【44】 聖人ユリウスの告白
「俺との婚約を、検討してもらいたい」
「はい?」
メアリは目をパチクリとさせた。
胸に抱いた書類がグシャリと音を立てたが、気にする余裕もない。
急転直下とは、まさにこういう時のことを言うのではないだろうか。
友人として誇りに思うと言われた直後に、婚約してほしいとは何事か。
(大聖堂では誇りに思えるような友人と婚約する制度でもあるのでしょうか……?)
大聖堂について、メアリはほとんど知らない。
禁欲的な生活をしているとか、結婚はしないらしいとか、そういう話は知っているのだが。
(そうよ、結婚できないのではなかった? では、婚約するというのも、なにかの隠語なのでしょうか……)
「違うよ」
「えっ⁈」
「すまない。こういうのには順序が必要なのだった」
そう言うと、ユリウスは呆然と立ち尽くすメアリの前にひざまずいた。
いきなりなにをするのか、この聖人様は。
驚きのあまり、メアリは「ヒッ」と悲鳴を漏らした。
「俺は、あなたがこれからも自由に機械いじりができるように、手助けをしたいと思っている」
「あ……」
もしや彼は、メアリのパトロンになるために婚約を持ちかけているのだろうか。
ユリウスがそんな人ではないとわかっているのに、理由がわからないメアリはそんなことを考えた。
「聖人だって結婚する。現に、王妃は聖女だろう?」
「……そうね」
なるほど、その通りだ。
そして、メアリが機械いじりを続けるにはさまざまな問題がある。
その最たるものが家のことなのだが──、
(そうでした。アールグレーン様さえその気なら、問題はほぼないに等しい……)
ただ一つ欠点を挙げるとするならば、彼と婚約したらメアリは蜂の巣にされるということだ。
(だけど……)
紳士的にお願いしてくるユリウスに、おざなりな返事などしたくない。
それに、彼は「検討してほしい」と言った。婚約してほしいではなく、検討してほしいと。
(それくらいなら……できるかもしれません)
黙って思案するメアリを、不安そうな顔で見上げてくるユリウス。
とても様になっている、とメアリは思った。
王子様なんて遠目にしか見たことがなかったが、彼よりもよっぽどユリウスの方がそれらしく見える。
「考えて、もらえるか?」
「……それくらいなら。でも、あまり期待しないでくださいね⁉︎」
期待させまいと忠告しても、ユリウスは聞こえていないかのように上機嫌だ。
「大丈夫だ、そうなってもらえるよう努力する」
「努力⁉︎」
聞こえていないわけではなく、メアリに期待をしていなかったらしい。
期待させずに済んで安心したが、別の意味で心配になる。
そこまでする価値が、メアリにあるのだろうか。
考え直した方がいい。
そう言おうとしたメアリの言葉を遮るように、ユリウスは言った。
「俺はメアリが好きだからな」
「好き⁉︎」
彼の言葉に込められた意味を、はき違えるほどメアリは鈍くない。
素っ頓狂な声でおうむ返しにしてくる彼女へ、ユリウスは余裕たっぷりのしたり顔でこう言った。
「惜しみなく、努力していくと誓おう」
しなくていい。
そんなものをされたら、ますます蜂の巣にされる確率が上がるから。
(精神的な攻撃からも守れる盾を開発したい……)
果たして、そんなものをつくれる日がくるのかどうか。
だが、考えるだけなら自由である。
「ただ待っているだけで、あなたがその気になるとは思えないからな」
いたずらっ子みたいな顔をしたユリウスが、スッと伸び上がってくる。
避ける間もないくらいの早業で、唇に限りなく近い頰にキスをされた。
「ぴ!」
頰に手を当てて硬直しているメアリに、ユリウスはクスクスと笑う。
「かわいらしいことだ。これくらいで顔を真っ赤にして。今時、幼い女の子だってこれくらいでは赤面しないよ」
「では、あなたも赤面しないのですね⁉︎」
メアリの負けず嫌いに火がつく。
彼女はユリウスの襟元をむんずと掴むと、そのまま引き寄せて唇を押し当てた。
思いのほか目標が遠くて顎になってしまったが、その顔を見たら大成功だと言えるだろう。
「しているではありませんか」
ニヤリと悪党みたいに笑ってみせたら、顔を真っ赤にしたユリウスが深々とため息を吐いた。
顔を覆う手の間からこちらをのぞく目が、据わっているように見えるのは気のせいだろうか。
「あなたは俺より年上で、大人の女性なのに……時折子どものようになるな」
「あ、あなただってそうではありませんか!」
「おそろいか。嬉しいな」
おそろい。
嬉しい言葉に、じわじわとメアリの顔が緩む。
ふにゃりとしまりのない顔で「へへ」と喜びを噛み締めるメアリを見つめ、ユリウスは甘く蕩けるような笑みを浮かべたのだった。
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