episode 5 ―鳴らされた警鐘―
「サ、サリナ、です……」
私は半ば呆気に取られながらも、力無く挨拶を返す。そういった挨拶になってしまったのは、気分が優れないのも理由の一つだが、急激な周りの環境の変化について行けないのが最たるものだった。
しかし転移直後から時が経った故か、少しだけ気持ちに余裕を持つことができた。これまではそれどころではなかったのだが、ふと周りを見渡し状況の確認を行った。
正面には質素ながらも十分な手入れが施されている事が一目で分かる大きく重厚なカウンターが、ふんぞり返るかの如く鎮座している。その奥には様々な種類の魔物? の剥製が飾られていたり、更に奥に続くと思われる扉の存在も確認できた。その他にも、常人では振るう事はおろか持ち上げる事すらままならぬような武器や、人間が着込むには些か大き過ぎると思われる巨大な鎧などが飾られていた。
部屋の大きさはあまり広くなく、かと言ってそれほど手狭という印象を受けることは無い。
……そして何よりも目を引くは、壁を埋め尽くすほどに設置された“門”の存在。その形状は全て同様なものであり、今しがた私達が通ったであろう門と同一であると思われる。が、その大半には、転移門を転移門たらしめる最大の特徴である“渦”が無かった。
その中で一つだけ渦が存在している門があったが、それは私のきっかり背後に位置していて、恐らくは先程通った門であると推測される。
不思議な事に天井は異様に高く、5パラトはあるように思えた。
――正直、何が起こってるか分からない。
急に見ず知らずの不思議な部屋に飛ばされ、絶滅亜人種のドワーフが居て、なんだか知らないけど吐きかけて……。
あぁ、帰りたい。
呆けた表情のまま、心からそう思うのであった。
「ところで小僧、そりゃヴェルバか?」
一段落がついたところで、レイドグが父に声を掛けた。父が肩に担ぐヴェルバの存在に気付いたらしい。父はいつもの事だと言わんばかりに、カウンター付近の床にヴェルバを放り投げた。
「あぁ、適当に査定しといてくれ」
大きく伸びをしながらそう言った。長時間それなりの重さのものを担ぎ続けた疲労が溜まっていたのだろう、上体を軽く逸らすと腰からボキボキと骨が鳴る音が聴こえる。
その間、レイドグは手早く仕事に取り掛かっていた。懐から丸眼鏡を取り出し、ヴェルバの状態をチェックしているようだった。私はその様子を真剣になってみていたのだが、時が経つにつれてレイドグの表情に少しばかり変化が見られた。髭で口元辺りは良く確認することは叶わなかったが、何やら目を大きく見開いていることが分かった。恐らく何かに驚愕しているのだろう。そして数瞬の時が経過した後、血相を変えて父に話し始めた。
「このヴェルバ……最初見た時から少しばかり大きいと思っていたが、どうやら普通のヴェルバじゃなそうじゃ」
「普通じゃない……っつーと、“アレ”か?」
「うむ、アレじゃ。“独立個体”じゃ」
……独立個体?
聞き慣れない単語が私の耳に届いた。
「お父さん、それって?」
「……独立個体。動物や魔物が、個体独自に進化して非常に強い力を得た個体だ」
父はいつになく、重い口調で説明する。普段と違って、そこから発展した説明には至らなかった。
父は床に置いてあるヴェルバに視線を落としたまま、そこから動かすことが無かった。そんな父にレイドグは、やや早口の、焦燥すら感じられる声で訊いた。
「小僧、このヴェルバは……どっちの方角から飛んできていた?」
レイドグの問いかけに、父はその時の情景を思い出す様に目を瞑った。
眉間にしわを寄せ、こめかみに親指を押し当て、必死に思い出そうとしている様だ。
暫し時が経ち、突如何かを悟ったような顔を父は見せた。記憶が蘇ったのだ。父は自分の僅かに残った記憶と自分の発言を照らし合わせるかのように、口を開き出した。
「西……? 西……だ。確かそうだ。西からヴェルバは飛んできていた」
ヴェルバは西から飛んできた。その情報を聞いたレイドグは、強く顔を顰めて見せる。
「まずい、の。」そう呟きながら腕を組み、大きく深呼吸をしたレイドグ。
――一体、何がまずいのだろうか。
単に独立個体のヴェルバが出たから? それとも他の何かなのだろうか?
私がその問いをレイドグに訊きかけたその瞬間、父がレイドグに質問を投げかけた。
「西で、何かあったのか」
レイドグはその問いに、頷きで返す。
その後、重い扉を開くが如く、それを言葉にした。
「小僧らの街のかなり西にある山――リャオック山といったか。たしかあそこには変わった民族が住んで居ったな?」
「あぁ、大樹信仰のリャオック族だな。有名だ」
父は依然とした態度で、レイドグの話を聞く。
――リャオック族。主にケルト人に広く知られていて、世にも珍しい、大樹を信仰している民族だ。しかしながら、特定の大樹を崇拝の対象にする民族は実のところ少なくはない。だが彼らリャオック族はある特異な崇拝の仕方をするが故にその名を広く知られている。その崇拝の方法とは、陰星が14回空に昇る度に人間の肉に臓物、脳や骨に至るまでを酒と共に磨り潰し、それを供物として大樹に祀り、根に吸収させるという。
供物として使用される人間の出処は言わずもがな、外から攫ってきた者共だ。“不作”の日があれば、身内から選出されることもあるらしい。供物に使われる人間は決まって女性で、供物として磨り潰されるその日まで裸のまま鎖に繋がれ、リャオックの一周期にも満たぬ少年をも含む男衆に穢され続けるのだ。
そのような事もあってか、リャオック族は残忍な大樹信仰と共に危険度の高い蛮族として非常に有名であり、周辺の街や都市からは恐れられているのだ。
過去数度に渡り討伐隊が組まれたこともあったが、いずれも失敗。原因は彼ら自身の戦闘能力が恐ろしく高いというところにあった。世間とは完全に隔離され閉鎖的な文化を持つ彼らは、民族内で近親姦を繰り返していた。通常、そんなことを行っていたら後に産まれる子供に先天的な発達障害が現れてしまうのが関の山だが、彼らは違った。民族自体の血が色濃くあらわれ、超人的なまでの力を手にしたのだ。
一見骨と皮しかないように見える彼らの痩せ細った身体だが、その脚は垂直の崖を翔け、その腕は頭蓋を砕き、その胃袋は腐肉を喰らっても弱ることは無い。
何故そうなったかは全くの謎だが、一部の学者は大樹の影響によるものだと推測しているという。
……という話をつい先日、父と狩りに出かける前に半分脅しのように聞かされたのだ。こんな話を聞かされたら嫌でも覚えてしまう。
しかし、そんなリャオック族が一体どうしたのだろうか? レイドグは続けた。
「うむ、そのリャオック族じゃが――」
髭を擦りながら、少し溜めを入れて言う。
「少し前に組まれた討伐隊によって滅ぼされたらしいのじゃ。かつてない規模のな。“鐵”の小童も参加しとった」
「……おい! それは本当か!? それに鐵が出たって……!」
父は突然、物凄い剣幕で声を張り上げた。
リャオック族が滅んだというのは確かに吉報だろうが、それ以上に“鐵”という人物? に驚いているように思えた。
「まぁ、待て。話はこれからじゃ」
半ば興奮を隠せずにいた父だったのだが、レイドグが手を上げ制す事によって落ち着きを取り戻した。
「確かに、リャオック族は全滅した。生き残りがいる可能性も否めないが、すぐに帰還してきた鐵の報告じゃ。確かな情報じゃろうて」
「ここに、鐵が来たのか……」
そして、暫しの沈黙が流れ、レイドグが口を開く。
「ここからが本題なんじゃが……面倒じゃから結論から言うぞ? 奴らが崇める大樹、あれは長年人間の血肉を吸い込み続けた結果、魔樹へと変貌し、超常の異物と化していたのじゃ」
「……!? そりゃつまり……」
「うむ、小僧の考えてる通りじゃ。宿ってしまったのじゃよ。“ダークマター”がな」
ダークマター。
その単語がレイドグの口から飛び出した瞬間、その場を不穏な空気が呑み込む。それは、いかにこれが重大な問題であるかを物言わずして物語っていた。
「お父さん、ダークマターって、もしかして……」
ダークマターについては、説明好き父からも教えられていない。何せ、世界中誰もが認識している事柄だからだ。昔話や童話に、絶対的な悪として必ず登場する、全ての負の感情の集合体――。
それがダークマター。多数の死した人間の共通した負の感情が一つのモノに寄り集まり、魔体――つまりはマター――に類似した核を形作ったもの。
しかし、ダークマターはモノに宿っただけでは何の効果をもたらさない。その膨大に膨れ上がった死人たちの負の感情を受け継ぐに足る、強烈なまでの負の感情を背負った“生者”の存在が不可欠なのだ。
そしてその生者が現れた時、ダークマターはその生者に憑依し……。
「……あぁ、ダークマターがもし受肉を果たしたなら――」
父は言葉を詰まらせる。しかしそれをレイドグが引き継ぎ、続けた。
「顕現するじゃろうて、“アク魔”がな」
アク魔という言葉を聞いて、みるみる顔を青褪めさせる父。レイドグは、まるで物言わぬ傀儡のように固まった父を見兼ね、話を続けた。
「一応言っておくが、既に受肉は確認されている。憑依者は誘拐されていた若い女じゃ。直前に大樹が焼き討ちに遭ったせいか、ダークマターの属性は炎に転化しとったそうじゃ。現場にいた鐵からの報告じゃからの、確かな情報のはずじゃ」
「鐵はッ!? 奴が居たなら単独でも討伐は容易いはずだっ――――」
「あの小童がここに来た時、全身が酷く焼け爛れていた。ここに来たのはその治療をしに来たからじゃ」
「なっ……!?」
それは鐵という人物が、アク魔に敗北したということを意味していた。
鐵がどれほどの猛者なのかは、知らない。が、父の言葉から察するにかなりの実力者なのであろう。
アク魔。
この世に存在してはいけない、絶対的なまでの力を持った凶悪なモノ。全てを憎み、恨み、羨み、人の世を破滅させることだけを唯一の目的とする、まさに破壊の権化のような存在。
その力は、ありとあらゆるマターを喰らう度に増し、アク魔の通った跡は破壊と絶望、そして新たな負の感情が齎される。力の増幅に限界は無いとされ、放っておくと世界すら破壊しかねない。故に、最優先で討伐されるべき対象とされる。実際に、世界が滅ぼされかけた記録もある。
過去、大国と大国の何周期にも渡る血みどろの戦があった。その戦が互いに益が無い事は両国共々理解していた。しかし戦を止めることは無く、兵を送り続け、無駄死にをさせていた。戦の中期からは死罪となった罪人に死刑執行と称し、戦場に送りつけていたという。戦場には無数の屍が積み上がり、強烈な腐臭と共に途轍もない負の感情が渦巻いていた。やがてその感情は“戦場自体”に憑依し、膨大な負の感情を元に形作られたダークマターが発生した。
それから更に数周期経つも、相も変わらず両国は戦争を行い、人を死なせ続けていた。そんな中、戦場に送られた処刑者の中に、大量殺人の濡れ衣を着せられた冤罪者が混ざっていた。彼はこの世の全てを恨んだ。その感情にダークマターは共鳴し、彼の身体に憑依。彼はその力を受け入れ、ダークマターは彼の身体へ受肉し、アク魔が誕生した。
そのアク魔は史上最悪のアク魔として後世にも伝えられ、今では表現を優しくして絵本として世に広まっている。私がこれを知っているのはそれが理由だ。
アク魔の名は“グラシャ=ラボラス”。戦場がアク魔と化した、形無きアク魔。
グラシャ=ラボラスは戦場に棄てられた腐敗した屍や馬、そして武具に至るまでを地面に収納し、その“戦場”という不明確な存在を移動させた。移動の先は自身を冤罪にし、死地へと赴かせた王国。憎き王国滅ぼしにかかったのだ。しかしそれは同時に故郷でもあるのだが、人間であった頃に残されていた最後の感情、憎悪しか感じる事が出来ない身となった彼は、その一切を躊躇うことは無かった。
彼は自身の地面から、先程収納した大量の屍を王国の内部へと這いずり出させる。しかしその屍は、先刻とは酷く変容した姿であった。
――グラシャ=ラボラスの力は、直前まで生と死が渦巻く戦場であったためか、自らの眷属の生と死を司る冒涜的なものであった。グラシャ=ラボラスはその力を利用して、屍に仮初の命を与えてアンデッドを作り上げ、それを国へと放ったのだ。
今まで戦場で死んでいった幾万の屍が、一挙として国を攻める。結果、一夜のうちに国は滅び、その大国から全ての生命が死滅した。
その後も他の国々を、国境や海すら越えて攻め滅ぼすが、最終的にどうなったかは知らない。何せその絵本ではここで物語が完結しているからだ。
……ともかく、個体差はあれどアク魔は途轍もない危険性を孕んでいる。
そんな超常の存在ともいえるアク魔が、受肉を果たし、現れたのだ。しかも――私たちの街、フェルフオルムの近辺で。
独立個体=動物や魔物が、個体独自の変異を遂げて種族として一段階上の力を得た存在。独立個体に変異する条件は詳しくは分かっていないが、過酷な環境に晒され続けた個体や、強い魔法干渉を受けた個体が変異しやすいとされている。独立個体の殆どは非常に強力で、滅多に出ることは無いが、発見され次第ギルドから直接討伐依頼が出される。
ダークマター=死にゆく生物の共通の負の感情の集合体が、モノに憑依しマターに類似した核へと変貌したもの。ダークマターと同じ、もしくは似た負の感情を抱いた生者が現れた時、それに共鳴して憑依する。生者がそれを受け入れた場合、受肉が果たされ、今までダークマターが憑依していたモノごと生者に乗り移る。受肉を果たすと“アク魔”と呼ばれる強力な存在が誕生する。
アク魔=人間が生んだ負の感情によって生まれた怪物。憎しみや恨みといった感情のみを抱き、人間を殺し、そして喰らう事しか考えない、もしくは考える事しかできないとされる。いずれも強力な力を持ち、放っておけば世界すら破壊されかねないので、受肉が確認され次第、討伐隊が組まれる最優先討伐対象。