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【46】 奇婦人メアリは振り返らない

 数日後、メアリは王都にあるヴェルマー商會(しょうかい)にいた。

 受付で名前を告げると、にこやかにあいさつされる。


「ベケット様ですね。お待ちしておりました。間もなく担当の者が参りますので、あちらでおかけになってお待ちください」


「わかりました」


 担当の者というくらいだから、コンラートでないことは確かだろう。

 内心、彼が出てきたらどうしようと身構えていたメアリは、ホッと胸を撫で下ろした。


(そもそも彼は、ロディム街のヴェルマー商會を任されているのだったわ)


 緊張しちゃって馬鹿みたいだ。

 指し示されたソファへ腰掛け、フゥと息を吐く。


 見上げると、高い天井から豪華なシャンデリアがぶら下がっていた。

 エントランスとは思えない華美さに、そこはかとなく貴族の屋敷を意識しているのが見え隠れしている。


(足りないのは家柄だけ……といったところでしょうか)


 手紙で自慢するだけのことはある。

 手を組みたいとは、思えないが。


 メアリは自分の機械を、子どものように思っている。

 だから、何があっても大事にしてくれないと困るのだ。


 お金はあり余るくらいあるが愛情のない親と、お金はほどほどであふれんばかりの愛情を注いでくれる親。

 賛否両論あるだろうが、どちらが良いかと尋ねられれば、メアリは後者だと答える。


「できるかぎり穏便に、お断りできたら良いのですが……」


 頰に手を当てて、悩ましげに息を吐いたその時だった。

 メアリがいるところよりもやや上──二階へ続く階段の踊り場から、ハッと鼻で笑う音が聞こえてくる。

 なんだろうと思って視線を上げると、男と目が合った。


 視線が交差した瞬間、唇を歪めた男がニチャアと笑う。

 気味が悪くて仕方がない。

 生理的に受け付けないという強烈な嫌悪感が湧き上がり、メアリはブルリと体を震わせた。


「メアリじゃないか!」


 ただ名前を呼ばれるだけで、吐き気がする。

 こんなの男の言うことを聞いていたのかと思うと、怖気(おぞけ)が走った。


 メアリがまばたきも忘れて見つめていると──それはまるで、天敵との距離を図るかのようなまなざしだった──コンラートがツカツカと階段を降りてくる。

 これ以上近くに来てほしくなくて、メアリは制するように立ち上がり、シェンファの助言通り、にこやかにあいさつした。


「お久しぶりです、ヴェルマー様」


 すでに婚約は破棄され、立場としてはメアリの方が上である。

 しかしコンラートはそう思っていないのか、目上に対するあいさつをしなかったメアリのことを、責めるように睨め付けた。


「会わない間に随分と生意気になったようだ」


「そうでしょうか?」


「そこは、申し訳ございません、だろう?」


「なぜですか?」


 誰がどう見ても、不敬なのはコンラートの方だろう。

 彼はとても紳士とは言えない──商売人としてもあるまじき── マフィアの下っ端のような格好をしている。

 対するメアリは、戦闘服と称してユリウスからプレゼントされた、特別なドレスを着ていた。


 流行のバッスル・スタイルを取り入れつつ、スカートの前部分は大胆な膝上丈。

 そこから伸びるのは、ロングブーツを履いたメアリの足である。

 シルク手袋の代わりは革製の指抜きグローブ、その手には愛用の仕込み日傘が握られていた。


 後ろから見れば貴婦人、前から見ると奇婦人。

 ユリウスと墓地の貴婦人たちが夜な夜な相談し合ってデザインした、世界に一つだけの特別な戦闘服(ドレス)だ。


『かっこいいでしょう? これを着れば、あなたは誰にだって負けない』


 彼の心遣いに感謝だ。

 萎縮することなくコンラートと対峙(たいじ)していられるのは、このドレスのおかげに違いない。


「なぜって……」


「謝る理由が、どこにあるのですか?」


「……口答えするな!」


 以前とは違うメアリに、コンラートはイライラと叫んだ。

 しかし、言われっぱなしの彼女ではない。


(それに……こいつのせいで私は、危うく慰み者にされるかもしれなかったのです!)


 路地裏で出会った、コンラートの知り合いだという男。

 彼がメアリへ声をかけてきたのは、コンラートが『メアリはなんでも言うことを聞く』と言ったからに他ならない。

 コンラートが余計なことを言わなければ、彼女はいつも通り遠巻きにされるだけで済んだのだ。


 あの日のことを思い出して、メアリの中で沸々と怒りが沸き上がる。


(怒りたいのはこちらですわ!)


 メアリがキッとコンラートを睨むと、彼は怯んで「なんだその目は!」と怒鳴った。

 問答無用とばかりに、メアリは愛用の仕込み傘の先端をコンラートの顔へ突きつける。

 そして、傘の柄についている、いくつかあるボタンの一つを押した。


 ──プシュッ


 先端から噴射されたのは、(フー)商会で手に入れた痺れ薬だ。

 顔に吹きかけると、一時間ほど痺れてまともに喋ることができなくなる。

 その効果は絶大で、あっという間に彼は口を開くことすらできなくなった。


「痺れ薬を使いました。一時間ほどは、喋ることができませんよ」


 話せないとわかると、コンラートはますます激怒したようだった。

 メアリの近くにあった陶製の置物を薙ぎ倒し、威嚇するように彼女を見下ろす。


 それでもメアリは逃げなかった。

 次なる攻撃をしようと、傘を構える。と、その時だった。


「連れて行け!」


 老人の号令でバタバタと複数の屈強な男たちが現れ、コンラートを取り押さえる。

 有無を言わさず──痺れ薬で喋れるはずもないのだが──彼は連行され、メアリの視界から消え去った。


「……」


「待たせたかな?」


 あっという間のことにメアリがポカンとしていると、何事もなかったかのように老人──ヴェルマー商會の会長が声をかけてきた。


「来てくれてうれしいよ」


 その声に、感謝の意なんて込められていない。

 来て当然だという傲慢(ごうまん)さが、前面に出ていた。


(やっぱり、一緒に仕事をすることはできないわ)


 メアリのことも、メアリがつくったものも、食い物にされて終わり。

 嫌な未来しか想像できなくて、絶対に断るという決意が確固たるものになる。


「それで……来てくれたということは、申し出を受けてくれるということかね?」


 問いかけに、メアリはにっこりと微笑んだ。

 だが目だけは冷ややかに、会長を見ている。


「お断りします」


「なに?」


「ですから、お断りします。あのような振る舞いをする方がいるところと、一緒に仕事をするつもりはありません」


 ああ、なんというタイミングでコンラートは絡んでくれたのだろう。

 良い口実ができたと、メアリは内心ほくそ笑む。


「しかし、……」


「お話は以上です。失礼いたします」


 飛び散った置物をこれみよがしに被害者ぶった顔で見つめ、メアリはこれ以上見ていられないかのように目を背けた。


「コンラートはクビにする。それでどうだ⁉︎」


「そんな……たかだか私のことくらいで彼をクビにするなんて、あってはならないことですわ」


 逆恨みでもされたら大変だ。

 それに、迷うことなくクビにすると言ったあたり、はなからそのつもりだったに違いない。


(あのような態度では到底、商売人など務まりませんもの)


「このお話は、なかったことに。では、失礼いたします」


 メアリは踵を返すと、颯爽(さっそう)と歩き始めた。


 背後から、値上げ交渉の声が聞こえてくる。

 もちろん、彼女が立ち止まることはなかった。


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