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【21】 残り香①

「いらっしゃいませ」


「こんにちは、メアリさん」


 メアリを見るなり、ユリウスはふにゃりとしまりのない笑みを浮かべる。

 それはまるで雪解けのように穏やかで、メアリも自然と笑みがこぼれた。


 だが、安心してもいられない。

 その雪解けのような微笑みは、極度の緊張があるからなのだから。


 ここへ通うようになってしばらくたつのに、ユリウスは相変わらず緊張しているようだ。

 強張った顔が一気に緩む様は、何度見ても美しいの一言に尽きるが、だんだんとかわいらしさも感じるようになってきていて、メアリはちょっとだけ困惑している。


(なんというか……油断されている感じが、あるのです)


 デンバーのように見下しているのとも違う、良い意味で気を抜いている感じ。

 寒い日にあたたかな湯船につかってホッと息を吐いた瞬間のような、それに近いものがあるように思えてならない。


(まぁ……それも仕方がないのかもしれませんわね)


 だって彼は、街中の女の子たちが注目している美貌の聖人様。

 今日は薔薇を何本切ったとか、八百屋のおばさんが話しかけられていてずるいとか、そんなことさえうわさになってしまう人なのである。


(アールグレーン様が店へ来るようになって……彼に関するうわさが妙に耳に入るようになったのはなぜでしょうか……?)


 不思議である。

 とはいえ、細かすぎるうわさが流れているということは、それはつまり、あらゆるところから逐一見られているというわけで──、


(まるで監視されているみたいですもの。せめてこの店の中でだけでも、ゆっくりしてもらいたいわ)


 いつものようにユリウスを出迎えたメアリは、彼を応接室へ通したあと、急いで看板をしまった。

 もちろん、彼を慕う女性たちが後を追ってきていないかどうか、その確認も忘れない。

 今日も今日とて通行人すらいないことに安堵(あんど)しながら、メアリは扉を閉めた。


 ユリウスがこの店に通っているという秘密が、未だに秘密のままであることに驚きを隠せない。

 まさか街中に点在する幽霊たちが力を貸しているとは夢にも思わないメアリは、今日も「アールグレーン様にはステルス機能でも付いているのかしら」なんておかしなことを考えた。


 応接室へ戻ると、難しい顔をしたユリウスがソファへ腰掛けてメアリを待っていた。

 目を細め、険しい視線で中空を睨んでいる。

 綺麗な顔が不機嫌に歪められているのは、妙な迫力があった。


 何か不愉快になるようなことがあったのだろうか。

 もしかして、緊張していたのはそのせい? ──なんて正直に質問するのも気が引けて、メアリはとりあえずコーヒーの準備に取り掛かった。


(うーん……お仕事でお悩みなのかしら? だとしたら、今日デートの約束をするのは無理……よね?)


 メアリが読んだ本には、こう書いてあった。


『狩りの邪魔はしないこと』


 人間も他の動物と同じで、狩猟本能を持っているらしい。

 日常生活で目標を達成させたり、仕事を成功させたり、または恋人を手に入れようとする時。そのような時に誘うのは悪手である。


 また、本にはこのようなことも書いてあった。


『狙い目は、一仕事終えたあと』


 獲物を得た人は、それを持ち帰り、共有することで満たされたいという心理になるそうだ。

 仕事で思い悩んでいるのだとしたら、それが解決したあとが狙い目ということだろう。


(私がお手伝いできたら、良かったのだけれど……)


 ただの機械愛好家でしかないメアリに、一体何ができるというのか。

 残念に思ってハァと息を吐いた時、ユリウスが「どうした?」と声をかけてきた。


「え?」


「悲壮な顔をしてため息なんて吐いているから……。仕事柄、話を聞くのは得意だ。話せるものなら、話してほしい。誰かに話すだけでも、一人で抱え込むよりマシなはずだ」


 ユリウスの言葉に、メアリは驚いたように目をパチパチさせた。

 それから、何か思案するかのように小さく頷いて、「なるほど」と言いながら頷きが深くなっていく。


「では、アールグレーン様。私にお話ししてくださいませ」


「は?」


 気の抜けた声が、ユリウスの口から漏れ出る。

 メアリは構わず、彼のそばへズイズイと歩み寄っていった。


「何か悩み事があるのでしょう? 険しい顔で、何やらお怒りのご様子。いつもは私ばかり話していますけれど、たまにはアールグレーン様の番でも良いと思いますわ」


「いや……」


 一歩近づけば、同じ分だけ逃げられる。

 だからメアリはまた一歩、彼に近づいた。


「私には話せないようなことでしょうか? 私が女だから? でも、私はもうすぐオールドミスになるような年齢ですもの。もはや、女にあらず。男のようなものだと思って、気兼ねなくお話ししてください」


「そういうわけには……」


 マスケット銃を一斉射撃したように捲し立ててくるメアリに、ユリウスはたじたじだ。

 だが、メアリだって引くつもりはない。

 とうとうソファの隅まで追いやられたユリウスの前で、メアリはちょこんとしゃがみ込んで逃げ道をふさいだ。


「だから?」


 絶対に逃がさないという強い気持ちで、メアリはユリウスを見つめる。

 ユリウスは「うぐ」と何かを我慢するような顔をして、それから苛立たしげに息を吐き出した。


(やりすぎてしまったかしら……?)


 思い込んだらまっしぐら。一生懸命すぎるのは、メアリの良いところで、悪いところでもある。

 しょんぼりと眉をハの字にするメアリに、ユリウスは慌てふためいた。


「ああ、違う。あなたに対して怒っているわけではなくて……」


 ユリウスは泣きそうな顔でそう言った。

 不安になったり、怒ったり泣いたり、ここにいる時の彼は表情豊かだ。

 うわさで聞くような、常に微笑をたたえる孤高の聖人様とはまるで違う。


 きっとどちらも、ユリウスなのだろう。

 どちらか一方だけでは、成立しない。


 メアリだって、そうだ。いろんな一面を持っている。

 それぞれの場面で、使い分けているだけだ。


(私が知っているのは、ここでの彼とうわさの彼だけ。きっと知らないこともたくさんあるわ)


 メアリの中の好奇心が、ウズウズしだす。

 彼女の脳裏に、獲物に飛びかかろうとお尻を振って狙いを定めている猫の姿が思い浮かんだ。


(いけないとわかっているのに……聞かずにはいられません!)


 機械以外でこんなにも興味を惹かれるものなんて初めてだった。

 自制が利かないのは、きっとそのせい。

 普段だったら絶対に受け流していたはずなのに、メアリの口は、軽々しくユリウスへ問いかける。


「では、何をそんなに怒っているのですか?」


 キョトンと首をかしげて問いかけると、ユリウスはモゴモゴと何事かを呟いた。

 こんな近くにいるというのに聞こえないような声が出せるなんて、器用な人だ。

 メアリはどうやるのかしらと考えながら、ユリウスの回答を待った。


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