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歴史学者イエスタの孤独な妨害工作  ~勇者オレオよ、そこで勝つと100年後に世界が滅ぶので、お願いだから負けてくれ~  作者: ニート主夫


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第5話 ヒロイン救出作戦の失敗

数時間後。

 命からがら逃げ延びた一行と数百の市民は、ガルドの街を見下ろす峠の上にいた。

 夕闇の中、かつて鉄壁を誇った城塞都市は、真っ赤な炎に包まれて崩れ落ちようとしていた。


「……う、あぁ……」

 オレオが枯れた草の上に膝をつき、嗚咽を漏らしている。

 彼の手は泥だらけだ。避難誘導の際、一人でも多くの手を引こうとして傷だらけになっていた。

 だが、全員は救えなかった。

 建物の倒壊に巻き込まれた者。炎に巻かれた者。

 オレオが助けようとした手が届かず、目の前で消えていった命があった。


「俺が……逃げようなんて、思わなければ……バリアなんて関係なく、倒せたかもしれないのに……」

 オレオが自分の頭を抱えてむせび泣く。

 その背中はあまりにも小さく見えた。


 イエスタは物陰で、懐の《クロニクル》にそっと指を触れる。

 ページの文字が変わっていた。


『聖歴1925年、城塞都市ガルド陥落。死者84名』

『しかし、主力部隊の温存に成功した人類軍は、半年後の泥沼の持久戦にて優位を確立』

『戦線維持により、100年後の推定人口、120万人増加(確定)』


 今日の84名の犠牲の上に、未来の100万人が生まれた。

 計算式としては正解だ。

 だが、その計算式には、この若者が今流している涙の分量は含まれていない。


(……私は、なんと残酷なことをしたんだ)


 イエスタは、吐きそうなほどの自己嫌悪を飲み込み、平静を装ってオレオの元へ歩み寄った。

「立ちなさい、オレオ君。君のおかげで、これだけの人が助かったのです」


「でも……死んだんだぞ! 俺が殿しんがりでビビったせいで!」

「戦っていれば全滅していました。君の判断は……正しかった」


 声が掠れる。

 自分の口から出る慰めの言葉が、薄っぺらな石ころのように感じる。

 英雄に「負け」を強いるということは、その誇りを殺すということだ。

 その痛みを知らないまま、イエスタの守った未来で笑っている100年後の人類は、なんと罪深い存在なのだろう。


「……ふん」

 少し離れた場所で、トゥデがつまらなそうにリュートの弦を弾いた。

 不協和音が、乾いた風に乗って響く。

「もったいないなぁ。あーあ、あの崩れた家の下に子供が隠れてたのに。オレオなら助けられたのになぁ。……お前が殺したようなもんだぞ、偽善者」


 すれ違いざま、トゥデがイエスタの耳元で毒のように囁いた。

 イエスタは何も言い返せず、ただ拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、血が滲んだ。


 明るい森は遠く彼方へ消え失せ、物語は後戻りできない場所へと足を踏み入れていた。

 誰も笑っていなかった。


「……行こう、イエスタさん」

 長い沈黙の後、オレオが顔を上げた。

 涙は止まっていた。だが、その目からは光が消えていた。

 代わりに、暗く、冷たい炎のような決意が宿っていた。


「もっと力が欲しい。二度と、誰にも悲しい思いをさせないための、絶対的な力が」


 イエスタは戦慄した。

 それは、慈愛の勇者ではなく、魔王軍を殲滅するための「覇王」への覚醒の予兆だった。

 一番恐れていたフラグが立ってしまった。


(ああ、だめだ。追い詰めすぎてしまった……)


 次に向かうのは、「嘆きの塔」。囚われの姫、リリアが待つ場所だ。

 もし今の「傷つき、飢えた獣のような」オレオが、すべてを優しく肯定する姫に出会ってしまえば──二人は強烈に惹かれ合い、世界を焼き尽くす最強のカップル(侵略者)が誕生してしまう。


 急がねば。

 次こそは──彼らの「愛」すらも、引き裂かねばならない。


 北の山岳地帯にそびえる《嘆きの塔》。

 そこは古より生贄の儀式に使われてきた魔の塔であり、現在はさらわれたリリア姫が幽閉されている牢獄だ。

 塔内を進む勇者一行の空気は、張り詰めていた。


「……どけっ!!」


 オレオがボロナノカーボン・エッジを一閃する。

 道を塞ぐガーゴイルが、悲鳴を上げる暇もなく両断され、ただの砂となって崩れ落ちた。

 強い。強すぎる。

 迷いがないというより、敵を生き物と思っていないような斬り方だ。


「ひゅーっ! いいねえオレオ、鬼気迫ってるねえ!」

 トゥデが背後で手を叩き、狂ったように笑う。

「そうだ、その調子だ! 優しさなんて弱者の言い訳だ。力こそ正義、力こそ救済! お前の邪魔をするモノは全部壊しちまえ!」

「黙ってろトゥデ……!」

 オレオは怒声を返すが、その足は止まらない。

 今の彼を突き動かしているのは、過去への後悔と、姫を助けることで罪滅ぼしをしたいという焦燥感だけだ。


 最後尾を走るイエスタは、流れる冷や汗を拭った。

 《クロニクル》の警告灯が点滅を通り越して点灯しっぱなしだ。


『警告:恋愛フラグ確立率99%』

『条件1:吊り橋効果。極限状態での出会い』

『条件2:傷心の勇者を、慈愛の姫が慰めることで発生する強力な共依存』

『結果:2年後に結婚。5年後に中央大陸統一帝国を樹立。オレオ皇帝とリリア女帝による「行き過ぎた平和維持活動」により、文化的多様性が死滅する』


 最悪のシナリオだ。

 今のオレオに必要なのは「包み込んでくれる母性」だが、リリア姫はそれにドンピシャでハマる「聖母系ヒロイン」なのだ。

 二人が視線を交わし、手を取り合えば、それでジ・エンド。世界は独裁者夫婦によって支配される。


(なんとしても、二人が「ときめく」のを阻止しなければ!)


 物理的に引き離す? 無理だ、相手は勇者だ。

 記憶を消す? そんな魔法はない。

 ならば……やるしかない。

 イエスタは走りながら、自分のプライドと良心を天秤にかけ、そして思い切り良心を投げ捨てた。


 オレオ、許してくれ。

 君を社会的に殺す。


「ここか……!」


 最上階。巨大な鉄の扉を、オレオが蹴破った。

 ダンッ! という轟音とともに扉が開く。


 薄暗い石造りの部屋。ステンドグラスから差し込む一条の月光。

 その中央に、鎖に繋がれた一人の少女がいた。

 アースガルドの至宝、リリア姫だ。

 絹のような銀髪、涙に濡れた宝石のような瞳。物語から抜け出してきたかのような、儚げで守ってあげたくなる美少女。


「……誰?」

 怯えたように顔を上げる姫。

 逆光を背負って立つ、傷だらけの勇者オレオ。

 血と煤にまみれながらも、彼女を救うためだけに地獄を駆け上がってきた若き英雄。


「怖がらせてごめん。……君を、助けに来たんだ」


 オレオが剣を収め、ゆっくりと歩み寄る。

 差し伸べられる手。

 その荒々しくも優しい姿に、姫の瞳が潤み、恐怖に蒼白だった頬がバラ色に染まっていく。

 

(ああ、神様。私を助けてくれるナイト様が現れた……!)

 

 リリア姫の心の声が聞こえるようだ。

 同時に、どこからともなくトゥデが奏でるBGM──『運命の恋(ピアノとバイオリンの調べ)』が流れ始めた。

 ムードは最高潮。完全に二人の世界だ。

 このまま手を取り合えば、伝説のキスシーンへ直行だ。


(今だッッ!!!!)


「救助到着時刻、14時32分んんん!!!」


 イエスタが奇声を上げて部屋に飛び込んだ。

 空気など読まない。雰囲気などぶち壊す。

 イエスタは全力疾走の勢いのまま、慣性の法則を無視するようなスライディングで、見つめ合うオレオと姫の間に「割り込み乗車」した。


「え?」

「な、なに!?」


 手と手が触れ合う寸前、その隙間には、ハァハァと荒い息をつき、眼鏡のレンズを曇らせた男の顔があった。


「い、イエスタさん!? なに邪魔して……」

「邪魔? バカを言っちゃいけません!」

 イエスタは素早く立ち上がると、懐から大量の書類(ただの古い会計帳簿)を取り出し、姫の顔の前に突き出した。


「私は歴史監査局のイエスタ! ただいまよりリリア姫の《救助完了手続き》を行いに参りました! さあ姫様、ここから解放されたいのなら、まずここの3箇所に署名と捺印を! 次に住所と本籍地! さらに年金の加入状況と、昨晩食べた夕食のカロリー記載を!!」


「えっ、えっ、なになに!? 怖い!」

 姫はパニックだ。いきなり現れた眼鏡の不審者が、聞いたこともない手続きを迫ってくるのだから当然だ。

 トゥデのBGMも、レコードが擦れるような音を立てて止まった。


「ちょっと、イエスタさん! 後でいいじゃないかそんなの! まずは鎖を解いて、彼女を安心させて……」

「後回しにして行政指導が入ったらどうするんです! コンプライアンスですよコンプライアンス!」


 イエスタは意味不明なことを叫びながら、背中の陰で高速の《解錠技術ピッキング》を披露し、姫の鎖をガチャリと外した。

 そして、まだ状況が呑み込めず呆けている姫の肩を掴み、耳元に顔を近づけた。

 誰にも──特にオレオには絶対に聞こえない、特殊音域のウィスパーボイスで囁く。


(……逃げた方がいいですよ、お嬢さん)

「え?」

(あそこでポカンとしている金髪の男……彼、とんでもないド変態なんです)


 姫の肩がビクッと震えた。

「へ……?」


(先ほどの街でも、魔王軍が攻めてきている最中に、逃げる女性の下着ばかり盗もうとして……私が止めるのにどれほど苦労したか……!)

 イエスタは迫真の演技で声を震わせる。

(見なさい、あのギラギラした目を。今、あなたを助けた見返りに、その白いドレスの下を『どうしてやろうか』と考えている目だ……!)


「ヒッ……!?」

 リリア姫がバッと顔を上げてオレオを見る。

 何も知らないオレオは、「大丈夫? 立てる? ケガはない?」と心配そうに見つめ、手を差し伸べている。

 彼の手は汗で濡れ、目は(連戦の疲労で)赤く充血し、呼吸は(戦闘直後だから)荒い。


 ──クロニクルが予見した「完璧なヒーロー像」は崩れ去った。

 イエスタの猛毒の吹き込みにより、今の姫には、そのすべてが「興奮した性犯罪者の欲望」に見えてしまった。


「……ぃ、いや……!!」


 パシンッ!!

 乾いた音が響いた。

 リリア姫が、オレオの差し伸べた手を全力で叩き落としたのだ。


「えっ……姫様……?」

 オレオが固まる。

 姫はスカートを押さえ、イエスタの背中に隠れるようにしてオレオを睨みつけた。


「触らないで!! 近寄らないで!!」

「へ? あ、いや、俺は助けに……」

「嘘つき! その目で見てたんでしょ! 不潔! 最低! 生理的に無理ですッ!!」


 リリア姫は涙目で絶叫した。

 カーン、と見えないゴングが鳴った音がした。

 

 愛の告白、あるいは運命の抱擁が行われるはずだったその場所には、

 “命懸けで助けに来たのに、理由も分からず全否定された勇者”の哀れな石像ができあがっていた。


「な……なんで……」

 オレオのただでさえボロボロだったガラスのハートに、トドメの一撃が入った。

 パリン、という音が幻聴として聞こえる。


 イエスタは胸の中で合掌した。

 ごめん。本当にごめん。君はマザコンでも下着泥棒でも変態でもない。世界一高潔な男だ。

 でも、君が幸せになると世界が滅ぶんだ。

 この汚名は、私が墓場まで……いや、地獄の底まで持っていくから!


 ──だが。

 空気を読むことに定評のある男が、ついにキレた。


「──ちぃぃっ!! なんだそのクソみたいな三流の脚本シナリオは!!」


 背後で、リュートが床に叩きつけられ、木端微塵に砕け散った。

 トゥデだ。

 道化師の仮面が剥がれ落ち、そこにある素顔は怒りに歪んでいた。

「おかしいだろうが! 吊り橋効果はどうした! そこは熱いキッスで愛を誓って、帝国建設への第一歩を踏み出すシーンだろ! なぜ下ネタで終わる!」


「て、帝国……?」

 失意の底にいたオレオが、ふとトゥデの言葉に反応した。


 しまった、とイエスタが振り返る。

 トゥデが口を滑らせた瞬間だった。

 オレオの虚ろな瞳に、一瞬だけ鋭い理性の光が戻る。


「どういうことだ、トゥデ。それに……イエスタさん」

 オレオがゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には、今までの「純朴な信頼」とは異なる、疑念と、裏切りへの静かな怒りが宿っていた。

 姫を救ったのに拒絶された理不尽さ。イエスタのあまりにも不自然な介入。そして、トゥデが口走った「シナリオ」「帝国」という単語。


 バラバラだったピースが、彼の頭の中で繋がり始めた。


「あんたたち……何を隠している?」


 ピリリ、と空気が張り詰める。

 イエスタの背中に冷たい汗が流れた。

 バレた。

 もう、嘘では誤魔化せない。

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