#2「デシデ道場」
「とぉーちゃっく!」
アンリの元気な声が目的地への到着を高らかに告げる。
私たちの家から緩やかな下り坂をおよそ300m、村中心部に位置するここが私たちが修練を積む道場だ。2人で手を繋いで駆けてきたせいか、少し身体も温まってきた。
でも、準備運動には少し足りないかな。
少し呼吸を整えながら、「デシデ道場」と力強く刻まれた木の看板を横目に玄関の引き戸へと手をかける。
ガラガラと音を立てる戸を開ききり、道場の中に一歩踏み入れると清々しさを感じさせるヒノキの香りが鼻を通り抜けた。日光が遮られほんのり薄暗いこともあり森の中の雰囲気すら感じさせるが、風のざわめきや虫や獣の息遣いの聞こえない凛とした静寂に包まれるこの空間は、揺らぎひとつない水面にそっと足先を触れさせるような、森とは違う緊張感を覚えさせる。
「セイヤッ!」
静寂を切り裂くように力のこもった野太い声が広間から聞こえた。その声を聞いたアンリが嬉しそうに小走りで広間へと向かう。
「おはよー!ししょー!」
「おう、おはようさん、アンリ。お、スズネもおはよう。」
「おはよう、ケタルおじさん。」
ケタルおじさんは、アンリの武術の先生でアンリからは師匠と呼ばれて慕われている。
「というかアンリ、その師匠っていうのやめてくれってば、お前を見てちび共も真似しちうまう。」
照れたような表情を浮かべるおじさんのそばには、アンリの腰上あたりくらいまでの背丈をした小さな男の子と女の子が1人ずつ、その少し後ろにもう一回り大きめな男の子が1人いた。
「ししょう!いまのもっかいやって!」
「ししょう!おれもはやくあれやりたい!はやくおしえて!」
「こら、ユン見せてもらうだけって約束だったろ?リーネもアンリさんが来たからおねだりはあとで。」
「「えー」」
おそらく武術の型を披露していたのであろうケタルおじさんを見て目を輝かせながらはしゃいでいたのがユンとリーネ、そしてそれを宥めているのがウロだ。
「あ、アンリおねえちゃん、あたまかわいい〜!」
「えへへ〜そうでしょー、今日もスズネちゃんの力作だよ〜」
今朝結んだアンリの髪を見つけたリーネは興味の対象を変えアンリに駆け寄り楽しそうに飛び跳ねている。
「いいなー、...スズネおねえちゃんリーネにもやってー」
今度は振り返りこちらに駆け寄ってくるとおねだりをしてきた。
「今日の修練終わったらね。」
「ほんと!?やったー!」
「だからケタルおじさんの言うこと聞いて頑張るんだよ?」
「はーい!」
少し屈み頭を撫でてあげながら約束してあげるとリーネは嬉しそうに戻っていった。その様子を楽しそうに眺めていたアンリと目が合い、微笑みかけてくれる。幸せな気分に浸りながらこちらも微笑み返し、私は私の"師匠"の元へ向かうため広間の奥へ歩みを進める。
「全く騒がしいちび共だ。」
「そんな言い方しないの。おはよう、シイラ。」
「.......はよ。」
アンリたちとのやりとりを反対側で横目に見ていた少女シイラは、無愛想ながらも短く挨拶だけは返してくれたがすぐに木刀の素振りを再開してそっぽを向いてしまった。
シイラを尻目に私の師匠である私たちのお母さんの前に立つ。お母さんはピンとたった背筋のまま正座をし、目を閉じていたが私が前に立つと目を開いた。
「アンリはやっぱり屋根だったかしら?」
「うん、いつも通りね。」
2人で少し笑い合う。
朝、屋根ににいたアンリを見つける前、私が起きる頃にはお母さん朝食の支度を終え、早くに家を出たお父さんを見送り、道場へ向かおうとするところだった。その時、起きたらアンリがいなかったことを伝えると、きっといつものところねと2人で話したのだ。
「お母さん、おはよー!今日もサンドイッチ美味しかった!」
「ふふ、おはよう、アンリ。お粗末様でした。」
さっきまでケタルおじさん達と楽しそうに話していたアンリがいつの間にか私の隣まで来ていた。
「さあ、それじゃみんな集まった事だし並んで。」
お母さんは立ち上がるとこの場の全員に声をかける。お母さんの隣にはケタルおじさんが並び、私を含む子供達6人はそこに向かい合うように一列に並んだ。
今、この場にいるのがこのデシデ村の道場で武術を学ぶ面々だ。村では武術に長けた大人が子供たちに指導をしている。
お母さんは、遠い国の生まれで、そこで習得した剣術を私とシイラに教えている。ケタルおじさんは、体術の達人で、アンリとウロに体術を、まだ小さいユンとリーネには基礎的な身体作りを教えている。
私たちは定期的にこの道場に集まり、時にお互い競い合い、助け合いながら修練を積んでいる。
しかし、今日集まった趣旨は少し違っていて――
「前から話していた通り、今日の修練は後にします。」
「え、そうなの?」
話し始めたお母さんに、アンリがきょとんとした顔をする。
「そう、アンリにはヒミツだったの♪」
「えー!?なんでー!?」
楽しそうに笑うお母さんに、アンリの疑問がさらに深まる。
「私がアンリには秘密にしておこうって言ったの。」
「え?スズネちゃん?なんで??」
ずっと頭にハテナマークが浮かんでいる。カワイイ。
「聞けばわかるよ。」
アンリからお母さんに視線を移し、続きを促す。
「オホン...、今日これからアンリとスズネの二人には......、組み手をしてもらいます!本気のやつで♪」
そう告げるお母さんにアンリが目を輝かせていた。
「ほんと!?いいの!?やったー!スズネちゃんなんで言ってくれなかったの!?」
興奮気味のアンリは、喜びの勢いのままに私に疑問をぶつける。
「だってアンリ、事前に知ってたら興奮して昨日寝れなかったでしょ。」
「あっ!そうかも!えへへ!」
理由の半分を伝えると、納得したようだ。もう半分を伝えるのは明日になる。しかし、よほど嬉しいのかずっと満面の笑みだ。ちょーカワイイ。
アンリがこれほど喜んでいるのは、昔から私と組み手をしたいと言っていたもののそれが叶うことがなかったからだ。
この組み手は、修練の成果の確認として実戦に近い形式を取るため行われるのだが、まだ修練の途中の身では違う武術同士での打ち合いは危険なため、体術を習うアンリと剣術をならう私が共に組み合うことはなかった。
アンリと私は昔からずっと一緒に育ってきたし、遊ぶのも、お父さんに勉強を教えてもらうのも、庭の畑仕事も全部一緒に同じ時間を過ごしてきた。この武術を習う際も初めはアンリも私と同じく剣術を学ぼうとしたのだが、アンリは絶望的に道具を使った戦いというものに不向きで、素振りをすれば木刀は空へ飛んでいき、今より背丈が小さかった昔は木刀を扱いきれず足へ引っ掛けて転んだりしていた。しかし、それに反して体術の才能は天才的で、ケタルおじさんに教えられた動きはまるで最初から覚えていたかのように吸収し、組み手では体がどう動けばいいか分かるようで、奔放な動きにおじさん相手でも優勢をとることもあるほどだった。そのためアンリは体術を教わることになり最初は楽しんでいたのだが、何度か組み手を行ううちに私とは出来ないことに気付いたらしく、それ以降度々私と組み手をしたいと言っていた。
そんなアンリの念願叶って、いまその組み手が実現しようとしている。しかも、お母さん曰く「本気のやつ」だ。普段はあくまで修練の結果を確認するためのもので、全力の戦いというものはしないのだが、今回はその制限は無しということだ。力のセーブが苦手なアンリにとっては願ってもないことだろう。
「お母さん!いま!?今から!?本気のやつ!?!?」
「ふふっそうよ、そんな興奮しないの。アンリもスズネも準備して。」
「うん!!!」
「うん」
興奮冷めやらぬアンリは足早に広間の後方、いつも組み手をする位置に着く。私も壁に掛けてある木刀を手に取り、アンリとは反対側の位置につく。
「スズネちゃん!手加減なしだよ!」
「もちろん。」
実のところ木刀とはいえアンリに剣を向けることに抵抗が無いわけではないが、私も今日のことは楽しみにしていたのだ。いつも横からしか見ることが出来なかった、アンリの楽しそうでいて闘志が宿る表情...。それを真正面から堪能できる機会を逃す訳にはいかない。そもそもアンリは強い。私にも修練で積んできた自負があり決して簡単に負けるつもりは無いが、アンリの奔放でいて的確な戦い方は横で見ていただけでもその手強さを実感できるほどのものだ、手加減をする余裕など私には無いだろう。
何より今回に限っては、私には負けられない理由がある。
「二人とも準備はいいね?」
私たちが位置についている間、他のみんなは壁際まで下がっており、お母さんは私たちの間に立っていた。お母さんの問いかけにアンリと私は目を合わせたまま頷き、合図を待つ。
「では、用意―――、始め!!!」
一瞬の静寂の後、組み手開始の合図が勢いよく響き渡った。