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トイレットペーパーの女神様

作者: A99

楽しんでいただけたら幸いです。

 幸運の後には不幸が必ずやってくる。その逆も然り。これは俺の持論、いや、経験談だ。

 昔からそうだった。百円を拾ってラッキーと思ったら、躓いて転んだ。恋人が出来たと思ったら、携帯電話が壊れた。宝くじが当たったと思ったら、買ったばかりの車が壊れた。

 幸い、不幸が幸運を上回ることはなかった。転んでも怪我で済んだし、携帯電話は買い換えればよかった。車の修理代は、宝くじの当選金額の半分でよかった。

 今思えば、あれも幸運だったんだと思う。だから、今こんな状況になってるんだ。

 

 今日は日曜日。久しぶりに天気が良かった。

 晴れ渡る晴天。雲ひとつない空。陽の光が、優しく俺を包み込む。だから、ガキじゃねえのについついテンションが高くなった。

 だから、散歩に行こうなんて思うんだろうな。

 適当なシャツとジーンズを着る。財布とスマートフォン、それと普段使ってるイヤホンをジーンズのポケットに突っ込んで、鼻歌交じりに俺は家賃の安いことだけが取り柄のボロアパートから出た。

 県内ではそこそこ発達している都市ではあるが、所詮は田舎。中心部の駅から少し外れれば、家と少しの店があるだけで、他に楽しいものなんてありはしない。

 俺が住んでるボロアパートも、そんな場所にある。アパートの裏は川になっていて、河川敷を歩けるようになっている。休みの日には、ジジイやガキが大量に歩いてるもんだ。時々、おはようございます、なんてガキのでかい声も聞こえてくる。まあ、嫌いな光景じゃない。

 つまり、散歩するにはいい場所ってことだ。

 ボロアパートを出て、裏の川に向かう。前方から、俺の部屋の隣に住んでる杉浦っておっさんが歩いてきた。会釈する。おっさんも返してくる。

 俺の性格は、とても真面目とはいえない。それでも、さすがに挨拶するくらいの社交性は持ち合わせてる。近所付き合いは大切だ、うん。

 河川敷。右にも左にも、無駄に長く伸びている。さすがに端から端へ歩く気にはなれない。

 少し考えて、俺から見て左側に歩いていくことに決めた。目的地はない。とりあえず、気が済むまで歩いていくことにした。帰るのが面倒になったら、最悪タクシーでも拾うことにする。

 とりあえず歩く。歩いてる最中は、ボンヤリと周りを見る。同じ景色が続くと思ってたが、そうじゃなかった。所々景色が変化して、なかなか飽きない。こんなことでもしないと気が付かなかったことだろうな。

 歩いてる奴らの顔もそれぞれだ。ジジイがラジオを聞きながら歩いてたり、ガキが複数人で楽しそうに走ってたりする。高校生らしい女子の集団が喋りながら歩いてきたときは眼福だった。一人以外レベルが高かったからな。一人以外。その一人については……まあ、お察しだ。

 不意に音楽が聞きたくなった。ポケットに突っ込んでいたイヤホンを取り出す。

 舌打ちを一つ。見事に絡まっていた。

 何とかイヤホンを戻して、スマートフォンを取り出す。音楽プレイヤーを起動、適当に曲を選ぶ。

 一時期ハマっていた、イギリスの伝説的なロックバンドの曲だ。このバンドの曲は今でもよく聞く。バンド自体も、さすがに昔ほどではないが好きな部類に入る。

 流れているのは、そのバンドの中でも特にお気に入りの一曲だ。カラオケでは毎回歌うし、毎日のように聞いている。

 それほどお気に入りの一曲だ。今も無意識にリズムを取り、小さな声で歌ってしまっていた。これに限らず、お気に入りの曲は無意識に歌ってることが多い。もう癖だな、仕方ない。

 上機嫌のまま歩く。こんな風に過ごすのもたまにはいい。

 同じバンドの曲を聴き続けて、そろそろ六曲目に差し掛かる。その時、俺の身を異変が襲った。そのあまりの衝撃に、俺は思わずうずくまる。

 腹が鳴る。そして、決壊しそうになる。何が、とは言わない。

 まるで、腹がかき回されているようだ。グルグルと回転している気がする。このままじゃヤバイ。色々な意味でヤバイ。

 避けなければならない。それだけは、どうしても避けなければならない。もし我慢できなかった場合、俺の社会的地位はズタボロだ。近所の人間に見られでもしたら、俺は一年以上引きこもる自信がある。

 周囲を見回す。人が多いし、人から隠れられそうな場所もない。まさしく絶体絶命だ。

 俺の耳に、ギュルギュルという嫌な音が響く。限界が近いのかもしれない。どうにかしなければ。せめて、人の目がない場所で。

 もう一度、必死に周囲を見回す。助かる場所は……あった。今日の俺は運がいいらしい。いや、悪運が強いのか。

 五十メートルほど先に公園がある。そして、その公園にはそれがあった。

 公衆便所。

 ありがとう、トイレの神様。ありがとう、市よ。この出会いに感謝します。

 俺は、色々と失う前にそこへ向かった。内股歩きで。


 十分か、あるいは二十分か。とにかく、長い時間戦っていたことはわかる。洋式ではなく和式だったのも、戦いの厳しさに拍車をかけていた。

 しかし、俺は乗り越えた。清々しい気分だ。まるで生まれ変わったかのように晴れやかな気持ちだった。

 今の俺は勝者だ。長く苦しい戦いを勝ち抜いた、誇り高い戦士だ。もう何も怖くない。

 レバーを捻り、流す。巨大なそれが流れていく。

 原因はわからないが、もうこんな経験はコリゴリだ。もう二度としたくないし、出てきたものも二度と見たくない。

 最後の後始末だ。カラカラと、便所内に音が響く。数回引っ張ったところで取る。そして、拭く。しかし、これでは拭ききれないだろう。もう一度取ろうとしたが、そこで紙がなくなった。

 舌打ちを一つ。そして、別のトイレットペーパーを探すが、個室内にはない。

 下半身を露出させているため、誰かに見られてはいけない。公衆便所内に誰も居ないことを確認して、個室から出る。目立つところには見当たらない。

 別の個室を見る。切れていた。

 女子の方へ行くことも考えたが、外に出る必要があるため断念する。探してるところを見られデモしたら、一発でアウトだ。

 絶望とは、まさにこのことか。神は俺を見放した。ファッキンゴッド。トイレの神よ、死んでしまえ。

 駄目だ、焦るな。落ち着け、素数を数えて落ち着くんだ。落ち着いて、よく考えろ。

 俺は考える。この状況を、どうにかして打破する必要がある。

 大丈夫だ、俺は出来る。やれば出来る。やれば出来る子だって言われてた、先生とかに。

 幸い、スマートフォンはある。誰かに連絡を取ればいい。……この状況で?

 紙が切れたから持ってきてくれ。場所は公衆便所。

 ……なかなか面白いことになりそうだな。向こう一ヶ月は笑い話になる。仕方ない、これは最後の手段にしておこう。

 他の方法を考える。手持ちの物はスマートフォン、財布、イヤホン。これでどうにか出来るか?

 スマートフォン。無理。

 イヤホン。どうしろと?

 財布。中には千円札が数枚と、レシートの束。

 ……これか? これしかないか?

 いや、まだだ。よく考えろ。これは万が一のタクシー代だ。ちょっと茶色くなった千円札を運転手に払うのか? 俺が運転手だったら、乗客を殴り殺す自信がある。

 ならば、レシート。しかし、これにも難ありだ。さすがに小さすぎる。うまく拭き取ることなんて出来やしない。これで拭こうものなら、俺の指が被害に合う。

 ならば指か……被害に合う前に拭いてしまえば、後はいくら付着しようと気にならない。

 いや、駄目だ。何を考えているんだ、俺は。混乱してるぞ。それだったらまだ、レシートのほうがマシだ。

 ふと目についたトイレットペーパーの芯を外し、観察する。

 固い。おまけに中央は空洞のため、それほど長さもない。これで拭くなんて出来るわけがない。

 スマートフォンを取り出す。やっぱり、これしかないか? 指に付着するよりは、笑い話になる方がまだマシだ。

 覚悟を決める。頭の中で、今日予定が無さそうな人間をピックアップ。恋人と、他に友人数人。一番マシなのは恋人か。もしかしたら、口止めしたら話さないでいてくれるかもしれない。

 邪魔なトイレットペーパーの芯を置く。その際、手が当たってしまった。

 転がるトイレットペーパーの芯。その行き先は便器の中。見事、芯は便器に入ってしまった。

 俺はため息をついた。今日はとことん運が無い。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。

 芯に水が完全に染み込まない内に、回収するべきだ。俺は便器に手を伸ばし、芯を回収しようとする。

 その瞬間、便器内の水が光る。そのあまりの眩しさに、俺は思わず強く目を瞑った。

 ……数秒ほど経過しただろうか。目の前の光がようやく収まってきた。

 目を開ける。視界はボンヤリとして、よく見えない。あの光はかなり強烈だったようだ。

「あなたが落としたのは、金のトイレットペーパーですか? 銀のトイレットペーパーですか?」

 誰かの声。女だ。いったい、どこから?

「あなたが落としたのは、金のトイレットペーパーですか? 銀のトイレットペーパーですか?」

 ようやく見えるようになってきた。女の声は、もう一度聞こえた。何処かにいるみたいだが、何処にいるのか。

 目の前には誰もいない。右にも、左にも。上を見ても、もちろんいない。ならば……。

 下を見る。目があった。

「あの……」

 何かいた。水が溜まる層から首だけ出した女が、そこにいた。

 俺と女の目が合う。呆然とする俺と、キョトンと首を傾げる女。

 不意に、女の視線が下に移る。瞬間、女の顔がまるでりんごのように真っ赤に染まる。

 女の視線の先。そこは、俺の股間だ。現在、俺はジーンズとパンツを下げた状態だ。つまり、下には何も着ていない。裸だ。スッポンポンだ。こんな姿なのは、もちろん長く苦しい戦いがあったからだ。そんな状態で、女は俺の股間を見ている。ジーっと、これ以上ないほどに見つめている。

 それが、続く。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

「キャアアァァァァ!!」

 女の悲鳴。どうやってか便器内から抜け出し、このまま拳を繰り出す。

 迫る拳。とても反応できない。拳の先は……股間。

 俺は、声を上げることが出来なかった。あまりの激痛に、声を出すことが出来なかったからだ。

 ……潰れなかったのが奇跡かもしれない。


「すいません! すいません! すいません!」

 便器内から抜け出てきた女が、ものすごい勢いで頭を下げている。最初は土下座しかねない勢いだったが、汚い上に狭いので、痛みを我慢して何とか止めた。

「いや……もういい……」

 女と反対側に立つ俺。下半身は何も着けていない。せめてパンツだけでも上げたかったが、そうするととんでも無い悲劇が起こってしまうため、仕方なくそのままだ。具体的に言うならば、パンツについてしまう。何が、とは言わない。

 女の謝罪を受けて、俺は無理して笑ってみせる。が、痛みはまだ続いているため、顔が引き攣っているのがわかる。多分怖いだろうなと、どこか冷静な部分が突っ込んでくる。

「で、でも……」

「いいから……」

「は、はい……」

 女の言葉を強制的に打ち切る。このまま言わせていても時間の無駄だし、それでは話が進まない。話を進めるため、まずは女の言葉を聞くことにした。

「で、あんたは誰なんだ?」

「はい。私はですね……」

 女曰く、自分はトイレットペーパーの女神だという。何故出てきたのかというと、俺が便器内にトイレットペーパーの芯を落としたかららしい。

 長々と女――女神は言っていたが、要約すればこれだけのこと。およそ九割は無駄と愚痴と雑談で構成されていた。なお、これを聞き出すのに三分以上かかった。この女神の九割は無駄で構成されているに違いない。

 説明を終え、女神は一息入れる。少し疲れたのだろう。

 そして、花咲くような笑みで、こう聞いてきた。

「信じてもらえましたか?」

「頭おかしいんだな」

「ひどい!?」

 思い切りショックを受けた表情の女神。素晴らしいリアクションだ。こいつ、実は芸人の女神じゃないのか?

「まあ、百万歩譲って」

「万!?」

「それはしぶしぶ信じよう」

「しぶしぶ!?」

 こいつ面白い。

「それで、あんたは何で出てきたんだ?」

 俺の質問に、ハッとする女神。本当に、こいつは一体何のために出てきたのだろうか。もしかして、今まで目的を忘れていたのか?

 こほんと咳払いをする女神。そして、真面目な表情を作り、俺に言う。

「あなたが落としたのは、金のトイレットペーパーですか? 銀のトイレットペーパーですか?」

「馬鹿か?」

「ひどい!?」

 何がひどいと言うのか。頭がおかしい女神が、頭がおかしい質問をしてきたのだ。頭がおかしくなっていないか心配するのが、普通の人間というものだと俺は思う。

「とにかく! あなたが落としたのは、どっちですか?」

 埒があかないと考えたのか、強制的に進める女神。仕方ないので、俺も答えることにする。

「普通のトイレットペーパーだよ。芯だけな」

「本当ですか?」

 何故か疑う女神。

「本当だよ」

 答える俺。

「マジですか?」

「マジだよ」

「神に誓って?」

「どの神だ?」

「私です」

「お前以外に誓う」

「ひどい!?」

 似たような問答を十五回ほど繰り返して、女神はようやく納得した。その頃にはお互い疲れ果てていて、こんな無駄な問答をしたことを後悔していた。

「最終確認です。本当に、普通のトイレットペーパーの芯を落としたんですね?」

「しつこいな、本当だって」

「ファイナルアンサー?」

「ガアアァァァ!!」

「ヒィッ!? わかりましたぁ!」

 ようやく納得してくれたらしい。目の幅涙を流しながら、女神は勢い良く頷いていた。素直に納得してくれて、俺も嬉しい。俺がニッコリと笑うと、女神はガクガク震えだす。少し闇の波動が見えているかもしれないが、そんなものは些細な事だ。

「え、えっと……あなたは正直者です。そんな正直者のあなたには、これをさし上げましょう」

 涙目の女神が取り出したのは、金色に光り輝くトイレットペーパーだった。ただの一般人の俺でもわかる。それは、金メッキや金色に着色しただけのチャチなものじゃない。正真正銘、黄金で出来たトイレットペーパーだった。黄金で出来ている割には、紙のように軽い。

「何だこれ?」

「神の力で作られたトイレットペーパーです。黄金なのも神の力で出来ているからです。神の力は凄いんです。ご都合主義です。後、神の力で出来ているので、一度拭けばその快感に虜になるのは間違いありません」

 俺の質問に、ドヤ顔で説明する女神。まるで意味がわからない。神の力で何故こんな無駄なものを作っているのか。

「残念ながら、芯は普通のものと同じです。それについては許してください。それと、本来ならば紙の量は落とした時と同じなのですが、サービスとしてもう二、三拭きくらいは出来るように、紙の量を増やしておきました」

 俺が唖然としている間に、女神の説明は終了した。

「では、さようなら。もう会うこともないでしょう」

 その言葉を最後に、女神は去っていった。自らトイレのレバーを押し、その水に流れて。そう、俺が流したアレのように。

 帰るにしても他に方法があるだろう。何でわざわざアレと同じ方法で消えるんだ。

 俺は呆れつつ、手の中に残された黄金のトイレットペーパーを見る。とりあえず、これで問題解決の手段を手に入れたことになる。使うのがもったいないが、せっかく頂いたものだ。使うことにしよう。

 黄金のトイレットペーパーをセット。便座を跨ぎ、しゃがむ。トイレットペーパーを数回引っ張り、取る。そして、拭く。


 これ以上ないほど、気持ちが良かった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

感想、評価、批評等ありましたら、ぜひよろしくお願いします。

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