#57「昨日のこと」
「昨日のこと......」
お昼の話から一転、真剣身を帯びたスズネちゃんの声でわたしの思考は一瞬止まった。
「......うん。...昨日、あの地下であったこと...あの時のことでアンリが知っていることを教えて欲しいの...。」
...昨日の地下......。...わたしが気を失ったのは、...あの少年の......
「うぅっ」
「アンリ...!?」
頭がズキズキする......。さっきよりは大丈夫になった気がするけど、...やっぱりあの時のことを思い出すと......
「...!そういえばさっきも頭痛って...!!アンリ、一回休んで――」
「――待って......。」
...このまま考えるのをやめれば、痛みはおさまるかもしれなけど......。
「アンリ...?」
わたしも、あの後のことが知りたい......。
「昨日のことを思い出すと、頭が痛くなっちゃうだけだから...。わたしは大丈夫だよ...。」
「...え...。だ、だったらなおさら......」
「――わたしも、知りたいの...昨日のこと......。」
真っ直ぐにスズネちゃんの目を見つめる。
「.........。...わかった......。でも、本当に無理はしちゃダメだからね...?」
「うん...。」
了承はしてくれたけど、やっぱりまだスズネちゃんは不安そうだ......。
...せめて、もう少し痛みが和らげば......
「...ねえ、スズネちゃん...話してる間、ぎゅってしててほしいな......。」
「え」
スズネちゃんが抱きしめてくれる時、わたしはいつも心から安心できる...。それで、痛みが無くなるかは分からないけど...、なんとなく、今はそうしてほしいと思ってしまった。
「...そんなの...いつでも、いつまででもするよ...!」
優しく抱き寄せられた。
温かくて、やわらかで、いい匂い.........わたしが、一番好きな場所......。
...頭の痛みが消えるわけではないけれど...それでも、温かい気持ちが痛みを和らげてくれる気がする。
「ありがとう...、スズネちゃん......。」
「ううん。いいの、私の方がずっとこうしてたいくらいだもん。」
「えへへ...そっか...。」
うれしいなあ。
......だけど、この気持ちに浸っている場合じゃない...。...このままじゃ、眠くなってしまいそうだ......。
スズネちゃんの腕の中で微睡みたい気持ちを抑えながら、本題を口にする。
「...ねえ、スズネちゃん。...昨日、わたしが気を失ってから...どうなったの......?」
わたしの記憶は、あの少年の手から出た黒い何か、あれを見たところで途切れている。
「......。......アンリが気を失ったあとは...あの少年が逃げて、フォルロさんに連れられて地下を出たんだけど......」
...逃げた...?
「...アンリ。昨日のこと、どこまで覚えてる...?」
「...?...えっと、あの子の手から......黒いのが、出て...あれを止めなきゃって...思ったとこまでは、覚えてるんだけど......」
あの時のことを思い出すと、少し頭が痛む...。
「...そっか、やっぱり......。」
やっぱり...?
「......アンリ。...あなたはあの後......1人であの少年を倒したの。」
「...!?」
そうだ...。わたしが気を失ったということは...<壮烈>のオーラを全力で使ったということ...。
つまり、わたしはあの力を人に......!
「わ、わたし...もしかして......」
人を.........。
全身の血の気が引いていく。
「!......大丈夫、さっきも言ったでしょ...?あの少年は逃げたって。......アンリは私たちを守ってくれただけだよ。」
わたしの震える声で察してくれたのか、より強く抱きしめてくれたスズネちゃんが答えをくれる。
「......そっか...。」
少し安堵した。
過去にわたしがあの力を全力で使った時...それをぶつけられた魔獣は、肉をほとんど残さず"破壊"され尽くしたという...。
だからもし、それが人に直撃していたなら......わたしは、――人を殺すことになっていただろう.........。
「......アンリ...。...昨日のこと、知りたいんだよね...?」
「...うん。」
「......私も、聞きたいことがあるから...ちゃんと話そうとは思ってる...。......でも、もし辛くなったらちゃんと言うって約束してくれる?」
「うん。」
腕の中で小さく頷いた。
まだ頭痛はしているけど、辛くはない。...だって、スズネちゃんをこんなに近くで感じていられるから。
「......ありがと。」
そう言うスズネちゃんがわたしの頭を撫でてくれる。
「...じゃあ昨日のことなんだけど、まずは―――」
―――。
「............。」
...わたしがそんな行動を...?
スズネちゃんが教えてくれた、昨日のわたしの行動は驚くべきものだった...。
あの少年の強力な<蠱惑>のオーラは進行方向を"歪曲"するほどだった。そんな力を持つ相手をわたしが1人で圧倒したのだという...。
...しかも、わたしは<壮烈>のオーラを使用してもすぐに気を失うことはなく、それどころか...オーラを吸収する力を見せたと......。
......そしてなにより...、わたしはただ圧倒したのではなく...あの少年を執拗に攻め続けて何度も殴り飛ばしていた......
――ズキズキッ!
...やっぱり、頭に痛みが走る......。
でも、...大丈夫、まだ辛くない。
「ねえ、スズネちゃん...。それで、あの子はどうなったの......?」
わたしが、何度も殴り飛ばし続けた......。
...それなのに、少年は最後には逃げたという話だった。
なぜわたしがそんな行動をとったのか...それも気になるところではあるが、...まずは話の顛末を聞き届けなければ...。
「......アンリがあの少年と暗闇に消えていった後、私たちが追いついた時には......少年の姿が変わっていたの......。」
「姿......?」
ズキッ
痛みと共に、頭の中にモヤのかかった思考が現れる。
「うん...。首から骨が突き出てたの......。魔獣みたいな骨が......」
ズキズキズキッ!
「い゛ッ......!?」
「アンリ...!?」
突然強い痛みが走った...。
......いや、突然じゃない...わたしが少し思い出したからだ......。
わたしは、確かに見ている......あの骨の突き出た少年の姿を...。
スズネちゃんの言葉で僅かにモヤが晴れたわたしの思考は、あの瞬間の記憶を思い起こさせる。
そう、わたしは、あの時、...あの少年を、殺――
「アンリ...!落ち着いて......!」
「......!!」
スズネちゃんの声に引き戻される。
わたしの呼吸は荒くなっており、体中からは汗が噴き出ていた。
「...ここまでにしよう?...もう、なにか考えちゃダメ......。」
スズネちゃんの優しい声色は、わたしの思考すら包むようだ...。さっきまでの思考が、どこか遠くへと行ってしまう。
――辛くなったら言うって...約束だもんね......。
スズネちゃんの体にしがみつくように抱きつく。
「...スズネちゃん...。わたし、ちょっと辛くなっちゃったみたい...。だから...このまま......ずっと、そばに.........」
わたしを包む温もりに身を預け、微睡む。
「―――。......うん、ずっと一緒だよ、アンリ......」
薄れゆく意識の中で最後に聞こえた言葉は、わたしの中を安息で満たした――。




