顔がにやける。なんでだって?きみのおかげに決まってる。
「んじゃ、出欠とるぞー。いないやついるかー」
「せんせー。芦屋くんがいませーん」
見ている。クラスのみんなと先生が、窓際3列目に座っているわたしを見ている。芦屋がいないからって、わたしを見ても何も変わらないよ。そもそもわたし、芦屋のメアドも番号も知らないからね。知ってるのは、あいつの家の番号ぐらいだから。
「南」
「…は、はい」
担任に、神妙に名前を呼ばれたがこわくて視線をあげることができない。これから言われるであろう事柄が、安易に予想できるからだ。嫌ですって、わたし関係ないですもん。
「頼む。芦屋、探してきてくれ」
ほら、きた。
無言で担任と顔を見合わせてから、ゆっくりと視線を逸らした。隣の席の男子が茶化すように、「行ってやれよー、幼なじみなんだろー」とわたしを見てにやにやしている。…他人事だと思って!
「せ、先生が探しにいけばいいじゃないですか」
「頼むよー、クラス委員長!このとおーりっ!」
「クラス…委員長…?」
聞き慣れない呼び名に意味が分からずに教壇に立っている先生と再び顔を見合わせる。すると先生はもう一度「クラス委員長」とわたしを見て呼んだ。なにそれ、聞いてないよ。
「クラスの満場一致の結果で、お前は今日から委員長だ。おめでとう!」
「おおっ、おっ、おめでたくないです!なんでわたしなんですか!いつの間にそんな票が集まったんですか!」
「なに言ってんのよ、ついさっき多数決で決まったじゃない。コマ、話聞いてなかったの?」
「……まじでか」
前の席の友人が楽しげに表情を緩ませて、わたしに耳打ちをしてきた。どうやら、わたしが考えごとをしている間に決まっていたことらしい。そんな馬鹿な。
がんばれ〜と、友人の半笑いの声援に頭を抱えた。
渋々、席を立ってざわつく教室をあとにする。…覚えてろ芦屋、帰ったら芦屋ママに言いつけてやる。
★
サボり魔は、意外とすぐに見つかった。
立ち入り禁止のはずの屋上、そこに芦屋はいた。先ほど、先生に没収された特攻服の代わりに体育のジャージを着ている後ろ姿に一歩ずつ近づいていく。芦屋はじっと屋上から見える景色を真剣に眺めていた。
「あ、芦屋」
「……その声はコマか」
「ううん、違うよ」
「はっ!?まじかよ、じゃあ誰……ってやっぱコマじゃねーか。驚かせんなよ」
「なんで引っ掛かるの…?そっちのほうが驚きだよ」
「……なんの用だよ。さっきは俺を裏切ったくせに」
ムスッと口を尖らせて、あかさらまに不機嫌な態度をとられて肩の力が抜けた。フェンスに身体を預けている芦屋の隣に、3歩ぶんくらい距離を置いて座る。
「特攻服着てるお上りさんと、幼なじみだってバレたくなかったから」
「なんでだよ、特攻服かっけえだろうが」
「……大体アレどこで手にいれたの?」
「通販。バイト代全部つぎ込んでやったぜ」
「どや顔で言われてもなあ。…バイトなんかしてたんだね、意外だ」
「母さんの小遣いじゃ、買えないもんがあるんだよ」
「それが特攻服?」
「男のロマンだろ」
「……ぷふっ。馬鹿だなあ」
「……」
あっ、つい笑っちゃった。調子に乗ってしまった。芦屋が切れてしまう。
笑った口元をもとに戻せないまま、芦屋の顔色を伺うと。
「どーせ、俺は馬鹿だよ」
意外。笑ってた。
わたしを見て、なんだか嬉しそうに。
はじめて見る幼なじみの大人びた笑顔に、心臓がへんてこな音を立てた。
「俺、他のやつに馬鹿だって言われると心底腹立って、殴り倒したくなるんだけど、つーか実際殴り倒すけど」
「なにそれこわいよ」
「でも、コマに馬鹿って言われるのは別に嫌いじゃねえ」
ぱちくりと瞬きを何度かするわたしを、芦屋がじっと見つめてくる。それは、つまり、どういうことを表しているんだろう。
「……え?芦屋M気質だったの?」
「はあっ?ちっげえ、ばか!なんでそうなんだよ!なんでわかんねーんだよ!せっかく俺がちょっとかっこよく決めたってのに!」
「かっこよくM宣言したの?…ごめん、引くわ」
「ちげーよ!ばあーーか!」
バシッと後頭部を叩かれる。手加減なんて、これっぽっちもしていない。痛すぎて叫んだわたしを見て、芦屋は可笑しそうに指をさしてゲラゲラ笑ってた。いつの間にか、3歩ぶんの微妙な距離は埋まってた。
1年ぶんの隙間なんか、どこかいってた。会話は途切れなくて、久しぶりにこんなに笑ったなとぼんやりと思った。
「そういえばお前、なんで髪切ったんだよ。前はもっと長かっただろ」
「んー、まあ、ちょっと気分転換、みたいな」
「……失恋か。失恋ショートカットなのか」
「なにその失恋ショートカットって。ちがうよ、好きなひともずっといないもん」
「いないのか」
「うん」
「…ふーん。つまんねー」
「なんでニヤニヤしながら言うの?」
「別に、うれしくて笑ってるわけじゃねーよ!」
「そんなこと聞いてないから」
わけわかんないな、とため息をついてスカートについた砂ぼこりをはらいつつ、立ち上がった。芦屋がゆっくりと下からわたしを見上げてから、同じように立ち上がってフェンスの下から見える渡り廊下を眺める。丁度、新入生たちが入学式を終えて、ぞろぞろと歩いていくところだった。
隣にいる芦屋を見ると、食い入るようにその新入生たちを覗きこんでいる。その横顔はいつになく真剣だ。
「新入生見てんの?わたしが来たときからずっと渡り廊下のほう見てるけど」
「ここな、すげえベストポジションなんだよ」
「何の……、」
聞こうとしたら、春風がぶわりと吹き荒れて顔面を直撃していった。慌てて、スカートも膨らまないように手で押さえる。
おてんばな風の被害は、下にも同じようにあったみたいで、女子たちの悲鳴が聞こえてきた。…芦屋を見ると、先ほどよりさらにフェンスに身を乗り出して、下を見つめていた。
「危ないよ芦屋、何やってんの…」
「見えた。ピンクの水玉と黒の星柄」
「……」
「まじでここ絶景だな」
「……芦屋、もう一回聞くけど、何を見てるの」
「パンツ」
「……」
その鋭い眼光は曇ることなく、風で舞い上がる女子たちのスカートの奥の景色を、真剣に眺めていた。呆れて何も言えなくなったわたしは、無言で芦屋の手を引いて教室まで連行することに決めた。
「やめろ、コマ!俺からパンツをチラ見する楽しみを奪う気か!」
「チラ見どころか、ガン見してたよね?瞬きもしてなかったよね?」
こんな恥ずかしい男が、不良のリーダーやっているなんて信じられない。ただの
思春期真っ盛りの中2だ。成長しているのは、どうやら外見だけだったらしい。
「ああ…パンチラが…」
「もう、恥ずかしいこと言ってないで自分でしっかり歩いてよ」
「大地よ、風よ、お前らの神業で奇跡の瞬間を、俺の脳裏にもう一度刻ませてくれ…!」
「やだ…なんか痛々しいこと言い始めちゃったよ…。やめてよ…奇跡なのは芦屋の馬鹿さ加減だけで十分だよ…」
「さあ来い、春の疾風!!」
わたしの手を振りほどき、屋上の真ん中まで走っていった芦屋が、両手を空に向かって広げながらゲームに出てくるなぞの呪文みたいなことばを、大声で叫び出してしまった。
芦屋の願いが通じたのかは甚だ疑問だけれど、桜吹雪と共に生暖かい風がわたしたちへと体当たりするかのように、突如吹いてきたのである。あまりの強風に目を開ける余裕もない。
風が止んで、そっと目を開けた先に映っていたのは両手をあげたポーズをしたまま、わたしのことを呆然と見つめている芦屋だった。芦屋が小さな声で「見えた」と呟いたのを、わたしは聞き逃さなかった。
「ピンクのリボンがついた白か。…お前、昔っから代わり映えのしないパンツ履いてるよな。でも、俺はシンプルなパンツが一番好きだぜ」
わたしが叫んだのと、学校のチャイムが鳴ったのは、ほぼ同時刻だった。