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海軍学校へ  4

 ジャネットは、奇妙な夢を見た。

「どうしたのだろう? 私はいつの間に蝶になったのだろう。今の私は、クモの巣に引っかかっている。クモはもう私を見つけ、舌なめずりをしている。クモは私を糸で包み、自分のそばへ引き寄せようとするのだ」

 ところが、そこでチビ介が不快そうに悲鳴を上げ、ジャネットは目を覚ました。

「あれっ? 何がどうなっているのだろう?」

 目を覚ましても、夢の中とよく似た光景が目前に広がっていることに気がついて、ジャネットはひどく驚いた。

 だが男たちの鋭い言葉を耳にし、見回すうちに、状況がわかった。

「クモの巣ではない。これは漁船なんだ」

 ジャネットは正しかった。

 海に出て、網を使って魚をとる船だ。

 今も網を海に広げ、機械で引き上げて、とった魚を甲板に降ろそうとした。

 だが漁師たちの不運は、魚の代わりに大きな獲物が2匹もかかったことだ。

 それが、ジャネットとチビ介だ。

 機械の音が大きくなり、ジャネットたちはそっと甲板に降ろされた。

 さっそく漁師たちが駆け寄り、網をほどいてくれた。

 水のない場所に置かれて、チビ介がキューッと鳴くと、漁師の一人が口を開いた。

「あんた誰だ?」

 服装から見て、これが船長だ。

 他の漁師たちは口をポカンと開けているが、ジャネットはかまわず潜水服を脱いだ。

 ヘルメットを外すのは、男たちが手伝ってくれた。

 船長がもう一度言った。

「あんた誰だ? 兵隊か?」

「私は海軍の竜騎兵よ。無線機を使わせて。緊急事態なの」

「何のことだい?」

「ハマダラカが、ヒトリに戦争を仕掛けようとしているのよ。完全な奇襲攻撃よ。海の真ん中で、大艦隊を見たわ」

 漁師たちは、まだ顔を見合わせている。

 ジャネットは、もう一度口を開いた。

「ねえ早くして。国家の緊急事態なのよ」

「でもなああんた、この船には無線機などないよ」

「なんですって?」

 ジャネットは見回し、船の小ささに気がついた。

 本当の小型船で、甲板も狭く、チビ介が乗っているせいで斜めに傾いている。

 ジャネットは、船長を振り返った。

「他に船はいないの?」

「いない。この船だけだ」

 ジャネットは、もう一度まわりを見回し、船べりの向こうには真っ黒な海が広がり、星の光以外は何一つ目に入らないことに気がついた。

 ため息をつき、ジャネットが甲板に座り込むと、漁師たちは再び顔を見合わせた。

 悲しそうな顔をしたチビ介と目が合ったので、ジャネットは口を開いた。

「このクジラを水に戻してやってくれる?」

「ああ、いいとも」

 漁師たちは、ほっとした。

 彼らも、マッコウクジラの凶暴さは話に聞いていたのだ。

 すぐに網をフックに掛け、再び機械で巻き上げる用意を始めた。

 黒い体に近寄り、ジャネットはチビ介の頭をポンポンとたたいた。

 漁師たちは、チビ介をていねいに持ち上げ、そっと海に戻した。

 網を外すと、チビ介はせいせいした顔で泳ぎ始めたが、それでも船の隣に並び、ずっとついてくるのだ。

 ジャネットは、船長を振り返った。

「海図を見せて。相談があるの」

 ジャネットは、狭い船室へ案内された。

 すみに小さなテーブルがあり、日に焼けた海図が広げてある。

 船長は、鉛筆で印をつけた。

「今いるのはこのあたりだよ」

「ここから一番近い無線機はどこ? 軍の基地はない?」

「基地なんかないよ。無線機があるのはこの島だ。小さな無線局がある」

 と船長は、海図上の一点を指さした。

「その島の方角は? 距離はどのくらい?」

「30キロほどだな。西北西だ」

 ジャネットは海図を目に焼き付け、操縦室を飛び出したが、すぐに船長が追いかけた。

「おい兵隊さん、どうするつもりだね?」

「その島へ行くのよ。急がないといけないわ」

「どうやって?」

「クジラに乗っていくわ。この船よりも、はるかに速いもの」

「これはどうするんだい?」

 と船長は、ジャネットの潜水服を指さした。

 甲板の上にゴタゴタ積み上げてある。

「悪いけど、預かっておいてよ。後で取りに来るわ」

「しかし…」

「時間がないのよ」

「…あんた、これを持っていくといい」

 ズボンのポケットから、船長は小さなナイフを取り出した。

 長さ15センチほどのものだが、柄はサメのキバでできている。

 装飾に、細かい模様が彫られている。

「これはなに?」

 ジャネットは目を丸くした。

「島の無線局長は、オレの弟だ。それを見せれば親切にしてくれる。『あんたの兄・ジョンストンから渡された』と言えばいい」

「わかったわ。ありがとう」

 にっこりしてナイフを受け取り、ジャネットは水に飛び込んだ。

 すぐにチビ介が近寄り、ジャネットは胸ベルトにつかまった。

 ジャネットが指示を出すと、チビ介はさっと泳ぎ始めた。

 潜水服がないので、水中に潜ることはできなかった。

 だが軽くなっているぶん、スピードは出せた。

 チビ介は、波をけたてて進んだ。

 島の姿が水平線にぼんやりと浮かび上がったのは、夜が明けるころだった。

 思ったよりも小さな島で、ころんと丸く、まるで子ガメが水に浮いているようにしか見えない。

 だが近づくにつれて島らしくなり、海岸沿いに並ぶ家々を見分けることができた。

 港は、ただ一つしかなく、ジャネットの目前にやがて姿を現した。

 浜は三日月のように丸い形で、白い砂でできた人気のない岬が、防波堤の代わりをしている。

 入江の中央に思いがけず巡洋艦の姿を見つけた時、うれしさのあまり声を上げ、ジャネットはチビ介の背中をポンとたたいた。

「よかったチビ介、もう安心だわ。あの巡洋艦に頼んで、司令部へ通報してもらえばいい」

 だがジャネットの喜びも、長くは続かなかった。

 巡洋艦は船体が長く、へさきも尖って細く、いかにもスピードが出そうな形をしている。

 だがその船尾に掲げられているのは、ヒトリ国旗ではなかったのだ。

「あれはヒトリの旗ではない。ハマダラカの巡洋艦だ」

 あわてて水に潜り、ジャネットはチビ介をUターンさせた。

 チビ介をせかして、見つかる前に入江の外に出ることに成功したのだ。

 ジョンストン船長の漁船が、やっとジャネットに追いついたのは、そのしばらく後のことだった。

「ああ、やっと見えた」

 へさきに出て、船長が心配そうに島の方角を眺めていたので、波の上に精一杯背伸びをし、ジャネットは手を振った。

 船長は、すぐに気づいた。

「なんだって?」

 合流したジャネットの口から話を聞いて、漁師たちはひどく驚いた。

 だが怒りも感じ、興奮して赤くなった顔で、船長は何度も同じ質問を繰り返した。

「島がハマダラカ軍に占領されているって? 兵隊さん、それは本当のことか?」

「人気のない岬に上陸して、いま偵察したところよ。銃を持ったハマダラカ水兵が、島のあちこちで見張りをしているわ。住人の姿は見えなかったけれど、家の中にとどまるように命令されているんだと思う」

「くそう」

 ジャネットと漁師たちは相談を始めたが、何の知恵も浮かばなかった。

 そのうちに日まで暮れ、とうとうあたりは真っ暗になったが、不意に入江から姿を現した船影に最初に気づいたのは、漁師の一人だった。

「おい、あれを見ろ」

 すぐに全員が、その方向へ顔を向けた。

 黒い壁のようになった岬の陰から、ハマダラカ巡洋艦がゆっくりと姿を現したのだ。

 明かりはすべて消してあるが、月光に浮かび上がるシルエットは見間違いようがない。

 エンジン音が低く聞こえる。

 船長が口を開いた。

「ハマダラカのやつらめ、何をするつもりだろうな」

 漁師の一人が言った。

「島を離れようとしているのだろう。もう用は済んだのかな?」

 ジャネットは、突然気がついた。

「ヒトリとハマダラカの間で、ついに戦闘が始まったんだわ。だから本土へ通報されることを恐れる必要が、もうなくなったのよ」

 口をポカンと開け、漁師たちは顔を見合わせたが、ジャネットはもう船べりを乗り越え、海に飛び込んでいた。

 すぐにチビ介が現れ、肩を差し出して、ジャネットをつかまらせた。

 さっと泳ぎ始めたので、島へ向かうようにとジャネットは指示を出した。

「さあチビ介、巡洋艦とすれ違うときには、深く潜ってやり過ごすのよ」

 ここまで接近すると、水中は巡洋艦のスクリュー音とエンジン音で満ちている。

 鉄の壁のような船腹をかすめ、入江の入口をジャネットは、ロケットのように通り抜けた。

 巡洋艦さえいなくなれば、あとは浜まで一直線だ。

 そう考えてチビ介を急がせたが、このとき何かがジャネットの目前を横切ったのだ。

「あれは何だ? 敵か?」

 暗いので、形はよくわからない。

 ただ、白い物が月光にひるがえったのは確かだ。

 ジャネットは当惑したが、チビ介の反応はもっと早かった。

 とっさに方向を変え、右へ舵を切ったのだ。

「チビ介、どうしたの? そっちは町の方角じゃないよ」

 ジャネットは瞳をのぞき込んだが、チビ介が何を考えているのかは理解できなかった。

 鼓動を探ることを思いつき、手を伸ばすと、驚くほど速く打っていた。

「チビ介はこんなに緊張している。そうか、やはりあれは敵か。私たちを追ってきたな」

 さすがに息が苦しくなり、水面に背中を出すように、とジャネットは合図を送った。

 チビ介はすぐに従ったが、おかげでジャネットは、相手の姿を見ることができた。

 偶然、敵も同時に水上に姿を見せたのだ。

 波の上に全身を出し、大きく弧を描いてジャンプしたので、ジャネットは目を丸くした。

「あれはシャチだ」

 シャチとはクジラの一種で、肉食の獰猛な動物だ。

 黒い体には白い模様があり、夜目でもよく目立つ。

 もちろんその背には、潜水服を着た兵の姿がある。

 ハマダラカ竜騎兵だ。

「ハマダラカめ、島の入江に竜騎兵を配置して、私を待ち伏せたな。しかしまずいな。こちらはマッコウクジラ、あちらはシャチでは、スピードでは勝ち目がない」

 そもそも広い入江ではない。

 チビ介は、すぐにもう一度舵を切った。

 だがジャネットは、違うことを考えていた。

「小さな入江の中とは、案外と私に有利かもしれない。いくらスピードが出せても、狭い場所では活かしようがない…。それっチビ介、ここでユーターンをするのだよ」

 敵を驚かせるために、ジャネットはそう指示を出したが、結果として、ジャネットのほうがよほど驚いた。

 チビ介とシャチはわずかの距離を置いてすれ違ったが、その時に見えたのだ。

「ハマダラカ竜騎兵め、ランスを手にしているのか」

 ランスとはヤリの一種で、人の身長よりも長く、断面は丸く、手が滑らないようにするための大きな金具が根元についている。

 銃も役に立たない海中で用いることのできる唯一の武器だ。

 このとき初めて、ジャネットの内部をある感情が駆け抜けた。

 海軍に入隊して3年になるのに、それまで経験したことのないものだ。

「そうか、いま私は本当の戦場にいるのだな。これは学校の授業でも演習でもない…」

 それは兵士ならば一度は通る道、一種の感慨ではあったが、ジャネットはさらに不快な事実に気づいた。

「敵に比べて、私は何の武器も持ってはいない。潜水服を脱いだせいで、まともなナイフ一本ないとはどういうことだ?」

 ジャネットは考え続けた。

「チビ介に格闘戦をさせるか? シャチ相手には危険すぎる。数日前に出会ったばかりの私に対して、チビ介がそこまで忠誠心を感じることも期待できまい…」

 砂浜を避け、チビ介にもう一度ユーターンを命じながら、ジャネットはため息をついた。

「…武器がないのでは、敵との戦闘はどうしても避けるべきか。しかし、どういう方法がある?…」

 だが敵は、ジャネットに考え事を続けさせてはくれなかった。

 岸が近づき、ジャネットがもうそろそろ再びユーターンをするころだと予想した。

 チビ介の胸びれの動きを見抜き、機を見て挑んできたのだ。

 ランスは長く、鋭い刃を前方に長く突き出している。

 それをジャネットの体に引っ掛け、チビ介の背から引きずりおろそうとした。

 全速で泳ぎつつも、目玉を後ろに向け、追い上げる敵の姿を、チビ介は常に視野の中に置いた。

 ハマダラカ竜騎兵が見せた動きには、チビ介が先に気づき、体をブルンと振って、ジャネットに警告したのだ。

「あっ」

 ギリギリのところでジャネットは、かろうじてランスの刃先をよけることができた。

 本当にあと数センチだったが、もしも一秒でも遅れれば、ジャネットは大きく負傷しただろう。

「ありがとうチビ介、助かったよ。だけどあんた、ユーターンはどうしたの? このままだと砂浜に…」

 次の瞬間、浅くなった海底の砂に、チビ介の腹部が接触した。

 だがなんとか間に合い、チビ介はユーターンに成功したのだ。

 海を泡立たせながら尾びれを激しく動かし、もと来た方向へと戻ったが、もちろんシャチも追ってくる。

 チビ介が鼻を向けた方向が、たまたま入江の出口に一致していることにジャネットは気がついた。

「そうかチビ介、偶然とはいえ、これはうまい方向だよ。このまま入江を出て、外海を目指そう。そろそろジョンストン船長の漁船が追いつく頃だ」

 やってきたときと同じように、ジャネットとチビ介は、入江の出口を高速で駆け抜けた。

「ハマダラカ兵め、やはりついて来るな。しつこいやつだ」

 ジョンストンの漁船は本当に足が遅く、ジャネットが目をこらしても、まだ遠くに、うっすらと影が見えるだけだ。

 明かりを消して航行しているので、あそこに漁船がいると知らない限り、見つけるのは不可能だ。

「あの船めがけて、チビ介は一直線に走っている。このまま船の真下を通過しよう…。あと100メートル…」

 漁船まであとわずかというところで、ジャネットはチビ介に合図を送った。

 緊迫した場面だが、チビ介はちゃんと理解してくれた。

 泳ぎながら突然、チビ介はドリルのように、体をぐるりと一回転させたのだ。

 波を巻き込み、チビ介の体は白い泡に包まれた。

 ジャネットは、それをカモフラージュに用いたのだ。

 暗い海中のことだから、ハマダラカ竜騎兵の目には意味がわからなかった。

 だがその隙にジャネットは、チビ介を離れ、海中へと身をおどらせたのだ。

 さっと沈み、ジャネットはチビ介の下へと深く潜った。

 チビ介はすぐに遠ざかり、一瞬遅れてシャチとハマダラカ竜騎兵がジャネットの頭上を通り過ぎたが、ジャネットには気づきもしなかった。

 チビ介を離れる直前、ジャネットは別の指示も出していた。

 この場をまっすぐに通り過ぎ、少し離れてから大きな円を描き、またこの場所へ戻ってこいという内容だった。

 この指示を受けたクジラは、半径数百メートルの円を描いて、ぐるりと戻ってくるように訓練されている。

 ジャネットは一人で水面へと向かった。

 波の間から手を振ると、すぐに船長が気づき、縄バシゴをおろした。

 ジャネットが早口で説明すると、船長たちはすぐに理解した。

 何も言わずに準備を始めたのだ。

 ジャネットを乗せていないチビ介は軽くなり、がぜんスピードを増し、シャチを軽々と引き離した。

 ハマダラカ竜騎兵とシャチは、必死にあとを追った。

 それからチビ介は大きく円を描き、ぐるりと回って、再び漁船へと鼻を向けたのだ。

 甲板の上では、ジャネットたちが待ち構えていた。

 船べり越しに、ジャネットは海をのぞき込んだ。

 月光が斜めに差し込むので、波の下をかろうじて見透かすことができる。

 ジャネットは片手を上げ、船長たちに合図を送る用意をした。

 船長たちは、すでに網をスタンバイして待っている。

 水中にチビ介の影が見えた。

 一直線に、かなりの勢いで近づいてくる。

 チビ介が漁船の真下を通り抜けると同時に、ジャネットは合図を送った。

 船長たちは、網をさっと水中に沈めたのだ。

 暗い夜の海でのことだ。

 網など、まず目には見えない。

 やがて船体に大きな衝撃が走り、網がぐいと強く引かれた。

 水中で、バシャバシャと大きなしぶきが上がったが、暴れれば暴れるほど、網は深く食い込んだ。

 シャチとハマダラカ竜騎兵は、すぐに身動きできなくなった。

 船長が合図を送り、機械で巻き上げ始めた。

 ずっしりと重い中身を包んだまま、網は水面に引き上げられた。

「おい、あれを見ろよ」

 漁師たちが笑い声を上げた。

 船長も、うれしそうにジャネットの肩をポンとたたいた。

 長い漁師生活でも、これほどの獲物を引き上げたことは一度もない。

 あまりの重さに網が破れるのでは、と思えたほどだ。

 体中からポタポタと水をたらしながら、ハマダラカ兵とシャチは、不機嫌そうにこちらを見下ろしているのだ。

 だがジャネットには、彼らの仏頂面を眺めている暇はなかった。

 すぐに水中に戻り、チビ介と一緒に再び島へ向かったのだ。

 今度は、誰にも邪魔をされることはなかった。

 入江を横切り、ジャネットはチビ介を砂浜に乗り上げさせた。

 胸ベルトから手を離し、ジャネットはバシャバシャと駆け出した。

 屋根の上にアンテナがあるので、無線局の建物はすぐに見つけることができた。

 入口の扉は開いたままで、その前で数人の島人たちが何かを話していた。

 ほっとした表情だが、ジャネットの姿を見るとさっと緊張した。

「あんた誰だ?」

 頭はすっかりはげているが、顔の半分に黒いヒゲを生やした男が言った。

 手足は短いが、いかにもがっしりした体格をしている。

 船長から聞いたのとそっくりの容貌だ。

 ジャネットがポケットに手を入れ、預かったナイフを取り出すと、無線局長は不思議そうな顔をした。

「兵隊さん、なぜあんたがそんなものを持ってるんだね?」

「私は海軍の竜騎兵よ。大至急、司令部に通報したいことがあるの。これを見せれば、あなたが無線機を使わせてくれる、とジョンストン船長が言ったわ」

「兄貴が?」

「ええ」

「兄貴は今どこにいる?」

「あそこよ」

 振り向いて、ジャネットは海を指さした。

 ジョンストン船長の漁船が岬をまわって、姿を見せたところだ。

「よし、こっちだ」

 無線局長は手招きをし、ジャネットを建物の奥へ連れていった。

 無線機の電源スイッチを入れ、用意を始めたので、ジャネットは息をついた。

「よかった。ハマダラカの連中に無線機を壊されたかもしれない、と心配してたの」

「やつらも、そこまではしなかった。この部屋の鍵を取り上げられただけだったよ」

「なぜこの島を占領したのか、理由を言ってた?」

「いや、一言もなかった。水兵たちにそれとなくきいてみたが、無駄だったよ。かなりきつく口止めされていた」

「ふうん」

 無線機の調整を終え、局長はジャネットにマイクロフォンを手渡した。

 手の中で握りなおし、深呼吸をして、ジャネットは話し始めた。

 局長は専用の周波数を知っていたので、ジャネットは司令部と直接話すことができた。

 また偶然にも、先方でマイクロフォンをとったのは、ジャネットの知っている人物だった。

 通信部の技官で、無線機の使い方の講義をするために、訓練校へも何度か来ていたので、ジャネットはすぐに顔を思い浮かべることができた。

 無線機のむこうで、技官は言った。

「スミス中等兵か?」

「はい、中尉殿」

「こんなときに『殿』は要らん。今どこにいる?」

 ジャネットは、事情を説明した。

 長い説明になったが、中尉は黙って聞いた。

 説明を終えて、ジャネットが口を閉じると、こんな返事が返ってきた。

「俺は、おまえを怠け者だとは思わんし、最大限の努力をしたことも認めるが、通報としてはいささか遅すぎたな」

「やっぱり手遅れだったんですね」

 ジャネットは、体の力がすべて抜けるような気がしたが、技官はかまわず言葉を続けた。

「ハマダラカ巡洋艦は、その島から去ったのだろう? もう秘密を守る必要がないからさ」

「戦闘はどうなったんですか?」

 無線機の向こうからは意外にも笑い声が聞こえたので、ジャネットは驚いた。 技官の言葉は続いた。

「スミス、戦闘は一切なかったのだ。我々はハマダラカの奇襲攻撃を事前に察知して、防備を固めることができた。奇襲作戦は、奇襲でないと意味がないからな。我々がてぐすねひいて待っているのを見て、ハマダラカ艦隊はUターンして、帰っていったよ」

「どういうことなんですか?」

「どうもこうもスミス、おまえは戦争の勃発を防いだんだ。国へ戻ってみろ。おまえを歓迎して大騒ぎになるぞ」

「でもなぜ?」

「それは帰ってからのお楽しみだ。今から、その島へ迎えの高速艇を出す。ゆっくり待っていろ。チビ介とかいったな。そのクジラも連れて戻れ。戦利品だ」

「でも中尉…」

「これで通信を終わる。ゆっくり休め。帰ってきたら、俺がじきじきにおまえの昇進を申請してやる。楽しみにしてろ」

 それだけ言って、通信は切れた。

 わけがわからないまま、ジャネットもマイクロフォンを置いた。

 その夜は船長の家に宿泊し、出された料理を気がすむまで食べ、ジャネットは何日かぶりにベッドの中で眠った。

 翌朝は平和に明けたが、ジャネットががっかりしたのは、ハマダラカ竜騎兵とシャチのことだ。

 やはり、いくらなんでも重すぎた。

 ジャネットが島を目指して漁船を離れた直後、大きな音を立てて、突然網が破れ、彼らは海中へ落ちたのだ。

 そして、そのまま姿を消した。

 高速艇が姿を見せたのは、昼過ぎのことだった。

 砂浜に出て、ジャネットがチビ介と遊んでいると、岬の先端をまわって入ってくる姿が目に入ったのだ。

「さあチビ介、あの船のところへ行こう」

 船体に近づくと、クジラ水槽の入口を開く作業がすでに始まっていた。

 船尾のゲートが大きく口を開き、ジャネットがチビ介と一緒にその中に入ると、すぐに閉じられた。

 ハシゴをつたって、ジャネットが甲板に上がると、艇長が出迎えた。

 背筋を伸ばし、ジャネットは精一杯の敬礼をした。

「竜騎兵訓練生3年、スミス中等兵であります」

 艇長はまだ若い男だが、同じように敬礼を返した。

「乗船を歓迎する。スミス中等兵か…。明後日には、スミス伍長になっているぞ」

「でもあの、一体何があったんですか?」

 艇長は笑った。

「それは後で教えてやる。とにかく今は、島の連中にお別れを言ってこい。あそこで待っているぞ」

 高速艇は、港に接岸した。

 港にはジャネットの潜水服が運ばれ、すぐに積み込み作業が始まった。

 島の住人たちに礼を言い、高速艇は走り始めた。

 エンジンを全開にすると、グイとへさきが持ち上がり、波の上に白く長い線を引いた。

 艇長がやってきて、ジャネットに新聞を見せた。

「スミス、これを見るんだ」

「なんですか?」

 ジャネットは手にとって眺めたが、首都で昨日、発行されたものだ。

 第一面に、ジャネットの顔写真が大きく印刷されている。

 読み進むにつれ、やっとジャネットも事情を飲み込むことができた。

「なあんだ。あのときの信号弾か」

 チビ介と一緒に海の真ん中で眠っていたとき、ジャネットはハマダラカ偵察機から攻撃を受けた。

 頭上に爆雷を落とされたのだ。

 無駄とわかっていたが、ジャネットは信号銃を手にし、上空へ向けて一発だけ反撃した。

 その後すぐに潜水したので、何が起こったのか、ジャネットはこの時まで知らなかったのだ。

「たった一発の信号弾が飛行機を墜落させるなんて、何万分の一の確率だろう」

 だが、実際に起こったことなのだ。

 信号弾は偵察機のエンジンに命中し、一瞬で故障させた。

 エンジンを失った偵察機は海面に不時着し、パイロットたちはゴムボートで脱出した。

 そこを運良くヒトリ船が通りかかり、救助したのだ。

 救助されたパイロットたちは、もちろん沈黙を守ったが、念のためヒトリ全軍に警戒命令が出され、そこへハマダラカ艦隊が姿を見せたわけだった。

 ジャネットが残したカプセルが手がかりになって、スタービューも発見され、乗組員たちも救出された。

 この事件のあと、艇長が言った通り、上等兵を通り越して、ジャネットは伍長に昇進した。

 チビ介は、正式にジャネットのクジラとなった。

 今ではチビ介も、訓練校のプールにすっかりなじみ、他のクジラたちとも仲良くやっている。

 ジャネットの祖父が亡くなったのは、一昨日のことだ。

 葬儀は、昨日済んだところだ。

 そして今日、ジャネットの母は正式に遺産を相続したのだ。

 もうジャネットには、この学校に残る理由はない。

 今すぐ退学届けを提出してもかまわない。

 だが、ジャネットは決心がつかない。

 もしかしたら、このまま軍人になるのではないか、という気がする。

 軍人という職が、彼女には合っているのだ。

 急いで決める必要はない。

 もうしばらく考える、と両親には伝えてある。

 それにしても…、

 ジャネットはつぶやく。

「話はすべて、私の祖父が変人だった、というところから始まっているのだ」

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