第4話 ダンジョンの「興醒め」な攻略
王都を出てから数日。一行は、北の城塞都市を目指して山岳地帯を進んでいた。
道中にある《唸り声の洞窟》は、冒険者たちが腕試しに挑む中難度のダンジョンだ。
「さあオレオ! この洞窟の主である『岩喰らいのオーガ』を倒せば、一気に名声が高まるぞ!」
トゥデが松明を片手に、遠足気分の声を上げる。
「うん! 任せてよ。この新しい剣(ボロ鉄)の使い勝手も試したいし!」
オレオもやる気だ。イエスタから譲り受けた(と信じている)ナノカーボン剣《・エ(点エ)クスカリバー》を腰に佩き、彼は意気揚々と暗闇へ足を踏み入れた。
最後尾を歩くイエスタは、またしても胃薬を噛み砕いていた。
懐の《クロニクル》には、こうある。
『警告:岩喰らいのオーガ討伐。その際、オレオが放つ必殺技の余波で洞窟の支柱岩が崩壊。地下水脈が逆流し、麓の村の井戸水が半年間濁る』
地味だ。地味だが、確実に数百人のQOL(生活の質)を下げる迷惑行為だ。
それに何より、トゥデの期待通りの「ド派手な勝利」を与え続けると、オレオの英雄指数が上がりすぎてしまい、後の皇帝即位への支持率に直結してしまう。
(適度にショボく、適度に情けない解決をしなければ)
イエスタは溜息をつき、ポケットの中の小道具を確認した。
洞窟の最奥。
そこには岩石のような皮膚を持つ巨大なオーガが待ち構えていた。
「グルアァァァ!!」
咆哮が洞窟内を揺らす。天井からパラパラと岩屑が落ちてくる。
「出たな大物! やっちまえオレオ! ドカンと一発だ!」
「おう!! くらえ、正義の……!」
オレオが踏み込み、剣を大きく振りかぶった。
オーガも巨大な石斧を振り下ろす。
正面衝突。普通ならオレオが勝ち、衝撃波で洞窟が崩れるコースだ。
イエスタは懐から、小石のような球体を取り出し、指でピンと弾いた。
未来の玩具、《高周波サウンドボール(通称:モスキートくん)》。
これは特定の生物の三半規管のみを強烈に刺激する音波を放つ。
ヒュッ。
ボールがオーガの耳元を通過した瞬間、起動した。
『キィィィィィィィン!!』
人間には聞こえない超音波。だが、聴覚の鋭いオーガにとっては脳を直接フォークで掻き回されるような激痛だ。
「ギャベッ!!?」
オーガは白目を剥き、斧を取り落とした。
そしてあろうことか、振りかぶった姿勢のままバランスを崩し、自分の足につまずいて「でんぐり返し」をした。
ズドン! とお尻から着地し、そのまま涙目で丸まり、戦意喪失してしまった。
「……えっ?」
オレオの渾身の剣撃は、オーガがいた空間を虚しく切り裂いただけだった。
勢い余ってオレオ自身もくるくると回転し、尻餅をつく。
「……またかよ!」
トゥデが地面にリュートを叩きつけた。「なんで戦う前に敵が自滅するんだ! これじゃ武勇伝にならん! 全く映えない(バズらない)展開だ!」
「おやおや、どうやらオーガさんはお腹を壊していたようですねぇ」
イエスタは何食わぬ顔で歩み寄り、戦意を失って震えるオーガの頭をよしよしと撫でた。
「ほらオレオ君、彼はもう戦う気がないようです。見逃してあげてはどうでしょう?」
「う、うん……なんか可哀想だしね……」
オレオは剣を納めたが、その表情は少し複雑だった。「俺、まだ一回もまともに斬れてないなぁ」という焦りが見える。
ダンジョン攻略完了(?)。被害ゼロ。
だが、イエスタは背後に突き刺さる視線を感じていた。
トゥデだ。道化師の瞳が、いまや疑念ではなく明確な敵意を持ってイエスタを見ている。
(気づいているな。だが、止めるわけにはいかない)
ダンジョンを抜けた先には、本当の地獄が待っているのだから。
北の城塞都市ガルド。
峠を越えてその街が見えた瞬間、イエスタの呼吸が止まった。
覚悟はしていた。何度も歴史書で読んだ光景だ。
だが、「文字」と「現実」は違う。
黒煙が空を覆い尽くしていた。
美しかったはずの白壁の城塞は半壊し、市街地のあちこちから紅蓮の炎が噴き上がっている。
風に乗って運ばれてくるのは、焦げ臭いにおいと、人々の悲鳴。
「なんだ、これ……」
オレオが絶句した。
これが戦争だ。魔王軍による侵攻の最前線だ。
「ヒャハッ! すごいすごい! 本物の戦場だ!」
トゥデだけが、血が騒ぐとばかりに狂喜した。「これだよ! この絶望感! これこそが英雄誕生の舞台装置だ! 急げオレオ! 四天王が待ってるぞ!」
オレオの顔色がサッと変わった。「みんなを助けなきゃ!」と叫び、駆け出す。
その速さは尋常ではなかった。怒りと正義感でマナが活性化し、身体能力が跳ね上がっている。
「待ちなさい、オレオ君!」
イエスタも必死に走った。心臓が痛い。足がもつれそうだ。
だが、ここで遅れるわけにはいかない。
市街地に入ると、地獄絵図はより鮮明になった。
逃げ惑う市民。瓦礫の下敷きになる老人。そして上空には、その元凶が浮かんでいた。
魔王軍四天王、《轟雷のガラム》。
雷の鎧をまとった巨人が、愉悦に歪んだ笑みを浮かべ、指先から稲妻を放っている。
「逃げろ逃げろ、人間ども! 我が雷光の餌食となるがよい!」
ドガァァン!!
監視塔が粉砕され、破片が雨のように降り注ぐ。
「やめろぉぉぉっ!!」
オレオが瓦礫の山を駆け上がり、ガラムの前に対峙した。
背後には、逃げ遅れた数百人の市民が、瓦礫の影で震えている。彼らにとって、金色のオーラをまとうオレオの姿は、まさしく降臨した神に見えただろう。
「おお、勇者様だ!」「助かったんだ!」
市民たちの安堵の声が、オレオの力をさらに増幅させる。
「貴様だな、ここで暴れているのは!」
オレオがナノカーボン剣を構えた。マナが注入され、ボロボロに見えた剣身が青白く輝き始める。
「俺が相手だ! 今すぐそこから引きずり下ろしてやる!」
ガラムが下卑た笑いを浮かべる。「勇者か? 面白い、虫けらが生意気な!」
一触即発。
今にもオレオが飛び出し、ガラムの首を刎ねようとしている。
その時。
イエスタは物陰で、震える手で《クロニクル》のページを開いていた。
『現在ルート確定:【四天王ガラム討伐】』
『5分以内にガラム死亡。市民は歓喜。ガルド市解放』
素晴らしい結果だ。目の前の命は助かる。
だが──ページの下部に続く、血文字のような警告文がイエスタの瞳を焼いた。
『派生イベント:四天王の死を知った魔王が激昂。停戦協定を破棄し、予備兵力50万をこの戦線に即時投入』
『一週間後、北部戦線崩壊。世界規模の総力戦へ突入』
『聖歴1935年までに、人類総人口の60%(約1億人)が死滅する』
(1億人……!)
吐き気がした。胃酸が喉まで上がってくる。
ページには、もう一つの選択肢──生存ルート(生存率A判定)が記されている。
『ルートB:【城塞都市放棄・勇者敗走】』
『勇者撤退。街は焼かれ、地図から消滅する。逃げ遅れた市民84名死亡』
『結果:四天王の慢心により魔王軍の進撃スピードが鈍化。その隙に人類軍が体制を立て直し、冷戦状態(均衡)へと持ち込む』
『100年後の生存圏維持率──98%』
(選べというのか)
目の前の、涙を流して助けを求めている子供や母親たちの命か。
まだ見ぬ未来の、1億人の命か。
これは悪魔の証明だ。トロッコ問題だ。
イエスタは眼鏡のブリッジを握りしめた。手が汗で滑る。
俺は学者だ。神じゃない。こんな決断、背負いきれるわけがない。
……それでも。
(……やるんだ、イエスタ。そのために、未来を捨ててここに来たんだろう)
イエスタは唇を噛み切り、口の中に鉄の味を感じながら、駆け出した。
「喰らえぇっ!」
オレオが跳躍した。必殺の間合いだ。
ガラムの放つ雷撃を、その不可視のスピードでかいくぐり、喉元へ刃を突き立てようとした、その瞬間。
ガシッ。
背後から、何者かがオレオの足首を掴み、強引に地面へ引きずり下ろした。
ドシャッ!
オレオは無様に地面に転がった。
「な、何すんだ……!?」
見上げると、そこには鬼の形相をしたイエスタがいた。
普段の温厚な彼ではない。目が血走り、汗まみれで、必死な顔をしていた。
「だめです、オレオ君。出てはいけない」
「……え? 何言ってるんだよイエスタさん! 目の前に敵がいるんだぞ! 今斬らないと街が……」
「この街は捨てるのです。今すぐ、全市民を連れて裏門から撤退させなさい!」
イエスタの声は、裏返るほどの叫びだった。
「ふざけんな!」
オレオがイエスタの手を振り払った。初めて見せる、激しい怒り。
「見捨てる!? みんな俺を信じて待ってるんだぞ! 俺には力がある! この剣があればあんな奴倒せるんだ! なのに尻尾巻いて逃げろって言うのかよ!」
オレオの正論が、ナイフのようにイエスタの胸を抉る。
その通りだ。君は正しい。君は勇者だ。
だが、その正しさが世界を殺す。
「そうだオレオ! 行け! そいつは臆病風に吹かれただけの雑魚だ! お前は英雄だろ!」
トゥデが影から煽る。彼の目は異様な光を放っていた。「今ここで戦わない奴が、何のための力だ! さあ雷など切り裂いて、伝説になれ!」
オレオの瞳に迷いが消え、決意の炎が宿る。
もう、言葉による説得は通じない。
イエスタは、ついに最大の「嘘」を武器にした。
「勝てないから言っているんですッ!!」
戦場に、イエスタの絶叫が響いた。
そのあまりの悲痛な響きに、オレオの動きが止まった。
「……え?」
「よく見なさい! ガラムの周囲には、不可視の《反鏡バリア》が展開されている!」
イエスタは震える指で、何もない空間を指差した。デタラメだ。
「物理攻撃も魔法も、すべて倍になって跳ね返す最強の結界だ! あなたが彼を斬れば、その衝撃は100倍になって跳ね返る……あなた自身にではない! 爆風となって、背後の市民たち全員を消し飛ばすのです!!」
そんな魔法はこの世に存在しない。
だが、イエスタの形相があまりに必死だったため、オレオの顔から血の気が引いた。
「そんな……倍になって、跳ね返る……?」
「そうです! 攻撃すればするほど、被害が拡大する! あなたは市民を守るために剣を抜いたのに、あなたのその剣が市民を皆殺しにするんです! それでも振るいますか、その剣を!!」
オレオの手から、力が抜けた。
背後の市民を見る。子供を抱いて震える母親がいる。
自分が斬れば、あの人たちが吹き飛ぶ……?
「そんな……じゃあ、俺は……どうすれば……」
絶望に染まる勇者の顔。
心が壊れかけている。イエスタはさらに畳み掛けた。
ごめん。ごめん、オレオ。こんな嘘で君を縛って。
「撤退です。戦うのではなく、守るために逃げるのです! バリアは広範囲には維持できない。彼らを背負って走り、街の外へ脱出できるのは、脚力のあるあなたしかいない!」
雷撃がすぐ近くに着弾した。爆音。
もはや猶予はない。
オレオは空を仰ぎ、唇から血が出るほど噛み締め、そして唸るように叫んだ。
「……撤退だ!! 全員、裏門へ走れ!! 俺が殿を務める!!」




