#40「広い世界は...」
「...そろそろ顔出すのやめろ。」
いつまでも外の景色を楽しんでしまっていた私たちにフォルロさんの静止の声がかかる。
「あ、はい...。ごめんなさい。」
「ごめんなさーい...。」
「いや、別に謝る必要はないが...。一応話しておきたことがあったってだけだ。」
顔を引っ込めて座り直す。
外を眺めていて気が付かなかったが、車両の他の乗客からは微笑ましそうな視線を向けられていた。
...少し、恥ずかしい......。
「は、話というのは?」
恥ずかしさを誤魔化すように、フォルロさんの続きを促す。
「ああ、ケントルアの内部を少し説明してやろうと思ってな。私もこの街の全てを把握してるって訳じゃないが、知っておいて損はないだろ。」
確かに私たちは、ここに来たばかりで街のことに詳しくない。フォルロさんが案内をしてくれるといっても、事前にいろいろと知っている方が安心できる。
「聞きたい!」
アンリは当然のように興味津々という感じだ。
「お願いします。」
「おう、じゃあまずこの辺の区画についてだが...」
私たちの言葉を受け、フォルロさんが話し始める。
「今私たちがいるのがイチリ区だ。知っての通り、ここはエレウ山脈の洞窟と隣接していて、イニティアからくるキャラバンの連中なんかはまずここに来ることになる。」
先ほどまでいたメルカートでもイチリ区支部という名前を聞いた。それがここら一帯を指していたということだろう。
...あれ?でも......
「あの、質問してもいいですか...?」
「ああ、構わねえよ。遠慮するな。」
「はい。...さっきまでいたメルカート...イチリ区支部って言ってたと思うんですが、ケントルアには本部があるって聞いてたんです。」
なにかあればメルカートを頼れとお父さんに言われ、その時に本部がケントルアにあるという話も聞いた。
「あー、本部はある。都市中央のナインス区ってとこにな。ただ、ケントルアは広い上に産業が盛んだからな、それを管理するメルカートの支部がケントルア内部だけでもいくつもあるんだ。」
「なるほど...。」
ケントルアの広さは、イニティアの10倍以上はあるらしい。確かにそう考えれば商業ギルドが一箇所にしか無いというのは効率が悪いのだろう。
「ナインス区っていうのはどんな所なの?」
本部があるというナインス区。新しい単語に興味が湧いたのかアンリが問う。
「ナインス区は...私も入ったことはないんだが、この都市で最も発展している区画だ。メルカート本部を含め、この都市を管理してる偉い連中が住んでる。本当は、北まで行くのにあそこを通り抜けられれば一番早いんだが、あそこは入るだけでも厳しいチェックが必要らしいし、その上物価やら交通費も高いと聞く...。だから、この辺に住んでるやつであそこに行ったことあるやつなんてのはほんの一握りなんだ。」
「へぇー...!なんだかすごそうな場所なんだね...!」
「フッ、そうだな。一言で言っちまえば、『すごい所』で済んじまうが、私らみたいなのからすればその認識だけがあれば間違いない。」
フォルロさんの説明を一言でまとめてしまったアンリだったが、フォルロさん的にもその認識に異論はないようだ。
「で、そのナインス区を通れない上で北へ行く方法が今私たちが乗っているこの車両だ。この車両は、いくつかの区画を抜けて一番東にあるフリトア区まで行くんだが、そこに北に繋がる別の駅がある。そこからまた路面鉄道に乗れば、高架鉄道の駅があるシヨテス区まで行けるってわけだ。」
つまり、通れないナインス区を避けるために東を経由して北に行く...外周を通っていくようなイメージだろうか。すごく遠回りになってしまうのだろうけど、手段が無いのならば仕方がない。
「フリトア区はどんなとこ?」
「...ああ、順番に説明するよ。シヨテス区もな。」
またも新たな単語に興味を向けたアンリに、フォルロさんは少し呆れた様子で答える。
「今向かってるフリトア区って言うのは、一言で言えば工業地帯だ。いろんなもんを作ってる工場が並んでてな、この都市の要とも言える場所であると同時に...一番危ない場所でもある。」
「危ないの?」
「そうだな、理由は色々あるが、一番わかりやすいのは空だな。」
そう言うフォルロさんが視線を窓の外へ移す。
「お前らも気付いたかもしれないが、ここの空は南に比べて少し燻んでるだろ?ありゃ、この鉄道やら工場やらが出す煙のせいだ。」
確かにケントルアに入ってから、空が薄暗くなっているのは感じていた。だがその原因が煙のせい...?
空に影響を与えるほどの煙とは一体どれ程の量なのだろうか...。
「んで、その煙には人体に有毒な物質が含まれているらしくて...」
「――え!?」
有毒!?鉄道からも絶えず煙が出ている...!アンリがもうずっと吸ってしまっているというのに!
「何でもっと早く...!」
「お、おい、落ち着けよ...!話は最後まで聞けって...!」
「――!......は、はい。ごめんなさい、取り乱しました......。」
突然告げられた情報に、一瞬我を忘れてしまった。
だが、有毒という言葉が持つ問題は解決していない。フォルロさんの話を聞かなくては。
「...私も先に説明しておくべきだったな。あの煙は確かに有毒なんだが、短時間や少量吸う分には問題はないとされてる。だから、鉄道にしばらく乗ることや、煙の影響が強い工場近くでも通り抜けるくらいなら体に対した影響は無いんだ。安心していい。」
「そう、ですか...。」
フォルロさんの言葉に少し安堵する。
...冷静に考えてみれば、この街に住んでいるフォルロさんが元気に過ごしているのだから、鉄道の利用くらいでは問題が無いということはわかったはずだ。
焦って状況を把握しきれていなかった...。反省しなければ...。
「じゃあ、なんで危ないの?」
取り乱してしまった私を心配そうに見つめてくれていたアンリだったが、私が落ち着いたことを確認すると再びフォルロさんに視線を向けて問いかける。
「ああ...、あの煙は余程吸わない限りは酷い影響が出ることはない。だがフリトア区には、その余程吸っちまった人間がわんさかいるんだ...。」
煙は少量なら問題ないと言っていたが、もしや煙を出す工場があるというフリトア区に住む人が...?
「あそこじゃ、金のないヤツら...、家を失ったガキ共...、...何らかの理由で中央から追い出された元お偉いさん...そんなのが働いててな。家も金もないやつは、あの周辺の路地で生活するハメになっちまう。...だから、四六時中吸っちまってるんだ、あの煙を...。」
「そんな...!」
アンリが悲痛な驚き声を上げる。
私も言葉を失った。
あのイニティアより大きなケントルアは、きっとより豊かで人々の暮らしもいいものなんだろうと思っていた。...もちろん、そういう側面もあるのだろうが...それと同時にそんな酷い暮らしが強いられる場所があるなんて......。
「...んで、危ないっていうのは、その煙を吸っちまってる人間だ...。煙の影響を受けた人間ってのは、どうも喉をやられるようで酷く咳き込む...。だから、そういうやつらに近づいて感染しないように気を付けなきゃならねえ。」
「「............。」」
アンリも私も何も言えなかった。
私たちが見に来た広い世界というのは......楽しいことが待つばかりではないのかもしれない...。
残酷な事実を前に...そんな考えが私の中に生まれた......。




