#9「わたしは」
生き残る為には、余計なことを考えない。
その言葉を胸に刻み、視線の先の敵を見据える。
未だ興奮状態の猪は、暴れまわりながらもわたしたちを探しているのかあたりを見回す動きをとっている。しかし、スズネちゃんに右目を潰され視界が狭まったのかこちらを見つけることはまだ出来ていない。
「アンリ、あの猪は正気を失ってる上に視界が狭まってる。畳み掛けるなら今しかない。」
「うん...!」
やはり、これはチャンスだとスズネちゃんも思っているようだ。このまま決着まで持っていけるのが理想的だろう。......しかし、どうやって......?
「あの猪の牙、あれは牙じゃなくて無数の骨だった。しかも、私たちに突っ込んできたとき、あの牙が放射状に開いているのも見えた。間違いない、あれが目印。だから――」
わたしの疑問を知ってか知らずか、スズネちゃんが話し始めた。
――目印。魔獣には弱点となる核があるがその位置を予測するための目印、それがあの骨だ。あれは魔獣の動物の様な見た目の中に常に存在する異物で、時にあの猪の様に牙を模した様な形をとることもあれば、胴体から無造作に突き出ていることもある。そしてどの魔獣の持つ骨にも共通点がある。それは、骨そのものが意志を持っているかのように動くことと、無数に生えた骨の中心部には核があることだ。つまり、今回の猪の核は......
「――顎下。あそこがあの猪の核だよ。」
口横から生える二つの骨の束...その中心部を指差しスズネちゃんは告げた。
「じゃあ、あそこを狙えば...!」
「うん。アイツを倒せる。」
核の場所はわかった。次はそこをどう狙うかだ。
「最初の作戦通り私が陽動するから、アンリは隙を見て顎下に全力を喰らわせてやって!」
「え...?でも......」
あの作戦はあくまで最初に"減衰"の力を与えられていることが前提だった。今の猪は正気こそ失っているが、そのパワーは万全な状態だ。
「大丈夫、やりようはあるから。」
スズネちゃんが、わたしの不安を包むように手を両手で握りながら言う。
「......うん、わかった...!」
スズネちゃんを信じよう......!
わたしが覚悟を決めるのを見守ったスズネちゃんは、猪の方へ向き直る。
「じゃあ、アンリ、最後は頼んだからね。」
スズネちゃんはそう言うと猪に向かって走り出した。少し間をおいてスズネちゃんとの距離をとりつつ、わたしも走り始める。――走り始めると、左頭部が軽くなった感覚を実感し、少し寂しさを覚える......が、今は気にしちゃダメだ。
それにしても、スズネちゃんは「やりようはある」と言っていたけどどうするつもりだろう...?
スズネちゃんの後方でその行動を見守りながら距離を詰める。
まず最初は、猪の視界に入らないように右目の死角へ向かっているようだ。そして、そこへ向かうスズネちゃんは、すでに刀を抜いていた。
スズネちゃんが刀によって浴びせる攻撃、その一太刀目はいつも抜刀から始めることが多い。しかし、今はもう抜き身の刀が鈍い輝きを見せていた。
少し疑問に思いながらも見守っていると、スズネちゃんは走りながら突きの構えをとる。
「うおおおおぉおおお!!!」
真っ直ぐに放たれた刀は、骨の牙の根本から体の芯を捉えて深く突き刺さった。
どうやら突きの狙いを正確ににするために先に刀を抜いていたようだ。
突き刺された刀は"吸着"の形質変化を纏っているようで、刀がその位置で固定され、スズネちゃんが猪の巨体を後方へと引っ張ろうとしている。猪は死角となっている右側に衝撃を受けたことによってその方向を確認しようと向きを変えた。しかし、その勢いにスズネちゃんが胴体を引っ張る力が加わり、猪は右側へ回り続け、その場でグルグルと回転しているような形になる。
初めこそ勢いよく回っていたものの、次第に速度が落ちていき、猪はヘロヘロとした動きになってきていた。おそらく、最初に突き刺した骨の根元、あそこから"減衰"の力を流し込み続けていたのだろう。
それを理解する頃には、猪に向かい走り出していた。
「アンリっ!!!」
回転する猪がわたしと向き合う位置になるとスズネちゃんは猪の体の動きを抑え、わたしに合図を送る。正面から向かってくるわたしの存在気づいた猪は、その場を逃れようともがく仕草を見せるが、体を思うように動かせていない。
ズンッ
猪まで残り5mの辺りで、"増強"した足で力強く地を蹴る。体が宙に浮いたところで、肩、腕、拳へ"増強"の力を込める。猪が目前に迫ったところで、拳の先へ自分の中の一番強い力を集中させる。
「超小型の大・爆・発ッッ!!!!」
ズゴォォォォォォン!!!
突き出した拳が強い衝撃を放ち、轟音が轟く。
わたしの拳は、赤色の<壮烈>のオーラの"解放"の形質変化で瞬間的に超強化させた"破壊"の能力を"増強"の勢いで顎下へ真っ直ぐにぶち込んだ。
手応えはあった――!
激しい爆風により一瞬目を瞑ってしまったが、すぐに目を開け、手応えのありかを確認する。
その目に映ったのは、―――無傷の猪と、飛び散るオーラの欠片だった。
――――"圧縮".........!!!
"圧縮"の形質変化、それによって作られたオーラの障壁。わたしが砕いたものの正体はこれだった。
ズォォン
「ひゃっ――」
失敗したことで動揺していたわたしの耳へ風を切る音とスズネちゃんの小さな悲鳴が届いた。気がつくと、目の前に猪がいない......!
「アンリ逃げてっっ!!!」
頭上から声が降り注ぐ。すぐさま上を見上げると、そこには高く跳び上がった猪とそれに引っ張られるスズネちゃんがいた。
「―――!!」
猪の動きは、"減衰"しきっていたはず、こんなに早く回復するわけが......!
視界に入った猪をよく見ると、前脚は力無くぶら下がっているが、後ろ脚は力強く伸びていた。
......!
組み手の時のことが脳裏をよぎる。スズネちゃんの"減衰"の力を右手から受けたわたしだが、左手は自由に動かせていた。つまり、前方の骨の付け根から流し込まれた"減衰"の力は、――後脚まで到達していない!!そのため、後脚のみで跳躍したのだろう、あんなにも高く!
「アンリっ早くっっっ!!!!」
スズネちゃんの悲痛な叫びが聞こえる。しかし、わたしの体は、<壮烈>のオーラの使用により思うように動かない。最小限に抑えた「超小型」でも、あと数秒は手足の硬直が続くだろう。
猪が落ちてくるまでに動くことはできるだろうか......。いや、ここは―――!
「スズネちゃん離れて!!」
意を決し叫ぶ。スズネちゃんが猪と共に持ち上がっているのは、"吸着"によって離れられないからだ。オーラの形質変化を解除すればすぐに離れられるはず。
「でもっ!!!」
殆ど悲鳴のようになったスズネちゃんの声が響く。猪の体は、果てしない跳躍力により上空2〜30mといった位置で一瞬動きを止め、落下し始めようとしている。今スズネちゃんはあの上空で状況を打開するために必死で頭を巡らせているのだろう。
――でも、大丈夫。
息を大きく吸い、一際大きな声で叫ぶ。
「生き残る為に!!!」
その言葉を受けたスズネちゃんは、一瞬表情が固まるも、すぐ瞳に強い力が宿り、意を決した表情で猪の胴を蹴って大きく飛んだ。あの軌道ならば、かなり距離をとれるだろう。
そしてわたしは、すでに勢いを増した速度で落下してくる猪を視界に捉え――。
「わたしは、―――キミより強い。」
呟く。
猪との距離――残り10m。
いまだ、手足には若干の痺れが残り、
――残り8m。
そのまま、右手へ神経を集中させ、
――残り5m。
体の内側から湧き上がる熱いものが右手へと伝っていき、
――残り3m。
手足の痺れが取れ、
――残り2m。
拳に力を込めて、
ーーー残り1m。
大きく腕を振り上げる!!!
「無・限・大・爆・発―――ッッッ!!!!!」
残り0m。
瞬間、激しい爆音が鳴り響き、――わたしの意識は途切れた。