久々にきみの顔を見た。目が合った。会話した。嬉しかった。ただそれだけ。
春がきた。
パステルカラーのワンピースを一着買ってみた。雑誌に載ってたパンケーキ特集の記事を見つめては、うっとりとした。思い切って、肩まであった髪の毛もばっさりと短く切ってみた。桜の香りがするというリップも丁寧に塗ってみた。ついでに、制服のスカートの長さもこっそりと一センチ短くしてみた。
そう、春がきたのだ。
「お上りさんか、お前」
職員室前を通ったとき、生活指導の先生の声が聞こえてきて、一瞬、春という季節にうかれまくっている自分のことを言われたのかと思って立ち止まったけれど、どうやら勘違いらしかった。
お上りさん、と先生に半分呆れられたように呼ばれながら説教されていたのは、わたしの幼なじみだった。振り返ってみて、後悔する。見なきゃ良かった、と。
「芦屋、もう一度聞くが…その格好はなんだ」
「特攻服」
「……制服はどうした」
「クリーニング」
「……何故だ」
「カレーうどんの染みがとれなかったんだよ。…ったく、言わせんなよ恥ずかしいから」
「恥ずかしいのは、今のお前の格好だ!馬鹿者!」
廊下の窓からあたたかな春の風が吹き抜けていくた
びに、芦屋の着ている派手な特攻服がヒラヒラとはためいている。その背中には虎と桜吹雪の刺繍が奇抜なセンスで陣取っている。
「春だからな」「…おう。春がきたな」と、通りすがりの生徒たちのひそひそ声が耳を撫でていくたびにうかれていた気持ちが急激に冷めていく。現実に否応なしに連れ戻された気分だ。
芦屋、好き放題言われてますよー。頭のぬるいやつだって、馬鹿にされてるよ。その通りだから、否定は一切しないけどね。
「今すぐ脱いでこい!」
「…はあ?なんでだよ」
「新学期早々、そんな意味不明な格好で校内を歩くなと言っているんだ!新入生に示しがつかないだろう!」
「今すぐにか」
「ああ、そうだ!今だ!」
「今すぐここで脱げってことは、俺にこのまま全裸になれって言ってんのか。…てめえ、とんだ変態教師だな。上等だよ、脱いでやらあ」
「なんでそうなる!?…って、本当に脱ぐんじゃありません!」
何事だ、と騒ぎを聞きつけて集まってきた教師たちに、本格的に脱ぎはじめていた芦屋はすぐさま押さえつけられていた。その一連の様子を遠巻きから眺めていた生徒たちの声が、またわたしの耳にはいってくる。
「あいつだろ、芦屋って」
「喧嘩強いんだよな、あいつ…馬鹿だけど」
「怒らせるとすっごく怖いらしいよ。…なんかめちゃくちゃ馬鹿らしいけど」
「この辺りの不良グループ牛耳ってんだろ?…馬鹿なのにな」
わたしん家の隣に住んでいる芦屋の名前とかおを知らない生徒は、多分この高校にはいない。所謂、不良くんというカテゴリーに属する芦屋には数々の馬鹿げた武勇伝があるとかないとか。中学2年生のときに、とある理由から当時の不良グループの番長的な人物をボコボコに返り討ちにして以来、わたしの
幼なじみはその日を境に不良の頂点に君臨していたのだ。
喧嘩は強いし、なによりあの、ヤンキー向きの見た目と持ち前の柄の悪さのせいで大抵のひとは震えあがってしまう。幼なじみのわたしでさえ、耐性がついているはずなのに未だに芦屋の目を見て話すことができないでいる。
「芦屋くん、顔はまぁまぁかっこいいのにね」
「うん。顔はね。中身がね…なんていうか、残念だよね」
「だねえ。アレはないわ」
「馬鹿かわいいけどね?見てる分には、目の保養」
女子のくすくすとした話し声の語尾に、(笑)がついているように聞こえるのは勘違いじゃないと思う。確かに、芦屋は女子にそこそこ好かれるのだ。いかにも悪役っぽい顔立ちなのに。でも実際に芦屋の行動を見たり、話したりしたあとの女の子たちの、あいつに対しての評価は“カッコワライ”程度の評価に格下げされてしまうのだ。だって、どうしようもないくらいの馬鹿だから。わたし(幼なじみ)お墨付きである。ネジが何本か外れてるんじゃないかとたまに思う。それか中身が中学2年のあの頃のまま止まってるんじゃないだろうか?
芦屋には関わらないに限る。だって、わたしは平凡な女子高生なのだ。あんなあたたかい脳ミソの不良くんなんか、知らない。普通におっかないよ。幼なじみという間柄でも。去年、晴れて高校生になったわたしは密かに決意したのだ。芦屋には金輪際関わらないと。幸い、芦屋とはクラスもはなれて、ほとんど喋ることはなくなった。向こうから、話しかけようとやってきても全力で逃げた。許せ、芦屋。わたしの平凡な高校生活がかかっているのだ。
しばらくすると、芦屋はわたしの近くをうろつかなくなった。話しかけてこようともしなくなった。芦屋が、学校自体をサボりがちになったのが原因だと思うけど。
あれから1年。どうにかこうにかわたしと同じ高校2年生に進級できたらしい芦屋は、相変わらず破天荒なことばかりしているようだった。今日は随分久しぶりに、芦屋を見た。ちょっと背が伸びてる。
あいつの、“不良”っていう肩書きがなかったら、わたしだって気さくに話せてたはずなんだ。きっと。
でも、やっぱり無理そうだ。悪く思わないで、芦屋。あんたに関わると昔からろくなことがなかったから。あの時も、そのときも、どのときも。数えきれないくらい。だから、高校生のあいだは、学校の中では、なるべく巻き込まれたくないんだよ。
ごめんね。
そう思ってなんとなしに芦屋を見たら、先生たちに床に押さえつけられている芦屋がわたしをまっすぐと見上げていた。
……目が合った。えっ、嘘だ。気のせいだ。視線をうろうろと泳がせて回れ右したら、何ヵ月ぶりに聞いた幼なじみの大きな声が廊下中に響き渡った。
「コマ!ちょっと待て!」
ぎゃああああああああ。
わたしは悲鳴をあげた。心の中で。
一斉に、注目の眼差しがわたしへと向けられる。名前を呼ばれても振り返らずに、他人のふりしてさっさと逃げれば良かったのに。わたしの馬鹿。
「コマ!」
「……」
「おい、ガン無視してんじゃねーよ。こっち向け、なあ、おい」
「……」
「コマ。……頼む。お願いだから」
珍しく弱気なその声に、わたしはまんまと騙されておそるおそる振り返ってしまったのだ。
ギロリとしたナイフのような鋭いつり目が、わたしをしっかりと捉えた。
そして、カッとその両目を見開き、叫んだことばは。
「タスケテクレ!!」
「……」
「てめっ、またシカトか!助けろよ、幼なじみだろ!このままじゃ俺がこの変態共に公衆の面前で全裸にさせられるんだぞ!いいのか!お前はそれでもいいのかよ、コマ!」
「……」
あ、やっぱ馬鹿だった。
変態なのはあんただよ、と口には出さずに視線で静かに告げたわたしは、ドラマの悲劇のヒロイン並みに渾身の叫びを続ける幼なじみに背を向けて、全力で逃走した。
このあと、芦屋と同じクラスだと知ったわたしを待っていたのは、芦屋のやけに嬉しそうな表情と後悔だけだった。