episode 2 ー盟友ー
時は夕刻。
私と父が狩りに出たのが今朝方のことだから、既に半日は外に出ていたことになる。
それだけ外に出ていれば疲労も溜まるのに無理は無い。とはいっても私の場合は、その疲労のほとんどが荷馬車移動によるものだけれども。
しかし父はそれに合わせ、動物と魔物の狩りまでやっているのだから凄まじい。明日から私も狩人として、実際に父と共に動物や魔物を狩っていくのだが、既に不安が目に見えて仕方ない。
……とは言っても、現在揺られるは帰りの荷馬車の上。吐き気と臀部の痛みを耐えるのに精一杯で、明日の心配をしている暇など今の私には無かった。願わくばすぐに自宅に帰りたい。持ち歩き型の自宅転移魔方陣がいつか出現することは無いかと心から待ち望む私に、父は無慈悲にもこの荷馬車地獄延長を私に宣告したのだった。
「おっと、家に帰る前にギルドに今日の獲物を報告だ。あと今日は素材屋の親父が店開くから、ヴェルバだけでも卸しに行くぞ」
「うげ」
神よ、どうか救いを。
今の私には神の救いを乞うことしかできなかった。
●-●● ●●-●- -●●● ●●-●- ●-●-- ●- -●--●
実際に街の目前に着いたのは、しばらく時間が経ってのことだった。
傾きかけていた“明星”は既に地平線の彼方に隠れ、替わりに反対方向から“陰星”の姿が現れ始めている。
要するに、とっくにいい時間を回っているということだ。
「とと、マズいな。ギルドの受付は閉まっちまってるかもしれんな」
父はそう呟くと、馬に軽く鞭を入れ小走りにさせて街の門に向かう。
「止まれ! 何者だ!」
数パラト先の様子も詳しく確認できない程に夜の帳が降り切った闇の中、門前にて私たちの荷馬車が呼び止められた。暗くてよく認識できないが、恐らく衛兵だろう。
しかし門前で呼び止められる事なんて、街の者であれば滅多に無いことだ。……よく考えれば、こんな時間にこんな荷馬車が街の中に入ろうなんて、怪しいも怪しい。しかも真っ暗闇で顔も確認できない状態。呼び止めるのが正解か。
そんなことを考えていると、父はすぐさま返答する。
「その辛気臭い爺声はフレックか! こんな時間までご苦労な事だ」
父はおどけた様子で陽気に答えた。
するとフレックと呼ばれた衛兵は、
「ははぁん?その阿呆臭い軽口はドレイクか。こんな時間までご苦労な事だ」
と、父の返答に被せてみせた。
「お父さん、友達なの?」
私はどうもフレックという人は聞いたことが無かったので、父に質問をする。
「ん? いや、まぁ、何というかな。腐れ縁ってやつだ」
父は頭を掻きながら答えた。
そして、フレックは半笑いになりながら言う。
「おうおうドレイク、そう邪険にするなよ。俺とお前の仲だろ?」
「うーるせぇな! 黙って仕事してろこの汚職衛兵!」
……取り敢えず二人のやり取りを見ていて感じたことがある。
この人たち、凄く仲良い。
――この後同じようなやり取りが幾つか交わされ、フレックという人が話を逸らした。
「お? 隣にいるのがサリナちゃんかい。デカくなったもんだなぁ」
「こ、こんばんわ!」
どうやら私のことを知っているらしい。しかもその口ぶりから、小さい頃からであると察せる。それも私が覚えていないことから、生まれて間もない赤ん坊の頃からだろう。
私が推測を巡らしていると、顎に手を当て私の顔を覗き込んできた。
「ところでサリナちゃんは何でこんな時間まで外に出てたんだ?」
「え、えーと……」
狩人である父と一緒だったので、不思議がられたのだろう。
まぁ、ある意味ごもっともな感想といえる。
しかしまだまだ一周期を迎えた程度の齢の私は、どもってしまって上手く答えることが出来なかった。父の知り合いだという事は分かっていても、街の衛兵だという事実が私を尻込みさせたのだ。
「あぁ、サリナは狩人希望だからな、明日で一周期なもんで、その研修だ」
返答に詰まっていた私を助けたのは父だ。父は事の成り行きの説明を、大雑把にだが代弁してくれた。
「狩人ぉ!?」
フレックは半ば裏返ったような驚愕の声を上げる。確かに、驚くのは無理はない。
女性の狩人というのは、こんな片田舎では勿論、王都でもかなり異色の存在だ。理由としては、単純に身体能力が男性に劣るという事が挙げられる。しかし魔法適性という点で言えば、僅かにではあるが女性に軍配が上がるらしい。なので普通女性は、狩人ではなく魔術師の道に進むのが定石となっている。といっても今の私は魔法が使えず、剣を振る程度しか能がないのけれど……。
「そりゃあ、驚くわな。ハハ、俺も初めて聞いた時は驚いたもんだよ」
「……ま、サリナちゃんがなりたいってんなら止めねぇけどよ。それに師がドレイクってんなら心配するこたぁねぇな」
フレックは腕を組み、ひとり頷きながらニヤりと笑って見せた――。
――という様子からフレックが動く事が無かったので、しびれを切らした父が一言。
「……フレック。話は終わったからそろそろ門を開けてくれないか」
「おぉ、すまんすまん。そういや今日は素材屋の親父の日だったっけか。すぐ開ける」
フレックはバタバタとした特徴的な走り方で、いそいそと詰所から鍵を持ってきた。
………
「それじゃまたなフレック。今度時間がある時に会えたら一杯奢るよ」
父はまるで盟友に向けるような笑みを浮かべながら、フレックに別れを告げた。
……いや、きっと二人の様子を見るに、本当にかつての盟友だったのだろう。
「おうよ、そんときゃサリナちゃんも一緒でな」
「は、はい!」
さりげなく私の酒場行きが決定してしまった。
あそこはオトナの場所だと、常々母から聞かされていたので、出来る事なら近寄りたくないのが本音なのだけれど、誘われては仕方ない。女は度胸っていうやつだ。
「ハイッ!」
父は馬に鞭を打ち、街の中に荷馬車を進めた。
街の中は、街灯が満足に設置されていないためかとても薄暗い。普段は明瞭に見える街の様子も、夜間ともなればこうも一変して見えるとは。
しかし、私も一端の少女。暗闇ともなれば恐怖を感じざるを得ない。そこで恐怖を紛らわせるために父に声を掛けた。
「ねぇねぇお父さん。さっきの人とは?」
先程から少しばかり気になっていた事ではあるので、それをダシに恐怖を和らげる作戦に打って出ることにした。
「まぁ、なんていうか、昔の仕事仲間だな」
「仕事仲間?」
「あぁ、アイツも元狩人。既に今は一線を引いてて、すっかり衛兵の身だがな」
どうやら、かつての狩人仲間であったらしい。
過去に互いの命を預ける関係を築いていたのであれば、あの仲の良さも頷ける。
しかし、何故に彼は狩人を止めてしまったのだろうか。私は恐怖を和らげるために父と話していたことすら忘れ、質問をした。
「なんでフレックさんは狩人を止めちゃったの?」
「……遠い昔、サリナが生まれる前か。……少し、その、抗争があったんだ。王権派と民権派のな。狩人もどっちかの陣営にみんな駆り出されてな、思想に関係なくだ。それで俺が王権派、アイツが民権派。一緒に組んでた仲だったんだが、そこで分かれちまってなぁ」
父は腕を組みつつ、辛酸を嘗めるような顔で話を続ける。
「忘れもしねぇ。あれは王都の防衛戦だった。俺は前線から離れた僻地の防衛を任されていたんだが、そこで鉢合わせしちまったんだ、アイツとな」
「……戦ったの?」
「ああ、勿論だ。その場に俺とアイツだけだったら避けてたが、あっちにもこっちにも他の奴らが居たしな、俺だけ戦わない訳にもいかねぇ。それはアイツも例外じゃない」
昔を懐かしみながら、且つ哀愁を漂わせながら、更に続ける。
「それでも本気で戦ってたわけじゃねぇんだ。互いに分かってるもんだからな、適当に手ェ抜いて戦ってたわけよ。でも――」
「――でも?」
父はそこで言葉を詰まらせる。
やがて下を向き、唇を噛み、やっとの思いで言葉を吐き出した。
「……俺が当時使ってた武器は弓だったんだ。だが、常に動物や魔物相手に弓射ってたが為に、いざ人間相手、しかもそれが仲間となっちゃ、手が震えて来てな。それで手元が狂って……」
父はそこで一呼吸置いた。
「――放った矢が、アイツの、フレックの膝に刺さっちまったんだ……」
「え……」
私は、知りもしなかった父の過去に唖然としていた。
何も言えなかった。
「アイツ、変な走り方だったろ? ……全部、俺のせいなんだ」
父は、己の過去を悔いるように、手に握る手綱を強く握り締めた。
手綱の革が強く圧迫され、ギュウという音がここまで聞こえてくる。
「お父さん……」
「ハハ、悪いな。こんな話しちまって」
私の困惑している様子を察してか、父は手綱から片手を離し、後頭部を掻いた。
そして、いつもの優しい父の笑顔とは似て非なる、即席の笑顔を取り繕った。
「さて、そろそろ家に着くんだが、その前にギルドに報告だ。んでその後は素材屋のおやっさんのところに行くぞ。お前もこれから世話になるところだ。少し家に帰るのが遅くなるが……まぁ仕方ないさ!」
父はそう言いながら馬に鞭を与え、馬を小走りにさせる。
いつも通りに、いつもと同じ様に、父は明るく振る舞って見せていた。
……が、目じりに潤む一粒の雫だけは、隠しきれずにいた。
明星=太陽に類似する恒星。太陽と比べると距離が遠いが、明星自体がその分巨大な為、見える大きさは同じ。
陰星=月に類似する恒星。月と比べると非常に距離が近く大きさも巨大であるため、地球から見る月の大きさの約10倍大きく見える。
魔術師=魔法についての研究を行う者達の総称。魔物討伐や戦争に駆り出されることもしばしば。