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04:千剣の試し


 遺跡に足を踏み入れてから、伊爽は何度目か分からない違和感を覚えた。

 古代遺跡と言うのは大抵が今現代の技術力をもってしては創り上げることが不可能とされている超金属を始めとした高度な機械技術の結晶のような場所だった。

 しかし此処の遺跡には、伊爽の知りえる限りの古代遺跡とは大きくかけ離れた建造物だ。機械でできた遺跡ではなく、本当に石を積み上げて創り上げた、現代の建築技術に近い代物でできているように見える。

 それと同時に、この遺跡にはもう一つの大きな特徴があった。遺跡を形成する壁や柱全てに、魔法に用いられる呪文言語が彫られているのだ。それら全て、魔法を発動させる呪文式として構築されている。それらは途方もない膨大な量の呪文言語で、入り口からかなり進んできたが、未だにその呪文の終わりが見当たらない。

 横部屋や分かれ道。そういった通路には幾度もぶつかった。しかしそれでも呪文は綴られ続けていて、その呪文構成を見る限り、この遺跡の最深部まで続いているのではないかとまで思えてくる。

 そして、そのことに気づいているのは何故か伊爽だけだった。

 魔法を習得していないジントニックや、魔法の技術力が低いジィルバーンならともかく、伊爽よりも遥かに魔法技術に卓越しているレイラやルナファレフさえ気づいていないというのは可笑しなことだった。

 そしてふと気づく。

壁に刻み彫られ綴られている呪文言語。それらの一部が、今現在に用いられている呪文言語と異なるものがあるのだ。その微細に異なる言語があるが故か、二人の知りえる呪文言語と微妙な違いが生じ、二人の目にはそれが呪文言語として成り立っていないのだろう。

(じゃあ……どうしてボクは読めるんだ……いや……それよりも……)

 どうして自分は、この呪文言語を知っているのか?

 伊爽自身、目に映る呪文言語は生まれてから一度だって見たことがない物だ。それは間違いない。

 だが、どういう理由か伊爽にはその文字が読めた。

 理由も理屈も一切不明。

 昔祖父に教わったわけでもなく、ましてや伊爽自身、何かの本で見たことがあるわけでもない。

 それなのに、伊爽にはその文字が読めていた。

どういうことだ……どうしてボクは、この文字を知っているんだ!?

 自分の中に生まれた疑問。それは驚愕と同時に伊爽自身に恐怖を植え付けた。

 知りえぬ呪文言語を自身でさえ知らぬ間に知ってしまっている。

 その現実に、伊爽は何とも言い難い悪寒を感じ、身震いした。

 この遺跡は、明らかにおかしい。

 そう、伊爽は直感した。

 右手が自然と腰に帯びている剣の柄を握る。しかし、それは何が起きてもすぐに対処できるようにではない。

 身に覚えのない言語を知り、そしてその言語が用いられているこの遺跡全体に恐怖したが故だった。

 今、伊爽自身その得体の知れない遺跡の中にいるのだ。異常なまでに警戒心が強まり、神経が以上に研ぎ澄まされていく感覚が、伊爽自身感じ取った。

 だが、それでもなお伊爽は剣の柄を握った。身に襲い掛かる正体の知れない恐怖感を押さえ込むように強く握り締める。

「イサイサ」

 不意に自分を呼ぶ声が耳朶を叩く。伊爽は一瞬我を忘れて、やがて自分が呼ばれたことに気づいて声の主を見た。

 伊爽のすぐ側を歩くレイラは、心配そうに伊爽を見上げていた。

「どうか、した? 怖い顔、してるよ」

 一瞬少女が何を言ったのか理解できず、伊爽は唖然とした表情で首を傾げたが、やがて言葉の意味を理解して慌てた様子でレイラに問い返した。

「そんな……怖い顔してた?」

「してた。ココにしわ寄せて、うぅーって」

 ココと言いながらレイラは自分の眉間に指を当て、思いっきり険しい表情をして見せた。恐らく、伊爽がこんな顔をしていたと教えたいのだろう。

 レイラに指摘されて、伊爽は自分が随分と酷い表情をしていたのだということを理解した。握っていた柄から手を外し、伊爽は狼狽しながらレイラに言う。

「な、何でもない! 何でもないから。ちょっと考えことしていただけだから」

「ホント?」

「本当だよ」

「ホントにホント?」

「本当に本当」

 レイラはまだ疑わしげな表情で伊爽を見上げていたが、それを伊爽が「この話はもう終わりだよ」と言って強引に会話を終わらせた。レイラはまだ不満げに目を細めていたが、やがて諦めたのか小さく嘆息した後、「分かた」と言って再び皆に並んで歩き出した。伊爽もそのレイラに続いて周囲に気を配りながら歩みを進める。

「ありがとう……」

 レイラに聞こえないように注意しながら、前を歩く幼い少女にそう言いながら。



「どうやらあの童……遺跡の文字が読めたようですな」

 水鏡を覗き込みながら、アレリアはほくそ笑みながらそう呟いた。

「コレでまた一つ、確証が得られました」

 誰に言うでもなく呟いたアレリアの言葉に、側で同じように水鏡を覗いていた永遠が不思議そうに首を傾げた。

 その瞳には「どういう意味なの?」と問いかけているように見えた。

 しかしその視線を受けながら、アレリアは答えることはせず水鏡を見据える。

「まだ……核心の確認には至れません。至るには、いま一つ足りないので……」

 視線を水鏡から微塵も逸らさず、アレリアは首を傾げた永遠にそう言った。

 二人は伊爽たちが遺跡に辿り着いた頃からずっとこうやって水鏡を覗き、彼らの行動を監視していた。

 と言っても、監視しているのはアレリアに過ぎない。永遠の場合、単純に伊爽が心配なだけだった。

 彼に危険はないのか。彼が怪我をしないのか。

 彼が……死なないのか。

 そんな永遠の心情を察したのか、それともただ単純にそう思ったのか、アレリアは淡々とした口調で言う。

「死にはしますまい。あの童が私の予想通りの存在なら、そして永遠様が選ばれた存在なのなら、このような場所で死ぬことはありますまい」

 口元に嘲笑とも冷笑とも取れる微笑を浮かべながらアレリアは言った。

 しかし視線はあくまで水鏡と、そこに映る少年へ。

 水鏡に映る伊爽を見ながら、アレリアは永遠に聞こえないほど小さな声で呟いた。

「見せておくれ、お前さんのその剣を持つ意味を。そして私に認めさせておくれ。私の――私たち皆の想いに、応えられる存在だと……」

 その老女の呟きは、水鏡に映る少年――伊爽へと向けられた言葉だった。



 一瞬の閃光。

 それと同時に轟音が轟き、高温の炎が渦を巻いて通路を駆けた。

 ルナファレフの放った火炎呪文が、今にも向かってこようとする狼に似た魔物を飲み込み、その体毛を、肉を、骨を焼き払う。

 それを合図としたかのように、魔法を発動したルナファレフの隣で伊爽もまた呪文を詠唱して練り上げた魔力を開放し、呪文を発動させる。

 無風の遺跡内に突如陣風が吹き荒れ、研ぎ澄まされた風は鋭利な刃と化して荒れ狂い、炎に巻かれながらもなお疾走する魔物を的確に捉えてその身体を切り刻む。

 炎と風が乱舞する魔物の群れ目掛け、魔法を放った二人の横をジィルバーンとジントニックが駆け抜けた。

 それぞれ自分の武器を手にし、火炎と風刃の猛威を逃れた魔物に狙いを定める。

 ジィルバーンの槍が魔物の身体を穿ち、肉を貫いて骨を砕く。

 ジントニックもまた高速回転する小剣を投擲し、群れを成す魔物を斬る。

 同瞬、伊爽たちの魔法を逃れ、二人の攻撃からも逃れた魔物が二人にその鋭い牙と鋭利な爪をもってして襲い掛かる。

 二人に無数の魔物が触れようとした刹那、二人の身体を光の幕が覆い、不可視の壁となって魔物の攻撃を弾き返す。

 伊爽とルナファレフの後方で待機していたレイラの防御呪文が、二人を守ったのだ。

 怯んで後退る魔物目掛け、ジィルバーンとジントニックが追撃する。

 それを見て撤退を決め、振り返って駆け出そうとする魔物たち目掛け、伊爽とルナファレフ、そしてレイラが同時に攻撃呪文を放つ。

 伊爽の風刃と氷槍が、ルナファレフの火炎の渦と紫電の波が、レイラの水の濁流と光弾の雨が、背を向けた魔物の群れ目掛けて一斉に急襲する。

 無数の呪文が魔物を飲み込み爆発する。爆発の余波が衝撃を生み、粉塵を巻き上げ、衝撃が周囲の大気を揺らした。

 粉塵が晴れた時、すでにそこには魔物の姿は微塵たりともの残っていなかった。そしてそれらを確認した伊爽たちは誰ともなく大きく息を吐き、警戒の構えを解いて身体から緊張と言う力を抜いた。

 肩に手を当てて首を回しながら、ジントニックは誰にともなく言う。

「これで何回目だよ、奴らと出くわしたの?」

「数えておらんのかこの盗人が。すでに十六回だ」

 ジントニックの言葉に即座に言葉を返すジィルバーン。数えていたらしい。随分律義なことだ。

「もうそんなに魔物と戦ってたかしら? 凄いわねぇ」

 にこやかに呟くルナファレフの言葉を聞きながら、レイラはうんざりしたようにうな垂れて小さく呟いた。

「……疲れる」

「同感」

 そんなレイラの言葉に伊爽は苦笑で答えながら手にする剣を鞘に収め、あらためて周囲の壁や床を見た。

 やはりと言うべきか、当然と言うべきか。此処にもそれが刻まれていて当然と訴えるように呪文言語が刻み記されていた。それらの量はおくに進むにつれて少しずつ多くなっていき、すでにこの辺り一帯の床や壁、天井全てが、無数の呪文言語で埋め尽くされている。

 無意識に伊爽の双眸が鋭くなり、それらの呪文言語を見据えていた。

 伊爽の目に映るそれらの呪文言語の配列は、かなりの高位魔法を発動させる物と見て間違いない。

しかもこれは儀式型。普通の魔法を発動させるための呪文とは異なる、広範囲に渡って影響を及ぼすように設定されているもの。呪文言語の配列が異常なまでに緻密でそれでいって無駄がない。

 何故それほどの呪文が、この遺跡に刻み込まれているのか。伊爽にはそれが不思議でならなかった。


 ……朽ちることなく我らは詠う。謡う。謳う。栄えしあの頃忘れまいと。

 (いざな)われるは颯々の声。導かれるは血を継ぐ者たち。迷い込むのは非道の愚者たち。

 全ては我らが王の意のままに。王の意に従うが従者の務め。

しかして時の屈辱、失う悲しみ、奪われ嘆く苦痛は拭い難し。

綴られる詩は叙事であり、失われたのは我らの故郷。

 彼の白き騎士は許すまじ。

あの黒き騎士は今何処に。

 此処は彼の黒き騎士を向かえる場所。

 血を継ぐ者は奥に、奥に、奥に、奥に進む。道はおのずと開かれて、奥にあるのは千の剣。

 千の剣は貴方を待ち望む。

 千の剣を討てし時、皆々貴方を黒き騎士と認める。

 待ち望む。待ち望む。待ち望む。

 貴方が参られるのを待ち望む。

 我らは血を継ぐ者たち。貴方を慕い参られるのを待ち焦がれる、同じ郷の忘れられ人……


 そんな一文が目に留まり、伊爽は思わず立ち止まる。

 呪文言語で刻み記されている、詠唱とはまた一つ異なる、何かの歌がそこにはあった。

 彼の白き騎士。

 あの黒き騎士。

 伊爽は首を傾いでその言葉を思い起こそうと記憶を探る。そしてはたと気づいて腰の鞄から一冊の本を取り出した。

 かなり古そう本。その表紙に記されている題は『交響想歌』。著者はエンドリスム=イヴ=ノクターナルルス。約三千年以上昔に、その著者が書いた作品だ。

 伊爽はその本の項を開き、ある項に辿り着いてそこに記されている章節に目を通した。


 ――ファンタズマゴリア


それは遥か古の時代に存在したとされる悠久の王国。

しかしてその栄光、一夜にて絶える。

双子の騎士――私欲に走る白き騎士は、暴徒を従え白き魔剣を掲げた。

双子の騎士――忠義に篤き黒き騎士は、国兵(くにへい)を従え黒き神剣を振るう。

己の国の、秘められし力を鑑みし国主(くにぬし)は、

愛姫を(にえ)として、(おん)国を現世(うつつよ)から幽世(かくりよ)へと封ずる。

その国の名はファンタズマゴリア。

永劫の時を彷徨い続ける、幻の都なり――


 その文面を読んで、伊爽は沈痛な面持ちで思考を廻らせた。

 白き騎士と、黒き騎士。

 失われたのは我らの故郷。

 同じ郷の忘れられ人。

 一夜にして絶えた王国。

 そして……ファンタズマゴリア。

 全ては偶然なのだろうか。それとも何者の作為的行為によって成り立った現状なのか。それとも、運命とやらがそう定めたのか。

「イサ、どうかしたのか?」

 呼び掛けられて我に返り、伊爽は声を掛けてきたジィルバーンに目を向けた。険しい表情で考えている伊爽を不審に思ったのか、彼は振り返って伊爽を見ていた。

 伊爽は慌てた様子でかぶりを振り、

「何でもないです。ちょっと、私用の考えごとで……」

「……そうか……なら、いい」

 何処か腑に落ちない様子のジィルバーンだが、すぐに気を取り直して前を歩き始めた。

 伊爽はその様子を見ながら手にしていた本を鞄にしまい、その後に続く。

 外套を引っ張られ、伊爽側にいるレイラに目を向けた。彼女はまたもや心配するように首を傾げた。伊爽はレイラに「大丈夫」と小声で伝えながら、拭いきれない不安と疑問を胸中に抱いたまま、遺跡の奥へと向かって歩みを続けた。



 その後も幾度か魔物たちと交戦し、幾度目かの休息を終えて歩いた先に存在したのは、今まで訪れた遺跡の中でも一際大きい広さを誇る広間だった。

 いや、広間というよりも、広場とか闘技場とか、そういった言葉で表現するのが適していると思えるほど、その広間は広大だった。天井もかなり高く、下手すれば小さな山程度の標高と渡り合えるのではないかという錯覚さえ覚えてしまう。

 そんな想定外の広さを持った広間に足を踏み入れた伊爽たちは、暫しその場でそのあまりの広さに驚いて言葉を失ったように広間を見回していた。

 そんな中で、伊爽の目を一際引いたのが、この広大な広さを持つ広間の壁だった。床に描かれている無数の呪文言語も気にはなったが、伊爽の危機本能を刺激したのは、その呪文言語よりも壁に存在する人一人くらいが入れそうな窪み――その中に佇んでいる、無数の人形だった。

 成人男性程度の全長を持つ、人型の人形。

 騎士か兵士を模したように鎧に身を包んだ人形は、皆一様に剣を両手で持ち、胸の前で切っ先を天目掛けて悠然と携えていた。

 一見ただの騎士を模した人形にも見えるが、伊爽にはその人形が妙な不信感を抱いた。

 騎士や兵士の鎧とは基本的に鉄で造られるため、銀灰色に近い色をしているのが主だ。

 だが、この人形が着込んでいる鎧は、兜から具足まで全てが黒一色で統一されていた。

(黒き騎士……か……。)

 本に記されている忠義に篤い黒き騎士。それをモデルとしているのかどうかは不明だが、その黒き騎士という言葉が妙に引っ掛かりを覚える。

 あの文面に記されている黒き騎士が、騎士団か何かなのなら此処に並ぶ人形にも特に不信感を覚えることもなかっただろう。

 だが、あの叙事詩に記されている黒き騎士は双子の騎士の片割れを意味している。

 断じて此処に存在する無数の騎士兵を意味する言葉ではない。

 なら、この無数の黒い鎧を着込んだ人形は何か。

 そこでふと思い出す。


 血を継ぐ者は奥に、奥に、奥に、奥に進む。道はおのずと開かれて、奥にあるのは千の剣。

 千の剣は貴方を待ち望む。

 千の剣を討てし時、皆々貴方を黒き騎士と認める。


 そんな言葉が、伊爽しか知らない呪文言語で先ほど歩いた通路に刻まれていたはずだ。

 あれは果たしてどういう意味か。

 伊爽の思考は刹那の内に解答を見出そうとしたが、自分を呼ぶ声でその思考は中断を余儀なくされた。

「おーらイサ、何ボーっとしてんだよ?」

 広間の中央目掛けて歩き出す四人の中で、ジントニックが歩みを止めて振り返り、イサに声を掛けたのだ。

「……ああ、ゴメン」

 伊爽はすぐに謝って彼の後を駆け足で追い、すぐに四人に追いついて彼らに続く。

 目指しているのは、どうやら広間の中央に鎮座している台座のようだ。

 此処からすでに、その台座の上に乗る水晶が見て取れた。

 後はあれを持ってこの遺跡から出て、アシュミエの街に帰ればいい。

 それだけのことのはずなのに、伊爽はどうも簡単に帰れる気がしなく、先程よりなおも強くなった不信感に押し潰されないように自分を奮い立たせた。



 水鏡に映る伊爽たちを見て、アレリアは不敵な笑みを浮かべた。

「来おったな、童」

 傍らに立つ永遠は、その呟きの意味が分からず首を傾げた。

 それと同時に、アレリアの口がか細く何かを呟いた。彼女は己の握り締めている手の人差し指と中指だけを立て、虚空をその指で切る。

 この老女は何をしようとしているのだろう。永遠はその老女の行動に嫌なものを覚えた。

 険しい表情がその顔には浮かんでおり、真剣な表情で水鏡を見る彼女の瞳は、永遠に一瞬だが畏怖を覚えさせた。

 水鏡の向こうで、伊爽たちが台座に辿り着いてあれこれ話し合っているのが見える。

 暫しの話し合いの後、ジィルバーンが水晶に手を伸ばしたのが映る。だが、一瞬の困惑の後彼はすぐに水晶から手を離し、伊爽たちに何かを話している。

 どうやら水晶が台座から取れないらしい。彼らはしばらくその場で首を捻った後、順番に水晶へと手を伸ばしていった。

 ジントニック、ルナファレフ、レイラと水晶に手を伸ばして引っ張ってみるが、水晶はびくともせず台座の上に鎮座したままだった。

 次いで伊爽の番が訪れた。彼は水晶をしばらく凝視した後、おもむろに、そして慎重に水晶へと手を伸ばし、その手を水晶へ触れた。

 その時だった。アレリアが冷淡と取れるほど低い声音で言葉を発したのは。

 だが、それは永遠の知りえる言語ではまずありえない言葉だった。

 一体何を言っているのか理解できず、永遠はそんな何処の言葉とも知れない言語を口ずさむアレリアに恐怖した。

 アレリアはその間も言葉を紡ぎ続け、指を連続で動かし続ける。

 やがて言葉が紡がれるのが終わり、アレリアの組まれた二本の指が眼前で構えられる。

 そして彼女は、永遠は恐怖に震えているのを横目で一瞬見、先ほどまでの優しい笑みをほんの僅かの間表情に浮かべた。

 しかしそれはすぐに一変し、またも険しい表情を作り上げた。

 そしてその口が動く。

 開かれた口から紡がれた言葉は、永遠の知る言語だった。その言語で、アレリアは告げた。

「《眠れし千の剣。

 目覚めその剣を掲げよ。

 千の剣を振るえ。

 そして彼の騎士の血を継ぐ者に、千剣の試練を与えよ》」

 紡がれた言葉は、嘗て永遠とアレリアの故郷の人間が用いた魔法を凌駕する術法――魔術に用いられた言葉だった。

 同瞬――

水鏡の向こうで、何かが起きた。



 伊爽が水晶に手を触れたのと、水晶から発せられた光が伊爽の身体を駆け抜けたのは同時だった。

 刹那の内に光が伊爽の全身を駆け抜け掻き消える。

 皆の驚愕の視線を受けながら、伊爽は目を剥いて思わず自分の身体を見回して確かめる。だが何処にも異常は見られない。

 異常は伊爽ではなく、遺跡全体に起きたのだ。

 一瞬の静寂の後、遺跡全体が震え出す。同時に水晶が禍々しい光を発し、その光は水晶を中心に床を駆け抜け、壁を天井をとその発光が侵蝕していく。

 皆が突如変化を起こした遺跡の様子に警戒の体制を取る中、伊爽は床に描かれた呪文言語羅列が生み出す方陣を見て、驚愕の声を発した。

「魔術方陣!? まさか……でも、間違いない」

 伊爽の誰に言うでもなく叫んだ声に、ジィルバーンとレイラが目を剥き、ルナファレフが思わず怒号した。

「あり得ないわ! 魔術は私の生まれた時代に滅んだ最古の秘術!? そんなもの扱える人間なんているわけない! この方陣は術者がいて始めて発動するものよ!?」

 その通りだ。魔術方陣は術者なくして発動するような代物ではない。だが、現に足元に存在しているのは魔術方陣だ。

じゃあ……誰がこの術を発動させた?

疑問が脳裏を過ぎり、すぐに思い当たる人物が脳裏に描かれる。

「アレリア……あの占い師だ! あの人はファンタズマゴリアの民! だったら説明もつく。五千年前に失われたとされている王国の民なら、魔術を知っていても可笑しくない。魔術は元々ファンタズマゴリアで生まれた技術だし……」

「だがそれは五千年前の話だろう? それほど昔の術を、現代に生きる人間が完璧に継承しているとは思えんぞ!」

 ジィルバーンの言う事ももっともだった。

 だが、あの老女は自分の持つ剣を見て何かを知っているような反応を見せた。

 それに何より、この遺跡はファンタズマゴリアと関係がありすぎる。

遺跡に刻まれている言葉の一部。

そこに標されていた黒き騎士と白き騎士。

失われた王国と言う言葉。

 そしてファンタズマゴリアで生み出された魔術が用いられている遺跡。

 あの老女は、恐らくこうなることを知っていたのだ。自分が水晶に触ればこうなるということを。もしかすれば、この魔術方陣を発動させたのはあの老女なのかもしれない。

 だが所詮は推測の域。それを立証する証拠は何処にもない。

「イサ……」

 緊張した面持ちでレイラが伊爽を呼ぶ。伊爽は無言で頷きルナファレフを見た。

 ルナファレフも気づいている。それが見て分かるほど、ルナファレフの表情は険しいものだった。

「おいおい……なんか可笑しくないか、この部屋……」

 ジントニックが二本の小剣を手に警戒している。魔素を感じることのできない彼でさえ、この部屋の異常性に気付いたのだ。

「イサ……まさか……」

 ジィルバーンが槍を構えながら、伊爽に目を向け確認するように言葉を濁した。伊爽は冷や汗を一筋流しながら剣の柄を摑み頷いて口を開いた。

「はい……この部屋全体に……急速に魔素が集まってきています……考えたくないほど莫大な量が……」

 魔法使いであるものが視認できる大気中の魔素。

 その濃度が異常ともいえる勢いでこの部屋全体に満ち始めている。その量は、一般の魔法使いが見れば恐怖のあまりその場で失神するのではないか思えるほどであり、普通の魔法使いなどより遥かに膨大な量の魔素を練り上げて魔力を生み出せる、この一行の魔法使い三人でさえ畏怖の念を覚えてしまうほど、強大で莫大な量だ。

 それは、国一つ滅ぼすのさえ容易いと思えるほどに多い。

 その集められた魔素は水晶に集まり、その水晶は集めた魔素を魔力へと還元する。

 収縮する魔力は渦を巻き、それは普通の人間でさえ視認できるほど強大な力を生み、幾つもの色彩を纏い光の奔流となって空気を震わせ、見るもの全てを威圧する。

 そうして生まれた光の渦もまた、少しずつ水晶の中に納まっていく。集めた魔力を逃すまいと、水晶はその存在を禍々しく主張しながらそのうちに魔力を収め――


 目を覆いたくなるほどの強烈な真紅の光が辺りを飲み込んだ。


「レイラっ!!」

 とっさに伊爽は自身の最も信頼する少女の名を叫んだ。発せられた光に本能が感じた生命の危機。解き放たれた魔力はそれこそ国を容易く滅ぼすことができる量。

 なら、それが開放された時の余波は一体どれほどの衝撃波を生み出すのか予想がつかない。

 伊爽の叫び声にレイラは即座に反応を見せた。伊爽が瞬間的に魔力を練り上げるのとほぼ同時に、レイラも魔力を練り上げる。

 一瞬の内に魔力を練り、同時に展開する魔法障壁。

 不可視の壁が二重に展開され、襲い掛かる衝撃波から全員を守るように衝撃波を阻む。

 そこに更なる障壁が展開される。

 見ればルナファレフが不敵且つ妖艶な笑みを浮かべながら、伊爽とレイラを交互に見ていた。

「練った魔力は二人よりも遥かに多いから、安心して」

 どうやらルナファレフもまた、伊爽の叫び声の意味を理解したのだろう。伊爽とレイラが同時に魔力を練ったのに合わせて、彼女自身も魔力を練り、伊爽たちよりもより多く魔力を練り上げて一寸遅れで障壁を展開したらしい。

(さすがは魔女……といったところかな?)

 ルナファレフの笑みに伊爽はそう思いながら微笑を返した。だがその表情に安堵の色は微塵もない。

 伊爽の中に生じた不安は微塵も掻き消えることがない。例えこの衝撃波を凌ぎ切っても、まだ何かあるのだと伊爽の中の何かが訴えるのだ。

 そして、それはすぐに現実のものとなった。

 魔力の衝撃波が止んですぐ伊爽たちを襲ったのは、遺跡全体を揺るがす震動だった。

 そして、それが地震か何かだったら一体伊爽たちにとってどれほど幸福なことだっただろうか。

 伊爽たちを襲った震動は地震ではない。水晶から開放された魔力に反応・共鳴し、遺跡内の何かが起動したことによって生じたもの。

 伊爽は反射的に周囲の壁に目を向けながら、先ほど魔法障壁を発動した際に手を放した、腰に帯びる剣へと再び手を伸ばした。

 違和感は先程より遥かに大きい。

否。

違和感などで済まされるものではない。自分の中に生まれた感情。それは間違いなく『恐怖』であり、『畏怖』だった。

 柄を握る手に力がこもる。

 全員がそれを感じ取ったのかは分からない。だが、伊爽だけではなく、他の皆もその視線をおのずと周囲の壁に向けていた。

 そこに存在する圧倒的威圧感。

 そして、それらは存在を主張するかのように、その壁の奥に存在する威圧感は動き出した。

 漆黒に染め上げられた騎士兵の鎧を纏った人形。それらは一体一体壁から飛び降りて床に華麗に着地を決め、手にする剣を天井に翳すように突き上げる。

 それに続くように一体、また一体と、壁に存在する窪みに納められていた騎士兵は次々と動き出し、この広い広間にその存在を出現させる。

 一が二となり、二が四となり、四が八になり、八が十六になり、十六が三十二となり、三十二が六十四へと、六十四が百二十八へと――倍々ゲームの果てに、その黒い鎧に身を包んだ人形騎士は、その数を千へと至らせた。


血を継ぐ者は奥に、奥に、奥に、奥に進む。道はおのずと開かれて、奥にあるのは千の剣。

 千の剣は貴方を待ち望む。

 千の剣を討てし時、皆々貴方を黒き騎士と認める。


 あの言葉を思い出し、伊爽は独りごちる。

「千の剣は貴方を待ち望む……か。こっちは望んでもいないのに」

「何を言っている? イサ」

 地震の何気ない呟きに耳を傾けていたらしいジィルバーンの問いかけに、伊爽はかぶりを振って見せる。

「いえ、何でもありません。こっちの話ですよ」

 答え、伊爽は剣を鞘から抜き放って正眼に構える。

「恐らく千体います……突破は恐らく無理です」

「じゃあ何か? こいつら全部蹴散らさないと俺らはお陀仏かよ!」

「そうなるわねぇ。さ・い・あ・く」

 ジントニックの怒りの声に、ルナファレフはおどけたように呟いた。だが、その表情には一片の余裕もなく、ただただ眼前に佇む無数の敵をその蒼氷色の瞳で見据えていた。

 鉄爪をつけていない右腕にはいつでも魔法が放てるように魔力が練り上げられている。頼もしいことだ。

 ちらりとレイラに視線を向けると、少女は毅然とした態度で目を瞑り、両手を天目掛けて突き上げている。その先はすでに強大な量の魔力が練り上げられている。

「仕方あるまい……どちらにしろ、この水晶を得て帰らねば何の意味もなさん。こいつらを片付けてからゆっくりと……」

「ゆっくりと頂くか? おっさん結構盗人ぽい台詞吐くんだな」

「たわけたことを抜かすなこの盗人が! 『持ち帰る』だ『持ち帰る』!」

 ジィルバーンとジントニックはこんな状況でも変わらない。だが、二人が古代遺産の魔法やりと魔法小剣を手にしているということは、やる気十分ということだ。

 そんな仲間の様子を見て、伊爽は小さく微笑した。

(皆やる気だね。ならボクだってここで臆し逃げの選択をして何てられないな)

 目を閉じて覚悟を決める。

 構えていた正眼を正し、空いている左手の平に収縮した魔素を練り上げ魔力を生み出す。

 静かに詠唱を唱え、伊爽は皆に合図を伝えるかのように魔力を開放し、魔法を放つ。

 翳された手の平の先に描かれる魔法円。そこから解き放たれる凍結呪文。

 渦を巻きながら疾る蒼い氷風。無数の氷塊を携えながら轟風が吹き荒れ、伊爽の正面に立つ十数の騎士人形が一瞬で凍りに飲み込まれて凍りつく。

 同瞬、レイラとルナファレフも魔力を解き放ち、雷撃の嵐と光の雨を騎士人形目掛けて叩き込む。

 ジィルバーンも槍を構え、ジントニックも高速回転させた小剣を投擲する。

 たかが千。守護者(ガーディアン)気取りの人形を、千体蹴散らせばいいだけだ。

 伊爽は新たに魔力を練り上げながら、黒い剣を手に千の騎士人形の中に飛び込んだ。


 その時、伊爽の握る剣の塚にはめ込まれている真紅の石が、一瞬だけ光を放った。



 ―――お前は真に我の意思を継ぐに相応しいか。

    全てはお前の心次第。我を手にする者よ。



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