part.3
マサキ君は最後まで意味がよく分かっていないようだった。母親に手を引かれながら、彼はもう片方の手を振ってきた。その相手は私ではなかっただろう。
だけど、そんなことはどうでもよかった。
私は汗ばむ手で制服のスカートを掴んで、重たい口を開いた。
「ねえ、若木くん。さっきの女の人、若木くんのことが見えていなかった」
「……うん。そうみたいだ」
その笑みには、いつものような力はなかった。
どうして。どうして私だったんだろうか。
私が今日こうして彼と出会ったことに、何か特別な意味があったのだろうか。
……いいや、そんなものはなくて、ただの偶然だったに違いない。そうであってほしい。
だって、そんな「特別」なら、いらない。
じりじりと、日差しが私を責め立てる。
「僕はいつの間にか死んでいて」
若木くんの笑顔が、数時間前の、彼自身のお葬式で見た遺影と重なった。
「気付いたら、ここに来ていた」
彼は手すりにもたれながら、なんでもないことのように言った。制服の、長袖の白シャツ。私も制服。日曜日なのに制服なのは、お葬式に出た帰りだから。中学生にとっては喪服にもなる。
手すりには、さびが浮いていた。長袖のシャツは汚れてしまっただろう。
若木くんの悩みがなんだったのか。私は気付いてしまった。世の中には、かわいそうな人がいる。愛する人を、子供を、傷つけてしまう。そんなかわいそうな親がいる。
『心中なんだって』
『なにも子供まで巻き込まなくてもいいのにねえ』
セレモニーホールを出る時に聞こえていた、おばさん達のひそひそ話。
『君たちは、良輝のために泣いてくれるんだね』
若木くんのお父さんは、泣きじゃくるクラス委員の子たちに、涙声でそう言った。
「あの子、隠そうとしていたけど、身体に痣があった。いくつも」
若木くんがぽつりと呟いた。どうしたって、彼の長袖に目が行く。
男の子は私を見てひどく怯えていた。私は若木くんみたいに子供の扱いがうまいわけではない。だから当然かもしれないけど、それだけが原因ではなかったと思う。子供とはいえ、私も女だ。
私は悲しかった。例えばもし、母親があのまま現れなかったら。現れたとしても、心ない鬼だったら。まだ私はこんなに悲しい気持ちにはなっていなかったと思う。女の人は、本気で子供を心配して、抱きしめていたように見えた。
また泣きそうになった。だけど、こらえた。彼の前で、そんな弱さを見せたくないと思った。好きな人の前で泣き顔を見せたくはなかったのもある。だけど若木くんにはお見通しのようだった。
「山村は悪くない」
「でも、気付けなかった」
ずっと若木くんのことを見ていたはずなのに。本当に大事な部分には気付けなかった。
「僕が隠していたんだから、無理もないよ」
彼は子供をあやすように、私の頭をぽんぽんと撫でた。それが引き金になって、私の目から涙があふれ出した。
目を開けた時にはもう、若木くんはいなくなっていた。
もしかしたら、さっきまでのことはすべて夢だったのかもしれない。そうであったら、どれだけ心が軽くなっただろう。すべて私の妄想だったら、どんなに良かっただろう。だけど手の感触ははっきりと残っていて、私を離してくれそうになかった。
私は誰もいなくなった公園を後にした。