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お手並み拝見

作者: 江葉

学生の間だけの自由時間に好き勝手やってたツケを払う日が来ただけ。あるいは「彼女は友人」が事実だったけど、友人だったからこそなお悪い。


自分でも書いててもやっとしたんですけどせっかく書いたのでもったいない精神発揮して載せます。

ぐだぐだです。お暇なときにでもどうぞ。



「殿下、わたくし言いましたわね、責任はとれるのか、と。殿下はもちろんだとお答えになりましたわ」

「あれは……っ、あの時と今は立場が違うだろうっ。それにもう三年も前のことだ」

「まだ三年、ですわ。それに、撤回されておりませんし。互いの友好関係には口出しできません。今とは立場が違うからこそなおさら」

「……君は……」

「いずれにせよ、わたくしでは彼女を助けることはできませんわ。もう、遅いのです」


 おっとりと、微笑みながら、子どもを諭すようなやさしい口調で、グラディス王太子妃は夫たる王太子アルノーを切り捨てた。


 微笑みも眼差しも何も変わらない――昔のままのグラディスに、しかしいつからだろうとアルノーは愕然となる。


 かつてのグラディスには微笑みの奥に、たしかにアルノーへの情熱があったはずだ。

 自分と同じ熱を、彼女もたしかに抱いている。

 その確信が消えたことに、アルノーは足元が崩れていくような感覚を覚えた。



◇◇◇



 アルノーとグラディスが婚約したのは三年前。聖ガブリエル学園に入学する直前だった。

 とはいえほぼ内々でとっくに決まっていたことではあった。しかし、国内外の情勢や病や怪我などの不慮の事態や、二人の感情が変化していくことも考慮され、あまり早期に決めるのは……と延期されていたのだ。

 あんまり幼いうちに決めてしまうと思春期に反発してとんでもないことやらかすかも、という懸念があったのも否めない。事実、過去には暴走して婚約破棄を叫んだ王侯貴族がいたのだ。

 そんな事情があって、二人の婚約は十五歳、学園入学前になってからだった。

 それまでは幼馴染の交流と称した、王宮での茶会を他の令嬢令息たちと共に行っていた。これは側近を選ぶ意味もある。

 他の幼馴染もそれぞれ婚約が決まり、またグラディスは妃教育がはじまるため、交流会は終了した。


 その代わり、学園ではたくさん話そう。

 ランチタイムを一緒に過ごし、また共に学ぶ者たちとも身分にとらわれずに切磋琢磨しあおう。そんな約束をしたのだ。


 聖ガブリエル学園は、義務ではない。それでも王族や貴族が子弟を通わせるのは――学園での教育課程を家で済ませている者を入学させるのは、家や領地にいるだけでは関わりのない、下位貴族や平民、遠方の貴族との縁を繋ぐためでもあった。


 近い将来、アルノーは国王に、グラディスは王妃になる。

 国の隅々まで、下位の辺境貴族であろうと平民であろうと、自分たちはちゃんと見ている。

 そんな示威的意味合いを含んだ学園生活でもあった。


 ついでにアルノーとグラディスの仲が良ければ周囲も安心するだろう。アルノーはグラディスと大っぴらに仲良くできることに胸を弾ませていた。


 ところがランチタイムの約束は、入学初日に木っ端みじんになった。


 新入生首席として入学式であいさつをしたのが、平民の特待生だったのである。名はマノン。女子生徒では学園はじまって以来の快挙であった。


 平民特待生は特待生クラスに入れられる。将来的に貴族とも関わる官吏になることが予想されるため、基本的なマナーや貴族の暗黙の了解となる会話などを学ぶためだ。


 そこにアルノーが顔を出し、ぜひランチを一緒に、と誘ってきた。多少のマナー違反や無礼は大目に見るとまで言われては断れるはずがない。マノンと特待生たちはランチタイムをアルノーと過ごすことになった。


 守られなかった約束に、グラディスは驚いたがそれでもしょうがないわね、とアルノーに理解を示した。


 平民の官吏登用枠を増やす。今まではほぼ貴族で占められていた公職に平民を引き入れることで新しい風を呼び込もうとしているのだ。


 そう、グラディスは理解していた。だからこそ、ランチの約束を守ってほしいとアルノーに訴えた。


「二人きりでとは申しておりませんわ。わたくしの友人も交えて、皆でランチを取りましょう?」


 無理な要求ではなかった。むしろ婚約者として当然の権利であろう。

 学園に入学して半年が過ぎても、何かと忙しくアルノーとグラディスはゆっくり話すことさえできずにいた。

 特にグラディスは妃教育がはじまり、家と学園と王宮への行き来で目の回るような忙しさだ。

 せっかくできた新しい友人と話すのだって、ランチタイムのひと時がせいぜい。アルノーも同じだとわかっていたので、この半年は我慢していた。


 けれどもようやく慣れて一息つけるようになったし、ここで友人同士の交流ができれば、とグラディスは提案したのだ。


「君の友人は貴族ばかりだろう」


 ところがアルノーは拒否した。約束を疎かにしていた罪悪感が、彼をグラディスから目をそらさせた。

 グラディスの友人のことをいうのならアルノーは王太子である。言い訳にするにもほどがあった。


 一部には優秀な特待生マノンを寵愛している、という噂も出てきているが、そうではない。

 アルノーは単純に、はじめてできた気楽な友人を、手放したくなかっただけだ。子どもの独占欲である。

 付け加えるとマノンたち、ランチタイムの友人たちにはグラディスのことをさんざん惚気ていた。そこに本人登場ときたら全部暴露されるだろう。笑いものになってしまう。


 それに――グラディスが嫉妬してくれた。


 マノンとの噂を鵜吞みにしたわけではないだろう。特待生のほとんどは男だ、だからこそマノンが目立って見えるだけである。


 約束を守ってほしい、と拗ねたように言ったグラディスは可愛らしかった。愛している、信頼しているけれども、それでも嫉妬しないわけではないのだと、アルノーは知った。いってみれば味を占めたのだ。


 グラディスはグラディスで、下位貴族や辺境貴族と交流ができたらしい。やはり、彼女は私のことを理解してくれている。国を一つにまとめ、導いてゆくにはまず知ることからはじめなければ。

 アルノーは平民を、グラディスは下位貴族や辺境のことを。

 彼は安心した。だから言ったのだ。


「グラディス、ランチはやはり別々にとろう」

「アルノー様、ですが」

「君が私のためを思って言っているのはわかっている。だが、君が来ればマノン女史たちが委縮してしまうだろう」

「ですからわたくしの友人たちとも、と言っております」

「うん。でも、邪魔されたくないんだ」


 グラディスはショックを受けた顔をした。


「邪魔……ですの?」


 アルノーは慌てた。そんな顔をさせたかったわけではない。


「あ、いや、違う。グラディスが邪魔なわけではなくて……。平民の友人なんて、今だけだろう? 気取らなくて、楽しいんだよ」


 グラディスはほっとしたようにちいさく息を吐いた。


「わかりましたわ。でも、たまにはわたくしともランチを共にしてくださいね」

「もちろんだ」

「その時は二人きりでお願いしますわよ?」

「はは、楽しみにしてる」


 しかし、その約束は守られることはなかった。

 一年経っても。

 二年経っても。

 その間、グラディスは何度も自分の友人を含めて交流しようと申し出て、アルノーは却下し続けた。


「アルノー様、なぜですの? わたくしの友人は高位貴族の令嬢ばかりではありませんわ。それに、下位貴族にも、特待生ほどではありませんが将来有望なものは多くいます。マノン女史たちのためにも、彼らと顔を繋ぐのは悪いことではないはずです」


 この頃にはすっかり、アルノーの平民贔屓と、グラディスの保守派は対立の様相を呈していた。

 そうでなくても下位貴族――領地を持たない宮廷貴族や継ぐ家のない次男以下にとって、官吏希望の特待生はライバルなのだ。

 結婚まではいかなくても、せめて友人になっておいて損はないはず。


 説得するグラディスに、アルノーは面倒くさそうにあしらった。


「グラディス、君こそなぜそう皆とランチを取りたがる?」

「お互いのためですわ。アルノー様もあの噂をご存じでしょう。平民のみに寵をお与えになっては……」

「たかが噂だ。私は自分の立場を忘れたことはない」


 この時アルノーに届いていた噂とは、マノンとの恋愛模様についてだった。王太子と平民の少女との、物語のような恋。現実ではありえない夢物語だからこそ、誰に耳にも心地よいそれが、さも真実のように囁かれていた。


「君と私の友人では、価値観が違う。会って話をしたところで上手くいくとは思えない」

「そこはわたくしたちが調整すべきでは? 彼らの将来のためにも、今のままでは良くありません」

「グラディス……」


 アルノーはかちんときた。それではまるで、アルノーがマノンたちの邪魔をしている、と言ったようではないか。


「私の交友関係に、口を出さないでくれ」

「アルノー様?」

「私も、君の交友関係には口を出さない。……学生の間だけ、自由な空気を味わったって良いだろう」

「……学生の間だけ、とは……ずいぶん無責任ではありませんか」

「無責任だって?」


 グラディスは思いのほか強いまなざしでアルノーを見ていた。


「わかった。万一の時は私が責任を取ろう」


 グラディスがちいさく息を吐いた。


「そのお言葉、お忘れになりませんように。殿下のお手並み、拝見させていただきますわ」



◇◇◇




 そう、あれからだ。グラディスはアルノーを名前ではなく「殿下」と呼ぶようになり、一線を引いた態度を取るようになった。


 そしてマノンたちの態度も変わっていった。調子に乗って、特待生より成績が下の貴族を、見下すようになったのだ。


 特にマノンは、アルノーから一連の話を聞いたのか、ランチタイムに食堂へと向かうアルノーと特待生たちを見送るグラディスに、優越感を隠さなくなった。


 これで平民の特待生と、貴族の対立が決定的となった。

 一部の貴族にはマノンにアルノーを取られた(ように見える)グラディスへの不満や嘲笑交じりの批判も出た。

 そういった者たちにグラディスは手出しせず、静かに友好を深めていった。


 やがて学園を卒業し、アルノーとグラディスは結婚した。


 マノンたち特待生は、結婚式にも披露宴にも呼ばれなかった。


 マノンは得意の外国語を活かすべく外交省に入省し、忙しい日々を送っていた。

 一年目の新米。期待のルーキーと言われていても、マノンは平民。パレードの見学は自由でも、式や宴への参加資格はなかったのだ。


「すごく遠い席だったのに妃殿下が挨拶に来られるとは。何事かと思ったぞ」

「学園で、ランチをご一緒させていただいていたんです」

「ランチを?」

「はい。僕だけじゃなくて、財務省に入った彼とか、内務省の彼も」

「そうなのか! 妃殿下は気さくなお方と聞いていたが、本当なんだな!」


 同じく外交省に入った男爵家の次男が上司と楽しそうに披露宴でのことを話している。

 どこぞの子爵家三男は辺境の男爵家に婿入りして、貴族にとどまった。縁を繋いだのはグラディス王太子妃殿下だ。そういえば辺境は保存食の研究が進んでいて、それに適した食物は子爵家の特産だ、さすがは妃殿下。そんな噂が静かに、しかし着実に広がっていった。


 やってることはただのお節介じゃない。お見合い話を持ち込んでくる近所のおばさんと一緒だわ。そんなの平民じゃ珍しくもない。


 マノンは内心でせせら笑った。国のため、やりがいのある仕事に取り組んでいる自分と比べて、王太子妃ってずいぶん暇なのね。


 マノンがグラディスの行動の意味と成果を知ったのは三年後。彼女は入省当時と同じ部署で働いていた。文書の翻訳が主な仕事だ。

 通訳もできるのだが格式ばった場にマノンが呼ばれることはない。そういうところには同期の男爵家次男が行くのが定番になっていた。

 継ぐ家がないため平民になるかと思われた彼は、王太子妃のお節介によってどこぞの貴族と養子縁組したらしい。そこから伯爵家の令嬢と結婚し、分家筋を起こすという。しがない男爵家次男が大した出世だ。


 幸せオーラを振りまきながら仕事に励む彼に、マノンは悔しさが募った。

 マノンより簡単な仕事しか与えられていないくせに、なぜあんな男が重宝されているのか。理解できなかった。

 けれども本人や上司に食ってかかるわけにはいかない。マノンは平民で、相手は貴族なのである。『家』という後ろ盾が官公省でどれほど幅を利かせているのか、この三年で思い知っていた。

 もとより平民が出世するのは大変なことである。地道に努力を重ねるしかない。悔しさをバネに、マノンは職務に邁進した。


 ――そんなマノンにチャンスが巡ってきた。


 王太子妃が無事に嫡子となる王子を生んだのだ。

 王太子妃懐妊は腹が大きくなるぎりぎりまで隠されていた。愛人狙いの女や外国の介入、暗殺などを防ぐためだ。

 それでも減った公務や外出に勘づく連中はいる。

 新聞各社はおめでたいニュースを一番に届けるべく王宮に記者を張りつかせ、貴族たちは王子か姫かとそわそわし、一般庶民は便乗して性別や名前で賭けをして盛り上がった。

 そうして生まれた王子に国中がお祝い一色に染まった。


「今回の式典は王子殿下生誕を祝って大規模なものとなる。各国使節団の受け入れ、昼餐、晩餐の用意、最終日には舞踏会も開催される。うちも文書の翻訳はもちろん、通訳にも駆り出されるからそのつもりで備えておいてくれ」


 外交省が輝く時である。

 ここで失敗して使節団の誰か一人でも怒らせようものなら長官の首が飛ぶ。

 なんといっても王太子の長男のお披露目なのだ。外交問題では収まりきらない可能性もあった。それほどのものだ。


「マノン君、モリニアーニャ共和国使節団の通訳をしてみるか?」


 部長からマノンに声がかかった。

「モリニアーニャ共和国ですか……?」

「ああ。あそこは色々とあったからか、平民女性も重宝されている。それに、共通語とモリニアーニャ語を混ぜて使うから通訳が難しいんだ」

「やります」


 マノンは即答した。


 モリニアーニャ共和国はかつて王国だったが、侵略戦争に敗れ、しかし属国扱いから抜け出そうと長い独立戦争の末にようやく勝利した国である。侵略戦争で王族は全員処刑、独立戦争で多くの貴族が喪われ、共和国となった。

 国力と人口が大きく削られたため、現在は復興に力を注いでる。


 マノンたちの国には何人か貴族の子女が疎開してきていた。

 特にグラディス王太子妃の実家である公爵家は、独立戦争の支援者の一人でもあった。


 大義名分すらなく欲望のまま侵略する輩を認めず。


 モリニアーニャが国に支援を求めた時、毅然として言ったという。

 これにより国はモリニアーニャ側に立った。

 侵略者を許せば侵略を認めることになる。欲望に際限はなく、いつこの国がその危機に晒されてもおかしくないのだ。

 国とは別に、公爵家は非戦闘員となる女子供や傷病者を受け入れ、薬品や食糧援助を届けていた。


「モリニアーニャ共和国は王子殿下誕生に、一番に祝いの言葉を届けてくれた。復興支援目的でもあるだろうが、恩義に報いる気持ちが強いだろう。よく歓迎の準備を整えてくれ」

「はい!」


 マノンは勢いよく返事をした。

 アルノー様だわ。マノンは直感した。


 優秀なマノンが地味な書類仕事ばかりしているのはおかしいと言ってくれたのだろう。モリニアーニャ共和国はグラディスの実家と強い結びつきがある。ここで関係強化に一役買えば、公爵家の覚えめでたく出世ができる。

 グラディスにも一泡吹かせてやれる。そんな思いがマノンの心の奥底に滲んだ。


 しかし、マノンは失敗した。

 通訳に問題はなかった。モリニアーニャの担当が決まってから共通語とモリニアーニャ語のおさらいをして、完璧に対応してみせた。

 書類不備もなかった。使節団が宿泊するホテルにもさりげなくモリニアーニャの菓子や植物を置くよう指示をして、ねぎらいと歓迎の気持ちを示した。それらは実際称賛された。


 問題となったのは、マナーである。

 貴族ならできて当然の、暗黙の了解、言葉選び。それに、マノンは失敗したのだ。


 マノンとしては他意などなく、そのままの意味で使ったのだろう。しかし、モリニアーニャ人にとっては盛大な侮辱だった。


「薔薇には薔薇の。スミレにはスミレの良さがありますわ」


 最終日。舞踏会でのことだった。


 マノンは独身で、パートナーとなれる恋人や婚約者もいなかったため、通訳としてその場に参加していた。

 彼女としては薔薇は貴族、スミレは平民と使い分け、独身の自分アピールのつもりだった。素朴でも優秀な自分、という意味だ。


 だが、貴族的言い回しならそれは「あなたはどちらにも選ばれない」となり、大変な屈辱である。

 さらにモリニアーニャ共和国では、棘のある薔薇を侵略国に例え、地に這い咲くスミレを自国に例えるようになっていた。

 ゆえに薔薇とスミレを同列に讃えること自体が侮辱になり、それぞれ良さがあるとはつまり、あの侵略戦争はいたしかたない理由があった、と言ったも同然となるのだ。


 モリニアーニャ共和国は大激怒である。


 たかが通訳一人の戯言であっても、外交省がマノンを派遣した以上、国が国を侮辱したことになってしまうのだ。


 たしかにモリニアーニャは戦争に負けたが、その後独立目指して戦い、そして勝っている。そうとうプライドが高いとみるべきだ。そこに貴族平民など関係なかった。


 マノンはモリニアーニャ共和国の使節団のほとんどが平民出身者だと知り、安心してしまった。気を抜いていたのだ。

 貴族が相手だったらその国特有の言い回しや習慣、言葉の裏を確認しただろう――同期入省の男爵家次男はマナーのおさらいと同時にそれらも担当した国の出身者を頼んで勉強している。

 今回の件は、ひたすらマノンの勉強不足と確認不足、そして認識の甘さが招いたことだった。

 学生時代はアルノーが大目に見ていたからこそ周囲もマノンの無礼を咎められなかった。また特待生の授業にはそういったマナーも含まれていたため、自国の言い回しならマノンもきちんとできるのだ。


 モリニアーニャ共和国は激怒したものの、恩のある国であり、今回は恩人の娘であるグラディスが王子を生んだ祝いの場であったことからマノンの身柄引き渡しまで求めなかった。マノンの処罰をこちらに任せてくれたのである。


「どうしてですかっ!?」

「それはこちらが言いたい。マノン君、どういうつもりであんな発言をしたんだね?」

「それは……」


 使節団の一人にちょっと良いなと思う男性がいたからだ。貴族ではなくとも準貴族みたいな立場らしく、使節団のトップとも親しそうだった。どことなくアルノーに似ていて、マノンは一目見て良いなと思った。

 仕事が生きがいのマノンであってもそろそろ嫁き遅れであるのは自覚している。焦っているつもりはないが、男爵家次男のように結婚によって新しい立場を手に入れればさらに出世が見込めるかもしれない。彼に見初められて、外交大使夫人、あるいは大使館に勤めることを夢想した。


 けれどそんな妄想を上司に言えるわけがなかった。

 上手くやったと思っていたマノンにとって、今回の件が問題になったことは寝耳に水の話だ。自分は完璧に使節団をもてなしたと自信を持っていたところに爆弾を投げ込まれたようなものである。


 説明されてもなぜそんな曲解をされたのかがわからず、しかし外交省にはマノンの困惑を理解してくれるものはいなかった。貴族的な誉め言葉では花に例えるのはよくあることで、同時に侮辱として使われるのもよくあることであった。授業にとりあげられたのはほんの一例にすぎず、あとは自分で調べるか、実地で体験して学ぶものなのである。


 学生時代にグラディスの交流会に出席していれば、そうしたことも教えてもらえただろう。女性ならではの言い回しは女性の間で広がっているものなのだから。

 そしてモリニアーニャ共和国から避難してきた者たちにそっと連絡を取り、マノンに色々と教えてくれたかもしれなかった。

 国が違えば風習も違ってくる。女性として自分をアピールしたいのなら、他と比べるのではなくもっと他の言いようがあっただろう。


 しかしすべては終わった後だ。このままでは罷免クビか首(物理)か、というところに至り、ようやくマノンは自分が、命さえも危ういと気が付いた。


 ちょっと間違えたくらいで、こんな風に大事にしなくてもいいじゃない。私が平民だからどうにでもできると思ってるんだわ。冗談じゃない。


 そうしてマノンは自分の持つ最大にして最強の伝手、王太子アルノーに泣きついたのである。


 アルノーがそれに気づいたのは、実にマノンの処分を決定する会議当日の朝であった。


 これは別にアルノーの怠慢ではなく、単に届くのが遅かっただけである。


 王太子に届けられる手紙は多岐にわたる。公的なものから私的なものまで、いちいち読んでいては日が暮れるほどだ。

 なので本人に言われない限り、侍従が確認作業を行っている。必要と判断すれば報告後、侍従の判断で返事を送ることもあった。平民からの祝福の手紙にいちいち本人が返事を書いていられないのだ。


 マノンからの手紙が遅れたのは、今回の問題の本人ということと、平民差別、女性蔑視だと訴える内容だったからだ。差別や偏見は王太子に言われてもどうしようもない。マノンの手紙を読んだ侍従はまた苦情かとうんざりし、しかし渦中の人物からということで念のため外交省にも確認が行き、それからようやくアルノーに渡った。


「マノン?」


 届いた手紙にアルノーは思い出すような仕草をみせ、そして迷惑そうに眉を顰めた。

 あれほど親しくしておきながら、アルノーの中でマノンは学生時代の思い出で終わっていたのだ。

 学園を卒業して結婚し、子どもまで生まれた今は忙しくとも充実しており、ほとんど思い出すこともなくなっていた。


 外交省に入省したことは聞いたことがある。きっと活躍するだろうなと思ったことも。だが、それだけだ。

 それだけの存在が今になって、子どものときに見た悪夢のごとく蘇った。


 マノンの手紙を読んだアルノーは嘆息する。

 モリニアーニャ共和国の担当がマノンになったのはアルノーの根回しではないし、大問題を起こしてから頼られても困るのが本音だ。

 マノンに悪気はなかったのはアルノーにもわかる。彼女は単に、無知だっただけだろう。勉強はできるしマナーや一般常識も身についているのだが、暗黙の了解といった、なぜそうなるのかよくわからないことに関してマノンは疎かった。理解できないから覚えられない、覚えていなくてもなんとかなるとマノンは自分を過信していた。


 ひとまずアルノーはグラディスに相談した。公爵家とモリニアーニャ共和国は親密な仲だ。和解とまではいかなくとも、弁解の余地くらいは与えてほしいと執り成しを頼んだ。


「無理ですわ」


 アルノーから話を聞いたグラディスは彼と同じく嘆息し、首を振った。


「問題が起きた直後ならともかく、今になって言われましても……。すでに先方との調整も済んでおります」


 決定内容がほぼ決まった直前では遅すぎる。外交問題にしないために、国と外交省はもちろん公爵家まで駆り出されて対応に当たったのだ。


「わたくしも話は聞いておりますが、なぜあのような発言をしたのか理解不能ですわ」


 グラディスは小首をかしげた。ほとんど常識なのだ。それを知らなかった、なんて言い訳にすらならない。


「だが、マノンは平民なのだから」


 アルノーも内心ではグラディスに同意している。それでもマノンは平民で、しかたがないのではとも考えていた。


「殿下のご学友でしたのよ? 平民か貴族かは関係ありませんわ」


 グラディスの声には咎める響きがあった。

 アルノーはグラディスを見た。グラディスはまっすぐにアルノーを見ていた。


「ご存じでしたでしょう? あの方はことあるごとに『殿下の学生時代の友人』を言いふらしていましたわ」

「あ、ああ」


 外交省採用試験の面接で、それをアピールしたと聞いている。アルノーにも確認が来た。


「それで貴族の言い回しを知らないなんて……。貴族は当然ながら、場合によっては王族相手の対応もできると判断されたことでしょう」

「……」


 グラディスの責めに、アルノーは愕然とした。


 たしかにそうである。王太子の友人とは、学業だけではなく人柄やマナーまで考慮して選ばれたと判断されて当然だ。

 マノンのいた部署は書類翻訳などの内勤が主だが、今回のような祝祭や使節団のもてなしなど、外国から訪れる客人の対応も任されている。

 それは、マノンだけではない、部署全体にとって、華々しい活躍の場となるのだ。


 今回マノンがモリニアーニャ共和国の担当になったのは、部長の判断だった。

 国内にいる外交官の対応はそれぞれの部署、こちらに回ってきたときには貴族に任せていた。外交官のほぼ全員が貴族であり、学生時代の友人でしか貴族を知らないマノンが学生気分の抜けきらないままやるには荷が重いからだ。ようするに、危なっかしくて任せられなかった。

 それでもマノンは優秀だ。任された仕事は確実にこなすし、指摘をしてくることもある。

 ただプライドが許さないのか、わからないことをこちらに聞かず、自力でなんとかしようとする。それ自体は悪いことではない。頑固なのも別に咎められることではなかった。

 だが優秀さを鼻にかけ、わからないことを教わっている者や、ミスをしたものを見下すのはいただけない。マノンはそんなつもりはないと言うだろうが、それとなく伝わってくるものなのだ。


「殿下、なぜあの方に、学ぶ機会を与えなかったのですか?」

「学園で学んでいただろう」


 平民も入学できる学園なのだ。マナーの授業だって当然ある。


「……言い方を変えましょう。貴族の友人や伝手を作らせなかったのは、なぜですか?」

「私たちがいれば充分ではないか」


 学園では、アルノーをはじめとする者たちがマノンたち特待生を囲んでいた。身分の差なく平等に語り合えた、良い思い出である。


 グラディスは処置なし、とばかりに首を振った。


「……あの方が外交省を目指していたのは有名な話でした。公言しておりましたものね。もし、平民初の外交省大臣となるのなら、貴族女性の支持が絶対に必要ですわ。大臣までとはいかずとも、貴族との婚姻、あるいは養子縁組は必要となります」


 女性の爵位継承が認められていても、この国はまだまだ男社会だ。特に、役所や官公省となるとその傾向が強い。

 ただでさえ不利な女性の、しかも平民となると、いかにマノンが優秀でも、並大抵の努力では出世するのは難しいのが現状だ。むしろ叩き潰される可能性のほうが高いくらいだ。


「本来であれば、あの方は正しく平民たちの希望の星でした」

「どういう意味だ」


 今回の失敗まで、マノンの立身出世はたしかに平民のサクセスストーリーだったはずだ。


「たしかにマノンは今回失敗してしまったが、そこまで厳しい処分が下されることはないはずだ」


 これくらいで極刑になどしたら、国の醜聞を吹聴することになる。外交省としても恥だ。下手をすれば大臣の進退問題にまで発展してしまう。


「ええ。良くて閑職で飼い殺しですわね。悪くすれば懲戒免職でしょうか」


 グラディスはさらりと言ってのけた。

 そこまで重いと思わなかったアルノーが絶句する。せいぜい謹慎くらいだと考えていたのだ。


「公爵家での彼女の評判はご存じ? 『王太子殿下に約束を破らせた元凶』でしてよ」

「約束? 約束って……あっ」


 何のことだと言いかけて思い出したアルノーに、グラディスは冷笑を浴びせた。


「他にも『王太子妃に気を遣わせた平民』『せっかくの厚意を無下にした無礼者』など……さんざんですわね」


 言っておきますがわたくしが流したわけではありませんよ?


 笑うグラディスを、アルノーはただ茫然と見つめた。


「君が……何度もランチを共にと誘ってきたのは……」

「彼女たちのためだと言いましたでしょう? 男爵家や子爵家ばかりなのがあの方は不満なようでしたが。平民の彼女がどうであれ貴族と縁組するのなら、下位貴族からが常識ですわ」


 たとえば男爵令嬢が見初められて公爵家に嫁入りする場合、子爵家、伯爵家、侯爵家と順を追って養子縁組する。各家でふさわしい教育を受け、また後ろ盾となるためだ。


「なぜそれを言わなかったんだ!?」


「貴族派と王室派の混在する学園でそのようなことは言えませんわ。殿下が平民の官吏登用枠を増やそうとしている、と貴族派がピリピリしておりましたし」


 一触即発までいかずとも注視されていたのは事実だ。グラディスは何とか丸く収めようと必死だった。


「その上殿下が口出し禁止とされました。責任はとる、とも。わたくしにはどうすることもできませんわ」


 過去も。

 現在も。

 グラディスがマノンにしてやれることは何もない。


 そう言い終えて、グラディスは扇子で口元を隠した。

 アルノーはうつむいた。


 グラディスが未来を考えて行動していた時、アルノーはその時の楽しさだけを追求していた。


 そして現在グラディスは貴族同士を結婚と言う形で縁づかせ、着実に足場固めに成功している。学生時代の交流を今も生かしているのだ。

 それはアルノーの失脚を狙う者たちへの牽制だろうし、アルノーに万一のことがあってもグラディスと子どもだけは守られるだろう。


 アルノーがランチの約束を守らなかったのは事実なのだ。


 グラディスにとって、王太子妃教育と学園での派閥調整の間の、憩いのひと時となるはずだった。懐かしい学生時代の思い出となるはずだった。

 お互いに歳を取り、あんなこともあったわね、と笑う時に学生時代の三年間はないのだ。

 友人はできたしそれはそれで楽しかったけれども、二人の共通の思い出に学生時代は含まれなかった。若い頃の貴重な三年間を台無しにされた思いが強い。


 辛い時、苦しい時、困った時。

 積み重ねた思い出は思いやりとなって、そっとグラディスの背を押してくれただろう。アルノーを助ける理由となってくれただろう。


 幼馴染の思い出はあっても。結婚してからの思い出はこれから築くことができても。

 普通の少女のように恋愛を楽しむ期間を、グラディスは他でもないアルノーによって踏みにじられたのだ。


「責任をお取りなさいませ、殿下。お手並みを拝見させていただきますわ」


 失望はいずれ時が癒してくれるだろう。グラディスの中でアルノーへの恋は今は遠くにきらめく残像だ。いつか未来で若かったと笑える日が来るかもしれないけれど、今ではない。


 グラディスが傷ついていたことに気づかなかった自分にアルノーは苦しくなった。期間限定の自由のために、なにより大切にするべき彼女を蔑ろにしていた。嫉妬してくれるのが嬉しい、なんて、馬鹿じゃないのか。

 マノンへの責任の取り方なんて、一つしかない。マノンの処分を受け入れることだ。彼女を助けたら、今度こそグラディスの心が離れてしまう。二人きりの時に甘く名前を呼んでくれたかつての日を思いながら、アルノーは静かに決意を固めた。



 


なんだろう、元サヤもなにも、壊れてないのでそういうのでもない。ざまあでもない。このすっきりしない感じ。

グラディスはアルノーが好きだったからこそ、アルノーに約束を破らせたマノンにいい加減にしろと思ってました。あえて手を下すこともなく、周囲が追い詰めるのを止めないだけ。

モリニアーニャの使節団はグラディスが苦しんでたの知ってたので、マノンに悪意があります。

マノンは懲戒免職。重いのか軽いのか…。でも今回の件でやらかしたの広まってるので、優秀な頭脳を活かす職には就けないので重いほう。勉強はできるけど気が利かない子っているよね。

アルノーはグラディスにもマノンにも無責任だけど、これはわざとそうさせられてます。王と王妃が約束を守らなかった息子にわざと失敗させました。側近たちに助言させなかったし、約束を守るよう叱らなかった。まだリカバリーできるうちに痛い目見させた。

成功は自信になるけれど、失敗ほど人を成長させるものって意外とないよね。

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― 新着の感想 ―
王太子は学生時代の友人を自分視点でしか見ていなかった。自分の学生生活を彩る小道具として。だから卒業後学友らがどうなろうとも自分には関係ない。現代日本の一般人だったならそれで良かったんでしょうけど王太子…
よくなろう小説に、知人をモデルにしたようなお話が出ているので一言言わせていただきますね。 このお話の前日譚がありそうです。 マノンちゃんは、「結婚がしたい」と言ってたのに その「信頼すべき」女性たち…
読了後、昔何かで読んだ『したことも、しなかったことも、いずれ自分に返ってくる』という言葉を思い出しました。 マノンの懲戒免職だけでなく、外交省長官交代+部長異動&降格くらいはあったかと。悪名が広がりす…
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