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05:ネロを継ぐ者

  05 ネロを継ぐ者


 水鏡の向こうで繰り広げられる、五対千の乱戦。

 とても善戦とはいえない戦いがそこでは繰り広げられていた。

 伊爽が、レイラが、ジィルバーンが、ルナファレフが、ジントニックが、自身の全力を持って戦いに挑んでいる。

 身体のあちらこちらに怪我を負いながら、人海戦術で迫ってくる騎士姿の人形を相手に各々がそれぞれ最善の行動を選択して動く。

 レイラを水晶のすぐ側に立たせ、そこを中心としたように伊爽たちが四方に散り、向かい来る騎士人形を一体一体確実に倒していく。

 レイラの魔力が解き放たれ、四方目掛けて光弾が雨の如く荒れ狂い、それを受けて騎士人形が体制を崩す。

 そしてそこに各自がそれぞれ攻撃を仕掛ける。

 伊爽が剣に魔力を込め、それを走りながら右脇に構え、飛び上がるように剣を振り上げる。

 伊爽独自の剣に魔力を込めて魔法と剣技を組み合わせた技法――魔法剣。

その魔法剣のうちの一つ――凍氷剣・凍波(いてなみ)

剣全体に込められていた魔力が開放され、氷塊を纏わせた冷風を生み出し、振り上げられた時に生じた闘気の刃と共に虚空を駆ける。

 冷風を浴び、全身を凍りつかせる騎士人形が闘気の刃を受けて次々と大破する。

 そこに伊爽は追い討ちするように左手の平に練り上げていた魔力を解き放ち、新たな魔法を上空から打ち放つ。

 生まれたのは暴風雨にも匹敵する突風。無数の風塵を纏った嵐が冷気と斬撃波で斃し損ねた騎士人形を襲い、その身体に無数の斬傷を刻む。

 ジィルバーンは愛用の槍を頭上で高速回転させ、その回転からなる遠心力を上乗せして大振りに槍を薙いだ。

 光弾の雨を受けて動きを止めていた騎士人形がその一撃だけで胴体を両断され、無造作に床に受け止められてその場で動きを止める。

 一撃を終えたジィルバーンに対して打って出る無数の人形。ジィルバーンはそれに即座に反応し、手にする槍を振り翳す。

 槍の穂先から突如水の濁流が生まれ、ジィルバーンに刃を向けた騎士人形を飲み込む。それを見てジィルバーンは突き出していた槍を今度は床に突きつける。

 すると槍が突き刺された場所から前方目掛けて無数の土槍が地面から姿を現し、水に飲まれていた騎士人形の身体を貫いたのだ。

 ルナファレフは手に備えている鉄爪で空を薙ぐ。

 大気を切り裂いた五指の斬撃が空間を歪ませ、意思のない人形さえその異常性を忌避し一歩後退る。

 それを見て、魔女は口元ににやりと嫌な笑みを浮かべる。

 鉄爪を装備した左手が一瞬怪しく光る。

 同瞬――切り裂かれた虚空が紫電を迸らせる。そして広がる空間の歪み。

 そしてそれに危機感を覚えたのか、騎士人形が剣を振り被ってルナファレフに迫る。

「残念~」

 何処か緊張感の抜けた魔女の呟き。

 瞬間――五つに裂かれた空間から生じた衝撃波が、緋色の雷を纏い斬撃を生み出し、眼前に無数に立ちはだかる騎士人形を五等分に切り裂く。

 これがもし人間だったら、世にも恐ろしい地獄絵図が完成していたと見るものに知らしめるかのように、そこには五つに切り裂かれたのち、放たれた斬撃の余波で生じた衝撃で原形を留めていない。

 それは正に地獄絵図。

 しかしその状景を生み出したルナファレフはその有様に目をくれているいとまはない。

 その蒼氷色の双眸は、その積み上げられた破砕人形の上を踏み越えて迫ってくる新たな人形へと向けられている。

「モテるってのも、ホント辛いわねぇ」

 あくまでやんわりと、でも臆することも怯むことも、そしてあくまで手を抜く気はないと明確に意思表現するように、彼女の両手には新たな魔力が練られる。

「うおぉぉぉ……らっ!」

 そのすぐ横で、ジントニックが迫る無数の騎士人形を投擲する小剣で討ち取りながら得意の徒手空拳で次々と地に伏させ、そこに投擲し高速で回転している小剣とはまた異なる小剣でこういった魔力で動く人形系(ドールタイプ)の弱点である核を的確に破壊する。

 もう何体目かしれない人形の核を破壊したジントニックの背後に迫る、騎士人形の剣。

 ジントニックはそれに目を向けることなくその場にしゃがみ込み、逆上がりする要領でその剣を弾き飛ばす。

 そうして一瞬動きを止める騎士人形目掛け、腕を軸に回転して連続で蹴りを入れ、そして止めと言わんばかりに腕のバネで飛び上がり、両足で体重の乗った蹴りを打ち出し、その騎士人形を蹴り飛ばしてその背後で群れる無数の人形へと叩き込んだ。

 仲間の人形に押し倒され、まるで将棋倒しのように騎士人形が次々とその場に倒れる。

 その倒れた人形目掛け、ジントニックは戻ってきた二本の小剣をキャッチ。そしてそれをすぐさま回転させて倒れている人形目掛けて無造作に叩き込む。

 高速で回転する二つに刃が空気を切り裂きながら人形を襲い、それぞれの核を刈り取っていく。

 見ている者を唖然とさせるには十分すぎる連携だ。それぞれが自身の役割を完全に熟知している。

 レイラの魔法を合図にそれぞれはそれぞれの最善の行動を取って向かい来る騎士人形を撃激する。それらの動きには無駄がなく、それでいって効率的。どれだけの時を共にすればこれほどの動きが出来るのだろうかと永遠は思わず首を傾げたくなる。

 だが、それで後どれだけ持つだろうか。

 口にしたわけでもないその問いに、アレリアはかぶりを振りながら答えた。

「あれではそう長くは持ちますまい……やはり期待ハズレ……というところか」

 現在の状況を生み出した当人でありながら、まったく悪びれた様子のない老女の言葉に、永遠は激昂して怒号を上げかけ、それを寸でのところで飲み込んだ。

 叫んだところで彼女に自分の声が聞こえないことくらい、永遠はすでに知っている。

 だから諦めて水鏡に目を向ける。

 彼ら五人の戦況は少しずつ不利な方向に傾いていく。

 このままでは、間違いなく彼らは死ぬだろう。

 それは即ち、伊爽が死ぬという事。

 それを考えただけで、まるで魂を悪魔の手に摑まれたかのように、心臓を何者かに握られたような底知れぬ恐怖を覚えた。

 その時永遠は、頭で考えるよりも早く、自らの意思で〝時の狭間〟に歩みを向ける。

 此処にいてはいけない。

 自分のいなければいけない場所はここではない。

 ただ彼の元へ。

 そう自身に言葉を掛け、永遠は〝時の狭間〟にその身を投じた。



「はあっ!」

 呼気と共に伊爽は手にする件を振るった。上段から振り下ろされた剣の纏う魔力が爆ぜ、同時に剣身から開放されるのは闇色の炎。

 剣を覆うように放たれる炎が伊爽の斬撃と共に打ち出される。

 放たれる衝撃波と共に闇の炎が騎士人形を飲み込む。

 騎士兵鎧を焼き払い、その中に存在する本体をも焼き払う炎が唸り、剣と鎧を溶解して無に還す。

 眼前に立ちはだかっていた騎士人形を一掃し、伊爽はその場で膝を折ってその場にしゃがみ込む。

 肩を上下させ、荒いと息を吐き出す。

 全身を蝕む疲労という名の枷。それが腕や足の動きを、そして身体全体の動きを阻害し、戦い始めた時と比べれば明確なほど伊爽の動きは鈍っている。

 剣を支えにしながら大きく息を吐き出し、自分の身体に叱咤という鞭を打って立ち上がる。

 だが身体が思うようにゆうことを聞かず、その事に対して伊爽は苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 そんな一瞬の隙を見せた伊爽に対して、騎士人形が容赦ない襲撃を見舞う。

 手にする盾を眼前に構え、そのまま床を蹴って伊爽目掛けて疾走。

 空を切って失踪した騎士人形の一体が伊爽を突き飛ばし、不意を疲れた伊爽は防御も回避も出来ずなすがままに吹き飛ばされる。

「ぐぁっ」

 体を襲った衝撃に小さな呻き声を上げながら、伊爽は空中で回転し、体勢を立て直しながら左手に魔力を練り上げ開放する。

 伊爽の手の平から打ち出される疾風の乱刃が追撃しようと剣を構えていた騎士人形を襲い、その身体を千々に切り刻む。

 それを見据えながら伊爽は床に着地するが、疲労が溜まる身体は思うように動いてくれず、着地の際にバランスを崩し、その場で膝を突いた。

(くそっ……)

 百は切った。百は吹き飛ばした。少なくとも二〇〇の敵は剣と魔力を行使して退けただろう。

 仲間たちも紛争し、少なくとも二〇〇は斃している筈。

 だが、それでもまだ四〇〇。

 残りはおよそ六〇〇。

 単純に計算して出した数字。その数字はあまりにも大きく感じた。

「万事休す……かな……?」

 自嘲にも程遠い、諦めに近い呟きが口から零れた。

 今、伊爽は敵の真っ只中にいる。

 他の皆はというと、すでに限界がきたしていた。

 ジィルバーンとジントニックは深手を負い、今現在レイらの治癒魔法で傷を塞いでいる。ルナファレフはその三人を護るように決壊を張り、無数の騎士人形を必死に抑えている状態だ。

 その結界とてあとどれだけの時間保てるだろうか?

 レイラもルナファレフもすでに魔力がつきかけていて、いつあの結界が破られるかも分からない。

 大層なことを吐いてこの体たらく。自嘲なんてとっくに通り越している。

 自身の不甲斐なさと愚かさ。そして無力さを思い知らされた今、襲い来るのは抗い難い絶望か。

 握る剣に力が篭もる。残り七〇〇も存在する騎士人形。黒い鎧を身に纏い、感情を持たず疲れを知らず、ただ目の前にいる自分たち(敵)を排除しようと隊列を組んでザッザッザッと足並みをそろえて歩み、剣を構えて襲い来る質も量も半端ではない強敵。

 一体一体ならそれほど脅威でもないが、その数が千にも上るとあまりにも凶悪な存在へと変化する。

「ホント、人海戦術は怖いな」

 吐き捨てながら伊爽は剣を手に立ち上がり、無数の騎士人形の波目掛けて飛び込む。魔力を攻撃ではなく自身の身体能力の強化に回す。

 そうして身体の疲労を誤魔化し、眼前の敵目掛けて剣を薙ぎ払う。

 闘気を纏った刃から放たれる斬撃波が最前列で隊列を組む騎士人形を襲い、その身体を闘気の刃で押し潰す。

 衝撃波による爆発が騎士人形を巻き込んで床を砕き、大量の粉塵を吹き上げる。

 一瞬の静止。伊爽は余念なく剣を構える。

 粉塵の間隙を縫って粉塵を突き抜けてくる四体の騎士人形。

 伊爽は地を蹴って飛び出し、その騎士人形を瞬時に切り裂く。

 振り上げられた剣を紙一重で躱し、その横を抜ける間際に横一文字に剣を薙ぎ、その背後から飛び出してきた人形を蹴りで受け止め、構えられた盾ごと一刀の下に両断し、左右から挟み撃ちするように刺突を放ってくる人形に対し、闘気を纏わせた剣を左右に振りその衝撃で吹き飛ばす。

 ほんの刹那の内に繰り広げられた戦闘。一瞬の安堵感が伊爽を包む。

 そしてそれが隙となり、代償が伊爽に襲い掛かる。

 まだ晴れぬ粉塵の間から姿を現す無数の騎士人形が一斉に伊爽を襲う。

 驚愕に顔を歪めながら剣を振り、最初に襲い掛かってきた人形を迎撃するが、津波のように襲い掛かる騎士人形を受け止めきれず、伊爽はその波に飲まれた。

「くっ!」

 一瞬の出来事だった。

 人形の波に飲まれた伊爽を襲う、無数の騎士人形の攻撃。とっさの判断で魔力を行使し風の防壁を展開したが、それらは容易く突破されて盾と錆びた剣の打撃が四方八方から伊爽を襲った。

 全身を激痛が駆け巡り、一刹那の内にして意識は混濁する。

 悲鳴を上げることもなく、伊爽はその場に崩れ落ちた。


 ◆   


「イサっ!」

 崩れ落ちた伊爽を見て、ジントニックは傷の痛みも忘れて叫んだ。

 ジントニックの叫びに反応し、レイラが驚愕の表情で治癒魔法をかけていたジィルバーンから視線を伊爽のいる方向に向ける。

 痛みのせいで脂汗の伝う顔に渋面な表情を浮かべながら、ジィルバーンも二人の視線を追って視線を向けた。

「やはり……あいつでもこの数は無理か……」

「それは当然ねぇ。だって千はくだらない数よ? それを一人で相手にするなんて、それこそ一騎当千という言葉を実行するに等しい。それだけの実力を持つ人間なんて、この世界に果たしてどれ程いるかしら?」

 ジィルバーンの呟きに対し、ルナファレフは結界を張ることに専念しながらそんなことを呟いた。その表情は険しく、今も結界を維持し続けていることがどれ程困難なことなのかを明確に示している。

 その表情を見て、ジィルバーンは歯をかみ締める。

(こいつもかなりの間結界を維持している……その前にかなりの魔力を使っているんだ。疲労しないわけがないか……)

 現状は最悪としか言いようがなかった。このメンバーの中で最強である伊爽でさえついに膝をつき、力なく床に伏したのだ。

 ジィルバーンの中で際限なく渦巻く感情は後悔と自身に対する憤怒と自責の念だった。

(私があの占い師のことをイサ(あいつ)に教えなければ、少なくともこんな状況に陥ることはなかったはずだ!)

 単なる好奇心だった。あらゆる意味で優れた才能を持つ少年。武術、魔法、学問、どれをとっても一流といえる才気を持ち、それでいてその持ちえる才能に過信することなく謙遜し、影で努力を重ね常に自分を高めようと志す若い少年。

(――この少年が何処まで伸びるのか見てみたい)

 それがジィルバーンの伊爽に対する第一印象と言ってよかった。

 そして見てみたかったが故に、彼にあの占い師のことを教え、旅に同行するように仕向けたのだ。

 だが、そんな事がいつの間にかどうでもよくなっていた自分に気付いたのはここ最近のこと。

 気付いた時には彼と行動を共にし、旅をすることに心地良さを覚えていた。

 恐らく、それは自分以外の皆もそうなのだろう。伊爽とすでに行動を共にしていたレイラに至っては、彼と行動を共にするのが当たり前といわんばかりに彼のすぐ後ろを歩いてついていっていた。

 ルナファレフも、ジントニックにしても同じだろう。

 彼らを見ていれば分かる。この二人は誰かと行動を共にするという事が向いていない性質の人間だ。自分がそういった性分だからこそ、同じ性分の人間は自然と分かるのだ。

 そんな二人でさえ、伊爽と行動を共にする。それは彼と旅をしたいという明確な意思表示のようなものだった。

 この少年について行くことで、何か手がかりが得られるのではないか?

 そう思わせる謎めいた雰囲気。それでいて自分たちの道行きを示してくれるような行動力と何気ない言葉。

 興味深い人間だった。あの剣聖とまで謳われる『漆黒』のエッジの孫にして、その相棒である『疾風迅雷』のゲイルの弟子でもある。

 血筋といい、その人間性といい、歳不相応な落ち着き方といい、全てにおいて伊爽という少年は別核の存在だった。

一見しただけでは何処か自己主張の乏しい錯覚を覚えるような痩躯の少年が備える、異常ともいえる才気とカリスマ。

 しかしそれを分かっていてなお、ジィルバーンは彼に対して畏怖や恐れといった感情を覚えることはなかった。

 あるのは友愛と畏敬。

 歳の少し離れた頼れる友人。

 それがジィルバーンにとっての伊爽だった。

 彼の成長を見届けたい。どれほどのことを成し遂げる人間なのかこの目で見極め確かめたい。そう自分に初めて思わせた少年。

 それほどの少年を、今こんなことで失いたくはない。

 ジィルバーンは彼の名を叫ぶ。

 脇腹に走る、焼けるような痛みをも無視し、ただ友人の名を叫ぶ。

「イサっ!!」

「イサくんっ!」

「イサアァァァァ!」

「イサ」

 ルナファレフが、ジントニックが、レイラが叫ぶ。

 皆に共通の意思が生まれたのかは分からない。誰もが同じ瞬間に同じ事を思ったとは思えない。

 だが、その時確かに、全員が叫んだのだ。

 あの不思議な雰囲気を醸す、頼りになる仲間の名を。

 失いたくない、大切な仲間の名を。

 だからもう一度、全員が叫んだ。


『イサ――――――――――――――――――――――っ!!』


 全員の声が、その広い広間全体で響き木霊する。

 その時だった。

 先ほど伊爽が倒れた辺り。

 その場所から、突如信じられないほど巨大な量の魔力が立ち上ったのは。

 全員が叫んでいたのさえ忘れ、突如現われた視認できるほど濃い魔力の柱に目を見張る。

 騎士人形たちさえ、その場にただ棒立ちになり、突如姿を現した魔力の柱に目を向けた。


 そしてそこには――


 黒色に染まる剣を悠然と構え、自分を囲むように立ちはだかる無数の騎士人形を、黒と白に輝く鋭利な刃物のように細めた双眸でそれらを見据える伊爽が立っていた。


 ◆


 遠退く意識の中、伊爽は倒れ伏したまま霞む視界で何気なく探してみた。あの自分のすぐ側に咲く、不思議な一輪の白い花を。

(……さすがに……こんな状況下では……ないかな?)

 見つからない花に対してそんな感想を覚えつつ、伊爽は自分の状況を整理する。

 全身が思うように動かず、身体に力が入らなかった。どうやら先ほどの集団襲撃は思いのほかに自分に痛手を負わせたらしい。やはり錆びていたといってもれっきとした剣だ。頑丈に作られているだろうから、切ることはできなくとも殴ることはできたようだ。

 行進を止めた、数えるのが嫌になるほどの騎士人形。それが一様に伊爽を見下ろす姿は、ある種壮観とも思える光景だった。

 それぞれが手にする剣を一斉に構える。その切っ先は皆伊爽に向けられており、止めをさす気であるのが明確だった。

 それを見て、伊爽は漠然とした思考で改めて思った。

 ……ああ、死ぬんだ。

 まるで人事であるかのような自分の内心の呟きに、伊爽は声にならない苦笑を漏らした。

 死を覚悟し、伊爽は静かに目を伏せ、振り下ろされる刃の痛みを待つ。

 その時だった。

 人の気配がした。

 レイラでもジィルバーンでもルナファレフでもジントニックでもない、此処に存在するはずの人間以外の気配。

 淡く儚い、まるで夢幻のような危うさを醸す独奏の雰囲気。

 それは伊爽にとって覚えのある気配。覚えのありすぎる、姿形も声も知らぬ、それでも自分がいつも求めているあの気配だ。

 伏せた瞼を持ち上げ、伊爽はその気配のする方向に視線を向ける。

 そこにある気配を求め、そこに咲くはずの花を求め、伊爽の視線は気配を追い――


 見知らぬ少女と目が合った。


 灰銀色の長い髪と、白い法衣に身を包んだ少女。首から下げられている懐中時計。

 纏う雰囲気はあまりにも希薄で脆くおぼろげで、あまりにも儚く今にでも消えてしまいそうな錯覚さえ覚えてしまいそうな印象のある少女。

 その少女が髪の色よりも少し濃い色の瞳の目尻に涙を浮かべ、倒れ伏す自分目掛けて何かを叫ぶように、訴えているかのように、そんな風に伊爽には見えた。

 靄のかかったような自分の意識が晴れ、伊爽はその少女をただ見つめる。

「……君なのか?」

 その言葉が声となって口から出たのかは伊爽自身分からない。

 分かるのはただ一つ。

 伊爽の発したその言葉に、少女が一瞬だけ目を剥いたかのように驚いた後、今にもないてしまいそうな表情でただ一度頷いたという事だけ。

 ――君が……そうなのか。

 纏う雰囲気。

 そして感じるあの気配。

 それは間違いなく少女から発されているものだ。

 その少女を見つめたまま、伊爽は小さく微笑んだ。

 やっと見つけた。

 やっと出会えた。

 捜し求めていた気配の正体。

 それが今、自分の目の先にいるという現実。

 そのことに喜びを覚え、そしてなんとも言い難い感情が胸の内に溢れた。

 同時に心中に渦巻いた、自分に対する情けなさ、悔恨、無様さ、恰好悪さ。

 自分の体たらくを見下げ、伊爽は激しく自分を罵倒した。

 情けない。

 探し続けていた存在が今、こうして目の前にいるというのに、どうして自分はこんな無様な姿を晒しているのだろうか?

 情けない情けない情けない情けない!

 無様な姿を晒し、挙句その捜し求め続けた存在に涙を流させ、そしてそれでもなお立ち上がることのできない自分は、一体どれほど愚かで惨めなのだろうか?

 伊爽は力の入らない身体をなお叱咤し、無理やりにでも力を込めて動かそうとする。それでも動いてくれない身体に怒りを覚え、屈辱を覚え、奥歯が砕けんばかりに噛み締める。

 手に力を込める。

 手の先にある黒塗りの剣の柄を強く握り締める。

 泣いて欲しくない。涙を零して欲しくない。そんな悲しい顔をして欲しくなど、ない。

 ただ会いたいという理由ではない。何かがあった。自分の中に、その気配の存在に何かを感じた。

 だからこそ、今目の前にいるのがあの気配の主だというのなら、それがあの少女だというのなら、泣いて欲しくなど、悲しんで欲しくなどない。

「ぁ……ぁぁあ……あああああああああああああああああああああああああ!?!」

 自身に対する怒り。自身に対する悔恨。自身に対する激昂。自身に対する殺意。

 それら全てをぶちまけるように、伊爽は声の限り叫んだ。


 ―

 ――――吼えるな、ガキ。



 その声がしたのと伊爽が吼えたのは同時。そして刹那、世界が白一色に包まれた。

 突然の世界の変化。

 そのあまりの突拍子のなさに、伊爽は先ほどまで胸中に抱えていた自身に対する負の感情さえも忘れて、その魔菜食の世界に目を見張った。


 ――コツッ


 ブーツが床を叩く音が背後から聞こえ、伊爽は即座に振り返る。

 敵かと思って即座に攻撃できる姿勢をとった伊爽だったが、その目の前に現れた存在を見て再び驚愕で目を見開いた。

 最早何が何だか分からない。

 伊爽の目の前に悠然と立つその存在。その男は、まるで鏡に映った伊爽そのものだった。

 だが、同時に全てが異なるといってもよい出で立ちをしていた。

 伊爽よりその黒髪は長く、その身に纏うのは黒一色とささやかな銀色で装飾された外套に近い戦闘衣。その外套の下から覗く皮製の軽装鎧と両腕に備えられている黒銀の手甲。膝より下は同じように黒銀の脚甲が備えられている。

 伊爽と同じ顔をしていながら、その全身から溢れる英気は万人を魅入らせるのではないかとさえ伊爽が思うほど、その男は自信に溢れている。


 ――黒き騎士。


 その言葉が、伊爽の口から自然と零れ落ちた。

 それに返されたのは、嘲笑のようにも感じられる矛盾に満ちた柔和な微笑。

「懐かしい名だな。本当に懐かしい。かれこれ五千の年月も前に呼ばれていた名だよ」

 伊爽は警戒することも忘れ、その男を呆然と見上げ続ける。

 あまりにも壮大で寛大。威風堂々としたその立ち振る舞い。まるでこの世の君臨者なのではないかと勘違いさせられてしまうような威厳と威光。

 立っているだけのはずなのに見せ付けるかのような存在感。

 その男は、正に異端だった。

 ただし、それは決して畏怖の念を覚えるものではなく、絶対ともいえる畏敬の念を覚える異端さだった。

 呆然と、そして唖然としたまま頬桁表情をする伊爽を見て、彼は不敵な微笑を浮かべて伊爽を見下す。

「似ているな。ああ似ている。我の若かりし頃そのままのような風貌。まさしく我の血統」

 何か言葉を発することはできなかった。何を言っているのか当事もできない。

いや違う。自然と理解したのだ。

この人の言葉の間に割って入ることは許されない……と。

そんな伊爽を他所に、男は更に言葉をその口で綴る。

しかし今度は今までただ自身を納得させる言葉ではなく、伊爽の目を見てしっかりと伊爽に向かって告げられた。

「我の名を名乗るのを忘れていたな。我が名はネロ。お前の持つ剣だ」

「剣……だって?」

 思わず伊爽が聞き返すと、寝ろと名乗った男はまるで芝居をするかのように片手を伊爽に突き出し、言う。

「然り。我はお前の持つ剣。『交響想歌(ファンタズマゴリア)(けん)』の一振り、(ネロ)に宿る意思。それが我だ」

 あまりにも突拍子のない話だった。

 剣に宿る意思? そんな事をいわれた所ではいそうですかと納得できるものではない。

 いぶかしむように表情を顰める伊爽。しかし、次の瞬間伊爽は何となくその言葉を信じていた。

 ネロが見せた寂しげな哀愁を帯びた微笑。

 何故かそれが全てを物語っているかのような錯覚を覚え、伊爽は無言でネロの言葉を理解した。

 その微笑が意味するものはただ一つ。否定されることを知り、それでもなお言わねばならないという自分の存在と、それでも認めてもらおうと願う自分に対する諦め。

 そんなものが宿っているような、寂しそうな微笑。

 それを垣間見たから、だから伊爽は何も言わず、ただ静かに一度だけ頷いて見せた。

「なるほど……ただ抜ける、という存在でないだけの事はある」

 伊爽の反応にネロは面食らったように一瞬だけ目を剥いたが、すぐに表情を元のものに戻し、一度だけ頷いていた。

(けん)にして(けん)、それが『交響想歌の鍵』。我はそれを嘗て所持していた存在。お前のいう黒き騎士だ。だが、今はそんな事はどうでもいい」

 ネロはかぶりを振り、見下ろす伊爽に向けて問いた。

「お前はあの方が見えたのだろう」

 それは問い掛けではなく確認。

 伊爽は一瞬『あの方』とは誰か分からず首を捻ったが、このタイミングで問われ、思う存在は唯一人しかいない。

「あの女の子のことか?」

 するとネロは伊爽の言葉に満足したように大様に頷いて見せ、更に言葉を続ける。

「我はすでに死んでいる存在。故この黒き剣の中に魂だけを宿している。

 嘗て我はお前の見た少女に仕えていた。だからこそ、今もなお孤独の世界に囚われるあの方を助けたい。

 だが肉体もなく、そして助ける方法をも知らぬ我にはどうしようもない。

 だからこそ、お前に頼みたい」

 ネロは一歩前に出、伊爽に歩み寄る。手が届くであろうその距離に来て、ネロはゆっくりと膝をつき、伊爽に手を差し出し、言った。

「我が血、我が剣を継ぐお前に頼む。我が想い、我が願いをも継ぎ、あの孤独なる方を救う意思を明確にせよ」

 一瞬の静寂。

 すべての流れが止まり、呼吸も時間さえも止まり、その世界は静まった。

 指し伸ばされた手を見て、次いでその手の主であるネロの双眸をじっと見据え、伊爽は口を開く。

「もし、ボクがその意思を継いだら、君は何をする?」

「力を貸してやろう。まだ全てはくれてはやれない。だが、今の状況を打破する力、そしてこの先お前と、お前の仲間たちが生き延びるための力を、我はお前に貸してやる」

 まさかここまで明確に答えが返されるとは思わなかった。

 継がないつもりなどない。

 継がないという意思も答えもない。

 問われた当初からあるのは最初から、継いでやるという明確な答えのみ。

 あの少女を救え。

 一体何から? とは問わない。

 自分はそうしなければいけない。そういう意思が、伊爽の中にはすでに生まれていたのだから。

「ネロ」

 目の前に君臨する黒き騎士の名を呼び、伊爽は確固たる意思の宿る瞳をその騎士に向け、刺し伸ばされた手を握り返し、

「継いでやる」

 宣告した。

 ネロがその答えに一瞬だけ微笑んだ。

 転瞬――その世界が爆ぜた。



 ◆


 覗く水鏡の水が大きな波紋を生んだ。

 刹那、その水鏡の台座が大きく揺れ動き、次の瞬間には無数の亀裂をその器に走らせた。

「なっ!?」

 驚愕の声を上げるアレリアを他所に、彼女の目の前でその器が甲高い音を響かせその場で破砕した。

 器がなくては水鏡は覗けない。

 しかし、彼女にとってそれは最早どうでもいいことだった。

 今なお眼前で起きた奇劇に驚き、アレリアはその場にしりもちをつくようにして崩れ落ちた。

 そして呆然とした表情のまま部屋の天井を見上げ、誰に言うでもなく一人呟く。

「まさか……継いだというのか……黒き騎士様――ネロ様を」

 アレリアは信じられないといった表情で呆然とし、諦めたようにかぶりを振り、「まいったのぉ……」と一人呟いた。

「永遠様のほうが、正しかったという事か……」



 ◆


 意識が瞬時に覚醒し、伊爽はあの不可解な世界からこの現実に意識を戻す。

 騎士人形の剣が今にも振り下ろされようとしている。

 覚醒した意識が即座にそれに反応し、伊爽は握る剣を振り上げてそれらを弾き飛ばしながら立ち上がり、手にする黒い剣を大振りに薙ぐ。

 一瞬の停滞。その一瞬、確かに世界は時を止めた。

『魔力を剣に注げ』

 その刹那に木霊した誰かの声。伊爽は即座に自分の手にする剣に目を向ける。

「ネロ?」

『確認はいい。それよりも早く(われ)に魔力を注げ』

 剣から脳に直接響く声に伊爽は小さく首肯し、残りの魔力を全て手にする黒の剣に注ぎ込む。

 手を通し、柄から剣身全体へと魔力が走る。

『随分と少量。かなりの魔力を消費しているようだな』

「仕方ないだろう。状況が状況なんだから」

 自身の今の様子が他者から見れば極めて滑稽だということを自覚しつつ、伊爽は愚痴を零す。

 すると脳裏に響く小さな苦笑。

『まあいい。この魔力、倍にしてお前に送る。お前はその送られた魔力を更に倍にし、我に送れ』

 一瞬言われたことの意味が分からず首を捻る伊爽だが、即座に彼の言葉の意味を理解し、「大丈夫かな?」と小さくぼやきつつ、送られてきた魔力を倍にし、剣に注ぐ。

『上々だ。あとはコレを繰り返せ。この戦いが終わるまでやめるな。常にこの累乗循環を絶やすな』

「分かったよ!」

 言われるがままに、伊爽は自身の魔力を送り込み、そして倍になって返ってくる魔力を更に倍にして送り返す。

 一瞬のうちにして、その行為はいく何十も繰り返される。

 気がつけば伊爽の身体には今まで収めたことのないほど膨大な量の魔力が満ちていた。

 全身から溢れ出る魔力は伊爽の疲労を奪い、外傷の全てを瞬く間に消し去る。自分の体から漏れ溢れる魔力は視認できるほどその濃度が濃く、周囲を拒むように渦を巻いて小さな嵐と化している。

 確信する。今なら勝てる。この眼前の騎士人形が千になろうと二千になろうと五千になろうと万になろうと億になろうとも。今の自分なら決して負けることはない。

 今なおその量を増し続ける魔力を特に練り上げることもせず、魔法として確立させることもなく、ただその魔力を解き放つ。

 剣を天目掛け突き上げる。刹那、自周囲で渦を巻いていた魔力の密度が増し、転瞬光の本流と化して立ち上り、光の柱と化して衝撃波を生み出す。

 ただ単純に魔法として打ち出すよりも強力な、魔力を開放しただけによって生じる余波が生む衝撃。

 それが伊爽を取り囲み、今にも襲い掛かろうと構えていた騎士人形を吹き飛ばし、その鎧を砕き粉塵へと変える。

 立ち上る光柱。その光は星光よりも煌々と、月影よりも鮮麗に。

 魔力の立ち上りで髪が、襟巻きが、外套がはためく。

 剣身に目を向け、そこに写る自分の顔を伊爽は何気なく覗き込み、その双眸をしばたかせた。

 ――瞳の色が……右が黒く……左が白く……光っている?

 剣身を鏡面にし映し出された自分の双眸が、普段の色とは明確に色を変えていた。左右の色彩が変化し、右目は黒い輝きを、左目は白い輝きを纏い、その異様な存在を主張している。

「この有り余ってしまう魔力のせいか……」

 おそらくそうなのだろうと自己完結する伊爽。深くは考えない。

 そうでも考えない限り、この目の異常性の理由が分からない。だが、目の色が変わっているからなんだという。今更気にすることでもない。自分の周囲で渦を巻く魔力を鑑みれば、この程度気にするだけ無駄な気さえするのだから。

 そんな事を気にしている暇があるのなら、他にするべきことをするべきだ。

 突き上げた剣をそのまま水平に、腕を伸ばして剣を突きつけるように構える。

「まずは、お前らを倒すこと。それが今のボクのすべきこと」

 先頭の意思を明確にし、伊爽は宣言する。

 刹那反応する数百体の騎士人形。

 だが、今の伊爽はそんなものに微塵の恐れも抱かない。先ほどまで感じていたい負がうそであるかのように、今の伊爽はとても落ち着いている。

 剣を構え、伊爽は意識を集中する。

 騎士人形が動いた。正面の一体が床を蹴り、剣を構えて伊爽に突進する。それに続くように周囲を取り巻いていた騎士人形が一斉に動き出す。

 足と床の間に魔力が集中し、魔力が爆発する。たった一歩で普段の最大速度を遥かに凌駕する速度で伊爽は駆け、眼前の騎士人形目掛け剣を突く。そのまま騎士人形の壁を突き破るように、全身に魔力を纏わせ突進する。

 魔力が剣先に集中し、渦を巻き、巨大な突撃槍と化したかのように渦を巻く。

 魔力の穂先が全てを射抜く。

 全てを吹き飛ばすように魔力の剣槍が疾走し、全てを穿ち貫く。

 たったそれだけの行為で、伊爽目掛けて剣を振るった騎士人形は大破する。

 突きの姿勢から今度は身体をこまのように一回転し、漏れ溢れる魔力を剣の軌跡に乗せる。

 自周囲で弧を描く斬撃の軌跡。纏う魔力は軌跡を追うようにして走り、周囲にいた騎士人形を一刀の下に破壊する。

 周囲を覆う騎士人形の数が、その二動作で消し飛ぶ。数はその寸劇の間でかなりの数が掻き消えた。残される鎧の破片。折れた剣。元々騎士人形であったはずのそれらは、一瞬のうちにして姿を消した。

 伊爽の鬼神の如き戦いぶりに、意思のない騎士人形たちさえ慄きその動きを止める。その隙を伊爽は見逃さない。

 剣を床に突き立て、自分の周りで更に溢れ踊り狂う魔力を練り上げる。

 そして魔法を行使するために必要な詠唱を唱えることもなく、伊爽はただ一動作。一瞬のうちに想造構築(イマジネーション)を終え、腕を頭上に突き上げてその術を解き放つ。

 水属性魔法階位第一上位――《絶対零度の氷魔(アブソリュート・ゼロ)》。

 伊爽がその魔法を発動させたのとほぼ同時、虚空の空間に亀裂が走る。そしてそれは次の瞬間ガラスが割れるような破砕音を立てて砕け、その空間を異空間と締結させる。

 そして次に起きたのは一際響き渡る咆哮。人の可聴域を超えた獣の遠吠え。

 割れた空間から現われる、蒼氷色の毛並みを持つ、巨大で雄々しいいと気高き赤眼の狼。

 階位第一上位の魔法は魔法の中でも最強のもの。それは自然現象を異常発生させるなどと言う生易しいものではなく、異界に存在する強力な力を持つ力の化身を召喚し、彼らの力の片鱗をもってして敵を殲滅する魔法。


 伊爽の呼び出したのは水属性内でも最強クラスの霊獣。氷毛の魔狼――《神ヲモ喰ラウ狼(フェンリル)》。


 伊爽の魔力によって召喚された狼は、その爛々と輝く双眸で眼窩に蔓延る騎士人形を見据える。

 そして忌々しげにその表情を歪ませ、その生え揃う鋭利な牙の備えられる口を開き、そして吼えた。

 咆哮は衝撃波と化して広間を襲う。轟々と響く獣の咆哮。それは魂さえも凍てつかせる氷冷の息吹。

 召喚主(いさ)が敵と認識する全ての騎士人形が、《神ヲモ喰ラウ狼》の咆哮を浴びて極寒たる絶対零度の氷柩(ひょうきょう)に閉じ込められる。

 やがて咆哮が収まり静寂が来たる。

 すべての騎士人形が凍りつき、《神ヲモ食ラウ狼》は満足げに一度頷いて見せ、開かれた空間へとその姿を消す。

 成り行きを傍観していた四人が、終わったのだと安堵の吐息を漏らす。

 伊爽も方から力を抜き、循環を続けていた魔力を収めようとした。

『まだだ!』

 剣の中に眠るネロが叫ぶ。同瞬、台座に安置されていた水晶が、最初の時を遥かに凌ぐ禍々しいきらめきを放つ。

 砕け屠られたはずの騎士人形たち。正確には壊され砕かれた騎士人形たちの残骸が、一斉に虚空へと浮き上がる。そしてそれは中に舞い上がり、黒砂の竜巻と化して虚空を踊る。

 砂塵の旋風が轟音と共に収縮し、一つの形を成す。

 轟音が静寂に変わり、そこに現われたのは巨大な黒い鎧を纏う人形。

 それを見た誰もが、その巨大さに目を剥き、思考を停止させて見入った。

 巨大な姿と、その姿が醸す異様なまでの禍々しさ。まるで恐怖が具現したかのような圧倒的な存在感。空気さえも凍りついたように、全てを威圧する殺気が広間を満たす。

『傀儡無勢が調子に乗るな!』

 そんな凍りついた空気の中でネロが叫び、それに発起されたように伊爽が床を蹴ってその騎士姿の巨像目掛けて疾駆する。

 魔力によって肉体を強化した伊爽の速度は人域をはるかに凌駕するものだった。

 瞬く間に巨像との間の距離を詰め、飛ぶ。

 向かって来た伊爽目掛け、騎士の巨像はその図体に不釣合いな敏捷な速度で伊爽目掛けて手にする巨剣を一閃させる。

「かあっ!」

 怒気と魔力を孕んだ伊爽の咆哮。呼気とともに繰り出された魔力は物質を分子レベルで破壊する超振動と化して剣を受け止め押し返す。

 その伊爽目掛け、剣を握らぬ左の(かいな)を唸らせて振るう巨像の一撃。その一撃を伊爽は纏う魔力の壁で受け止めながら後退する。

『ガキ。今ある全ての魔力を剣に込めろ』

 ネロの声に伊爽は即応するように纏う魔力全てを剣に練り込めた。先ほどまで空気を震わせていた魔力の余波が刹那にて掻き消える。渦が止み、まるで凪が訪れたかのような静寂が訪れる。

 それに反比例するかのように、伊爽の手にする剣から圧迫してくる、その存在を世界にまで知らしめようとするかのように存在を主張する黒塗りの剣。そしてそれに呼応するかのように輝きを増す伊爽の双眸。

 件を通して脳裏に浮かび上がる呪文言語による構築式。それを伊爽は疑問視するでもなくただ本能でそれを放つべきだと判断し、練り上げた魔力をその構築式そのままに発動させる。

 剣が纏っていた魔力が、淡い無数の色彩を纏い輝きだす。

 同時に刹那の疾走。

 誰にも気づかれることなく、伊爽はその姿をたった一歩で巨像の足元に移り、跳躍。

 剣を振り上げ、剣を手にする巨像の右腕を両断する。ズシンッという重いものが地面に落ちる音がはるか眼窩から伊爽の耳朶を叩く。

 跳躍の勢いをそのまま殺すことなく、伊爽は巨像よりはるかに高い位置まで飛び上がる。

 剣が纏っていた光が輝きを増し、その県全体が封じていたあの膨大な量の魔力が輝きと共に解き放たれる。

 そして現われたのは、騎士の巨像を囲むように逃さぬように展開される、伊爽の手に握られる剣より二周りほど大きな剣。

 その数は一体どれほどか。無数に虚空に佇む黒塗りの長剣が、圧倒的存在感を支持する騎士巨像を逃さぬよう縦横無尽に取り囲んでいる。

 それをはるか上空で見下す伊爽が、手にする剣を頭上に突き上げ、ネロと共に怒号する。

「『貫け!』」

 その声は虚空に存在する全ての件へと告げられる伝言指令(コマンド)

 そしてそれに即応する全ての剣。

 空を漂っていた剣が全て同時に動き、一斉に騎士の巨像を襲撃する。存在する無数の――千本の剣が、全て同時にその騎士を捉え、全てがその鎧を貫通し、まるでその空間に縫い付けるかのように騎士の巨像を拘束する。

 そして騎士の頭上で渦を巻く、剣に封じられていた魔力。開封されたあの人の知りえる領域を超えた量の魔力が開放され、伊爽の翳す手の先に滞空する黒き剣の力を具現する。

 魔力の開放が起こす剣の変化。

 伊爽の伸ばす手の先に姿を現す、禍々しくも神々しい異形の巨長剣。伊爽の身長をはるかに凌駕する長さと巨大さを持つ剣が、伊爽の魔力を纏い力を、威力を、威光を増す。


 ――交響想歌騎士式魔剣技(ファンタズマゴリアナイツアーツ)黒剣の断罪者(シュヴァルツ・エンデ)》。


 手に翳す巨大な剣を、伊爽は膂力の限りで振り下ろす。槍を投げるかのような姿勢で振り下ろされる巨大で禍々しく、そして神々しくもあるその剣が、眼窩の騎士巨像の頭頂を目指して真空を切り裂き、空間を穿つ。

 魔力を纏った巨剣の一撃。

 それは狙いを一寸たりともずらさず騎士の巨像を穿ち貫いた。

 魔力が一撃の威力を更に強固なものとし、断罪の如き凄まじさをもってして騎士を砕く。

 標的を逃さない必殺の一撃。

 空気を唸らせ、真空を穿ち、全てを貫く剣の断罪者。千の従者と共に巨悪の存在を正義の鉄槌をもってして、その存在を畏怖する存在の代理として、その剣は騎士を穿ち、破壊する。

 串刺しになった剣から魔力が爆ぜる。

 あの過大な魔力が瞬間的大解放され、無色の爆炎と共に衝撃波を放ち、貫いていた騎士人形をその一撃の下に完砕する。

 騎士巨像の残骸と、砕かれた床が衝撃波の余波で巻き上がり、粉塵となってレイラたちの視界を妨げた。

 そしてその粉塵が晴れた時、まず飛び込んだのは床に降り立ち悠然と構える伊爽と――


 その足元に転がるあの水晶だった――


 四人が伊爽の様子に呆然とした表情で見守っていると、伊爽が不意に膝を折り、次の瞬間背中から大の字に床に倒れた。

『イサっ!?』

 四人が声をあげ、倒れた伊爽に即座に駆け寄る。

 やって来た仲間たちを、伊爽は不思議そうな表情で迎えた。四人が揃って心配そうに伊爽を見下ろす。だというのに、伊爽はまったく立ち上がる気配がない。

「イサ?」

 そんなイサの様子に不安を覚え、レイラが首を傾げながら声をかけると、伊爽は何処か気まずげな表情を浮かべ、しばらくあられもない方向に視線を彷徨わせ、そして更に少し逡巡して見せた後、躊躇いがちに言葉を口にした。

「……あ~、その~……身体が動かなくて……起き上がれなくて……」

 その伊爽の言葉に誰もが首を傾げる中、ルナファレフはしばらく頤に指を添えて考え、やがて答えに至ってその症状を口にした。

「もしかして……魔力の拒絶反応(リバウンド)……かしら?」

 そう問われた伊爽の顔が、瞬く間に紅潮する。拒絶反応とは、魔法使いが自身の操りきれる魔力より多くの魔力を扱った際に起こす疲労症状で、訓練をつんで部を弁えている魔法使いならまず起こすはずのないもの。

 魔法使いとして十分鍛錬を積んでいる伊爽からして見れば、そのような初歩的失敗をしてしまったことは羞恥以外の何ものでもない。

 そんな伊爽の心情が分かったレイラたちは揃って顔を見合わせ、次の瞬間腹を抱えて大爆笑した。

 それもそのはず。ほんの一瞬前まであれほど凄まじい戦いぶりを繰り広げた伊爽が、その反動で身動きが取れないとなれば、それもその原因が魔法使いの初歩的失敗ともなれば、さすがに笑いを堪えきれない。

 だから彼らは笑った。あれほどすさまじいことを繰り広げる奴も、やはりれっきとした人間なのだと。他の犬歯や魔法使いと大差ないのだと。自分たちと何も変わらない、仲間の手を借りねばならない、仲間なのだと。

 そして笑われる伊爽は、泣きそうになりながら失笑と自嘲の入り混じった苦笑を浮かべ、仰ぐようにして背後を見る。

 そこにはあの時診た白い花が一輪、寂しそうに咲いていた。

 一瞬だけ垣間見たあの少女は誰なのだろうか? あの少女が、あの花の主なのだろうか?

 そんな疑問を抱きながらも、伊爽はその花と、そして一瞬垣間見えた少女に向けて、心の中で礼を述べた。


 ――姿なき何処かの誰かさん。

 アナタに一言だけ、言わせてください。

   ありがとう。




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