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海軍学校へ  1

 話は要するに、

『ジャネットの祖父が変人だった』

 ということなのだ。

 祖父は軍人で、息子に跡を継がせたかったが娘しか生まれず、その後は孫に希望を託したが、運悪くその孫も女の子だった。

 祖父は今度こそ我慢できず、親族を集めて、ある日宣言した。

「この孫娘が軍人にならない限り、わしの遺産は誰にも相続させないぞ」

 祖父の遺産は、あきらめるには多額すぎた。

 ジャネットの両親は大あわてで作戦を練り、哀れな一人娘を人身御供に差し出すことに決めたのだ。

 だから12歳の春、ジャネットは『海軍女子学校』の門をくぐった。

「軍人になりたいなんて、私は一度も思ったことがないのにね。だけど他に方法はないもの…」

 だが希望はある。

 ジャネットと両親の間には、密約があった。

「私が海軍の学校にとどまるのは、祖父が死んだその日までだわ。祖父が亡くなり、お母さんがめでたく遺産を相続したら、にっこり笑って退学することになっている」

 そういう事情だから、入学後にどの兵科に所属するかなど、ジャネットにはまったく興味がなかった。

「まあ何でもいいわよ。どうせ長くとどまる気はないのだから…」

 説明もろくに読まずに、ジャネットは願書を提出した。

「…競争率の低い兵科を希望すれば、間違いないわね。適当にここにしよう。竜騎兵? 何をするところかな?」

 ところが、それが大間違いの元だったのだ。

 入学後すぐに寮に入れられ、『竜騎兵とは何か』という説明をはじめて受けたが、その時のジャネットの青ざめた顔は、またとない見物だった。

 ジャネットは取り乱し、泣きわめいた。

「こんなところ嫌だ。おうちに帰る」

 だが、もう遅すぎる。

 教官は、容赦なくジャネットを寮室へ引きずっていき、ベッドに放り込み、毛布をかけ、バタンとドアを閉めた。

 そのままジャネットを放置し、翌朝まで誰もやってこなかったが、とうとう空腹に耐え切れず、ジャネットは自分から部屋を出、最初の授業を受けたのだ。

 だが本人にも不思議なのだが、竜騎兵という兵科は、なぜかジャネットにはとてもマッチしていた。

 すぐに要領をつかみ、クラスで一番の成績をあげるようになった。

 自分でも鼻が高いのは、同期生の中で最初にクジラを与えられたのがジャネットだったということだ。

 ゼノンは、巨大なマッコウクジラの雄で、体長は20メートル近い。

 竜騎兵部隊が創設されたころからの古参で、これまですでに3人の竜騎兵とともに生きてきたが、ジャネットが4人目の相棒になる。

 この時点でジャネットは、まだ訓練校の3年生だった。

 本来なら訓練だけで、まだ実際の作戦に関わることはない。

 だがある事件が起き、そんなことは言っておれなくなった。

 夜明け前のまだ真っ暗な時間に、寮のベルが突然けたたましく鳴り、ジャネットたちは叩き起こされた。

 すぐに上級生が来て、声を上げて触れて回った。

「寝巻きのままでよいから、講堂へ集まるように」

 カーディガンをつかみ、裸足にスリッパばきのまま、同級生たちと一緒に、ジャネットは階段を降りていった。

「こんな時間に、一体なんだろう?」

 講堂は、もう生徒でいっぱいだった。

 校長や教官たちも全員がそろい、みな緊張した顔をしている。

 ジャネットはすみっこに腰かけ、誰かが口を開くのを待った。

 校長が前に進み出て、話し始めた。

「諸君、緊急事態が発生した…」

 外洋で事故が起こったのだ。

 新兵を乗せた潜水艦が訓練航海に出たが、突然行方不明になった。

 小型艦なので、乗員は7、8人しかいない。

 教官2名と、残りは訓練中の生徒たちだ。

 潜行中に、機関室で小さな爆発が起こったが、なんとか一時的に浮上することに成功し、SOSを発信した。

「…だが無線機の調子が悪く、連絡はすぐに途絶えた。しかも通信の内容から、教官たちはすでに死亡するか、重傷を負っていると思われる。船名はスタービューというが、小型とはいえ潜水艦には違いない。沈没しても、内部に閉じ込められた者たちはまだ生存している可能性がある。一刻も早く発見して、引き上げなくてはならない」

 だが海は広いのだ。

 スタービューを発見するには、一つでも多くの目が必要だった。

 竜騎兵訓練校には30頭のクジラがおり、ゼノンもその一頭だ。

『ゼノンを連れて捜索に加わるように』と、ジャネットも命令を受けたのだ。

「アンジェラ、キャサリン、一緒に来て」

 仲のよい下級生に手伝わせ、ジャネットはすぐに準備を始めた。

 潜水服やヘルメットを手押し車に乗せ、プールへと急いだのだ。

 足音を聞きつけて、ゼノンは水面に頭を出し、なんだろうという顔をした。

 ゆっくりと水に入り、ジャネットは潜水服を身につけた。

 竜騎兵の潜水服は軽く丈夫な合金で作られ、金色と銀色の中間のような、不思議な色合いをしている。

 それだけにとんでもなく高価なもので、竜騎兵ひとりひとりの体格に合わせて作られているが、シルエットはドラム缶に手足の生えたごときもので、まるで格好良くはない。

 ヘルメット部分は特に巨大で、ネジをゆるめて、人はここから出入りするようになっている。

 ヘルメットの頂部からは、これも合金製の太い空気パイプが水中を伸び、クジラの呼吸口に外科手術で埋め込まれた接続装置を通して、先端はクジラの肺の奥深くへと達している。

 つまり竜騎兵の潜水服は、クジラの肺を空気タンクとして利用しているのだ。

 ジャネットの出発準備は整った。

 捜索海域の海図は、すでに手渡されている。

 体を寄り添わせ、ジャネットは、ポンポンとゼノンの胸びれをたたいた。

「ゼノン、さあ出発するよ」

 上官のスピーチなどなかった。

 水門が開かれ、ジャネットたちは海へ出ていったのだ。

 外はまだ真っ暗だが、沖には明るく光るものがあり、ジャネットは、すぐに気がついた。

「あれは竜騎兵部隊の高速艇だ。私たちの道案内をするために待機しているのか」

 汽笛を鳴らし、高速艇が動き始めた。

 他のクジラたちとともに、一列になって従い、ジャネットとゼノンも外洋に出た。

 とたんに波が荒くなったが、ジャネットは平気だった。

「おやおや、今日は少しうねりがある。だけど、どうということはない…。思えば私も図太くなった。このくらいの波は、もうなんとも思わないもの。少々揺すぶられることを嫌うようでは竜騎兵にはなれない、というのは本当だね」

 ジャネットたちが捜索海域に到着したのは、夜が明けるころだった。

 ゼノンの胸ベルトにつかまり、波に身体を預けてウトウトしていたが、拡声器越しの怒鳴り声で、ジャネットは目を覚ました。

 いつの間にか高速艇がすぐ隣にいて、教官がマイクロフォンをつかみ、ジャネットをにらんでいたのだ。

「スミス中等兵、ぼやぼやせずに早く潜れ。おまえの担当海域に着いたぞ。目を開けてよく探すんだぞ、この寝坊助が」

 教官の言葉は厳しかったが、なんとなく笑っているのは声の調子でわかる。

 ジャネットは手を振り、ゼノンの胸ベルトにつかまりなおした。

 目玉を動かし、ゼノンがこちらを見ていることに気がついた。

「ゼノンって、人間の言葉がわかるんじゃないか、とときどき思える」

 超音波笛を吹き鳴らしてゼノンに合図を送り、ジャネットは潜水を始めた。

 いつものように真下を向き、体を垂直に立て、ゼノンは潜水していった。

「そうれ行け、ゼノン。あんたの好きな垂直降下だよ」

 降下するにつれ、まわりはどんどん暗くなった。

 ジャネットはヘッドライトを点灯したが、この暗さでも目をこらせば、なんとか潜水艦を見つけ出せるだろう。

「海底とは岩だらけで、荒地のようにゴロゴロした眺めだ。人魚姫の絵本から想像したのとは、まるで違う」

 と、ゼノンとともに潜水するたびに、ジャネットは思った。

 海底には、ところどころに海草が生え、赤く飾られてはいる。

 魚の姿は少なく、いても小型のものばかりで、岩や海草の間に群れ、ジャネットたちの姿を見ると、さっと隠れた。

「さあゼノン、まっすぐ前進しなさい。だけど速すぎちゃだめよ。何物も見落とさないように、私は左右をよく見なくちゃならないから」

 ジャネットとゼノンは、割り当てられた海域をそうやって、しらみつぶしに探すのだ。

 海図を渡されたときから、ジャネットには気になっていることがあった。

「私が受け持つ捜索海域は、一部が深海にかかっている…」

 深海とは、まだ誰も探検したことのない深い深い海だ。

 その暗闇にどんな生物がいるのか、まだ誰も知らなかった。

「…深海には、とんでもない怪物が潜んでいる可能性だってある。考えただけで、ぞっとする…。だけどまあいい。教官たちも、深海まで探す必要はないと言った」

 ジャネットとゼノンは、すでにかなりの面積を調べ終えた。

 長時間神経を集中させるので目が疲れ、ジャネットは、首筋まで硬く張っている。

 深海が見えてきたのは、このときのことだった。

「あそこに見える黒い線が、深海へ落ち込む崖のへりだ。白っぽい海底が終わり、まるでナイフで切り落としたかのように、その先には本当に何もない…」

 ジャネットの言うとおり、黒々とした暗闇が口を開けていたのだ。

 ジャネットは、思わず鼓動が速くなるのを感じた。

「…あの深海…、あの中から黒い大きな手が伸びて、今にも私をわしづかみにするのではないかしら…。まあいい、私の担当海域はここで終わるから、さあ折り返しだ。ゼノン…」

 合図を送り、ジャネットはゼノンの向きを変えようとした。

 だがその瞬間、目のすみに何かが見えたのだ。

「おや、あれは何だろう?… ゼノン、あれはもしや潜水艦か?」

 ゼノンに合図を送り、ジャネットはゆっくりと近寄った。

 潜水艦は、海溝のへりに引っかかっていた。

 ひどく不安定で、船体の半分を崖の上に突き出し、かろうじて宙に浮いているのだ。

 クシャミ一つするだけで簡単にバランスを崩し、転がり落ちそうだ。

「微速前進せよ、ゼノン」

 ジャネットは、ゼノンをイモムシのように、そろそろと進ませた。

 ヘッドライトを向けると、船体に書かれた文字を読むことができた。

「スタービューだ」

 ぞくぞくするうれしさがジャネットの体を駆け抜けたが、潜水服の中で、ただ喜んでいるわけにはいかない。

 まだまだ、やるべきことがある。

 次の仕事は、この発見場所を海図に正確に記入することだ。

 ジャネットは道具箱に手を伸ばした。

「必要な道具は、ペンと定規と海図。時刻は7時1分。方位は南南西で、高速艇を離れてからの航行距離は25カイリだから…」

 こういう計算は、訓練校の授業で叩き込まれ、ジャネットも困難は感じなかった。

 ジャネットはじっと眺め、スタービューの状態や、周囲の地形を頭に入れた。

 船体に穴はなく、内部に浸水はしていないように見える。

「さあ、もういいわ、ゼノン。浮上するよ」

 ゼノンに合図を送り、ジャネットは水面を目指した。

 いつものようにジロリと目玉を動かし、ゼノンが頭を上に向けたので、ジャネットは動きに身を任せた。

 水面に顔を出すと、ジャネットはまた忙しくなった。

 自分の発見を、一秒でも早く報告するのだ。

「さあ信号銃の出番だ」

 ゼノンの背にある物入れから取り出し、ジャネットが引き金を引くと、乾いた音と共に弾丸が打ち上げられ、何百メートルか上空でパンとはじけた。

「これでいい。これを見て、すぐに救援部隊が来るはずだ」

 ジャネットは待った。

 だが5分待っても、何も起こらないのだ。

 船も飛行機も姿を見せない。

「おかしいな。でも、もう5分待ってみよう」

 それでも何も起こらない。

 波と空以外に何もない海原なのだ。

 エンジン音一つ、プロペラ音一つ、耳に入らない。

「どうしたのだろう?」

 実はこのとき、少し離れた海域で、別の事故が起こっていたのだ。

 スタービュー捜索に加わった船が2隻、操縦ミスで衝突事故を起こし、あろうことか、どちらも沈没した。

 その救助のために、近海の全ての船舶が動員され、ジャネットが打ち上げた信号弾には誰も気がつかなかったのだ。

 だがジャネットは、そんなことは夢にも知らなかった…。

「信号弾を打ち上げてから、もう15分立った。それでも誰も姿を見せない。私一人でなんとかするしかないのか…」

 ついに心を決め、道具箱の中から、ジャネットはカプセルを取り出した。

 このカプセルは水に浮き、派手なピンク色だから、離れたところからでも見つけることができる。

 おまけに、目印の風船までつけてあるのだ。

 カプセルの内部に海図とメッセージを残し、ジャネットは再びゼノンにつかまった。

「さあゼノン、スタービューの様子が気になる。もう一度見に行くよ」

 スタービューは、すぐに見つけることができた。

 前回と同じように見下ろしても、特に変わった様子はない。

 より詳しく状況を調べるため、ジャネットはさらに近づくことにした。

 だが奇妙なのだ。

「あれっ?」

 ゼノンの鼓動が、突然速くなったことにジャネットは気がついた。

 コンビを組んですでに一年が過ぎ、鼓動の変化が、エサを見つけた興奮によるものなのか、敵が近づいたことの恐怖なのか、ジャネットは区別できた。

「だけどおかしい。これは、そんな単純な話ではない。ただの興奮でも恐怖でもなく、興奮と恐怖の入り混じったものだ。ゼノンのやつ、突然どうしたのだろう?」

 ジャネットは頭をめぐらせた。

「私の目には見えない何かをゼノンが感じているのは間違いない。それが何なのか、まだわからない。だけど、一旦この場を離れたほうがよい。さあゼノン、浮上しなさい…。ああ、ゼノンの鼓動が、少しゆっくりになった」

 だがジャネットは、ゼノンを水面まで浮上させたのではなかった。

 水面までのなかば、スタービューを高所から見下ろす場所でゼノンの足を止め、下を向いて様子を探ったのだ。

 やがて深海から、それが姿を現した。

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