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第十章  -時空の魔法使い-

「見事にやられたわね」


 言葉にはあまり残念そうな響きのないフィーア。ため息と共にミスティックコードを破棄する。彼女の目の前には高さが腰ほど、幅が掌大の四角柱がある。床に固定されたそれは定期的に青白く明滅している。フェンの見たところ、典型的な設置型のマナクラフトだ。


「復旧出来ないの? 全てに手が入れられている訳でもないんでしょう?」


 いつもの平坦な口調でドライ。


「まぁ、改変されている部分はほぼ特定出来るとは思うけど、細かいところまで全て復旧出来る自信は……ないかな。改変部分を隠蔽されている可能性はゼロじゃないし。……何よりも、黒の魔法使いの手が入ったマナクラフト。使いたい?」


 ドライはもとより、アインス、ツヴァイも同時に首を横に振った。

 ここはかつて稀代の魔女、そしてそのメンターの共同研究室だったという。

 フェンはてっきり今までのようにポータルで移動だと思っていたのだが、朽ちた廃墟の一つに地下へ続く階段が隠されていた。

 上部の建物はメンターの住居であり、稀代の魔女もそこに同居していたとの事だ。

 かつてツヴァイが言った秘密基地は男の浪漫云々もメンターの影響なのかもしれない。


「作り直せないのか? ゴーレムみたいなものまで造れるのに」


 フェンの素朴な疑問にフィーアは困った笑みを返す。


「出来なくはないけど、数年はかかりそうね」

「数年? なんでだ?」

「フェン、あんたはたぶん勘違いしているぞ」


 ツヴァイが会話に加わる。


「あたしがどんな物でも物質化できると思ってないか?」

「違うのか?」


 意外そうなフェン。


「まぁ、出来ない物の方が少ないけどな。それは稀代の魔女から物質の魔法を受け継いだあたしだからだ。

 マナに対する親和性、または忌避性。どんな物質にもある特性だが、親和性が高いほど、マナから物質化させるのが容易だし、忌避性が高いほど、より高度な物質の魔法が必要となる」

「ようするに物質によって物質化の難易度が変わるって事か?」

「そうだ。その最たるものと言っていいものが、あんたの両腰にあるだろ?」


 フェンは反射的にリングブレイドのホルダーに手を触れた。

 フィーアがツヴァイの説明を引き継いだ。


「エゴタイトは私の知識にある限り、最もマナ忌避性の高い物質。稀代の魔女の力をもってしても物質化は不可能。

 そして、この合一に使うマナクラフトにもエゴタイトほどではないにしてもマナ忌避性の高い物質が複数使われているの。物質化出来ないか、出来ない程ではないにしろ、原材料を集めて加工したほうが早いわ」


 フィーアが肩を竦め、ツヴァイは諦めきった表情で笑っている。どうも困っているようには見えない。むしろ――。


「なにか合一できなくて、ホッとしているように見えるけどな」

「なっ?! そ、そんな事!!」

「いいじゃない、ツヴァイ。どちらにしろ合一が無理なら隠す事でもないでしょう? そうでしょう?」

「そー、そー。これでフェンお兄ちゃんとまだ自分の人格を保ったままでいられるもん」

「アインス、ドライ……お前等な」

「やはり、合一したらお前等の人格は消えるのか?」

「何を持って人格と呼ぶのかにもよるけど」


 フィーアは合一のマナクラフトの天辺に手を置いた。


「これは本来一人から分かれた存在を、一度マナに転換し、一人の人間として再構成する為のもの。

 合一とは言うものの、私達を材料として一人の人間を作りなおすものと言った方が的確かしら。

 記憶、経験、想い、全てが受け継がれる。全てが受け継がれるから、私達の誰かと同じように振舞う事も可能だけど、あくまで振りが出来るだけ。そして、合一以降は稀代の魔女として経験が積み重ねられるから、私達をオリジナルとして見た場合、差が広がっていくでしょうね」

「本来のオリジナルが稀代の魔女である以上、私達の視点で語る事がナンセンス。ナンセンスじゃないかしら」


 ドライは言葉こそ否定的であったが、その表情には落胆はない。


「でも、今となってはオリジナルのパーツであるって表現は受け入れ難いな。少なくともあたしはそうだし。皆も同じじゃないか」


 沈黙が降りたが、それはツヴァイの言葉を否定するものではなかった。


「質問いいか?」


 フェンの言葉に魔女達がうなずく。


「皆の合一に対する考えはともかく、世界を滅びから救う為に必要だった。だから、ここへ来たんじゃなかったのか?」


 魔女達は顔を見合わせたが、フィーアが代表して返答する。


「事情が変わったのよ、フェン。あなたのおかげでね」

「え? オレ?」


 思わぬ返事に狼狽するフェン。


「合一が必要だったのは、転換した存在に対する有効な攻撃手段がなかったからなのよ。合一し、稀代の魔女に復元されたとしても、当たって砕けろ。そんなレベル」

「……それで世界を破滅から救うとか言っていたのかよ」


 フェンは呆れてため息をついた。それにフィーアは困ったような微苦笑で応える。


「少なくともマナドレイン現象はウィザードにとって相性が最悪の攻撃。それを回避する手段が存在する以上、稀代の二つ名であればどうとでもなると思っていたの。実際、それで無理なら誰にも何も出来ないと言っても過言じゃないでしょうし」

「その回避する為の手段てのが、オレ?」

「そう、その通り。……だったんだけど、違ったの。

 フェン、あなたはマナドレイン現象を阻む防御の力を持ちながら、転換した存在にダメージを与える攻撃の力を兼ね備えていたの。

 ……正直にいえば、合一してさえクレヴァスに攻撃が通じるか不確定だったのが、合一しなくても確実にダメージを与える事の出来る手段を私達に与えてくれた」

「……実感はあまりないんだが、黒の魔法使いを倒した時のあれか?」

「そう」


 フィーアは合一のマナクラフトを見下ろす。


「これを改造し、黒の魔法使いは自らの存在を転換した。この世界にありえない唯一のモノ。恐らくはマナを食らい続け在り続ける、そんな存在ね。

 故にこの世界のあるゆる力もってしても害する事敵わぬ存在。フェンの感じた霧のような圏の正体は、恐らく黒の魔法使いの存在そのものね。私達が戦っていた四人は、彼の意思を宿し自らの存在を顕現させるだけに濃くしただけ。ただ、濃いとはいっても世界の外側の存在である以上、通常の攻撃は通じない。

 そんな存在を自分の周囲に限るとはいえ、限りなくこの世界の存在に近づけた。傷つける事を可能とする程に。

 正直、途方も無い事よ。稀代の魔女ですら無理であった事を成したのよ、フェンは」


 そう言われてもやはり実感はわかない。たしかに黒の魔法使いを倒した原因であろう力場の生成。それは今でも感覚的に覚えている。もう一度やれと言われても容易だろう。しかし、それ故にそこまで賞賛されてもピンとこない。


 それ以前に、これを仕込んだのはえにしの魔法使いだろうしな。


 そうは思ったがそれは口にしない事にした。手柄を先祖にもっていかれるようで癪だったからだ。

 ふと、ホープについたばかりの頃の疑問を思い出した。


「転換って言ったな。黒の魔法使いに通じたから、クレヴァスにも通用する。この合一のマナクラフトもクレヴァスの為のものだった。……クレヴァスはウィザード、いや、人間なのか?」


 その質問は覚悟していたのだろう。魔女達全員が表情を変えなかった。


「メンター」


 アインスが言った。


「メンター? たしかそれって師匠の事だろう?」

「ああ、あたし達。稀代の魔女のメンターであり、縁の魔法使いの実父であるヴォイド=ニルが、己の存在を転換したものがクレヴァスだ。フェン」

「なぜ、そんな事に? ツヴァイ」

「私のせいよ。恐らく。恐らくね」


 自嘲と狂気、混ざり濁った笑みを浮かべてドライ。


「ライ。稀代の魔女の過ちであったとしても、あなただけが背負うものじゃ――」

「時空の二つ名。偶然だとでも? 偶然だとでも?」


 フィーアが言葉に詰まる。

 話の流れが分からずフェンは疑問を呈す。


「どういう意味だ?」


 ドライはフェンに身体を向き直り、視線を合わせたまま、すぐ手前まで歩を進める。


「時空の魔法使い。それがメンターの二つ名よ」

「時空……」

「時空の魔法は、魔法の分野では非主流とされていた。理由は習得が極めて難しい事と未知の部分が多い新しい分野だったから。なにせ、メンターこそが時空の魔法という分野を開拓したのだから。時空の魔法使いの二つ名はそこから付けられた。

 身内贔屓なんかではなく、間違いなくメンターは天才だった。彼なればこそ、縁、稀代の二つ名を持つ者が生まれた。そして、今現在、四つに分かれた私達だけど、メンターに対しての尊敬は、今をもってしても変わらない。変わらないわ」

「その尊敬しているメンターが、なぜクレヴァスに?」

「全ては稀代の魔女が分を弁えなかったから。愚かよ。愚かよね」


 ドライの両手が、フェンの首筋に回される。肌から感じる体温が恐ろしく冷たいものに感じた。


「時空の魔法使い。その名を持つ者がプロテジェに時空の魔法の技術、知識を越えていかれた。メンターは決して態度には出さなかったけど、他のウィザード達の嘲笑の的だった」

「まてよ。弟子なんて、いつか師を越えていくものだろ?」

「そうよ。だけど、あまりにも早すぎた。そして、稀代の二つ名。主流派の魔法を極めてなお、メンターの尊称である時空の分野を奪ってしまった。稀代の魔女が封印される際に、時空にだけ知識やメンターの実子であるヤットへの想いを集めたのも、罪悪感からそれらを切り離したかったからよ」

「考えすぎじゃないのか?」

「まだ、メンターがクレヴァスへと転換しなければ、そう思う事も出来た。出来たわ」


 耳元と言葉と、その吐息が冷たく感じる。


「メンターは最後まで稀代の魔女を責めなかった。責めたのは己の才能、己の限界。

 黒の魔法使いが転換したのは、生体マナの移植の効率化の為でしょうけど、メンターは違う。

 純粋に力を求めた。文字通りの次元の違う力を。今はアビスと呼ばれる地、エンドラストの空に存在する次元の裂け目。それこそがクレヴァス。マナドレイン現象は次元の裂け目故に引き起こすおまけのようなもの。

 クレヴァスで在る事、それそのものが目的であり過程であり結果でもある」


 抱きつくドライをそのままに、フェンは魔女達を見渡す。

 フィーアが応えた。


「クレヴァスこそが時空の魔法の最終点。それがメンターが下した結論。ある意味で正しいわ。どこへ繋がっているのか定かではないにしろ、世界の外側へのワームホールを作り出したのだから」


 フィーアの肯定を、ツヴァイが否定する。


「だけど、間違ってもいた。メンターは無限にマナを世界の外側へ放出し続ける存在と化した。多くのウィザードが、メンターの名誉の為に犠牲になった。……魔法文明崩壊の本当の理由はクーデターなんかじゃない。たった一人のウィザードの凶行だったんだ」

「ちょっと待て。魔法文明を滅ぼしたのが、レジスタンスじゃなかったら、今の政府は何者なんだ」

「レジスタンスの人達はいたんだよ。フェンお兄ちゃん。ただ、クーデターではなく、協力してくれたの。メンターを。ううん、クレヴァスを封じる為に」


 切なそうな表情のまま力なく笑うアインス。


「力あるウィザードがクレヴァスの活動を封じている間に、対クレヴァス封印施設マナクラフト。アビスを作り上げたの。稀代の魔女の指揮の下。

 それは本来、完全にクレヴァスを封じるマナクラフトを作る為の時間かせぎだったんだけど。レジスタンスの人達はアビスだけで封印が終わったと勘違いしちゃって……」

「肝心の封印のマナクラフトを稀代の魔女に使っちまったって訳か」


 アインスはコクンと頷いた。


「で、レジスタンスは何もかも自分達の手柄にした訳か。全てを稀代の魔女と魔法文明におしつけて。コーティーが知ったら、どんなに嘆くか。想像したくないな」


 厳格な第二の父親と呼べる存在の顔を思い浮かべ、フェンは嘆息する。


「で? どうするんだ? クレヴァスがメンターであるってのはお前らにとっては今さらな話だ。だが、合一は出来ない」

「勿論、いくわ。アビスへ。アビスへと」


 身体を離し、両手のフェンの両肩に、目はフェンの両目を見据えドライが簡潔に告げた。

 四人の魔女の内で唯一封印解除を拒んだ彼女の言葉は意外に思えた。


「かつて滅びを望む。そう言った人間の言葉とは思えないな」

「今はフェンがいるから」


 雪解けとでも表現すればいいのか。狂気の色を残しながらも、別人のような微笑を浮かべている。


「あなたはヤットが残した意思。あなたに宿る縁の魔法がクレヴァスを滅ぼす力を持つのならばそれが彼の意思。それを果たすわ。……でも、それだけじゃない」

「え?」

「あなたは私達を。私を惜しんでくれた。合一によって失われてしまう事を。だから、世界を滅ぼさせないわ。救ってみせるわ。あなたの為。あなたの為に」


 フェンの唇にドライの唇が重なる。拒む間もなく、彼女の舌が口内に割って入ろうとする寸前。


「ストップ! ライッ! ドサクサにまぎれて抜け駆けしない」


 フィーアがフェンとドライを引き離す。


「だいたい、一番フェンとの付き合いが短いのに、なんて真似を」

「あら、こういった事は早い者勝ちよ。私達は四人だけど、フェンは一人だもの。一人だもの」


 挑発するように濡れた唇に舌を這わすドライ。フィーアはまるで全身の毛を逆立てている猫のように、ドライを威嚇している。

 なにやら視線が痛いので、恐る恐るそちらを見るフェン。

 膨れっ面のアインス。視線氷点下のツヴァイ。


 お前等、やっぱり合一したほうが良かったかも。


 そうは思っても口に出せないフェンだった。



*---*



 ホープを後にしたフェン一行。

 竜車の中で地図をみながらツヴァイが御者台に声をかける。


「なぁ、まっすぐアビスじゃないのか?」

「出来ればそれがベストなんだが。補給が必要だ。それもアビスに近くなる毎に街やオアシス集落が減る。どうしても蛇行気味になる。最後の街なんて、ほとんど倉庫に出店が付いているようなもんだ。売り物の質も悪い。砂漠には定期的に隊商が回っている地区があるが、アビス付近にはそれもない」

「ふむ、遺憾だが致し方がない。といったところか?」

「そんな所だ。それに、テトラ達の為に寄らなきゃならない所がある」

「ふぇ? テンちゃん、ペンちゃん達の為?」


 どうやら、アインスの中では二匹の愛称がつけられていたようである。


「引竜の為って、なんだ?」

「まぁ、それはその時になってのお楽しみだ。それより、アビス対策はどうするんだよ?」

「アビス対策?」


 竜車内の魔女達が顔を見合わせる。


「マナドレイン現象だったな。アビスに近づくだけで影響があるんだろう。オレはともかくお前らや、テトラ達。それにあそこにいく度に竜車のマナクラフトのマナ残量が無くなりやがる。何か手はあるんだろうな?」

「ああ、そんな事」


 軽い口調でフィーア。


「フェンが問題ないなら大丈夫よ」

「なんでだよ。オレだけ大丈夫でも仕方ないだろ」

「そうでもないのよ。説明するより一見にしかず。アビスの近くで処置するわ」

「なんだよ、今説明しろよ」

「フェンだって秘密にしているじゃない。お・か・え・し」


 フェンは御者台を振り返らなかったが軽く舌をだしているフィーアの顔が浮かんだ。



*---*



「……で、寄らなきゃいけない場所って温泉? 温泉なの?」


 ドライはどう反応していいか困っているようだ。

 周囲は湯気と、独特の生臭い臭気が漂っている。

 突き出た岩場とそれに合わせたように窪みに湯だまりがいくつも出来ている。


「あー、何かいるよ。フェンお兄ちゃん」

「まぁ、人間だけの場じゃないからな。襲われる心配ならいらないぞ。ここに限らず温泉では獣は襲って来ない」

「えー、うっそー」

「温泉は貴重だからな。自然界でもそんな不文律でもあるのか、デザートベアですらここでは大人しいぞ」

「まぁ、ここまで活きている地脈も珍しいとは想うけど。フェン、私の質問に答えてない。答えてないわよ」

「前に言ったろ、ドライ。こいつらの為だって」


 フェンはハーネスに繋がれたままのテトラ達の頭から背のたてがみまで撫でる。二匹は興奮しているように見える。


「こいつらの好物なんだよ。温泉は」

「……クエイクフットの?」

「クエイクフット全体かどうかは知らないが、少なくともこいつらは大好きなんだ」

「あ、待って」


 言いながらハーネスを外そうとするフェンをフィーアが止める。


「なんだよ」

「ついでだから、やっておくわ」

「なにを?」

「以前、あなたがいっていたアビス対策」


 フィーアは自然な足取りでフェンの前までやってきて、右の掌をフェンの左胸にあてる。


「?!」


 一瞬、身体を硬くするフェンだが、すかさずフィーアから注意が入る。


「落ち着いて。楽にして。すぐ終わるから」

「何をする――」


 つもりだ? そう聞くまでに背筋に悪寒が走った。心臓を直接触れられるような感覚。


「おい……フィーア」

「もうちょっとだけ我慢して。もう少しだから」


 胸に当てられた手をみれば、ミスティックコードが爆ぜている。恐らくは時間にしては数秒程度だったのだろうが、フェンには何十分にも感じた。


「複製は出来た?」

「ええ」


 ドライはフィーアが何をしているのか把握しているようだった。アインスとツヴァイも特に驚いた様子もない。


「じゃ、いくわよ」


 フィーアは一度両手を合わせて広げる。両手を合わせていた位置にミスティックコードが一条、雫のように地面へと落ちていく。そして地面に触れた瞬間、周囲の地面がミスティックコードに埋め尽くされた。


「な、なんだぁ?!」


 テトラ達も驚いたのか、オロオロとするように首を左右に振っている。

 現象は一瞬だった。地面を埋めたミスティックコードはすぐに分解され青白いマナ光を放って消滅した。

 何をしたのか? 聞こうとしてフェンはその前に気付いた。魔女達、そして、テトラ達にまで目に見えない力場に覆われている事に。それはかつて、黒の魔法使いの時に使ったもの、そのものだった。


「あなたの中のえにしの魔法を複製して、みんなの生命の螺旋に書き込んだの。もっともヤットと違って永続的なものじゃなく、いずれ失われるものだけど、アビスまでは十分持つわ。竜車のマナクラフトは……、私が対マナドレイン現象魔法陣を随時作っておくわ。縁の魔法は生命の螺旋を持つモノ。ようするに生物にしか使えないのよね」

「ほう」


 フィーアの言葉というよりも、今しがたの光景に心奪われたような声を上げるフェン。

 と、その足をカリカリと引っ掻く存在が。


「あ、悪い。今解くから」


 早く々々とせかすようにテトラとペンタ。

 ハーネスを解いた瞬間、湯煙の中に引き絞られた矢が放たれたがごとく、猛スピードで消えていった。


「……すごーい」


 その勢いに目を丸くしてアインスが呟く。


「好物だって言ったろ。生命の螺旋だっけ? 親から子へ嗜好が受け継がれるとしたら、あいつらもそうなんだろうな」


 フェンは低く笑う。


「あのコ達の親もそうだったの?」


 ドライの問いにフェンは頷く。


「まぁ、親父達が生きていた頃だからそんなに覚えている訳じゃないが。温泉の気配を感じるとテコでも動かないと愚痴ってたな」


 懐かしそうに呟いてから、フェンは竜車後部から中に乗り込んだ。


「さて、オレは向こうの岩場の裏にするから、適当な湯だまりに浸かってくれ。一つ注意だが、他の『客』ともめるなよ。先に言ったと思うが自然界の不文律みたいなものがあるから、向こうからは襲って来ないが、一匹とでももめると温泉中の『客』が『敵』になるぞ」


 そう言いつつ、着替えやタオルをかき集めるフェン。


「もしかして、あたし達も浸かるのか?」

「浸からないつもりか?」


 問い返されてツヴァイは言葉に詰まる。

 この先にオアシス集落もなく、街はあっても水は高価だろう。少なくとも水浴びは勿論、身体の汚れを落とす機会もあるかどうか。

 返答する前に、他の魔女達は我先にと着替えタオル、垢すり、香料等を争うように確保していく。


「勿論、浸かるに決まっている!」


 そして、ツヴァイは独占されてなるものかと、魔女達の争奪戦の輪に入っていった。



*---*



「久しぶりに一人になった気がするなぁ」


 湯に浸かりながら首を鳴らしながらフェンは誰にともなく呟いた。

 護送屋をしていた期間に比べれば、魔女達と過ごしてきた期間は短いものであったが、何故か遠い昔から一緒にいたかのように感じていた。


「これも縁の魔法使いの血って奴かな」


 彼女達に少なからず感じている好意も、そこからきているのかも知れない。そう考えると納得している自分と反発している自分がいる。

 そんな考えを振り払うように周囲を見渡す。


「遅いな、そろそろだと思うんだがな」


 いつものパターンなら一頻り湯を堪能したトテラ達が、フェンの湯だまりに突入してくるのだ。その後は、フェン流の一家団欒の図の出来上がりなのだが。


「……もしかして、あいつ等の方へ突入したんじゃないだろうな」


 突然の出来事に狼狽する魔女達の様子を思い浮かべ、それはそれで面白いと思ったが、その現場が見られないのでは結局意味がない。


「まぁ、温泉なんて久しぶりだからな。あいつ等、長湯でもしてるんだろ」


 顔の汗をタオルで拭いて、近づいてくる物音に気付いた。

 足音? 誰だ?

 こっちへと真っ直ぐに来ている。他に人間が居合わせたとして、多数ある湯だまりの内、フェンの湯だまりに向かっているという事は、ここに誰かがいると知っての事だという可能性が高い。しかも、足音は走っている。


 ここで荒事は勘弁して欲しいんだがな……。


 温泉を利用する者が、ここでの共通のルールを知らないとも思えないが、ここは大陸にある温泉では、もっともアビスに近い。わざわざここまで温泉に浸かりに来る物好きは少ない。

 念の為に片方だけ持って来たリングブレイドに手を伸ばす。

 やがて、湯煙の向こうに女性のシルエットが見えた。

 フェンは別の意味で嫌な予感を感じた。

 湯煙を突っ切った存在は、嬌声を上げてフェンの浸かる湯だまりにダイブした。しかも二人だ。


「お前等っ! 何考えて……、え?」


 思わず立ち上がり、怒鳴りつけたはいいが、きょとんとこちらを見返す二人の女性に見覚えがなかった。

 てっきり、魔女達の悪ふざけだと思ったフェンはどうリアクションを返せばいいか戸惑い、手にしていたリングブレイドからも無意識に手が離れた。

 そのスキを狙った訳ではないだろうが、女性二人はフェンに跳びかかる。


「うわっ!」


 二人はフェンよりも背が高く、普段のフェンならば絶対にありえない反射神経オフ状態のまま、湯だまりに押し倒す。

 湯に頭まで浸かったフェンは、絡みつく二人の身体を押しのけつつ、湯面に顔を出す。


「お前等、何者だ!」


 警戒を含んだ声音だが、左右両腕にしがみつかれ、怪訝そうに首を傾げられている状態では緊迫感が出ない。何よりも二人の圏が読めない。害意がないのだろう。だが、だからと言ってこう異性に身体を密着されても困る。フェンとて男だ。

 やがて、二人は顔を近づけ、なんとフェンの顔を舐めまわし始めた。


「わっ、こら。やめろ! なんなんだ、お前等! あいつ等じゃあるまい――」


 フェンはある可能性に気付き、二人を見る。一人は金の髪。もう一人は金に白の房が混じっている。2対の瞳には悪意はなく、ただただ、ご機嫌な様子でじゃれついてくる。


「……テトラ?」


 金の髪の女性がフェンを見て首を傾げた。

 壮絶に嫌な予感がした。


「ペンタ?」


 白の房が混じっている方も、フェンの顔を見る。

 また、人の足音が聞こえて来た。ついでに声も。


「テンちゃん、ペンちゃん。どこいったのー」

「魔法で探せないのか、フィーア」

「やったら、フェンにバレるでしょう。まぁ、私は止めたから無罪よ。無罪よね」

「ライ! 他人事みたいにいわないでっ。結局、あなたも協力したでしょ!」


 なんとなく、事態は飲み込めた。勿論、納得はしないが。


「……で、結局何をしでかしてくれたんだ。お前等」


 温泉場でありながら、極寒の声音のフェン。声の主達の凍りつく音が聞こえるようだった。



*---*



「~♪」


 それは鳴き声なのか、歌っているのか。

 フェンの両隣に密着しながら、テトラ達は言葉にならぬ声を、心地よさそうにあげていた。

 そしてフェンの浸かっている湯だまりの対面には、居心地悪そうに魔女達が正座状態で並んでいる。湯が濁っているので、湯面下は見えないとはいえ、普通の男性ならうかつに湯から出られなくなる状態になっていたであろうが、フェンの視線はとことん冷たい。


「……で? 何かいい訳の言葉はあるか?」


 まるでこれから逝く者に対し、最後の言葉を聞くような声音に、魔女達は縮み上がる。


「あ、あのね、フェンお兄ちゃん」

「ああ、なんだ? アインス?」


 曇りのない笑顔が、相当に怒らせている事を示していた。

 蒼白になりながらも、それでも懸命に説明をしようとしているアインスは健気であった。稀代の魔女から切り分けられた年齢では最年少。その横で責任の押し付け合いをしている、年齢では上のはずの三人とは、天と地程の差があった。


「湯につかっていたら、テンちゃんとペンちゃんが入ってきて――」


 やっぱり突入はしていたらしい。

 困った奴だなという風に、フェンは左右を見やるが、テトラ達は小首を傾げるだけだった。


「で、しばらくは一緒にお湯につかってただけなんだけど、ビーがテンちゃん達がオスかメスかで――」

「ちょ、待て! 初めに言い出したのはフィーアだろ?!」

「人のせいにしないでっ! ……すいません。ごめんなさい。黙ってます、はい」


 フェンの一瞥で静まる二人。


「えーと、で。フィーの知識にも、ライが図書院で見た本にも見分け方が載ってなかったから」

「この結果か?」


 馬鹿々々しいにも程がある。フェンは呆れて嘆息した。


「ちゃんと元に戻るんだろうな?」

「それは大丈夫。大丈夫だわ。その姿を維持しているマナが切れれば自然と戻るし、すぐ解除も出来るわ。解除する?」


 ドライの言葉にフェンは気の抜けた声で答えた


「もう、どうでもいい」


 人間と化したテトラ達の胸や太ももが身体に密着しているが、その正体を知ってしまうと何も感じなかった。形が違えど、いつもの温泉での光景だ。

 目尻を押さえて、もう一度嘆息する。


「フェ、フェンお兄ちゃん。怒っている?」

「すでにそこは通過した。もういいから普通に温泉を味わってくれ。頼むから」


 魔女達の緊張が解けた。フェンの怒りを相当恐れていたらしい。やった事を考えれば当然だろうが。


「ふぇ、ん?」

「あん?」


 何気なく横を向き、そして驚愕した表情で魔女達に向き直った。


「お、おい! 喋れるのかっ、こいつら!!」

「えーと。一応、今の状態じゃ声帯も人間の物だから、可能ではあるけど。ただ、喋り方が分からないはず……なんだけど。慣れてきたのかしら?」


 首を傾げるフィーアはさておき、それまでおとなしかった二人、いや二匹は再びフェンの顔を舐め始める。


「ふぇん。スキ。すき?」

「ふぇ、ん。だいじ。だい、すき」

「ちょ、ちょっと、お前等、やめろって」


 身をよじりながらもまんざらでもない様子のフェンに、魔女達の周囲に暗雲が渦巻く。

 と、その暗雲から飛び出したのはアインスだった。彼女はいつだって自分に素直だ。


「あたしだって、フェンお兄ちゃん大好きなんだからっ」


 二匹の絡み合いに乱入する。


「ちょ、待て。アインスッ。バカッ、隠すところは隠せっ! というか、テトラ達に対抗してどうする! そこ! お前らも見てないでなんとかしろ!」


 言われて、残った三人は湯面を弾いて立ち上がった。――暗雲を漂わせたまま。

 嫌な予感の極み。しかし、二匹と一人のせいで身動きが取れない。

 声にならない、悲鳴とも怒号ともつかない何かが温泉中に響き、他の『客』達の注目を集めた。



*---*



 テトラとペンタはドライの言う通り、いつの間にか元に戻っていた。

 そして、地面に毛布を敷いて薄着で横たわっているフェンを心配そうに見ている。

 湯当たりだった。それ以外にも原因はあるかも知れないが。


「お前等……、女としての恥じらいはどこに置いてきた」

「だって、テンちゃん、ペンちゃん達だけ、ずるいじゃないっ、あたしだってフェンお兄ちゃん好きなんだから」


 アインスはいつだって素直だ。そしてそうもいかない残り三名。


「ヤットの子孫だもの。自分の子供みたいなもの。裸くらい見られたって平気。平気よ」

 そういいつつ、ドライの顔が赤いのは湯に浸かっていたせいだけか。


「わ、私との、歳の差を考えれば、フェンはまだ子供だもの。うん」

「あ、あたしは……フェンになら見られても……いいかな」

「「え?」」


 フィーアとドライが、ツヴァイを見やる。裏切ったな、貴様。そんな表情で。


「うんうん、ビーは素直、素直。フィーやライも見習ったらいいのに。でも、フェンお兄ちゃんは譲らないよ」


 アインスが横たわるフェンの頭の横に腰を降ろして、舌を出す。

 温泉場にも関わらず、空気が再び凍りついた、気がした。

 プライドと羞恥心、フェンへの好意を天秤にかけて、それぞれの答えを胸に秘め――ていないのもいるが、とにかく牽制の視線がフェンの周囲を飛び交う。


「……お前等な」


 諦めの嘆息。

 フェンは寝転がったままペンタに手を伸ばした。テトラが首を傾げている。


「お前らはああはなるんじゃないぞ、絶対」


 二匹の人間だった姿を思い浮かべつつ、魔女達の醜い争いから目を背けたいフェンだった。



 第十章 完


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