍子もない話だったし……」
「ティエラ様の無念な魂が、今も幽霊となって彷徨っているって噂よ」
「屋敷を通り掛かった人が、ぼんやりと映るティエラ様を見たって言っていたわ。アレは間違いなく、あの方の亡霊よ」
「それにしても、あのお屋敷……ウインス伯爵が視察しているみたいだけど、一体何をする気なんでしょう……?」
動揺は確かにあるようだが、根も葉もない噂ばかりが広まっているようだ。
誰が何処でティエラ・シュヴェルトの亡霊を見たというのか。
そもそも自分は此処にいるのだが。
そう彼女は思いつつ、息を吐く。
「私の幽霊だなんて……勝手な噂ばかり広まっているみたいね」
「……」
「どうかしたの?」
「いや、何でもない」
どうしたものかと促すと、ヴァロムは微妙そうな顔をしていた。
まるで幽霊という単語を耳にして委縮したような様子。
妙な態度だったので、思わずティエラは口に出してしまう。
「もしかして……?」
「怖いという訳じゃないんだ。ただ人の噂は、時には人を盲目にさせる」
「どういう事?」
「何も知らない人からすれば、聞かされた噂はどうしても記憶に残ってしまう。第一印象って言うのかな。どんどん広がって、増長して、有りもしない幻想を生み出す」
「……」
「魔女裁判が最たるものだな。キミは魔女ではないのに、皆が有りもしない空論に惑わされて、飛びついてしまった。人の心は良くも悪くも流されやすい。他人と同調して、協力しながら生きていくのが人の世、だからかな」
「つまり……他の方々に迷惑をかけるな、と言うような事?」
「そう。ただ、それが悪い訳じゃない。悪いことは悪いと、決め打つことだって大事だ。でもそればかりに囚われると、今度は前に倣うだけの考え方になってしまう。迷惑をかける事は、悪い事。そう思ってしまうから」
「……相手が王族なら、猶更ね」
「あぁ。だから自分の考えを通すことは難しいんだ」
彼はただ、人の心を憂いていた。
こうも真っ当な反応をされると、彼が悪魔だという事を忘れそうになる。
見た目以上に達観した青年のようだ。
そこまで考えて、彼女の胸の内が少しだけ違和感を抱く。
朝方にもあった胸の痛みだ。
今、自分は何を考えたのだろう。
妙な動揺が起き、見上げていた視線を逸らした。
「ホント、変な悪魔」
「へ、変……」
「さぁ、そろそろ行きましょう?」
動揺を見せたくなかったので、ティエラはヴァロムを追い越して進む。
彼女の屋敷は直ぐそこまで迫っていた。
●
貴族の住居として威厳を保っていたティエラの屋敷は、未だに健在だった。
家主を失い華々しさは失われているが、変わりのない我が家がそこにあった。
それを見た瞬間、ティエラにかつての記憶が思い起こされる。
両親と共に暮らした思い出。
令嬢として過ごしてきた日々。
全てを奪われた今との乖離によって、感情が揺り動かされる。
だが、涙を流したりはしない。
感傷に浸っている猶予はないと分かっていたからだ。
今、求められるのは復讐。
その果てにある真実を確かめる事だけ。
ティエラとヴァロムは、離れた距離から周囲の様子を窺った。
既にウインス伯は、この屋敷の中にいる。
正門に見張りの、ヒンドリー領の兵士がいる事が何よりの証拠だ。
兵士は邪魔者が入らないよう、注意深く周りを監視している。
正面からの突入は流石にバレる。
ヴァロムの力を使っても良いのだが、ここで事を起こすのは得策ではないため、彼女達は裏庭から回り込むことにした。
幼い頃より住んでいた場所だ。
ティエラも屋敷の構造は把握している。
そして断罪の前日、裏庭の壁が老朽化で崩れたため修理するという話を聞いていたのだ。
案の定、そこへ行ってみると修理されていない壁が、草木の茂みに隠れて残っていた。
彼女達はその崩れた壁から裏庭へと侵入。
屋敷の中へと入っていった。
「帰って、きたのね」
兵士の数は多くも少なくもない。
ヴァロムに周囲を警戒してもらい、兵士の目を掻い潜りつつ、彼女は屋敷の中を探索した。
だが、今は誰も見知った者はいない。
馴染み深い使用人達も、屋敷を彩っていた品々も無くなっている。
殺風景な通路と、無味乾燥な部屋の数々ばかり。
「お父様……お母様……」
魔女裁判の犠牲者は、墓標も作られなかった。
父と母の面影も、記憶の中にしかいないのか。
探索を続けて分かるのは、あの頃には戻れないという確かな事実。
そして仄かに灯る復讐心のみだった。
「貴重な品は全て置いておきなさい! 金にならない不要な物は全て処分する事! 良いわね!?」
唐突に、外の方で甲高い女性の声が響いた。




