#8「生き残る為に」
倒れた巨大な木の傍ら、悠然に眠りこけるデカブツを視界に捉えて走る。すぐ後方にはアンリが付き、自分の間合い、地を蹴り拳がすぐ届く距離を目指して走っている。私が目指すのはあの巨体のゼロ距離、刀に纏わせた<静謐>のオーラをヤツの肉体に直接ぶち込んでやることだ。ヤツに辿り着くまで残り5mといった距離でアンリの足音が止まる。私は構わず先へ進み、一歩、二歩と...
―――!
視界に捉えている猪の耳が動いた――!
いや、だが止まるわけにはいかない。地を蹴る足を止めず、また一歩先へ進む。
刀に手をかけ、あと一歩前へ!残り一歩の瞬間、視界に微かに黄色いもやを捉えたが、気にせず左腰に携えた鞘から鈍い輝きを煌めかせる。
――抜刀。
鞘から放たれた刀の一閃は確実に猪の横腹の肉を捉え、間髪入れずにオーラを流し込む。
しかし。
「グオオオオオォォォオオオ!」
猪の雄叫びが轟く。私が刃を届かせるより数瞬早くヤツはこちらを認識できていた。黄色いもや、<叡智>のオーラによる"知覚"の能力で、眠りにつきながらもこちらの動きにいち早く気づいたのだろう。
こうなるとまずい。刀はもう肉体に突き刺さっているが、この巨体の動きを鈍らせるには時間が――
頭によぎる最悪の状況を再現するかのように、猪は突き刺さった刀に抉られ肉が裂けることも厭わず、体を捻り私を正面に捉えようとする。
いったん退き、大勢を立て直す?いや、刀は突き刺さったままだ、なんとかこのまま......!
ズンッ
私の一瞬の迷いを掻き消すように、力強い音が響き渡る。視界の隅から現れたそれは、横に重力が働いているのかと思うほどの速度で飛来したアンリだった――。
ズゴォォォォォン
アンリの拳が猪へ勢いよく衝突し、その巨体を吹き飛ばす。
「スズネちゃん大丈夫!?」
着地したアンリが振り向きざまにこちらを心配する。
「うん...。――ッ、アンリうしろッ!!!!」
吹き飛ばされた猪がすぐに大勢を立て直し、物凄い速さで突進してくる。
「っ!!!」
私の声に反応したアンリが、私と同時に猪の軌道上から飛び退く。咄嗟のことだったのでお互い左右逆の方向に飛び退いてしまい、左に飛んだアンリの姿を確認するため振り向く。
「――!?」
アンリの姿がない!?
「うわああぁぁぁああ!!」
「アンリッッ!!!」
アンリの叫び声が聞こえた方向には、私の横を通り抜け背を向ける猪がいた。猪がすぐに体の向きをかえこちらを向こうとした、その時アンリの姿が見えた。先ほどヤツが突進してきた時一瞬見えた牙、いや無数の骨が束となり大きな牙のように見えるそれの一本に突き刺さっていたのは―。
今朝、私が結んだお団子―――!。
あ...、あぁ!私のせいで......!、―――いや、いや違う、後悔は後だ。今はアンリを助けなくては!
一瞬の動揺から正気を引き戻し、すぐに足に力を込めアンリの元へ駆け出す。......だが、アンリならあれくらいの状況、すぐに逃れられそうな気がするが......。アンリの元へ急ぎながら僅かな疑問がよぎる。
猪は自分の牙に刺さるアンリに気がついたのか、身を振い、アンリを揺らすことで自分の口へ運ぼうとしていた。しかし、アンリには大きな抵抗をしようとする動きが見られない、むしろ束なった骨に捕まりながら慎重に抜け出そうとしている。
――?
本当にどうしたというのだろうか。魔獣の存在に威圧されて(アンリに限ってそれはないと思うが)動けないというわけでもなさそうだ。
そんな様子を確認しながらもアンリへの距離を詰めていると、身を振るう猪の動きがより一層激しくなった。その動きに振り回され、アンリの骨を掴んでいた手が離れる。そのままアンリは放り出されるような動きをするものの、すぐに静止し反動で跳ね返った。アンリのお団子に突き刺さっていた骨は、三つ編みの先っぽを捉えていたようで、振り回された勢いで解かれたお団子は骨とアンリを繋ぐ鎖のような状態となってしまっている。
「あぁっ!!」
アンリが驚嘆の声を上げた。
......?
......――――まさかっ!!!
足により一層の力を込めた。得意としないため普段は使用しない<強靭>のオーラの"増強"も可能な限り足へ集中させ、地を蹴る。
反動で跳ね返るアンリを受け止めるように大きく口を開く猪とアンリの間を縫うように跳び、刀を振り上げ、斬り捨てた。―――アンリの三つ編みを。
「うわぁっ!」
地に落ちようとするアンリの襟を掴んで遙か前方へと投げ飛ばし、猪の正面を通り過ぎる直前、振り上げた刀をそのまま体を捻りながら猪の右目へ突き刺す。
「グオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
猪の悲痛な叫びが轟く中、刀を引き抜き、猪と距離を取った。痛みのあまりその場で暴れ回る猪の姿を確認し、刀を納めてすぐに振り向き、投げ飛ばしたアンリの元へ駆け寄る。
「アンリっ!」
「スズネちゃ...わっ!?」
地面に落ちた状態から立ちあがろうとするアンリの手を勢いよく引き、猪から更に距離を取る。最初に様子を伺っていた辺りまで距離を離したところで、木の陰へ回り込んだ。
「はぁ...はぁ...はぁ...」
少し緊張が解け、荒い呼吸を続ける私をアンリが覗き込む。
「ス、スズネちゃん...ありが...」
「アンリっっ!!」
強張った表情で私に声をかけようとしたアンリの肩を掴み、言葉を遮るように声を張り上げた。...僅かに怒声が混じっていたように思う。
私の声に驚いたのか、アンリは目を丸くしてこちらを見つめる。
「アンリ...!あなたさっきお団子を庇った?」
幾つかあったアンリの行動の違和感、それがこの一言で説明がついた。
「う、うん。せっかくスズネちゃんに...」
「アンリ......!!」
アンリの肯定を受け、また言葉を遮ってしまう。涙が出そうだった。アンリを失ってしまうかも知れないという恐怖もあるが、あんな状況でも私の結んだ髪を大切に思い守ろうとしてくれた気持ちがたまらなく嬉しかった。......でも、しかし、ダメなのだ。今のこの状況は...、―――命のやり取りなのだから。
「アンリ、...お母さんの言ってたこと覚えてる?」
「お母さん...?」
アンリの瞳を真っ直ぐ見据え問いかける。
「生き残る為には......?」
「余計なことを考えない......。――!」
アンリは私の言葉の意味に気づいたのか、ハッとした表情になる。
そんなアンリの肩から手を離し、今度は強く抱きしめる。
「ねえ、アンリ......、アンリは、私が結んだ髪、大事にしようとしてくれたんだよね?......でもね、でも...ダメなの。......そのために自分自身を、...蔑ろにするのは.........」
堪えきれず涙が溢れてくる。アンリの気持ちが嬉しくて、アンリに危険が迫ったことが怖くて、ぐちゃぐちゃとした感情を抑えることができなかった。
「スズネちゃん...」
肩を振るわせる私を抱きしめ返し、アンリが口を開いた。
「ごめんなさい...、スズネちゃん。......わたし、お母さんの言っていたこと、ちゃんと分かってなかったみたい...。」
自分の行動を悔やむように、少し弱々しい声でそう口にする。
「......でも、」
アンリが私を抱きしめる手に力がこもった。
「......でも、もう間違えない...!......だから泣かないで?スズネちゃん。」
アンリの強い決心と、優しい言葉が私に響く。
「ズズッ、.........うん」
...鼻水まで出てきてしまった。少し恥ずかしくなりながらも鼻を啜り涙を拭う。一呼吸置き、アンリの体を離し目を合わせる。
「もう、大丈夫。」
「うん...!」
私の表情を見て安心したのか、笑みを見せたアンリが頷く。
「......よし、じゃあ行こう――」
そう言いながら、アンリと共に木の陰から姿を出し、興奮した様子で辺りを見回す猪の姿を見据える。
「反撃の時間だよ。」
「うんっ!!」