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死の礼砲  3

 ゴーレムの艦内では、ソナー手が顔色を変えていた。

「艦長、潜水艦が浮上を試みる音をキャッチしました」

「ついにきたか。ウルフだな」

「そう思われます。方位320、距離900から1000。深度は本艦と同じ」

「本艦と同じとは、もうあらかた浮上しやがったのか? だがこっちはゴーストとシャチの収容作業中で身動きが取れん。くそっ、ややこしい時を狙って出てきやがった…。副長、ゴーストの収容作業はどうなっているんだ? 一体何をもたもたしてる?」

 スピナー艦長がこれ以上声を荒げる前にと、副長は急いで電話を手に取った。

「船首へ。ゴーストの収容はどうなってる? なぜこんなに時間がかかるんだ?」

 その返事は驚くべきものであり、副長の手が震えるのを見て、スピナー艦長はすかさず口を開いた。

「どうした副長?」

「ゴーストがサメの群れに襲われているそうです。それも5匹や10匹ではないとか」

「おい、声なんぞ震わせるんじゃねえよ。おまえはサメが嫌いなのか? 外国のレストランへ行ってみろ。サメ料理なんていくらでもあるぞ」

「艦長、料理の皿は襲いかかってなんかきません。ゴーストを助けなくてもいいのですか?」

「助けようがあるまい? まさか魚雷を撃つわけにもいかねえ…。いや、今は船首の収容口を開いたままだから、邪魔になってその魚雷も撃てねえな。収容口を閉じようにも、スイッチを入れて、閉じるまでに丸々2分もかかるときた。おい副長、これは思いがけないところでゲームオーバーかもしれないぞ」

「どうしてです、艦長?」

「だって考えてみろ。もしも今…」



 ウルフの艦内で、メロン中佐が口を開いた。

「副長、いま誰か見張台に上がっているのか?」

「浮上が完了次第、上げようと準備中です。ここは航路からも遠いので、救助を頼める船影があるとも思えませんが。のんびり浮上して、ゴーレムのやつが姿を見せてくれるはずもありませんしね…」

 ウルフの船体を外部からカンカンとたたく音が発令室に響いたのは、このときだった。

 ハンマーを用い、明らかに意思を持ってたたいている。

 変事を予感して副長は顔色を変えかけたが、メロン中佐は違っていた。

 メロン中佐は、うれしそうに唇の両脇を引き上げたのだ。

「艦長、この音は何でしょうか?」

 その言葉を手で制し、メロン中佐は耳を澄ませた。

 ハンマーによるモールス信号はもうしばらく続き、やがて終わった。

「副長、これはジャネットからの通信だよ」

「何と言っていましたか? 突然のことで、私は内容を聞きのがしました」

「データを入力しないままの魚雷を、後部の魚雷発射口からゆっくり押し出してくれとさ。発射ではなく押し出せ、と何度も念を押していた」

「発射準備のできていない魚雷をですか? そんなものをどうするのでしょう?」

 メロン中佐はニヤリと笑った。

「知らんよ。だがジャネットなりに考えがあるのだろう。後部魚雷室に電話をつないでくれ。彼女の言う通りにしてやろうじゃないか」



 潜水艦の魚雷発射口は、円形のフタのようになっている。

「メロン中佐は私の指示を理解してくれただろうか」

 と、不安を感じないではなかったが、ジャネットはすぐに微笑むことができた。

 スクリューのわきにある後部発射口に近づくと、間もなくフタが開き始めたのだ。

 その内部はパイプ状になっているが、のぞき込んで、ジャネットはさらににんまりした。

 ドングリのように丸い魚雷の頭がそこに顔を出していたのだ。

 魚雷の頭にロープをかけ、チビ介の力を借りて引き出すのは、難しい仕事ではない。



 ゴーレムの艦内で、スピナー艦長は言葉を続けた。

「だって考えてみろ、副長。もしも今…」

「どうしたんです?」

 いつも機嫌の悪い顔をしているばかりのスピナー艦長が本気で不安そうな顔をするのを、副長は始めて見たような気がした。

「どうしたんです、艦長? いくらウルフが大型艦でも、艦内の排水作業をやっと済ませたばかりの今、本艦を探知して攻撃をかけるのはまず不可能でしょう。それともゴーストのことが気にかかるんですか? やつも伝説の竜騎兵といわれる男です。サメから身を守るくらいは自分でできるでしょう。あと数分はかかるかもしれないが、無事にゴーストを収容して、本艦は国へ帰ることができますよ」

 だがスピナー艦長の顔つきに変化はなかった。

「副長、おまえが忘れていることが一つあるよ。ヒトリ竜騎兵のことだ…」

「ヒトリの竜騎兵? ねえ艦長、いくら竜騎兵でも、潜水艦を沈めることまではできませんよ。ヒトリのマッコウクジラだって、装備している爆発物といえばまず爆雷だけで、魚雷までは持ち歩いていませんから」



 魚雷をけん引しながら、チビ介とジャネットは、ゴーレムまであと数百メートルに接近していた。

 魚雷へのデータ入力はすでに完了していた。

 方位050、距離200、深度は05。

 安全装置をはずし、ジャネットがボタンを押すと、魚雷のエンジンは猛然と動き始めた。

 これがスクリューを回転させて、目標めがけて魚雷を前進させるのだ。

 魚雷の後姿と、水中に残る長い泡の列を、ジャネットは見送った。

「魚雷、発射完了」

 訓練で教えられたとおりのセリフを、ジャネットはいつの間にかつぶやいていた。

 爆発音は、しっかりとジャネットの耳に届いた。

 船体が引き裂かれる音がすぐに混じり、ジャネットの鼓膜を揺さぶった。

 船が沈むときの音は甲高く、何キロも遠くまで届いた。

 船体を二つに分裂させながら、ゴーレムは深海へと沈んでいった。

 どんな男が艦長だったのか、どんな乗組員たちが乗っていたのか、もちろんジャネットは知らないが、いつか知り合う可能性もこれで完全にゼロになった。

 船体は海底までまっすぐに落ちてゆき、大きな音を立てて岩盤と衝突するのだ。

 その場所に横たわったまま、世界が終わる日まで二度と動くことはない。



 間近での魚雷の爆発は、もちろんゴーストにも影響を与えていた。

「何だ、あの爆発は? 音に驚き、サメたちがみな逃げて行くぞ」

 しかしそれだけではすまなかった。

 暗い海中で生きるクジラは、聴力を極限まで発達させている。

 それが爆発の衝撃波にさらされ、音が鼓膜を直撃したのだからたまらない。

 アルファは一瞬で気を失ってしまったのだ。

「アルファ、アルファ、目を覚ませ…。くそっ、あの小柄な竜騎兵め、やってくれたな。ついにゴーレムを沈めたか。ええい、困ったことになったぞ…」



 戦いが終わりに近づいていることは、チビ介もはっきりと感じていた。ヒレの動きが軽い。

「さあチビ介、水面へ出るのだよ。ゴーレムから脱出した兵がいるかもしれない。いれば救助する必要があるからね」

 だが結果は意外なことになった。沈没にさいし、ゴーレムの乗組員は一人も脱出できなかったのだが、別の一人がチビ介の姿を見つけ、すかさず泳ぎ寄ったことに、ジャネットは気づくことができなかった。

 泳ぎ寄るだけでなく、その人物はすぐにチビ介の背に上ってしまったのだ。

 ジャネットが異常に気づいたのは、潜水服の中へ新鮮な空気が突然やってこなくなったからだ。

「何だ? 機器の故障か? 空気パイプに穴が開いたようには見えないし…」

 緊急脱出レバーを引き、ヘルメットを押し上げて、ジャネットは潜水服の外へ出た。

 そしてチビ介の背中に上ったのだが、そこで待ち構えていた人物には、もちろん見覚えがあった。

「あっ、ゴースト…」

 腰のピストルを引き抜く余裕は、かろうじてジャネットにもあった。

 だが銃口を向けられてもゴーストは尊大な表情を崩さず、チビ介の額をなでているのだ。

「やあ君は…、名をスミスとかいったな」

「ああそうか、私の潜水服へつながる空気弁をあんたが閉めたのね」

「確か君には、私はこれまでに二度してやられている。覚えているかね? 新型爆撃機が不時着事故を起こしたときと、私の娘の国外脱出を妨害したときだ」

「お嬢さんの名前はシルビアだったわね」

「君に何がわかる? 娘を失った父親の気持ちなど…」

「ねえゴースト、いえカーター中佐。ついに潜水艦の指揮を任されたことへのお祝いを述べるべきかしら?」

 ゴーストは鼻を鳴らした。

「心にもないことは言うものではない。それよりもスミス、君の話をしようじゃないか。ハマダラカにも優秀な諜報員がいる。君のことは色々と調べさせてもらった」

「無駄なことをしたものね。私のことを調べたって、面白いことなんか何も出てこないわ。ただの下っ端の竜騎兵だもの」

「これはご謙遜を。君の祖父はスミス提督ではないか。提督はすでに亡くなっているが、その未亡人はビッグ・マーサと呼ばれ、ヒトリ海軍では今も強い発言力を持っている」

「お祖母さんの発言力? そんなものせいぜい、進水式の前に船の名前を決めるぐらいでしかないわ。それ以上のことではないのよ」

「いやいや、それだって大した物さ」

「ねえ、お祖母さんの話なんか退屈だからやめましょうよ。それよりもこの窮地から、あんたはどうやって脱出するつもりなの? ゴーレムはもう沈んだのよ。頼りのシャチも今は気絶して、そこの水面でおなかを見せているじゃないの」

「ああ、それは本当に困ったことだな」

 だがゴーストは笑っているのだ。ジャネットは続けた。

「今すぐ投降するのなら、正式な捕虜として軍規どおりに扱ってあげるわ」

「そうかい? なかなか魅力的な申し出だね」

「そうよ…。ほら見て。私を見つけて、ウルフが近寄ってくるわ。甲板の上にメロン中佐の姿も見える。頭は固いけど、軍規一本やりの人だから、話せばわかってくれると思う。お互い竜騎兵同士、これ以上のトラブルは避けましょうよ」

 ところがいかにもおかしそうに、ゴーストはクスクスと笑うのだ。

「竜騎兵どうしだって? スミス、君は一体誰と話しているつもりなのだね?」

「決まっているじゃないの。伝説の竜騎兵ゴースト、本名はビル・カーター中佐だわ」

「伝説と呼んでくれるのは光栄だが、この窮地から脱出する方法を私が考えていないと本気で思うのかね、ジャネット・スミス?」

「あんたに比べれば、私はただの少尉に過ぎないけれど、それほど馬鹿にしたものじゃないと思うわ」

「このマッコウクジラ、名はなんというのかね? 忠実で、君の指示をよくきくかね? これまで3回の戦いで観察して、とてもよいクジラであると私の目には見えるが」

「もちろんよ。とてもいいに決まっているじゃないの。名前はチビ介というのよ」

 フフフ、ともう一度ゴーストは笑った。

「よいクジラだというのは私も全面的に同意するよ。だが名は違う。このクジラの本当の名はチビ介ではない」

「どうして? あんたに何がわかるっていうのよ。あんたのクジラでもないくせに」

「このクジラの本当の名はピーターというのだよ」

「なんですって?」

「私はずっと探していたのだ…。ピーター」

「ピーターですって?」

「そうピーターだ…。私の声がわかるか、ピーター」

 呼びかけるゴーストの声は、海面に広く響いた。

 その声は低く、いかにも男らしい深みがあり、それでいてよく通るのだ。

 もちろんチビ介の耳にも届いていた。

 その瞬間、チビ介の背がピクリと震えるのをジャネットは感じた。

 まるで雷に打たれたかのように、チビ介は身を震わせたのだ。

「あっ」

 次の瞬間、チビ介が突然グラリと体を揺らしたので、ジャネットは転びかけた。

 しかしゴーストは体のバランスを崩しさえしないことに、ジャネットは驚いた。

「どうしてだろう? 今の揺れで、どうしてゴーストはよろめかないのか」

 ジャネットは不思議に感じたが、すぐに答えを思いついた。

「もしかしたらチビ介は、ゴーストが立っている部分を除いて、私がいるところだけを揺らしたのではないかしら…。うん、そうに違いない。チビ介は、私だけを背中から振り落とそうとしているのだ」

 チビ介が二度目に体を揺らしたとき、とうとうジャネットは海へ落ちてしまった。

 指が滑り、手の中にあった銃も海に落としてしまった。

「チビ介、チビ介!」

 波間から夢中でジャネットは呼びかけたが、何の効果もなかった。

 ゴーストを背に乗せたまま、チビ介は泳ぎ始めていた。

 胸びれで水をかき、尾びれで強く水を蹴ったのだ。

「チビ介、チビ介」

 ジャネットは呼びかけ続けたが、やはり何の意味もなかった。

 ゴーストと共に、チビ介は泳ぎ去ろうとしているのだ。

 ジャネットは見送ることしかできなかった。

 ゴーストはチビ介の頭上に、当たり前のように立っている。

 もはやどちらも、ジャネットを振り返りさえしない。

「チビ介、行ってはだめ。戻っておいで」

 出せる限りの声でジャネットは何度も呼びかけたが、もうチビ介の耳には届かなかった。

 そのままチビ介は遠ざかってゆくのだ。

 ジャネットにはどうすることもできなかった。

 大急ぎでボートを下ろし、メロン中佐がジャネットを助けあげたが、その頃にはチビ介とゴーストの姿は、もう海上のどこにも見ることができなかった。


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