【09】 聖人ユリウスの事情
メアリがいそいそと帰り支度をし始めた同じ時刻、ユリウスはルフナ教会にある自室で頬づえをついたまま、居眠りをしていた。
「聖人、ユリウスよ。今日この時を持って、おまえを追放処分とする!」
厳かな雰囲気の中、杖をついた高齢の老女が粛々と宣言する。
その途端、ぴったりと閉じていたはずの大扉の向こうは阿鼻叫喚をきわめた。
まるでこの世の終わりかのような叫び声が、大聖堂にこだまする。
この夢を見るのは何度目だろうか。
まるで戒めかのように、ユリウスが油断している時を見計ったように現れる。
もっとも、その内容は彼に都合が良いように改変されているのだけれど。
(あながちうそでもないはずだ。たぶん)
力強い殴打に、扉を守っていた聖騎士たちが必死になって足を踏ん張る。
火災で逃げ惑う人がようやく出口を見つけ、しかし扉は施錠されていて脱出は絶望的。ああ、誰か助けて。どうかこの扉を開けてちょうだい──と、そんな妄想が思わず脳裏を過ってしまうくらいには、扉の向こうがカオスであることは容易に推し量れた。
「あの……」
今にも叩き割られそうな扉を心苦しそうな顔で見つめるユリウスに、大聖女──ステファニー・アップルトンは「振り返ってはならん」と静かな声で告げた。
「すまないな、ユリウス。おまえはなにも悪くないというのに……」
しわくちゃの顔をさらにクシャッとさせて、不憫な孫を見つめる祖母のような顔でステファニーはユリウスを見る。
そんな彼女に、ユリウスは力なく首を横に振った。
「いえ、俺が悪いのです。俺が、こんな顔だから……」
表情を曇らせてなお、ユリウスの顔は輝かんばかりに整っている。神が気まぐれに天界へ連れ帰ってしまいそうな、それほどまでの美貌──!
彼の顔が尋常ではないくらい整っているのは赤ん坊の頃からで、彼の両親は直視できないほど神々しい赤ん坊に「これは俺らには育てらんねぇ!」と教会へ丸投げ……預けたほどである。
そんな彼をここまで育てたのが大聖女ステファニーであり、彼女の側近である高位聖女たちだった。
今、この大聖堂の中にいる面々はみんな、ユリウスにとって家族同然の存在だ。
顔が整っている。
ただそれだけの理由で大聖堂から追放されようとしている孫を、息子を、弟を、彼女たちは怒りと悲しみがない混ぜになった顔で見つめている。
「わたくしたちが至らないばっかりに!」
「今からでもどうにかなりませんか? わたくし、心を鬼にして見習いたちを指導しますから!」
どうかどうか、ユリウスにひどいことをしないで。
それぞれ思いつく改善案を言い合いながら、聖女たちは涙する。
そんな彼女たちへ、ステファニーは深々と頷きを返した。
ユリウスが追放されるのは、彼のせいじゃない。
だけど今、彼を追放しなければ、この国の聖女や聖人は生きて行かれなくなる。
この国における聖女や聖人は、常人にはない不思議な力を持った者たちのことなのだ。
ごく稀に、不思議な力を持って生まれてくる子どもがいる。
大聖女ステファニーが触れるもの全てを癒やす治癒の力を持つように、雨を自在に降らせる力や何もないところから火をおこす力など、ややもすれば異端として迫害されそうな者たちを保護し、教育した上で大切にしてきた。
ユリウスにももちろん、特別な力がある。
ゴーストを見、ゴーストと話をすることができる力だ。
顔が良すぎることは、偶然の産物にすぎない。
だがこの顔が、いけなかった。
聖人や聖女になるためには、厳しい試練を乗り越えなくてはならない。
そのためにはあらゆる欲から離れる必要があり、見習いたちは禁欲的な生活を余儀なくされる。
そんな見習いたちにとって、ユリウスの美貌は凶器だったのだ。
夜な夜なユリウスの部屋を探し回る聖人見習いたち。
あわよくば顔を見て、ちょっとくらいお話でも……と訓練を抜け出す聖女見習いたち。
このままではユリウスの貞操も、未来の聖人聖女たちも危険であると判断したステファニーは、本当に、ほんっっとうに心からすごく嫌だったけれど、決断する他なかった。
中途半端なことをするくらいなら、きっちりと。
決断したステファニーは、容赦なかった。
ユリウスを大聖堂から追放し、ステファニーの昔馴染みへ預ける。
ロンディアナ王国の霧の街、ロディムにある教会の墓地には、かの国の英霊たちが眠っているという。
ゴーストを見、ゴーストと話ができるユリウスとって、有意義な時間になるだろうとステファニーは考えた。
「それに……」
ここにいては、恋の一つもできないではないか。
かわいい孫には、好きな女性を見つけて幸せな家庭を築いてもらいたい。
大聖堂へ祈りにやってくる家族を見て、ユリウスがうらやましいと思っていることなんて、ステファニーにはお見通しなのである。
(家族に恵まれなかったからこそ……なおのこと恋しいのだろう)
できなかった自分の代わりに、なんて無責任だろうか。
大聖女らしくもない、とステファニーは頭を振る。
「大聖女様?」
キョトンと不思議そうに見上げてくる顔は、幼い頃から変わらない。
かわいいかわいい、ユリウス。どうか幸せになってちょうだい。
願いを込めて、大聖女ステファニーは声を張り上げる。
扉の向こうにいる見習いたちが、諦められるように。
「さぁ、出ていきなさい。おまえの居場所はもう、ここにはない!」
追放者にだけ開かれる扉が、古めかしい音を立てて開け放たれる。
まばゆい光が扉から差し込み、ユリウスは目を細めた──と、その時、頬づえをついた右手の支えを失い、ユリウスは崩れるように目を覚ました。
ぼんやりとした思考を揺り起こすように頭を振る。
ふと目に入った窓の外はもうすっかり暗くなっていて、ユリウスは慌てて立ち上がった。
「行かなくては」
ユリウスの仕事は、昼だけでなく夜もある。
むしろ、彼の仕事は夜が本番といっても過言ではない。
頭の奥にわずかばかり残っていた眠気を追い出すように欠伸を一つ噛み殺し、ユリウスは部屋を後にした。
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