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【11】 再来店は翌日に

 次にユリウスが思い出あずかり屋を訪れたのは、なんと翌日のことだった。


 仕事をはじめてひと休み、という午前中のお茶の時間帯。

 店の中には、だらりとゆるい雰囲気が流れている。


 客がいないのを良いことに、メアリはお気に入りの音楽を蓄音機で流しながら、応接室のカウンターの後ろで、落書きをするような感覚で思いついたアイデアを紙に書きつけていた。


【ミストスクリーン──映写機で投射される映像が映し出す平面が、霧だったら面白いのに。だってこの街には飽きるほどあるもの】


【ミストスクリーンプロジェクター──ただの映写機ではおそらく無理。専用のものを考えないと。通常のスクリーンは正面投影だから、背面投影を試してみるのが良さそう。きっと、空中に浮いた立体映像のようになるはず】


 控えめなノックがして店の扉が開いたのは、三つ目のアイデアを書きつけている途中だった。


「こんにちは」


 穏やかな声が、メアリの耳に届く。

 聞いていて心地よい声だ。

 メアリが顔を上げると、開いた扉からそろりと入ってきた男の、淡い青色の目と視線が絡んだ。


 メアリの神経が、ピリリと警戒する。

 もしも彼女のお尻に猫の尻尾が生えていたら、ピンと立っていたに違いない。


「こんにちは。いらっしゃいませ、アールグレーン様」


 スムーズに声が出て、メアリは安心した。

 だって、心の中は激しく動揺していたから。

 嵐の中、波に揉まれる小舟のように、メアリの気持ちが上下する。


 嬉しい、でも困る。

 そんな相反する気持ちを押し込めて、メアリはなんでもないような顔をする。


 カウンター越しにメアリがあいさつを返すと、ユリウスは露骨に安心したように破顔した。

 まるで迷子が母親を見つけた時のような安心した顔は、無防備すぎて心臓に悪い。


(これが、母性本能を刺激するということなのかしら?)


 二度目でこれなのだから、一度目はもっと緊張していたはず。

 心細いと言っていたことを思い出して、メアリは申し訳なさを感じた。


 誰かに見られやしないかと、ヒヤヒヤしながら入ってきたのだろう。

 そういう客は、けっこう多い。なにせこの店は、怪しいから。


 つらつらとそんなことを考えていたら、あっという間にユリウスが目の前に来ていた。

 彼の足は長い。メアリは羨ましいと思った。


(これだけ大きかったら、背の高い棚もたくさん使えますもの)


 メアリは平均よりちょっと小さいので、備え付けの棚を上から下まで全部使うとなるとハシゴを使わなくてはいけない。


 考え事をしながらハシゴに登って落ちそうになることはよくあり、そういう時はバッスル・スタイルのドレスを着ておけば良かったといつも思うのだ。


 とはいえ、考え事に戻るとあっという間にそのことも忘れてしまうので、この店でバッスル・スタイルのドレスを着用することはおそらくないだろう。


「それは……?」


「え?」


 ユリウスの視線が、手元のメモに落ちている。

 気がついたメアリは、すぐさまかき集めてポケットへ押し込んだ。


 初めて全自動珈琲抽出機(コーヒーメーカー)を見た時のような、キラキラした目がメアリを見つめる。

 メアリは笑みを深めてシラを切った。


(絶対に! 見せませんよ!)


 メモの字は、思いつくままに書き散らしたので癖が出ている。

 手紙用の流麗な文字ではない丸っこい字は、子どもっぽくて見せたくなかった。


 ポケットから視線を遮るように手を組む。

 注がれていた視線が名残惜しそうに外れ、メアリはほっと息を吐いた。


「本日は……」


「どのようなご用件でしょうか」と続けようとして、メアリは言葉を止めた。

 ユリウスが何を持っているのか、気がついたからだ。


 彼は、本一冊分くらいの厚みがある箱を持っていた。

 高さはちょうど、葉巻くらい。長さはねじ回し(ドライバー)くらいだろうか。

 陽気な異国の男性が描かれたパッケージには、見覚えがある。


 ロディム街にある焼き菓子店で売られている、ビスコッティ。

 棒状にのばして焼いた生地を一度取り出し、あたたかいうちにカットして再びオーブンで焼くお菓子。


 カリカリとした歯応えが歌うように聞こえることから、鳥のさえずり(カントゥッチ)という別名がついているお菓子だ。


 店では、甘口ワインやコーヒー、紅茶と一緒に食べることを推奨している。

 これはどう考えたって──、


「全自動珈琲抽出機をご利用ですね?」


 わかりやすいお土産に、つい笑みがこぼれる。

 くつくつと笑うメアリに、ユリウスは決まり悪そうに首の後ろを擦った。


「好きな時に来て良いと言っていたから……午前のお茶の時間であることだし、一緒にどうかと思って……迷惑だっただろうか?」


 顎を引いてわずかに上目遣いになったユリウスの、淡い金の前髪がサラリと揺れる。

 短く切り揃えられた髪は清潔感が漂い、せっけんの香りがするようだった。


 ユリウスの言葉が言い訳がましく聞こえるのは、メアリの願望だろうか。


(社交辞令だったらどうしようって、アールグレーン様も思ってくれていたのかしら?)


 キュゥンと子犬の鳴き声が彼の背後から聞こえそうな情けない声だが、メアリの耳にはやはり心地よい。

 メアリはカウンターから出ながら、「そんなことはありませんよ」と答えた。


「今日はお客様がいらっしゃらなくて、一人で暇を持て余していたのです。来ていただけて、助かりました。今、看板を休憩中にしてきますので、ソファでお待ちいただけますか?」


「わかった。わざわざすまない」


「いえいえ。ちょうど休憩しようかと思っていましたので、お気になさらないでください」


 ユリウスを応接室のソファへ案内したあと、メアリは外へ出た。

 ゆっくりと扉をしめてから、看板を支えにその場へしゃがみ込む。


「ひゃああ……まさか、本当に来るとは」


 メアリの心臓が、やかましく騒ぎ立てている。

 やったー! なのか、それともやだー! なのか。それはメアリにも計りかねたが、それでも彼女の心臓はピョンピョンと跳ね飛んでいた。


「どうしましょう……?」


 心臓が落ち着く様子はない。

 とはいえ、いつまでもここでしゃがみ込んでいるわけにもいかないだろう。


 店主がお客様を待たせるなんて、あってはならないことだ。

 特にユリウスは、思い出あずかり屋ではなくメアリの機械を目当てに来てくれた、初めてのお客様である。

 もてなさないわけにはいかないだろう。


「ああ、そうだ。アールグレーン様の来店なのでした」


 そこでようやく、メアリははたと気がついた。

 来店したのはかの有名な、街中の女の子たちを夢中にさせている聖人様なのである。

 どこで誰が見ているか、わかったものではない。


 メアリはさっとファイティングポーズを取ると、まるで秘密諜報部員が国家機密を奪取しようとしているような顔で、周囲を警戒し始めた。


 道ゆく人が彼女を遠目に見て、「あ、奇婦人がまたなにかやってら」と通り過ぎていくのをじっと観察し、問題がないとわかると周囲を見回す。


(右、よし。左、よし。上は……閉まっているわね)


 問題ないことを確認して、安心して看板をくるりとひっくり返す。

 看板の裏側には『ただいま接客中。ご用のある方は改めてお越しください』と書かれていた。


 店へ戻ると、ユリウスがソワソワと全自動珈琲抽出機を見て回っていた。

 看板をひっくり返すと言ってなかなか戻ってこないメアリに、痺れを切らしたのかもしれない。


 遅くなってすみませんと声をかけようとしたメアリだったが、機械を細部まで見ようと身を乗り出しているユリウスを見て、彼は痺れを切らしたのではなく、ソファへ座って待っていることもできないくらい、早く使いたくてたまらないらしいと気がつく。


 ユリウスのわかりやすい態度に、メアリは思わず「プフッ」と吹き出した。


(それほどまでに気に入ってくれているということでしょうか。制作者としては、嬉しい限りです)


 蒸気機関車の愛好家は、駅に機関車が入ってくるのを待ち、熱心にその姿を眺める。

 年齢や立場を問わず集まり、機関車を愛でながら熱く語り合う集団は、一種の宗教のようにも見えた。


 以前見た異様な光景に、ユリウスの姿が被ると言ったら失礼だろうか。

 高い背を屈めて熱心に見る姿は、聖人というより熱烈な愛好家といった感じで、メアリとしては仲間が見つかったような、そして今すぐ語り倒したくてたまらない気持ちになった。


 メアリの笑い声に、ユリウスがピタッと止まる。

 彼は、今ようやく、メアリが戻っていることに気がついたようだった。


 それくらい、夢中で見ていてくれたのだろう。

 メアリは小躍りしたいくらい嬉しくなった。

 慌ててソファへ戻ろうとしたユリウスを、「どうぞ、そのままで」と押し留める。


「私はカップなどを用意しますから、ゆっくり見てあげてください。今までそんなにたくさん見てくれた人がいなかったから、きっとこの子も嬉しいはずです」


 メアリは優しい手つきで全自動珈琲抽出機をそっと撫で、部屋の隅にあるカップボードへ向かった。

 準備をしながらちらりと背後を盗み見ると、給湯チューブを人差し指で突いているユリウスがいる。


(こういうの、いいな……)


 この店へ訪れる人はみな、メアリがつくった機械に興味なんてない。

 ただ、機械があるなと流し見るだけで、ユリウスのようにしげしげと見てくれることなんてないのだ。


 興味を持ってもらえることが、これほどまでに嬉しいことなのだと、メアリは知らなかった。

 知ってしまったら、次を望んでしまいそうで──、


(来てもらったばかりなのに……気が早くないですか?)


 思わず苦笑が浮かぶ。

 三度目の来店を促すには、どうすれば良いのだろう。

 メアリは悩みながら、ひとまず目の前にあるカップを選ぶことを集中することにした。


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