【19】 香水と交霊会①
「なぁ、メアリ。おまえ、知っているか?」
それは、メアリがシェンファから「ユリウスをデートに誘ってみなよ」と唆されてからすぐ──それはあくまでメアリ基準であり、一般的にはすぐではない──のこと。
ユリウスが来ると、つい流れるように作業部屋へ行って、その日愛でるための作品を選んでしまうメアリは、もう何度もチャンスがあったというのに、約束どころか言い出すこともできていなかった。
いい加減どうにかしなくちゃと思ったメアリは、本屋でこんな本を購入してきた。
【モテるためのハウツー、初級編】
露骨過ぎるタイトルに、何度購入を躊躇ったことか。
しかし、目次にあった『デートの誘い方』に、購入を決意した。
買う時も恥ずかしかったが、こんな本を読んでいることを知られることはもっと恥ずかしい。
しっかりと革のカバーをかけ、メアリは対策を講じた。
とはいえ、デンバーが出勤するのは想定外である。
なんでいるのだろうと恨めしく思いながら、メアリはいかにも小難しい本を読んでいる体で、恥ずかしいタイトルの本を読んでいた。
タイミングよく『あなたは正しいデートの誘い方を知っていますか?』という一文を読んでいるところでデンバーから声をかけられて、メアリの肩がビクンと跳ねる。
平静さを装いながら、メアリは「何を?」と尋ねた。
「だからさ、交霊会だよ」
ご自慢の金の髪をファサリとかきあげながら、デンバーは言った。
理髪店帰りの彼はいつも上機嫌だ。ついさっきまで店にいた公爵夫人に、新しい香水を褒められたせいもあるのだろう。
(知的でクールな印象を与えるスパイシーな香りと、落ち着きを感じさせるウッディな香り、でしたか……私からしてみれば、燻製した香辛料ですけれど)
鼻にシワを寄せて不快感を隠そうともしないメアリに、
「この香りの良さがわからないなんて……メアリはお子様だな」
とデンバーは鼻で笑った。
「わからなくて結構です。ここまで匂うほどつける方が、非常識だと思いますが」
「う、うるさい! 新しい香水だったから加減がわからなかっただけだ」
「なるほど?」
少量ならいい匂いでも、多量となれば悪臭である。
メアリは本を閉じて、椅子から立ち上がった。
一番近い窓を開けると、外からしっとりとした空気が流れ込んでくる。
ジメッとした空気はますます悪臭を濃くするような気がしないでもないが、メアリは構わず窓を開け放った。
窓辺に寄りかかりながら、深呼吸する。
空はどんよりと曇っていた。
きっと今夜も、街は霧に包まれるのだろう。
いつも通りの、ロディム街だ。
ぼんやりと空を見上げるその顔は、まるで煙草をくゆらせている人のように気怠げである。
まったくもって相手にされていないと、デンバーは顔を真っ赤にして声を荒げた。
「それで、知っているのか? 知らないのか?」
「交霊会でしょう? 知っていますわ」
貴族相手の商売をしていれば、嫌でも耳に入ってくる。
交霊会とは、死者とコミュニケーションをはかる会合のことだ。
「人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し、現世の人間は死者の霊と交信できる……でしたか」
近ごろ、王都では交霊会が流行しているらしい。
会合で行われるのは主に、テーブル・ターニングと呼ばれるものだ。
静かな場所に四、五人で集まり、小さな木製のテーブルを囲んで椅子へ座る。
全員の両手をテーブルの上へ置き、あとはテーブルが動き出すのをひたすら待つ。
うまくいくと突然テーブルが勝手に揺れ始めるので、その時はグループの誰かが代表して、質問を声に出して尋ねてみる。
すると、テーブルはたたく音やノイズ、あるいはその傾きや動きなどによってなんらかの答えを返してくれる──というものだ。
メアリの答えにデンバーが「ふんっ」と面白くなさそうに鼻を鳴らした時、ポタリと外から音がした。
見下ろすと、レンガ道の上に次々と雫が落ちてにじんでいく。
メアリはため息を吐いた。
室内はまだ匂うが、雨が降ってきたのだから仕方がない。
緊急時用のガスマスクを視界に入れながら、メアリはデンバーを振り返った。
「それで? その交霊会がどうしたというのです」
「この店の雰囲気にぴったりだろう?」
言いながら、デンバーがニヤリと笑った。
不吉なことが起こる、または不吉なことしか起こらないと言われている、黒猫横丁。
そんな事実などどこにもないことはメアリ自身がよく知っていることだけれど、この店が怪しいのは確かである。
雰囲気作りはばっちり、さらに防音機能を有した部屋まであるときた。
死者から秘密を聞き出すには、おあつらえ向きな環境だ。
メアリは「たしかに」と頷きかけて、グッと押し黙った。
迂闊なことを言うものではない。
デンバーの口ぶりは、まるでメアリが拒否するはずがないと思っているようだ。
メアリはうんざりしているように短く鼻で笑い、デンバーに背を向けて読書へ戻った。
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