第6話 崩壊の序曲
「答えろ! あんたは誰だ! 俺の味方じゃなかったのか!!」
勇者オレオの怒号が、石造りの広間に反響した。
彼の手にはボロボロの聖剣。その切っ先は、確実にイエスタの喉元に向けられている。
つい数分前まで「先生」と慕っていた男に向ける刃。その手は震えていたが、放たれる殺気は本物だった。
「ひひっ、気づいちまったかオレオくん」
部屋の隅で、トゥデがニヤリと口の端を吊り上げた。
彼はリュートを壊したことですでに「演者」としての仮面を捨てている。今はただ、残酷なショーを楽しむ観客の顔だ。
「おかしいと思わないか? ゴブリンを逃がしたバナナの皮。聖剣が抜けなかった台座。城塞都市で撤退を促した嘘の情報を吹き込んだこと。そして今、お前の恋路を邪魔したその行動……」
トゥデの言葉が、毒のようにオレオの耳に流れ込む。
「全部、そこのメガネが仕組んだことだとしたら? お前の英雄としての道を、あえて邪魔し続けているとしたら?」
「イエスタさん……本当なのか?」
オレオの瞳から涙がこぼれ、乾いた床を濡らす。
「俺はあんたを信じていた。弱い俺を導いてくれる先生だって。なのに、あんたはずっと俺を騙して、俺が強くなるのを邪魔してたのかよ! 市民が死んだのも、姫さんに嫌われたのも、全部あんたのシナリオ通りだったのかよ!!」
痛い。
剣で斬られるよりも痛い、信頼の崩壊音が聞こえた。
リリア姫は部屋の隅で、「どういうこと? 魔王の手先なの?」と震えている。
イエスタは、喉元に突きつけられた剣から目を逸らさず、静かに息を吐いた。
「……否定はしません」
「っ!!」
オレオが激昂し、剣を振りかぶった。
「なんでだ!! 俺が何をした! 俺はただ、みんなを助けたかっただけなのに!」
「そう、助けたかった! 勝利したかった! それを阻む奴はなんだ? 魔王の手先か? 人類の裏切り者か?」
トゥデが両手を広げて煽る。「殺せオレオ! そいつは『絶望』の回し者だ。今こそ正義の鉄槌を下し、その手で本当の物語を取り戻せ!!」
オレオのマナが暴走する。金色のオーラが赤黒く濁り始める。
もはや理性は焼き切れ寸前だ。
(ここで私が死ねば、彼は『裏切り者を誅殺した英雄』として覚醒する)
(そして怒りのままに魔王城へ攻め込み、世界を火の海にするだろう)
殺されるわけにはいかない。
命が惜しいからではない。
ここで死んだら、100年後の空が永遠に晴れないからだ。
イエスタは、振り下ろされようとするナノカーボンの刃を見上げながら、叫んだ。
言い訳でも、命乞いでもない言葉を。
「勝てば世界が終わるからだッ!!」
「……あ?」
オレオの剣が、イエスタの頭蓋を割る寸前で止まった。
風圧でイエスタの眼鏡がズレ、数本の髪が切り落とされる。
「なんだ、それ……勝てば終わるって……」
「文字通りの意味です」
イエスタは両手をゆっくりと懐に入れた。
オレオがビクリと反応するが、イエスタが取り出したのは武器ではない。
黒い表紙の重厚な本、魔導書だ。
「オレオ君。リリア姫。そしてトゥデ。……今からお見せするのは、幻術ではありません。確定していたはずの『史実』です」
イエスタが残された全魔力を指先に込め、表紙を叩いた。
「《クロニクル》、第五階層ロック解除。聖歴1935年以降の『全記録』を再生せよ」
カッ!
本が開かれると同時に、部屋中が強烈な光に包まれた。
光の粒が空中に舞い、立体映像を結ぶ。
そこに映し出されたのは、あまりにも残酷な光景だった。
「な……なんだこれ……」
オレオが剣を取り落とした。カラン、と乾いた音が虚しく響く。
映し出された映像の中。
そこは、灰色の砂漠だった。
植物は一本もなく、空は鉛色の雲に覆われ、太陽の光さえ届かない。
廃墟となった王都の中心に、巨大な黄金の像が立っている。
老いたオレオの像だ。だが、その足元にひざまずく人々は、骨と皮だけに痩せ細り、泥水をすすっている。
『皇帝オレオ陛下、バンザイ……バンザイ……』
虚ろな瞳で祈りを捧げながら、一人、また一人と倒れていく子供たち。
画面が切り替わる。
オレオの振るった聖剣が大地からマナを吸い尽くし、森が瞬く間に枯れ果てる映像。
リリア姫と結婚し、設立した「アースガルド統一帝国」が、平和維持の名目で反対派を粛清し、血の川を作る映像。
「君がトゥデの言う通りに『勝利』し続けた、100年後の世界です」
イエスタの声は震えていた。
「君は魔王を倒した。だが、魔物という『外敵』を失った人類は互いに争い、君の強すぎる力は地脈を殺した。正しすぎる『正義』は多様性を許さず、すべての文化を画一的に塗りつぶした」
イエスタは眼鏡を外し、オレオを見た。
ホログラムの明かりに照らされたその顔は、酷く疲れていたが、真摯だった。
「魔王を殺した瞬間に、世界のエコシステムは崩壊します。この星を滅ぼしたのは魔王軍ではない。英雄である『あなた』です」
「嘘だ……」
オレオがその場に崩れ落ちた。
「俺が、殺したのか? 俺がみんなを幸せにするために戦ったのに、俺のせいで、あの子たちが餓死するのか……?」
映像の中の痩せこけた子供と、目が合った気がした。
嘔吐感が彼を襲う。
自分の正義が悪だった。自分が存在するだけで世界を蝕む癌細胞だった。
これほどの絶望が、この世にあるだろうか。
「ひ……っ!」
リリア姫も青ざめて座り込んでいる。「私たちが……独裁者に……?」
トゥデだけが、「チッ、興ざめな映像を見せやがって」と顔をしかめていた。
「どうすればよかったんだ……」
オレオが床に拳を叩きつける。血が出るほどに。
「戦っても地獄。逃げても地獄。俺は……俺はどうして生まれてきたんだ!」
「だから、私が来ました」
イエスタは跪き、絶望にうずくまる勇者と視線を合わせた。
かつて泥だらけの彼を森で助け起こした時と同じように。
「オレオ君。第三の道があります」
「……第三の、道?」
オレオが濡れた瞳を上げる。
「勝つのでもなく、負けるのでもない。……永遠に『引き分ける』のです」
イエスタはホログラムを消し、静かに語りかけた。
「魔王軍とは裏で手を組みます。適度な緊張感を保ち、小規模な小競り合いだけを繰り返す。君は『あと一歩で勝てないドジな勇者』を演じ、魔王も『詰めが甘い悪役』を演じる」
「……八百長をしろって言うのか?」
「そうです。世界規模の、壮大な茶番劇です」
イエスタは淡い微笑を浮かべた。
「誰も称賛しません。君は『決着をつけられない頼りない勇者』として歴史に名を残し、馬鹿にされるでしょう。英雄の栄光も、姫とのロマンスも、すべて泥にまみれます」
イエスタは、オレオの泥だらけの手を取った。
「ですが、この道を選べば──先ほどの映像にいた子供たちを、生きて大人にすることができます。灰色の空を、青いまま維持できます」
イエスタの手の温もりが、オレオに伝わる。
「私は非力です。戦闘能力はスライム以下だ。この計画を実行するには、世界最強の演技者が必要です」
「…………」
「私と一緒に、世界を欺いてくれませんか? 私の、共犯者になってくれませんか?」
長い沈黙が支配した。
オレオは俯き、しばらく肩を震わせていた。
やがて、彼は乱暴に袖で顔を拭った。ゴシゴシと、涙も迷いもすべて拭い去るように。
顔を上げた時、そこにいたのは無知な少年ではなかった。
世界の残酷さと、その重みを背負う覚悟を決めた、一人の男の顔だった。
「……上等だよ」
オレオが、イエスタの手を強く握り返した。痛いほどに。
「俺は馬鹿だから難しい計算はできない。魔脈だのエコだのは、学者先生のあんたに任せる」
オレオはニカっと笑った。泣きはらした目だったが、その笑顔は太陽よりも力強かった。
「あんたが指示してくれ。最高のタイミングで転んでやる。バナナだろうが崖だろうが、華麗に滑ってやるよ。……それが、みんなを守るってことなんだろ?」
契約は成立した。
歴史学者と勇者。
過去と未来。
決して交わるはずのなかった二人が、ここで最強の“共犯者”となったのだ。
「──ハッ! くだらん! バカバカしい!!」
広間に高笑いが響いた。
トゥデだ。彼は両手を広げ、天を仰いで哄笑していた。
「引き分け? 茶番? そんな煮え切らない、カタルシスのない物語(クソ脚本)に、誰が熱狂する! 物語には破壊が必要なんだ! 悲劇と再生、血と涙があってこそ歴史は輝くんだよ!」
トゥデの全身から、どす黒い霧のようなものが噴き出す。
ただの吟遊詩人ではない。やはり、彼自身が何らかの超常的な存在──「物語を強制させる意志」そのものだったのか。
「認めんぞ……そんな退屈な結末は断じて認めん! 世界が許しても、観客が許さん!」
トゥデが黒い霧を刃のように変え、二人に向けた。
「うるさいですね、未来の視聴者様」
イエスタはスッと立ち上がり、眼鏡の位置を直した。背筋が伸び、学者としての誇りに満ちている。
その隣に、オレオが剣を拾い上げて並んだ。もう迷いはない。その構えは自然体で、隙がない。
「我々が作るのは、誰かの暇つぶしのための『物語』ではありません」
イエスタの声が、確信を持って響く。
「退屈で、平穏で、あくびが出るほど変わらない日常……すなわち『平和な歴史』です」
「行くぞトゥデ! いや、物語の亡者!」
オレオがボロ剣《・エ(点エ)クスカリバー》のナノ・モーターを全開にする。剣身がかつてないほど激しく唸りを上げた。
「悪いけど、俺たちはもうお前の筋書き通りには動かない。俺の新しい台本は、そこの先生が書くんだ!」
姫は怯えながらも、イエスタたちの背中に何か──希望のようなものを見出していた。
決戦の幕が上がる。
ここからは、泥沼の戦いではない。
世界最高のペテン師たちによる、未来を賭けた大芝居だ。
「まずは魔王との《停戦交渉》へ行く道を開くぞ、オレオ君!」
「了解だ、パートナー!!」




