第2話 村人は勇者を歓迎する
一行がたどり着いたココル村は、素朴で美しい農村だった。
入り口には木造の見張り台があり、その奥には黄金色に実りつつある小麦畑が広がっている。村の中央には小さな噴水広場があり、子供たちが笑い声を上げて走り回っていた。
「ここがココル村……」
イエスタは胸が締め付けられる思いでその景色を見た。
彼の知る「歴史」では、この村は今日この日、ゴブリンの大群によって焼き討ちに遭うはずだった。
さらに言えば、10年後には過度な灌漑による塩害で土地が死に、廃村となる運命にある。
だが、今は違う。村は平和そのものだ。
「あっ、勇者様だ! 勇者様たちが帰ってきたぞ!」
村人たちが農具を置いて駆け寄ってくる。
その中心で、村長と思われる白髭の老人がオレオの手を握りしめた。
「おお、勇者様! 斥候から聞きましたぞ! あの森に住み着いていた凶悪なゴブリンのボスを、たった一撃で(・・・・・・)退けてくださったとか!」
「えっ? いや、あ、あの……俺はただ転んじゃっただけで……」
オレオが赤面してしどろもどろになる。
すかさずイエスタが横から補足を入れた。
「謙遜なさらず、オレオ君。……村長さん、彼はああ見えて慎み深いのです。『圧倒的な力で怯えさせ、血を流さずに追い払った』。これこそ至高の勝利ではありませんか?」
「おおお! さすがは伝説の聖剣に選ばれるお方!(まだ選ばれてないけど)」
「村を救ってくれてありがとう!」
「今夜は宴じゃあ!」
村中が歓声に包まれる。オレオは戸惑いつつも、人々からの純粋な感謝を受けて、まんざらでもなさそうな笑顔を見せた。
トゥデは「地味だ……実に地味だ……」とブツブツ文句を言いながら、それでも村娘たち相手に自慢話(嘘八百)を始めている。
とりあえず、ゴブリン関連のフラグは完全に折った。
だが、イエスタの仕事はこれで終わりではない。
村人たちが歓迎の宴の準備を始めた頃、イエスタはこっそりと広場を抜け出した。
向かったのは、村の北側にある小川の取水口だ。
ボロボロの木板で作られた水門が、ギシギシと音を立てている。
(……これだ。ここが原因だ)
イエスタは懐から《解析用単眼鏡》を取り出し、水路の構造をチェックする。
ココル村の悲劇。それはゴブリンだけではない。
数年後、この村は良かれと思って水路を拡張し、川の水を過剰に引き込みすぎてしまう。結果、地下水位が変動し、土壌が塩分を含み、作物が育たなくなるのだ。勇者オレオが後に「魔法で無理やり豊作にした」ことで土地へのダメージが決定的となり、最終的に砂漠化する。
「今のうちに、手を打っておかなければ」
イエスタはローブのポケットから、未来の耐水チョークを取り出した。
そして、水門の管理板の裏側に、サラサラと図面を書き始めた。
当時の建築技術でも再現可能で、なおかつ土壌への負荷が最小限になる「循環式灌漑システム」の設計図だ。
ついでに、一言書き添えておく。
『古き賢者の言葉あり──欲張って水を引けば地は枯れる。この分量こそが豊穣の鍵なり』
「これで良し」
誰かが見つけて、古い伝承だと思ってくれればいい。イエスタの名が残る必要などない。10年後のこの場所に、まだ小麦が実っていればそれでいいのだ。
「学者先生? 何してるんだ?」
ビクリとした。
振り向くと、両手いっぱいにリンゴや焼き菓子を抱えたオレオが立っていた。
しまった、気配に気づかなかった。
イエスタは慌てて背中で書き込みを隠し、眼鏡をずり上げた。
「い、いやぁ! 少し散歩をしておりましてね。地理の研究というやつです」
「ふーん……熱心だね」
オレオは疑う素振りもなく笑い、抱えていたリンゴを一つ投げてよこした。
「ほら。村の人たちが、先生にもって。宴会始まるよ」
オレオはそのまま隣に来て、同じように小川の水面を眺めた。
夕焼けが水面に反射し、キラキラと輝いている。
「ねえ、先生」
「はい?」
「俺、嬉しかったんだ」
オレオがポツリと言う。
「転んだときは、死にたいくらい恥ずかしかったし、トゥデにも怒られたし、やっぱり俺には勇者の才能なんてないって思った。……でも、村の人たちが『ありがとう』って言ってくれて」
オレオは自分の手を見つめる。
まだ魔物を一匹も殺していない、きれいな手だ。
「俺、ゴブリンを倒せなくてよかったのかもしれない。あいつらも生きて森へ帰ったんだもんな」
「……ええ、そうですね」
「トゥデは『敵を殺せ』って言うけど、俺、本当は怖いんだ。剣を刺す感触とか、想像すると」
オレオは苦笑いをして、イエスタを見た。
「先生の言う通り、血を流さない勝利のほうが、俺は好きだな」
イエスタは言葉に詰まった。
なんて優しい少年だろうか。
未来の教科書に載っている「冷酷無比なる鉄の皇帝オレオ」とは似ても似つかない。
環境が、期待が、そして強すぎる力が、彼を変えてしまったのか。それとも、彼の中にあるこの「優しさ」こそが、守るために過激な手段を選ばせてしまったのか。
(私は、この君のままでいさせてあげたい)
世界のためだけじゃない。
この少年の魂を守るためにも、私は戦わなくてはならない。
「オレオ君」
「ん?」
「君はきっと、素晴らしい勇者になれますよ。……少し、転びやすいところはありますがね」
「うっ、それは言わないでよー!」
二人は笑い合った。
村の方から、楽しげな音楽が聞こえてくる。
「さあ行きましょう。主役がいないと始まりませんよ」
「うん! 行こう、先生!」
歩き出すオレオの背中を見ながら、イエスタはチョークの粉がついた指をこっそりと拭った。
まだ、これは小さな一歩に過ぎない。
この平和な笑顔の裏には、やがて来る過酷な運命が口を開けて待っている。
特に、次の目的地──王都の広場にある「あの剣」が。
(聖剣エクスカリバー……いや、別名《マナ枯渇式環境破壊刀》。次はあれをどうにかしなければならない)
宴の予感が、少しだけ胃を痛くさせた。




